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熊の前足と人の手,ドイツ語では単語が違う.では人の言葉で語る熊は,自分の手を何と表すだろう──.日独二カ国語で書くエクソフォニー作家が,「自分の観察日記」をつけた.各地を旅する日常はまさに言葉と歩く日々.言葉と出逢い遊び,言葉を考え生みだす,そこにふと見える世界とは? 作家の思考を「体感」させる必読の一冊.
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Posted by ブクログ
面白かった〜。言葉の不思議さに触れられ、驚き、合わせて、ドイツなどを旅している気にさせてくれる、多和田さんらしいエッセイ。現実逃避に最適かもしれない。
彼女は言語学者ではない。 小説家であり詩人だ。 それも日本語とドイツ語で小説を書く小説家だ。 だからなのか言語への深い理解と探究心と遊び心にあふれている。 言葉と歩く多和田さんの日記の言葉を もらすことなく読みたくて時間をかける。 折しも今日は3月11日 私のすぐ横に職場のブラウン管テレビが 落下...続きを読むしてきた日だ。 彼女は「ベルリンにいて地震を経験していないという穴があまりに大きいので、人の話がその穴にどんどん吸い込まれていく。共有ではなく、むさぼり喰うような感じ」と語る。そして次の日のアサヒ・コムの「炉心溶融」は危機感が薄く、「メルトダウン」の方が危うく感じられると述べている。そして、多和田さんなら「『ピカドン溶解』という言葉を創ったかもしれない」と書いている。 言葉一つ選ぶにもその人のスタンス、価値観が表れる。パニック回避のための言葉選びが、事実を隠すことにつながることもある。 今日は祈りの日。あの日、日本は変わると実感していたが。
こんなにドッグイヤーを作った本は他にないかもしれない。 わたしが考えていることは既に誰かが考えていたことなのだなと、多和田さんの文章を読んで実感した。 3年間ほど積読していたのだが、ようやく読めた。なぜもっと早く読まなかったのかとも後悔した。 本書で紹介されている文献も面白そうなものばかりで今度読...続きを読むんでみようと思う。
多和田さんが好きなのは、独特の感性と鋭い批評眼があって、なおかつ明るさがあるから。小説でもエッセイでも。 この本は書店で平積みになってて、新しい本かと思って買ったら10年前の再版だった。けど読んでなかったのでノープロブレム。 2013年1月から4月15日までの日記で、1日分は短いので隙間時間にちょっ...続きを読むとずつ読もうと思ったのに、面白くて一気に読んでしまった。 こむらがえりを起こすとドイツ人に言ったら、皆口々にそれはマグネシウムが足りないせいだと答えた、という話のあとに、 「「こむらがえり」はとても古い単語なので「マグネシウム」という単語と出逢って、かなり驚いたみたいだった。」(P69) (「こむら」はふくらはぎの古語。) トルコ語と日本語は同じウラル・アルタイ語族だと言われていた時期があった。しかしそれはインド・ヨーロッパ語族を中心とした見方である、といった内容のあとに、 「これは、鍋が自分中心に世界を見て、「ミシンとコウモリ傘は似ている」と主張するようなものではないか。鍋から見れば、ミシンとコウモリ傘にはいろいろ共通点がある。まず蓋がないこと、そして仕事中熱くならないこと、更には調理の役に立たないこと」(P159) (「ミシンとコウモリ傘」のワードの選択もいい。) 「リアリティ」「クリエイティヴ」といった言葉について、伊藤比呂美の詩について、ワーグナーの文体についてなど面白いだけでなく刺激的で、読んでいる間、本当に幸せな時間を過ごすことができた。 立て続けに二回読んだ。
2013年、日本語で書いた自著『雪の練習生』を自らドイツ語に訳している最中、多和田葉子が言語について考えたさまざまな疑問や気づきを書き留めた日記。 めちゃくちゃに面白い。日独だけでなく、多和田さんが講演などで旅した先で出会う言葉がどんどん思索を豊かにしていく。逆に翻訳作業の話は「手」の訳語にまつ...続きを読むわるエピソードくらいだけど、多和田葉子という作家が日常的に言葉や文字とどう触れ合っているか知れるのが面白い。 レガステニーという学習障がいをめぐって「言語を文字で記すことが根本的に人間には困難」だと笑って見せたり、移民由来の乱れた言葉とされてきたキーツ・ドイツ語に惹かれてラップを書いてみたいと言ったり、これまでの西洋基準な言語学に物足りなさを感じたり、多和田さんは常に勉強熱心だ。「言語はべったりもたれるための壁ではなく、壁だと思ったものが霧であることを発見するためにある」。学べば学ぶほど深くなるのかもしれないその霧のなかを、悩みすら楽しみながら歩いていくように見える。 そして楽しむと同時に、常に言葉と自分との距離を冷静に測る目を大切にしているのだと思う。嬉しい言葉も悲しい言葉も鵜呑みにしないで、付き合い方を自分の頭で考えること。多和田さんの歩みを見せてもらうことで、私も歩き方を一度じっくり考えてみようと思った。
私は中国語と日本語の間で著者のように行ったり来たりしている。 共感し、驚き、感激し、とにかく読み終わるのが嫌だった。 もっともっと続きが読みたい。 外国語の語感を通して日本語を深め、それを日本語で思考した後外国語でもう一度表現してみる。 そういう作業を楽しんだ。
著者が原稿用紙にやわかな鉛筆で書き上げた3ヶ月半の日記。言葉というのはこうして身に纏って生きていくものなのだと実感できる日々のことをのぞけてしまう。わからない言葉や用語に出会ってもインターネットで安易に調べず一つ一つ辞書にあたって、触れた感触を確かめていくというのはとても楽しいだろうなと思えた。
単なる「ドイツに住んでいる小説家の日記」ではない。 言葉と歩いている多和田葉子さんの日記、なのである。 多和田さんは小説を 日本語で書き、ドイツ語で書く。 日本語作品をドイツ語に翻訳もする。 自作品を日本語、ドイツ語、英語で朗読し さまざまな言語に翻訳された自作品を聞くために 世界各地を旅してい...続きを読むる。 そんな人生があるとは。。。 まさに理想的な人生である。 それができる才能が実に羨ましい。 あまりに面白いので 私が勤める日本語学校の先生たちに 熱烈推薦してしまった。 何が面白いか、その面白さを説明すると 多分すごくつまらなくなるので書かないが 言葉に興味ある人はとにかく読んでみてほしい。 この本の中で多和田さんが読んでいた本も 読んでみようと思う。 「日本人の脳に主語はいらない」 「英語で日本語を考える」などなど。
『雪の練習生』と合わせて読んでいたのだけど本当にすばらしい羨ましいとしか言いようがない日々で、こんな美しい日々のことを本にまとめて発表してくれてありがとうという気持ちしかなかった。 言語も国も水のように揺蕩い、ここは泳げる世界なのだ、少なくとも葉子氏には。 伝え伝えられることの喜び、息をする喜び、書...続きを読むくことへの無常のよろこび。 朗読イベントとか、参加したくもなってしまうね。
「小学生の夏休みに『アサガオの観察日記』を書いた記憶があるが、それを参考に、日本語とドイツ語を話す哺乳動物としての自分観察しながら一種の観察日記をつけてみることにした。」(著者後書きより) 社会人になってから、数年に一度くらいの頻度で多和田葉子さんの文に引き寄せられる縁みたいなものがある。 今回は...続きを読む小説でなくエッセイというか日記というか、丁寧な思考をほいっと手渡されて後は任せた、みたいな短文が続くので、相変わらず素敵だなあと思ってゆっくり読んでいる。 今のこの日本ではない、別のもうひとつの静謐で豊かな世界がどこかにある気がしてくる。 さいしょからさいごまで良い一冊だった。
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