あらすじ
大災厄に見舞われ、外来語も自動車もインターネットもなくなり鎖国状態の日本。老人は百歳を過ぎても健康だが子どもは学校に通う体力もない。義郎は身体が弱い曾孫の無名が心配でならない。無名は「献灯使」として日本から旅立つ運命に。大きな反響を呼んだ表題作のほか、震災後文学の頂点とも言える全5編を収録。
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海外で話題となった日本の小説を読もう週間。多和田さんの作品は上質感と大衆的さのバランスが好きなのですが、こちらはかなり社会派なカラーも。その未来予想、まさに同感だなと思わされる部分がたくさん。結末は私にはよくわからなくて、思わず考察記事を探してしまいました。
ディストピア文学といえば、終末のフールとか読み返したいかもとふと思い出した。ここまで絶望的ではない終末の表現。
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日本から海外に出て、新たな風をもたらすというストーリーが歴史上の遣唐使的である、だけでなく、歴史上の遣唐使が持ち帰った仏教文化のモチーフが所々現れているのが面白いと思った。
まず献灯とは、仏像や仏塔、仏典などに灯明を捧げる仏教の儀式のこと。(今でもお仏壇にロウソク挙げる習慣ありますよね)また、ロウソクに火を灯すというイメージは、東日本大震災の追悼を思わせる。
また、主人公「無名(むめい)」は、仏教用語「無明」(目が見えないこと、仏教の真理に開けていないこと)と言い換えられそう。後は、「私が海の向こうへ行くといったら着いてくる?」と無名を導く謎の少女の名前は「睡蓮」。睡蓮って、「蓮華」と呼ばれて、仏様の台座になってるお花ですよね。
あと決定的なのは、献灯使の本部が四国の88箇所に散らばっているということ。四国で88箇所と言えば、弘法大師(空海)の霊場を巡る四国遍路のことやん!!
このように、ストーリーとタイトルに遣唐使っぽさを含んでるだけではなくて、実際の遣唐使が持ち込んだ文化のモチーフを登場させている工夫がすごい。
あと私が考察したのは、変な感じの使われ方について。「刃の叔母」(ハノーバー)、「ぶれ麺」(ブレーメン)、「露天風呂区」(ローテンブルク)「亜阿片」(アーヘン)など、ドイツ在住の多和田さんはドイツの地名にヤンキーみたいな当て字をしている笑
それだけじゃなくて、オフラインを「御婦裸淫」、クリーニングを「栗人具」など、変な当て字がいっぱい。漢字って、1文字1文字にしっかりと意味が込められているのに、その意味をフル無視してただの当て字として使うのって、かなり贅沢な使い方というか、漢字に対する侮辱のようにも思われる笑
それに、無名の友達の名前もなんか変。賀露(かろ)ちゃん、窯(かま)ちゃんなど、「この漢字にはこういう意味があるから、こういう子に育ってほしいな」という今の名付けとは様子が違う。
なぜこんなことになるのか?可能性 3つ。
①私のように漢字は意味が込められて使われていると思いこみ、「刃のようなパン、ドイツ」「露天風呂で食べるパン」などと検索する読者をからかうため(漢字に対する固定観念を取り払い、漢字は自由に使えるんだよと示すため)
②外来語禁止、言語は輸出入される商品という世界線に即した理解。
そもそも、漢字って中国から来た外来語では?
外来語が禁止されて、言語が商品になった世界。「他言語を使わない」を徹底していくと、漢字って使えなくなるんじゃないか…?1文字1文字が意味を持っている漢字、その意味に即して言葉を理解するという漢字の使い方が中国から来たものだとしたら、それも外来語として否定される。その結果、ひらがなのひらがなというか、単にひらがなの音の当て字として漢字を使うようになったんじゃないだろうか?
実際に「診断」は「死んだ」と響きが似てるから使われなくなった、など、この世界の住人はどうも読み言葉よりも聞いた言葉の方を重視しているようである。
③ロシア文学をやり、現在はドイツに住んでいる作者が、他言語圏から日本語を俯瞰している。
海外の人の変な漢字Tシャツを思い出してほしい。彼らにとって漢字が持つ意味はあまり関係ない。海外の人が漢字を使うとこういう使い方になりますよ、ということかもしれない。
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他の言語から、日本語の外から日本語を捉えないと
見つけられない言葉遊びが随所に見られた。
今後の日本、超高齢化社会の行く末を過度に強調することで多少のポップさ、滑稽さを交えつつと将来の日本に危機感を覚えさせられた一作。
名作。
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大災害が起こった後の日本。
「無名」という名の首が細く身体がグニャグニャして、膝から下が鳥のように内側に曲がって上手く歩けず、食べ物もなかなか咀嚼出来ず、栄養も上手く吸収出来ない弱々しい子供を曽祖父である「義郎」が世話している。
大災害の後、子供はみんな「無名」のように弱い老人のようになり、逆に老人は死ぬことが出来なくなり、義郎のように100歳を超えた老人がピンピンしていた。
野生動物は殆ど見かけなくなり、本州では安全な食べ物は殆ど無くなってしまった。義郎は運良く1万円で手に入れることが出来た四国産の一個のみかんを無名がなんとか食べられるように包丁で切り刻んでジュースにするのだが、無名はなかなか飲み込めないのだった。そんな無名を見て義郎は悲しくなってしまうのだが、無名は義郎を不思議そうに見て「僕たちの世代は「悲しい」とかあんまり感じないんだよ」と笑顔で言う。「僕たちは美味しいとかもあまり関係ないから」とも。
政府は民営化され、外来語が禁止され、例えばジョギングのことは「駆け落ち」と呼ばれるようになっている。「駆ければ血圧が落ちる」と冗談で使われていた言葉が定着したらしい。
ピクニックの出来る野原も無ければ、自動車も走らなくなり、都心にもビルや信号だけが残り、人はいない。国会議事堂などの建物も空っぽ。民営化された政府が「鎖国政治」をしているので、飛行機も飛ばない。作家である義郎は「閉鎖された空港に国家機密が隠されている」ことを想像し、小説として出版したいが、かりにその創造が現実と一致した場合、逮捕されるかもしれないので、無名の唯一の保護者である以上、危険な橋は渡れない。
沖縄には果樹園があるので、沖縄に職を求めて移住する人が殺到している。けれど保育園などが整備されておらず、子供が出来ると困るので、「女性は55歳以上」という年齢条件がある。顔に皺を描いて、髪を白く染めて若い女性が紛れて移住しても、耕運機のスイッチの「on」「off」の意味をわからないことで英語教育を受けていない若者とバレてしまう。義郎の娘も張り切って沖縄に移住したが、便りでは果樹園のことしか書いていない。何となく「果樹園」と言う名の楽園ではなく「工場」で「強制労働」させられていることが想像される。
ジョージ・オーウェルの「1984年」を彷彿とさせる見事なデストピア小説。
南海トラフのことを念頭に置いているのだろう。首都直下型地震が起きたら、建物だけでなく機能としての政府も壊れ、今までのことを覆すような政治あるいは政治とも言えないことが行われるようになることを想像しているのだろうと思って読んでいた。そして地震だけではなく、終わらない戦争やインフラの老朽化、世界のあちこちにケンカを売っているトランプによる株の大暴落やインフレなどそんなあらゆるマイナス要素が近々一気に押し寄せて、想像出来る日本の未来を小説にしているのだと思って読んでいた。
「老人が死ねない」というのは科学的な思考ではなく、経済成長期に子供時代を過ごし、甘い蜜を吸って生きてきた私の世代への揶揄だと思って読んでいた。
だけど、ここで言われている「大災害」というのは自然災害ではなく「人災」だと「遣灯使」の中盤以降で書かれている。それが何であるかは別の短編「不死の島」に書かれている。そして、「老人が死ねなくなった」のは何故かが分かる。ああ、この災害のことをここしばらく忘れていた。バカだった。災害と言えば「南海トラフ」のことしか思い浮かばないように政府に仕向けられているのかもしれないが南海トラフのような大地震が起こったらこのことはまさしく生態系を変えるくらいの大問題になるはずだ。
紙が不足していて、トイレットペーパーも紙おむつも無くなっていたり、洗濯機は海の底に沈んでしまい、手洗い生活になっていたり、お金の価値が殆どないので、沖縄の果物は魚と物物交換出来る東北か北海道に優先的に運ばれたり、インターネットが無くなった日を祝う「御婦裸淫の日」という祝日が出来ていたり…一々時代が逆行している。
だが、逆行ではないこともある。例えば、乳児には母乳は絶対飲ませない。母乳は汚染されているからだ。全ての乳児は粉ミルクを飲む。だけど、牛のミルクは使われていない。はっきり何が含まれているかは分からないがコウモリのミルクは混ざっているのだそう??
発想が一つ一つ面白い。ニヤリと笑ってしまう箇所も沢山。だけど、決して冗談ではない小説。現代人必読のデストピア小説。
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震災後文学の頂点とはよく言ったもので、川上弘美が書ききれなかった、何か大切なものが剥ぎ取られてしまった世界を不思議な文体で描写しているように思われた。表題作も面白かったのだけど、「韋駄天どこまでも」は技法的にもクィア的にも面白かった。あと装丁の堀江栞って堀江敏幸と関係あったっけ。
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厄災のあと体が変わってしまった日本人。
とても脆い子どもと、その子の世話をする元気な高齢者。脆い子供たちは、自分たちを不幸だとも思っておらず、弱い身体を受け入れている(転び方が上手なので倒れても怪我をしない、というところなど、面白い)。そして、国を出て新たな働きをするかもしれないのも彼等。
善悪を言わないところ、私(たち)の基準だと悲観しそうなことでも、新たな展開があるところが好き。
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完全に打ちのめされてしまった。
震災後のいつかの日本という設定はフィクションだけどフィクションじゃない。
物語から漂うやるせなさを私は知っている。
これからの日本のことを考えながら読んだ。
表題作は勿論、「彼岸」が凄かった。
どうして原子力発電所の上に飛行機が落ちてこないと言い切れる?
鈍器で殴られたような衝撃があった。
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多和田葉子氏の著作は初めてです。「震災後文学の頂点」という売り文句に惹かれ、そのまま読過していました。
著者はノーベル賞の時期になると村上春樹氏と共に名前が挙がる程、海外では評価されている方。私はかなりハードルを上げていましたが、それを容易く超える作品でした。1つ1つの美しい表現の洪水に感動し、その度に友人にその文を送りつけるほどです。
私のお気に入りは大厄災に見舞われた日本列島に暮らす家族を描いた表題作『献灯使』と、人類滅亡後の世界を戯曲で描いた『動物たちのバベル』です。
「当たり前」は「当たり前でない」ということが認識されつつある現代で、両作品は輝きを増してゆくでしょう。
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友達にお知らせしてもらった多和田葉子の作品。
独特な表現と底知れない不気味な感情が押し寄せてくるんだけど、惹きこまれてどんどん読み進めてしまった。
5編あったけど、全部が表題作に結び付いていて、色んな視点から震災後、鎖国状態になった日本というものを描き出していて、とても面白かった。
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東日本大震災の"if"の世界を描く5作品収録。デストピアの雰囲気漂う中に、どこか浮遊感漂う不思議な作品。紡ぐ言葉は柔らかく、描かれる世界は退廃的。各話の主人公たちの視点の切り替えの機微が素晴らしい。おそらくジャンルとしてはSFに分類され、捉えどころのない作品ではあるが、文学の新境地を感じさせる作風。
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一年以上前にNHKで多和田さんがニュースで取り上げられてて初めて知った作家さんで、ずっと一度は読んでみたいと思っていた。
ニュースの内容は記憶にないけど、ノーベル文学賞に近い日本人の一人(もう一人は村上さん)として紹介されてたのではないか。
この本は2013.2014位に世にでていて東日本大震災の影響がとても強い作品だと感じた。ドイツに在住されてる多和田さんの俯瞰的日本像というのか近未来小説というのか。世界観が、テーマは重いながら、不思議とページをめくる手は止まらない。
非常に風刺が効いてるんだが、人はこうあるべきみたい説教くささはなく、読者に判断は委ねられている。
短編小説が5つ収載されているんだけど、設定が面白くて、「韋駄天どこまでも」は何故かある漢字のみ太字で強調されたりの文字遊びあり、「動物たちのバベル」は、動物たちが出演する舞台台本なんだけどシュール。セリフだけで、なんの解釈もなしでここまで見せる凄い。出演は、リス、ウサギ、クマ、ネコ、イヌ、キツネ。ノアの方舟が設定かな。
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終末期の淵に立たされた世界の中で、生きる力をすでに見失った子ども達と相反して現実世界を生き抜こうとする老人達。
表現というのはこんなにも多様なのかと驚いた。
読み終わった後に私自信がこの小説の言葉や世界から抜け出せなくなりました。
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これまでに読んだ多和田葉子の本は
『犬婿入り』
『ゴットハルト鉄道』
『ヒナギクのお茶の場合/ 海に落とした名前』
ファンタジー成分が多いけれど、わりと女性である作者に近い感覚の作品群だと思っていた。
本書『献灯使』は5つの作品を含む短編集。
視野が広がったためなのか、女の子っぽいところはなくなっている。
フクシマ以後の核汚染の怖れを濃厚に映し、現代社会への風刺に満ち満ちている。
『韋駄天どこまでも』が唯一ひとりの女性が主人公でその内面を書いているのだけれど、その視点はものすごく遠く高くにあるように感じられる。この作品は漢字をゴシック体で読者の目につくようにしかけ、漢字のダジャレのような遊びが入っている。
『献灯使』は地球が核物質?で汚染され、日本が鎖国していて、子供の生命力はお粗末なものというディストピア。世界のありようが面白いけれど、ダジャレめいた言葉遊びが少々くどい。世界観の構成が少し弱い気がした。少年が何を考えどう生きたかもっと見たかった。
『不死の島』これは日本だけが核で汚染されている話。
『彼岸』巨大原発に飛行機が墜落し、日本民族が避難のため移民を余儀なくされる。
『動物たちのバベル』三幕の戯曲仕立て。動物たちが人間のような姿で役者を務める。人間の悪口を言いながら人間の悪いところに似てしまった動物たち。
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読み進めるにつれて、未知の世界に引き込まれる感じがした。風景や様子など表現が細やか。義郎が荒廃した都心を想像していたが、とても寂しい風景なのにどこか幻想的に感じた。気持ちの揺れに対して潮の満ち引きなど、素敵な表現だなと思う。
義郎は、曾孫に知恵や財産を残してやろうとするのは傲慢だ、今できるのは一緒に生きる事。その為にはずっと信じていた事を疑える様な勇気を持たなければならない。と考えていて、歳を重ねるにつれて考えが凝り固まってしまう人の方が多いと思うが、そういった考え方の更新は、義郎の世界だけでなく、今の私達の世界でも必要なことかもしれない、と思う。
下心をもって結婚し、そんな自分を軽蔑したこともあったが、色々な事がありすぎて、今では間違いと正解の境目がぼやけて見えない。という文が何故か印象的だった。
無名の子供らしい発想は読んでいて楽しかった。
義郎の曾孫に対する愛情と葛藤が苦しい。
2人の日常を綴っているが、どこか切ない気持ちになる。
明日でなくても、今後数十年後、本書の様な世界に変貌しているかもしれない。そう思うと、今ある普通をもう少し噛み締めないといけないと思う。あの頃は良かったと思うことも多いだろうが、葛藤しながらでも未来を見つめられるだろうか。
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前回の本と同様なかなか読み進められなかった.
でもこれは面白かった.
面白いというより読みすすめるたびに色々考える事がある内容.
言葉遊びと言い回しと独特なテンポがあるので本を読み慣れてない私にはググっと入り込めないけどジワジワとくるものがある.
献灯使の最後は え??なに??ここで終わり??え?どういう事??ジョジョ並のぶった切りのような終わりに困惑したけれど 他4作の短編を含めて1つの作品という印象.
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震災後のディストピア、とあったけど、多和田さんの、現代への痛烈な批判や怒りだったりを感じる。読んでいてゾッとするのは、まさに今と地続きの事象があるからなんだろうな…。
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どの作品も、何か重大な危機があったあとの世界ではあるが、何があったのかはよくわからない。その結果の状況を描いているようだ。
不確かな中で起きていることは、不可思議で、これから何が起こるかもわからない。
そんな不安定な状況で、人はなにを話し、どう行動するのか?
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現代SFというのかな? 大災厄に見舞われ鎖国に舵を切った日本。老人は死ねない、若者は病弱で長生きできない、東京は汚染されているという世界での老人と曾孫の話が『遣唐使』。現実と虚構の狭間にある分、どうしても説明的に感じるけれど嫌味はない。『韋駄天どこまでも』のように漢字を分解して語るのは翻訳するとどうなるの?と考えると日本人だから楽しめる特別感もあった。世界観は他にないんだけれど、私の場合把握するのに気を取られ置いて行かれる感じがあって、そこまで素敵!好き!とはならなかった。
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★3.5。
恥ずかしながらこの作家の本を初めて読みました。
原発がこれほどまでに種をまいたかと思うほど、異様とも言える世界が繰り広げられます。
でも原発の話になると行きつくところ、今の生活をどうしますか?と問いにたどり着き、この作家も例外ではなく。
原発そのものが矛盾に満ちた人類そのものの縮図だからかなぁ。
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多和田葉子さんは「地球にちりばめられて」を読んで世界観に圧倒されたのだけど、これも凄い世界観だった。
震災以後の日本のようで日本でない。でもいつか有り得るかもしれない日本。
「献灯使」はまだブラックユーモアにニヤつきながら読んでたんだけど、それ以外の4篇を読み進めるうちに気持ちが沈んでしまった。特に「彼岸」。
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震災の数年後を描いたデストピア小説。表題作では、何か起きてこうなったのか、は描かれておらず、短篇4篇のうちの、『不死の島』と『彼岸』を読んで、漸くどういう設定かを理解できた。
全米図書賞(翻訳部門)受賞作品、ということで、期待して読んだが、ひたすら暗い、というか、救いがない、というか、自分が読書に求めているものとは全く違う内容だった。だが、強烈なインパクトはある。
鎖国状態での言葉狩りの状況が一番ピンとくる箇所
“「勤労感謝の日」は働きたくても働けない若い人たちを傷つけないために、「生きているだけでいいよの日」になった。”
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あり得ない(はずの)設定なのに、嫌に絵が浮かんで読みながら疲弊してしまった。日本に山積する問題という問題を詰め込んで、その先にある救いのない世界を見せてくれた。
子供は元気が1番。公園で騒いでいても是非苦情をいれないでやってほしい。
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多和田葉子(1960年~)氏は、早大第一文学部ロシア語学科卒、ハンブルク大学大学院修士課程修了、チューリッヒ大学大学院博士課程修了(ドイツ文学)。1982年から2006年までハンブルク、2006年からベルリン在住。1993年に『犬嫁入り』で芥川賞受賞。谷崎潤一郎賞、野間文芸賞ほか数々の文芸賞を受賞。紫綬褒章受章。ドイツ語でも20冊以上の著作を出版し、それらは英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、中国語、韓国語などにも翻訳されている、本格的なバイリンガル作家で、ドイツでも、ゲーテ・メダル、クライスト賞等の有力文芸賞を受賞。今や日本人で最もノーベル文学賞に近い作家とも言われる。
本書は、2014年に出版され、2017年に文庫化された(表題作以外に「韋駄天どこまでも」、「不死の島」、「彼岸」、「動物たちのバベル」の4つの短編を収録)。マーガレット満谷による英訳版『The Emissary』は、2018年に全米図書賞翻訳部門を受賞。尚、多和田氏は、本小説には日本語による言葉遊びが多いため、受賞は翻訳家の功績が大きいと述べているという。
私はノンフィクションやエッセイを好み、小説はあまり読まないのだが、以前、仕事上の要請でドイツ語圏に長く駐在し、ドイツ語を使って生活をしていたことがあるため、多和田氏には関心があり、これまでに読んだエッセイ集の『エクソフォニー』、『溶ける街 透ける路』も面白かったことから、今般初めて小説を手に取った。
『献灯使』は、大きな災厄に襲われた後に鎖国政策を取る日本に住む、100歳を過ぎても元気な義郎と、体の弱い曾孫の無名を巡る作品で、執筆のきっかけになったのは間違いなく東日本大震災と福島の原発事故であり、それに、少子高齢化などの現代日本の問題を絡めて描かれる世界は、いわゆるディストピア小説であると評されることが多い。しかし、松岡正剛氏は伝説的書評サイト「千夜千冊」の中で、本作品はディストピア小説でも未来小説でもなく、言わば「現在(めまい)小説」であり、多和田氏が現在日本に抱いている違和感・不審に対する柔らかい異議申し立てであると書いている。
また、多和田氏が国際的に高く評価されているのは、「エクソフォニー」(母国語の外に出た状態。特に,母国語以外の言語を用いる社会で生活したり,母国語以外で言語表現を行うこと)を実践し、そこから生まれ、広がる様々な発見、疑問、洞察が、作品の中にこれでもかと散りばめられているからなのだと思われるが、そのセンスは本作品でも遺憾なく発揮されている。
と、こう書きながらも、私は正直なところ、期待したほどの面白さを感じられなかったことを白状しなければならないが、それは、もともとノンフィクションを好む、私の合理主義的な嗜好性に拠るのかも知れない。
フィクション性が強い(「ファンタジック」とも言えようか)が故に、好みの分かれる作品のような気がする。
(2022年11月了)
Posted by ブクログ
自分に教えられるのは言葉の農業だけだ。子供たちが言葉を耕し、言葉を拾い、言葉を刈り取り、言葉を食べて、肥ってくれることを願っている。
献灯使 より
普通なら「暗殺」のニュースが流れるはずなのに、マスコミはなぜか「拉致」という言葉を使った。
若返ったのではなく、どうやら死ぬ能力を放射性物質によって奪われてしまったようなのである。
不死の島 より
初めて読む作家さんでした。
ハシビロコウの表紙に興味を持ち、前情報なしに読みました。震災後の壊れた世界、同一線上にある世界を舞台にした中短編集。
一般的に小説は、ひとつふたつの矛盾やおかしみを無視して構築されているものが多いかと思いますが、壊れた未来の日本は、言葉も生活様式も身体もおかしなところばかり。今、日本が鎖国したら、という現象には科学的とは言いがたい変化の数々。最後の話まで行くと、キャロルのナンセンス風なストーリーテリング。かと言ってそこまで寓話的でもなく、淡々と文学的なアプローチがなされた作品だと感じました。
刊行から数年経って、現実の日本と世界といえば、はたしてどちらが残酷で生きづらいのかと考えさせられます。小説に反して、世界は原発を中心に活動していくという方針も出ていて(当然、温暖化反対の活動家も原発は肯定的です)、事実は小説よりも奇なりじゃないけれど、そんなことになるはずがない、という認識もいつか現実を侵食してくるかも、と悲観的な想像をしたりもします。短編では不死の島がお気に入り。人民大移動もうっすら描かれていて、帰る場所をなくした人々が難民になるというのをどこか他人事のように感じながら生きている人は是非。
Posted by ブクログ
なんだこれ、なんだこれ、なんだこれという気持ち。こんな世界観は初めてでわくわくしました。世界観に呑まれるってこういうことかと思いました。あと5回読み直せしても筆者の意図の端さえ掴めないような気がする。読解力不足、でもだからこそまた読みたい。
Posted by ブクログ
震災後の災厄を機に鎖国状態の架空の日本を描いた小説など5編。
「献灯使」では、外来語が禁止されたため言葉の音だけを拾って当て字した名称が頻出しますが、多和田さんの言語感覚の鋭さにドキリとしました。積極的な誤読が繰り返される感じ。
多和田作品は4冊目ですが、読むたびに動揺します。他に読んだのは『雪の練習生』『球形時間』『穴あきエフの初恋祭り』。
言葉遊び、もしくは意図的な変換ミスによって思考や連想が強制的に目の前のページからあらぬ場所へ飛ばされる感覚がします。ああまた誤配された、と思いつつも楽しいです。
Posted by ブクログ
死ねない老人、反対に子どもたちの生きづらさ、本当にかわいそうになってくる。
表題作を補完する形の短編は、災害のリアリティと空想が混じり合ってこの世の終わり感が強い。とりとめなく続くディストピアな日本の話に絶望がひたひたと押し寄せてくる。随所にある言葉遊びも、時にゾクっとする不気味さを連れてくる。
終末期はかえって穏やかで、地に還ってゆくような静けさを感じるが、そこに至るまでの壮絶さは言葉も出ない。
全体的に難解だった。政治的な皮肉、風刺が効いていて、ぐうの音も出ない。人間というのは愚かな生き物だ。