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Posted by ブクログ
日本から海外に出て、新たな風をもたらすというストーリーが歴史上の遣唐使的である、だけでなく、歴史上の遣唐使が持ち帰った仏教文化のモチーフが所々現れているのが面白いと思った。
まず献灯とは、仏像や仏塔、仏典などに灯明を捧げる仏教の儀式のこと。(今でもお仏壇にロウソク挙げる習慣ありますよね)また、ロウソクに火を灯すというイメージは、東日本大震災の追悼を思わせる。
また、主人公「無名(むめい)」は、仏教用語「無明」(目が見えないこと、仏教の真理に開けていないこと)と言い換えられそう。後は、「私が海の向こうへ行くといったら着いてくる?」と無名を導く謎の少女の名前は「睡蓮」。睡蓮って、「蓮華」と呼ばれて、仏様の台座になってるお花ですよね。
あと決定的なのは、献灯使の本部が四国の88箇所に散らばっているということ。四国で88箇所と言えば、弘法大師(空海)の霊場を巡る四国遍路のことやん!!
このように、ストーリーとタイトルに遣唐使っぽさを含んでるだけではなくて、実際の遣唐使が持ち込んだ文化のモチーフを登場させている工夫がすごい。
あと私が考察したのは、変な感じの使われ方について。「刃の叔母」(ハノーバー)、「ぶれ麺」(ブレーメン)、「露天風呂区」(ローテンブルク)「亜阿片」(アーヘン)など、ドイツ在住の多和田さんはドイツの地名にヤンキーみたいな当て字をしている笑
それだけじゃなくて、オフラインを「御婦裸淫」、クリーニングを「栗人具」など、変な当て字がいっぱい。漢字って、1文字1文字にしっかりと意味が込められているのに、その意味をフル無視してただの当て字として使うのって、かなり贅沢な使い方というか、漢字に対する侮辱のようにも思われる笑
それに、無名の友達の名前もなんか変。賀露(かろ)ちゃん、窯(かま)ちゃんなど、「この漢字にはこういう意味があるから、こういう子に育ってほしいな」という今の名付けとは様子が違う。
なぜこんなことになるのか?可能性 3つ。
①私のように漢字は意味が込められて使われていると思いこみ、「刃のようなパン、ドイツ」「露天風呂で食べるパン」などと検索する読者をからかうため(漢字に対する固定観念を取り払い、漢字は自由に使えるんだよと示すため)
②外来語禁止、言語は輸出入される商品という世界線に即した理解。
そもそも、漢字って中国から来た外来語では?
外来語が禁止されて、言語が商品になった世界。「他言語を使わない」を徹底していくと、漢字って使えなくなるんじゃないか…?1文字1文字が意味を持っている漢字、その意味に即して言葉を理解するという漢字の使い方が中国から来たものだとしたら、それも外来語として否定される。その結果、ひらがなのひらがなというか、単にひらがなの音の当て字として漢字を使うようになったんじゃないだろうか?
実際に「診断」は「死んだ」と響きが似てるから使われなくなった、など、この世界の住人はどうも読み言葉よりも聞いた言葉の方を重視しているようである。
③ロシア文学をやり、現在はドイツに住んでいる作者が、他言語圏から日本語を俯瞰している。
海外の人の変な漢字Tシャツを思い出してほしい。彼らにとって漢字が持つ意味はあまり関係ない。海外の人が漢字を使うとこういう使い方になりますよ、ということかもしれない。
Posted by ブクログ
大災害が起こった後の日本。
「無名」という名の首が細く身体がグニャグニャして、膝から下が鳥のように内側に曲がって上手く歩けず、食べ物もなかなか咀嚼出来ず、栄養も上手く吸収出来ない弱々しい子供を曽祖父である「義郎」が世話している。
大災害の後、子供はみんな「無名」のように弱い老人のようになり、逆に老人は死ぬことが出来なくなり、義郎のように100歳を超えた老人がピンピンしていた。
野生動物は殆ど見かけなくなり、本州では安全な食べ物は殆ど無くなってしまった。義郎は運良く1万円で手に入れることが出来た四国産の一個のみかんを無名がなんとか食べられるように包丁で切り刻んでジュースにするのだが、無名はなかなか飲み込めないのだった。そんな無名を見て義郎は悲しくなってしまうのだが、無名は義郎を不思議そうに見て「僕たちの世代は「悲しい」とかあんまり感じないんだよ」と笑顔で言う。「僕たちは美味しいとかもあまり関係ないから」とも。
政府は民営化され、外来語が禁止され、例えばジョギングのことは「駆け落ち」と呼ばれるようになっている。「駆ければ血圧が落ちる」と冗談で使われていた言葉が定着したらしい。
ピクニックの出来る野原も無ければ、自動車も走らなくなり、都心にもビルや信号だけが残り、人はいない。国会議事堂などの建物も空っぽ。民営化された政府が「鎖国政治」をしているので、飛行機も飛ばない。作家である義郎は「閉鎖された空港に国家機密が隠されている」ことを想像し、小説として出版したいが、かりにその創造が現実と一致した場合、逮捕されるかもしれないので、無名の唯一の保護者である以上、危険な橋は渡れない。
沖縄には果樹園があるので、沖縄に職を求めて移住する人が殺到している。けれど保育園などが整備されておらず、子供が出来ると困るので、「女性は55歳以上」という年齢条件がある。顔に皺を描いて、髪を白く染めて若い女性が紛れて移住しても、耕運機のスイッチの「on」「off」の意味をわからないことで英語教育を受けていない若者とバレてしまう。義郎の娘も張り切って沖縄に移住したが、便りでは果樹園のことしか書いていない。何となく「果樹園」と言う名の楽園ではなく「工場」で「強制労働」させられていることが想像される。
ジョージ・オーウェルの「1984年」を彷彿とさせる見事なデストピア小説。
南海トラフのことを念頭に置いているのだろう。首都直下型地震が起きたら、建物だけでなく機能としての政府も壊れ、今までのことを覆すような政治あるいは政治とも言えないことが行われるようになることを想像しているのだろうと思って読んでいた。そして地震だけではなく、終わらない戦争やインフラの老朽化、世界のあちこちにケンカを売っているトランプによる株の大暴落やインフレなどそんなあらゆるマイナス要素が近々一気に押し寄せて、想像出来る日本の未来を小説にしているのだと思って読んでいた。
「老人が死ねない」というのは科学的な思考ではなく、経済成長期に子供時代を過ごし、甘い蜜を吸って生きてきた私の世代への揶揄だと思って読んでいた。
だけど、ここで言われている「大災害」というのは自然災害ではなく「人災」だと「遣灯使」の中盤以降で書かれている。それが何であるかは別の短編「不死の島」に書かれている。そして、「老人が死ねなくなった」のは何故かが分かる。ああ、この災害のことをここしばらく忘れていた。バカだった。災害と言えば「南海トラフ」のことしか思い浮かばないように政府に仕向けられているのかもしれないが南海トラフのような大地震が起こったらこのことはまさしく生態系を変えるくらいの大問題になるはずだ。
紙が不足していて、トイレットペーパーも紙おむつも無くなっていたり、洗濯機は海の底に沈んでしまい、手洗い生活になっていたり、お金の価値が殆どないので、沖縄の果物は魚と物物交換出来る東北か北海道に優先的に運ばれたり、インターネットが無くなった日を祝う「御婦裸淫の日」という祝日が出来ていたり…一々時代が逆行している。
だが、逆行ではないこともある。例えば、乳児には母乳は絶対飲ませない。母乳は汚染されているからだ。全ての乳児は粉ミルクを飲む。だけど、牛のミルクは使われていない。はっきり何が含まれているかは分からないがコウモリのミルクは混ざっているのだそう??
発想が一つ一つ面白い。ニヤリと笑ってしまう箇所も沢山。だけど、決して冗談ではない小説。現代人必読のデストピア小説。
Posted by ブクログ
多和田葉子氏の著作は初めてです。「震災後文学の頂点」という売り文句に惹かれ、そのまま読過していました。
著者はノーベル賞の時期になると村上春樹氏と共に名前が挙がる程、海外では評価されている方。私はかなりハードルを上げていましたが、それを容易く超える作品でした。1つ1つの美しい表現の洪水に感動し、その度に友人にその文を送りつけるほどです。
私のお気に入りは大厄災に見舞われた日本列島に暮らす家族を描いた表題作『献灯使』と、人類滅亡後の世界を戯曲で描いた『動物たちのバベル』です。
「当たり前」は「当たり前でない」ということが認識されつつある現代で、両作品は輝きを増してゆくでしょう。
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