あらすじ
膝を痛め、サーカスの花形から事務職に転身し、やがて自伝を書き始めた「わたし」。どうしても誰かに見せたくなり、文芸誌編集長のオットセイに読ませるが……。サーカスで女曲芸師と伝説の芸を成し遂げた娘の「トスカ」、その息子で動物園の人気者となった「クヌート」へと受け継がれる、生の哀しみときらめき。ホッキョクグマ三代の物語をユーモラスに描く、野間文芸賞受賞作。(解説・佐々木敦)
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あと100ページほど残っている。最後まで読み切らなくてもいいと思うくらい満足している。良いとか悪いとかの程度で測れないほど素晴らしい。
東欧や北極の澄んだ冷たさが書かれていて、知らないのに知った気になる。あたりまえの心の動きが、初めて見たもののように注意深く鮮やかに表現されている。
生きてきて一番、日本語を読めてよかったと感じている。
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文芸誌GOATで上白石萌音さんが紹介していたのをきっかけに読みました。
萌音さんが教えてくれたように『先入観無く読みたい!』と思い、ネットで買うにも検索したら表紙が見えちゃうので、家族に頼んで買ってもらい、表紙も帯も取ってもらってから読みました。
この工程が無ければ、すんなり読めてしまったかもしれません。でも、表紙や背表紙のあらすじを見ずに入り込めたお陰でとても楽しく(頭の中が???になりながら)読むことが出来ました!
これは初めての読書方法でした。
上白石萌音さんに感謝の気持ちでいっぱいです^_^
イヤな顔をせずネットでポチってくれたり表紙と帯を隠してから渡してくれたりと協力的な家族にも感謝です♡
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ホッキョクグマという存在自体がなんとなく危うく、儚い動物の「アイデンティティ」をテーマにした3代にわたるストーリー(と読みました)。クヌートという実在したホッキョクグマは残念ながら勉強不足で知らなかったけど、なんとも全体的に危うい…でも生きていくってことを改めて考えさせられました。初めて多和田さんの本を読んだけど、どこか海外小説風の雰囲気は、後になって調べたら海外に在住とのことでこれも納得。
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人間は想像できたことしか実現できないと何かで見聞きしたけれど、では想像できたことなら実現できるということなのだろうか。この本を読んでいるあいだじゅう、ずっとそんなことを考えていた。じぶんのなかには絶対にあり得なかった、あり得る可能性にもまったく気付かないままの物語はまさに未知で楽しかった。うつくしい冬の描写にときめき、おもいでの鮮やかさにこうべを垂れ、深く深く流れる憧れに空をあおいだ。冬場れが広がっているきょうに読み終えることができてよかった。夏の褒美が冬ならば、冬の褒美が夏なのか。一年が終わりを迎える。
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理屈という網の目で濾すことができない物語。なにせホッキョクグマが亡命するのだから。まさに雲をつかむような話なのに、童話ではない。視点もくるくる変わり、だれが語っているのかわからなくなる。夢想するような、例えようのない読書体験だった。
読む都度、全然違う感想をもちそう。
約300頁という多くない頁数の中に、何巻にも渡るような壮大な世界が凝縮されている印象を受けた。
今回、クマの目を通して私が受けとめたのは、言葉の囚人である人間の姿。
体温や皮膚感覚に飢え、言葉によって思考も想像力も限定される、そんな人間への憐れみを感じた。
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冒頭、なんだか官能的な話が始まったと思った。しかし、しばらく読み進めて、なにかが違う……これは人間じゃない!?と気が付いた。裏表紙にも「ホッキョクグマ3代の… 」と書かれている。そうか、ホッキョクグマが主人公のお話か。 と、とりあえず把握したのも束の間、そのホッキョクグマが会議に参加(!)したり、文章を書いたり(!)するのである。人間の世界に「普通に」参加している。この言い方には語弊がある気もする。現実のようで、幻想のようで、空想のようで……でも、この物語のなかではまるごと現実として納得させられる。
話としては3話収録されており、あらすじのとおり「ホッキョクグマ3代記」ということでとりあえず問題ない。空想の現実が突き刺さる。少なくとも可愛いホッキョクグマが主人公のホンワカ物語ではない。作者の世界の切り取り方がとても素敵で、他の作品も読みたくなった。
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とても面白かった。
まず、タイトルが素敵だ。そして、主人公が北極熊という視点が興味津々だ。さらに、その3世代の物語という構成が見事だ。全編を通して俗世間の物語とは違う、純粋で透明感のある思考と想いとユーモアが感じられて、とても心地好い読書体験だった。
作家であるわたしの「祖母の進化論」、その娘トスカの「死の接吻」、さらにその子クヌートの「北極を想う日」。3章に渡って描かれる北極熊の物語は、単なる熊の擬人化ではなく、忘れてしまっていた私たちの心象風景なのかもしれない。
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難しい小説だなあ大丈夫かなあと自分の理解力にひやひやしながらも読み終わる頃には、お見事だ……の一言に尽きた。
言語と思考が血に溶け込んで身体中に広がっていく過程、他者とわたし、世界とわたし、小さな文庫本が裏返しになりわたしが飲み込まれてしまったような気がした。
ものを書くこと、浮遊感、次元の飛び越え、言語が指先まで染み渡っていく過程、すべてが鮮やかな描写によって目の前に迫ってきた。
クヌートのその後、死ぬまでは幸せであれと願う。
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文字の羅列が意味を成し、眺めるともなくそれを見ていると、不意に情景が立ち上がる。すると集中力が増してくる。集中力は、集中力を呼び、やがて文字の羅列は、文章であるのだと理解する。読み耽るといった表現がそのまま当てはまるのは、こういうことだな、と確信を持つ。客観的に僕自身を眺める感覚。それがつまり、僕の読書だ。思う存分愉しめた。
言葉の意味を転がるような視線で追いかける。とても興味深い物語だった。ときに世の「哲理」を示唆するかの描写、物語の中とはいえ、はっとした。
核心に触れたかどうかは、わからない。絶えずザクザクとした手触りを感じていて、どこか不穏な気配をも感じつつ。それは言葉か。状況か。物語の背景か。
読後に訪れた、この感覚は何だろう。この本を薦めてくれた上白石萌音さんは「視界を拡げられた」と書いている。「視界」とは言い得て妙だ。ならば確かに、と腑に落ちた。
僕は自身の殻の中に閉じこもることが好きだ。そのせいで寂しい思いもするけれど、寂しいことは、そんなにいけないことなのだろうか。好きなものは好きで構わない。その上で、自分の「殻」をこじ開けてくれたような、そんな気がする物語でした。
上白石萌音さん曰く、ぜひ予備知識無くして読むように、と。僕もそれに倣い読んでみました。それゆえにこの感想文も、内容にはまったく触れていません。
なにとぞあしからず。
発見も、気づきも、ありあまる物語にて。
視界を拡げ、殻をこじ開ける力を実感していただきたく。
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これもとっくに読んだのだけど。
何の世界設定の説明もなく、自然に白熊が自分語りをしている。オットセイも出る。白熊の親子3代に渡る物語。読み終わってかなり感動していた。そして、この白熊たちのモデルとなった現実世界の白熊を調べてさらに涙が出た。
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酉島伝法さんの作品を読んでいて「山尾悠子っぽいなあ」と思い、[酉島伝法 山尾悠子]で検索したら酉島氏のインタビュー記事がヒットし、みるとやっぱり影響を受けているようで、そこで山尾氏と同時に挙げていた作家さんが多和田葉子さんでした。多和田氏の作品の中から本作を選んだ理由は、表紙にホッキョクグマが描かれていたから。読んでみたらマジでずっとホッキョクグマの話だったから、とてもよかった。高校2年生の秋に北大銀杏並木のライトアップを見に行ったとき、路上ライブしていた北大生水産学生がホッキョクグマについて熱く語っていて、その時のことを思い出しながら読んだ。本作に出てくるクマたちは皆どこか、あの水産学生の女の子に似た雰囲気がある気がする、なんか、切実さとか。
月刊誌に3ヶ月連続で掲載されたという中編3編ですが、どれも多分あんまりプロットとか考えずに書かれてるんだろうな、と勝手に考えました。思考垂れ流し、みたいな文章群で、難しい表現はあんまりないけど、平易な語彙の組み合わせで見たことない景色を見せてくれる(最終頁なんかはその真骨頂で、ふるふる感動した)。勢いよくエイヤと一筆で書くような物語は好きです、というか割とそういう小説家って多いらしい。小川哲も京極夏彦もプロットを考えずに書くって言ってた、それでアレが出力されるのえぐい。
読み終わった今、タイトルの意味を考えています。ホッキョクグマという依代を得て作者が描いたエチュード、ということですかね。多分、その逆なんでしょう。
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ホッキョクグマの3代にわたる物語。3つの中編からなる。
サーカスの花形クマが自伝を書き、オットセイの出版社の雑誌に連載。
その娘のトスカはバレエ学校を出るが舞台に出してもらえない。そこへサーカスから声がかかり、女性調教師のウルズラと出会う。トスカとウルズラは伝説の舞台を作り上げる。
さらにその息子のクヌートは育児放棄により、人間に育てられる。育ててくれたのはマティアスという男性。クヌートは地球温暖化による北極の環境破壊を止めるための広告塔としての役割を求められていた。クヌートがミルクを飲んで満腹になると眠くて寝てしまうシーンは本当に可愛い♡
ソビエト連邦がまだある時代から現代までをカバーする背景、ちょいちょい出てくるソ連や東ドイツネタが笑える。
いろいろな要素で構成されている物語。普通に喋って新聞を読めるクマについ笑みがこぼれてしまう。全然違和感がないのも不思議なんだけど。
北極海の氷、なくならないで!と思います。
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祖母、母トスカ、そして息子クヌートの三代にわたるホッキョクグマの物語。
実はクヌートについては、名前を聞いたことがあるくらい。
映画か何かのキャラクターだと思っていたくらい。
それが、多和田さんの手にかかると、こんなめくるめくような言葉の構造物になる。
ただ、読み終わったあと、どうにも悲しい。
自伝を書くホッキョクグマの「わたし」の物語から始まる。
サーカスの花形ウルズラとトスカの、濃密な関係。
しかし、それもサーカスが動物虐待にあたるという世論により、二人は引き裂かれる。
トスカの「死の接吻」の芸により、ウルズラの魂がトスカの中に入っていく。
ウルズラの死後、トスカがウルズラの自伝を書き継ぐ。
この作品にあっては、動物と人間の間の絆は、よくある感動もののそれとは趣が違う。
魂が交錯してしまうのだ。
「書く」という行為は、その証となる。
クヌートの物語は、さらにやるせない。
母に育児放棄され、飼育員に育てられて動物園のアイドル、自然保護活動のシンボルに祭り上げられる。
動物園の予算獲得のためでもある。
彼が物心つくのは、そんな騒動が起きてしまってから。
クヌートは読むクマに育っていく。
さらに過熱する世論の中で、訴訟騒動が起きたり、人工保育されたクマは自然に反するから安楽死させよという議論まででてくる(これは実話らしい)。
それを彼は知ることになる。
動物園でのショーで、育ててくれたマティアスをうっかり傷つけ、マティアスとも引き裂かれる。
そのマティアスの死を、彼は新聞を読んで知る。
ホッキョクグマが書いたり読んだりする。
小説的な設定ではある。
でも、そのことで、人間と動物の関係の難しさ、人間の身勝手さが浮かび上がる。
すさまじい構想力だと思う。
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シロクマが人間の世界で生活したり、そこには性格の悪いオットセイとのやりとりがあったり、サーカスで人間とコミュニケーションがとれたり、動物園で感じることがあったりと、異世界が描かれている。それが、共産主義のロシアや東ドイツが舞台であることによって、人間の生きづらさではなく、人間に愛着を持ちつつも、人間によって生きづらくなったシロクマの生命が冷静にシニカルに描かれて、目が覚めるような感覚だった。
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「人権については考えたことがない」
そりゃそうだ、ホッキョクグマだもの。
ふわふわしているのは見た目だけではない。この物語の空気感。
透明の風船をつかむような、形のあるようなないような不思議な感覚。
三部それぞれ少しずつテイストが違う感じ。
世の中のややこしさやせつなさもにじませながら、シュールでクールでユニーク。
読み終えた、あとになって何かがじわ~っと広がって来る気がした。
味わい深い作品だった。
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親子3代のホッキョクグマがそれぞれ語り手となる3部構成。(人間が語り手となる部分もあり。)
最初はホッキョクグマが語り手であるとわからず、違和感があったが、それをわかって読むと面白い。
ホッキョクグマと人間の視点を行き来しながら、読む本ははじめてだったので楽しかった。
パーティーに出席したり、会議に出席するクマの描写に思わずクスッと笑ってしまうところもあった。
人間のように語るホッキョクグマの視点に、人間が思う「クマらしさ」を感じて心が和んだ。
Posted by ブクログ
面白かったです。
ホッキョクグマの3代に渡る物語。
社会に溶け込んでる祖母、サーカスにいるけど人と会話したりする母「トスカ」、産まれたときから動物園にいて人工哺育で育つ息子「クヌート」。
くまなんだけれど、ほっこりはしなくてなんだか哲学的。社会風刺もありました。祖母が亡命疲れしたり。
クヌートが愛らしいけど、しみじみと考えていることはこちらも考えさせられるような事だったり、やっぱりくまだからちょっとズレていたり。
くまの代が代わるにつれて実際に移動できる範囲は狭まったけれど、その分、思考は拡がった気がします。
言葉選びなども面白くて不思議な世界でした。
Posted by ブクログ
自伝を書く祖母、サーカスで活躍する母、動物園の人気者となる息子、ソ連やドイツを舞台に描いたホッキョクグマの三代にわたる物語。
さまざまな動物が人間に混じって生活する世界で、語り手はクマという設定ではあるけれど、お手軽なファンタジーではない。
クマの視点だからこそ見えてくる本質、たとえば政治や社会に対する批判やホモサピエンスとしての人間の愚かさなどが、素朴でユーモラスな口調で語られる。それらは哲学的で深みのあるまっすぐな言葉で、ときには愉快にときには哀しく響いてくる。
『献灯使』で知った作者の魅力をもっと知りたくて手に取ったのだが、ドイツ在住ということもあるのか独特の感性がおもしろく、さらにほかの作品も読んでみたくなった。
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不思議な物語でした。
解説を読むと実は登場するシロクマたちは実在するとありました。
シロクマが小説を書くんです。シュールだけどなぜかやめられない不思議な魔力というようなもののある小説でした。
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GOATでオススメされていたので読んでみた。
リアル熊なのか、カフカのような比喩的なものなのかわからないままふわふわと読み進めていくとカラクリがいくつも仕掛けられていることに気付く。
トスカの章が1番好みだったかな。
あ、そういう視点だったんだ!?みたいな。
クヌートの章は1番読みやすかった。
リアルとフィクションが上手く融合されていた優しい作品。
タイトルはどういう意図なのかな?
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自分初の多和田葉子作品。全米図書賞受賞の帯に惹かれて購入。
あまり先入観なく読みはじめたためか、どういう設定なのか、誰が語っているのか、よくわからなくて戸惑い、すぐには入り込めなかった。読む手が止まらなくなったのは、最後のクヌートの章になってからだった。
ちょっと不思議でありえない話だから、一種のファンタジーなのだけど、人間社会を見つめるクマたちの視点は真理を突いていて、考えさせられる部分も多かった。
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シロクマ3代に渡る物語。熊なのに思索し、話し、自伝を書くのだが、違和感なくストーリーにのめり込む感じ。人に振り回され、ベルリンの壁崩壊などの世情に翻弄され、人によって囲われた世界から、外の世界を夢見る刹那さが漂う。2025.2.4
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これは誰の物語なのだろうか。主人公はヒトなのかホッキョクグマなのか。「わたし」の正体に惑わされ、そういう世界観なのかと飲み込むまで戸惑いと気持ち悪さがあった。サーカスでは花形でそこには輝かしい人生が待ち受けているかと言えば、そうそう簡単には行かないのが世の常で、時代や情勢に翻弄されるのは男も女もホッキョクグマも同じかもしれないと思える説得力があった。
Posted by ブクログ
初めて読む多和田さんの作品。
そして私がこれまで読んだことのないタイプの小説でした。
ホッキョクグマの「わたし」はケガが原因でサーカスの花形から事務職に転身。
ひょんなことから自伝を出版することとなり、世界的ベストセラーになるがー。
「わたし」の娘の「トスカ」、「トスカ」の息子の「クヌート」、3代にわたるホッキョクグマの物語。
こう書くと、ふわふわとした優しいファンタジーかと思われそうですが、そういう作風とはほぼ対極にあると言ってよいでしょう。
ホッキョクグマの視点から見た人間社会の問題点、滑稽さ、無駄などが浮き彫りにされていて、読み手のこちら(人間)がむむむ、と考えさせられてしまいます。
かと思えば、動物ならではの愛らしく無邪気な一面を覗かせたりもします。
なんとも不思議な物語であり、巧みな構成となっています。
私がこういった文体と作風に不慣れなため、面白いと思えたのは3代目のクヌートの章に入ってからでしたが、この何とも不思議な世界観に魅せられたのは間違いありませんでした。
レビューを書くのが難しい。
ちなみに、解説がよいです。
2020年18冊目。
Posted by ブクログ
ファンタジーというか、寓話的な作品。
しんみりと静かで、全体に物哀しい感じ。
最初は、クマは擬人化されてるのか、あるいは普通に動物と人間が会話できる設定のファンタジーなのか、と考えながら読んでいったけど、どちらでもない感じ。そういうのがすっきりしなくてイヤ、という方にはお勧めしない。
途中、空虚ということについて、空っぽで重さのないものと思っていたら、空虚の重さで起きられなくなった、みたいな表現があり、経験しないとできない表現かも、と思った。
Posted by ブクログ
北極熊のクヌート、その母トスカ、そして祖母の三世代の物語。作家である祖母の再三の亡命に伴い変化する言語への困難な適応、母トスカと女性調教師ウルズラの夢の中での異種間コミュニケーション、娘クヌートとマティアスの親子同然の信頼関係とクヌートの言語認識過程や自他の理解等々が人間と熊の目を通して語られる。更に、異種の動物間では単一の共通言語での会話が可能な反面、亡命の度に異なる言語の習得が必要な人間界の煩雑さや、自由移動の障害となる、紛争や覇権争いにより構築された国境や体制などの数多の問題が重層化され、自己レベルでの解釈で読み進まずを得られなかった。作者の意図とは関係なく、動物との会話が可能な状況で、人はそれでも助命を乞う動物を殺し、その肉を食べるのだろうかと、ふと思った。