ロバートキャンベルのレビュー一覧
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紐解き始めてみて、頁を繰る手を停めることが出来なくなってしまった。強く惹かれてドンドン読み進んだ。或いは、ウクライナ関係のモノということでは「こういうモノこそ読みたかった」というような気もしている。
ウクライナの詩人でエッセイストでもあり、様々な活動をしているオスタップ・スリヴィンスキーの作品を、米国出身で、日本で活動する日本文学研究者で大学教員でもあるロバート・キャンベルが翻訳し、併せてロバート・キャンベルがウクライナを訪ねての経験を題材とするエッセイが収録されている。「2部構成」のようでもあるが、完成形になった作品を前半に示しながら、それが登場する迄の経過が関連する挿話を綴ったモノが後半に -
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ネタバレ書店で見かけた一冊。
ウクライナ終戦が、早まるかと思った今年(2025)だったが、各国の思惑が錯綜し、なかなか実現されない。終戦後の秩序模索を謳った書籍もチラホラではじめている中、敢えての火中の栗……でもないが、戦禍の下で拾った、現場感、臨場感あふれる生の言葉を集めた本書。
戦争語彙とは? 冒頭に訳者が列記している「疎開」、「学徒動員」「千人針」「慰問袋」といった今ではお目に書かれない単語に、「予科練」「焼夷弾」「空襲」「予科練」といった軍事、武器に関わる言葉もそれに含まれる。
そういった、ある種特異な語彙集かと思って頁を繰ると、その予想は裏切られる。あらゆる日常の単語が、戦時下におい -
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2022年2月24日のロシアの軍事侵略により、主に東部在住のウクライナ人は西部などに避難することになった。鉄道の乗換駅や、西部の都市で避難民を受け入れたり援助活動をするウクライナ人の詩人は、避難者たちの言葉を書き取った。
この原書を知ったロバート・キャンベルがウクライナを訪ねて見たこと、インタビューしたことも収録されている。
まだ渦中にある当事者の言葉って、憎しみとか怒りとかではなくて、本当に日常に基づいたものが多いんですよね。今まで親しんでいたものが変わってまったこと、自分も大変だけど他の誰かを痛ましく思う気持ち。
チョーク:「たすけて」の文字とその下に落ちていたチョーク。このチョークを -
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戦争の体験は、一人ひとりが言葉に抱く意味を変えてしまう。
前半は、ウクライナの詩人が実際に避難者の支援をしながら聞き取った証言たち。あらゆる証言に一切の優劣をつけることなるフラットに並べ提示する。マドレーヌ、ニュース、悦び、スイーツ、ゴミ、記事などの語彙にまつわる証言がとくに、戦時の人々の人生や心の置き方として強く印象に残った。
「(…)その時に気づくんです。何もかも、以前とは違うのだと。朝ご飯も、犬の散歩も、表面や膜に過ぎないのだと。では、膜の内側にはいったい何が入っているのだろう?戦争が始まる前にそこにあったものは、一体何だったのだろう?」
(ニュース p.77)
「わたしの家も、この -
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作品紹介にある通り、ウクライナ戦争により心身共に傷ついた市井の人々の生の声を元にした詩だ。
ニュースやドキュメンタリーとは異なり、直接心に響く。
後半はロバートキャンベル氏が、実際に詩の元になる証言をされた方々との会話を中心に、その心情に触れる。
食べもの
東部地域からやってきた家族を一晩お世話することになりました。
台所に案内して言いました。「ここがキッチン。食卓にある食べものを召し上がってくださいね」。
その瞬間、彼らは泣き始めたのです。「キッチンにある食べものを、召し上がってくださいね」という一言で。
安らかな場所で食べることができる幸せ。
何でもない日常が、彼らにとっては至上の喜び -
Posted by ブクログ
アレクシェーヴィチの「戦争は女の顔をしていない」が過去から現代に現れてしまった。
死と隣り合わせになることで、人生が詩になってしまうと言う皮肉。
自由
「自由といえば、誰かがかわりに手に入れてくれるものではありません。誰かが与えてくれることもなければ、プレゼントしてくれることもなく、誰かに期待することはできないものなんです。自分の手で作る以外にない、ということです。そう、ハンドメイドですよ(笑)。自由を作る工場なんて存在しません。量産品ではないのです。」
「今年の三月八日、女性たちには生と死が配られることになりました。わたしたちは、生の方をもらいました」 -