作品紹介にある通り、ウクライナ戦争により心身共に傷ついた市井の人々の生の声を元にした詩だ。
ニュースやドキュメンタリーとは異なり、直接心に響く。
後半はロバートキャンベル氏が、実際に詩の元になる証言をされた方々との会話を中心に、その心情に触れる。
食べもの
東部地域からやってきた家族を一晩お世話す
...続きを読むることになりました。
台所に案内して言いました。「ここがキッチン。食卓にある食べものを召し上がってくださいね」。
その瞬間、彼らは泣き始めたのです。「キッチンにある食べものを、がってくださいね」という一言で。
安らかな場所で食べることができる幸せ。
何でもない日常が、彼らにとっては至上の喜びだったりする。
自由
自由といえば、誰かが代わりに手に入れてくれるものではありません。誰かが与えてくれることもなければ、プレゼントしてくれることもなく、誰かに期待することはできないものなんです。自分の手で作る以外にない、ということです。そう、ハンドメイドですよ(笑)。自由を作る工場なんて存在しません。量産品ではないのです。
そう、彼らにとっては自由も死を尽くして獲得するものなのだ。
・私たちが二つの世界大戦で体験したように、戦争は非常に早く場所を変えることが可能なのです。人間の残虐さと人間の優しさには、限界も無く、国境も無い。私たちは正しい側に立つべきです。
彼らは、全世界の人に正義というものを訴えている。
・普通の人々の死に対して無関心であってほしくないです。100人が死亡したというニュースや統計があるとき、それは単なる数です。でも、そこに語られた言葉があれば、それは感情です。
亡くなった人たちには、それぞれに歴史があり、感情があったことを忘れてはいけない。
・(なぜ戦争をしなければならないのか?と言う)問いはもちろん大事です。けれど今、わたしたちは圧倒的な、一方的な暴力にさらされています。生きるか死ぬかの瀬戸際にずっと立たされています。善い戦争というものはない、いつなんどきでも武器を捨てなさい、平和を第一に、そういうことなのか。そのような問答であるなら要りません。今は、そのことを問う時期ではないのです。「平和」の代わりに「勝利」と言ってください。
ふわっとした着地点の見えない「平和」では、むしろわたしたちの言語も文化も、わたしたちの生命すら脅かされかねないからです。
表紙の美しい絵も、ウクライナ人のアナスタシアさんによるものだ。
ロシア(プーチン)の理不尽さを、改めて感じた一方で、このような状況では、私たちはどうすべきかと考えさせられた。