・またコロナ関連である。かういふ時である、出版界も際物狙ひでいろいろと出す。そんな1冊(だと思ふ)、ロバート キャンベル編著「日本古典と感染症」(角川文庫)である。しかし、本書は単なる際物では終はらない。編者は国文学研究資料館の館長であつた人である。その、言はば配下に書かせてなつたのが本書である。総論を含めて古代から近代、つまり万葉集から鴎外、漱石までを網羅する15編を収め る。感染症は感染症である。コロナだけではない。それゆゑに、こちらのイメージといささか外れる論文もある。まとめ方もそれぞれである。それでも、「生をむしばむ影に一条の光を見出す読者が一人でも多くページをめくって下されば幸いです。」(キャンベル、 27頁)と始まる。
・私が最もおもしろいと思つたのは木下華子「『方丈記』『養和の飢饉』に見る疫病と祈り」であつた。鴨長明の生きた時代は大変な時代であつた。大火、辻風、飢饉、地震、長明はこれらを実際に経験した。私は気にもしなかつたのだが、実は助動詞の使ひ方に問題があつた。過去の「き」「けり」である。「方丈記」ではこれが書き分けられてゐるといふ。「過去・回想をあらわす場合、作品全体 における『き』の使用量は『けり』の二倍以上に及ぶ。」(85頁)ごく大雑把に言へば、「き」は経験過去、「けり」は伝聞過去である。「方丈記」では経験過去の「き」が中心であつた。当然である。逆に「『けり』が用いられるのはすべて五大災厄、すなわち 『方丈記』執筆からおよそ三〇年前の出来事を振り返る箇所である。」(85〜86頁)これはいかなることを表すのか。すなはち、 自らの経験でないことを伝聞によつて書いたといふことである。しかも上記災厄中で「『養和の飢饉』は明らかに特殊である。」 (86頁)養和の飢饉では「けり」の使用が多いのである。この時、長明は飢饉の多くの情報を「直接経験ではなく、間接的に、他者 を介して手に入れ」(同前)たのであつた。私は「方丈記」に書かれたことは長明自らが体験したことだと思つてゐた。さうではなか つた。長明はいつ果てるともしれぬ飢饉の中で自ら情報を求め、それをもとにして飢饉の様を記述したのであつた。「直接体験による見聞でないからといって、非難すべきことではない。」(87頁)とわざわざ筆者は書いてゐる。これは非難する人がゐた、あるいはゐるといふことであらうか。個人的には、その時代に生きてゐればそんなことは言へなくなると思ふ。誰もが生きることに精一杯であ つたはずだからである。従つて、「方丈記」を書いてゐる時、長明の手に入れた「ふさわしい情報の取捨選択が行われたはずだ」(88頁)といふのはありうることである。人間誰しも都合の良いことは残す。残したくないものは残さない。長明にも残したくない ものはあり、それが記されずに後世まで残らなかつたといふことはあらう。災厄でもあるかもしれない。それがどんなことであつたかと思ふのはいささか不謹慎かもしれない。清少納言や吉田兼好はかくも陰惨な情景を描いてはゐない。しかし、それに類することを経験してゐるはずである。これはどの時代でも同じこと、現代医学も持て余す感染症はまだ多い。まして医学よりも加持祈祷の時代であれば、感染症は不治の病であつたらう。だからこそ情報が必要だつた。飢饉の中、長明は情報を求めて走り回つた。それが「き」「け り」に凝縮されてゐたとは。私も迂闊であつた。過去に限らず、助動詞のことを考へながら読むと、また新しい発見があるかもしれな い。伝聞過去で最後に登場する隆暁法印は、それゆゑに長明に大きな印象を与へた人であつたわけである。