あらすじ
エクソフォニーとは,ドイツ語で母語の外に出た状態一般を指す.自分を包んでいる母語の響きからちょっと外に出てみると,どんな文学世界が展けるのか.ドイツ語と日本語で創作活動を行う著者にとって,言語の越境は文学の本質的主題.その岩盤を穿つ,鋭敏で情趣に富むエッセーはことばの世界の深遠さを照らしだす.(解説=リービ英雄)
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Posted by ブクログ
突然ですが、読書について。
私よりも速読・多読の方は数えきれないほどいらっしゃるのは分かります。それでも、この数年は、私の中では人生史上最も読書をしているという感覚があります。
それらの本は、当初は仕事で行き詰まる自分への武器、突破口発見のため。あるいは、金がないなかで(というか塾に通わせずに)子どもの高校受験を成功させる、という目的がありました。
仕事がそこそこ落ち着き、そして子どもたちも無事に日本に戻った近年は、文芸書・エンタメが太宗を占める、息抜き読書が多く、しかも消費する・ただ貪り読むという、あたかも早食い・大食いの読書バージョンであるかのような読み方であると自身感じていました。
そして、そのような近況のなか出会ったのが本書。
ああ、私も、味わうように読書したい、と思ったのでありました。
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多和田氏は1960年生まれ。
早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業。1982年にハンブルクに移住。ハンブルク大学修士課程、チューリッヒ大学博士課程修了。日独語両方での創作活動を行う。
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さて、タイトルのエクソフォニーですが、そもそもは母語の外にでた状態、を指すそうです。
そのようなタイトルをつけて語るのは、日独両方で創作活動をされている多和田氏であるので、もう適任という謂う以外にありません。
本作で、多和田氏は、各章を世界中の地名で銘打ち、ことばについてのあれこれ・世界各地に赴きそこをであったこと・想起したことなどを綴るものです。
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多くの章で感じるものがありました。もちろんポジティブな意味で。
多和田氏は、非常に言葉へのアンテナが敏感で、かつ、非常に言語的多様性に寛容であると感じました。
例えば翻訳について。
翻訳というと誤訳がつきもの、と断ずる沼野充義氏の作品を読んだそう。それに呼応するようにこう書いていらっしゃいます。
「文学そのものがたとえオリジナルであっても、誤訳のような捩じれや空白に満ち、その空白があるからこそ流動的になっているのだから、もし翻訳が必要悪ならば文学そのものも必要悪である。いや、必要でさえない悪、「不必要悪」かもしれない。しかし、沼野氏も書いている通り、悪には悪の楽しみがあり、それは時に善以上のものである。しかも、不必要ならなおさら楽しい」(P.147)
どうですか。
つまり誤訳はあって当たり前。それを呑み込んで味わいましょうというわけです。それも意図的にというか露悪的に。
言葉に対するこのようなスタンス。そして、そのスタンスをこう洒脱に記すわけですよ。
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他にも、取り扱う話題は言語にまつわること。
例えば、日本語で外国人が文学作品を執筆するとどうか。あるいは日本人が外国語でその国で文学作品を書くとどうか。あるいは、歴史的な強制移住や占領によって訓化した言葉(つまり家庭内の母語ではない言葉)で書く作品は「ほんもの」か。さらには、「ほんとうの自分」はどっちの言葉で語る方なのか、などなど。
まあ、氏の結論としては、あいだみつを的な、「みんなちがって、みんないい」なのですが。
ただ、こうした越境的状況で生じる捩じれ・ゆらぎを味わい・楽しむ、むしろそこが醍醐味だみたいなスタンスでいらっしゃる様子で、そのゆらぎを発見し、むしろ愛でるように味わう様子は、ほとほと感心するというか素敵な感性だなあ、と恐れ入った次第であります。
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で、そうしたことを勘案しますと、日常のイライラも「ゆらぎ」として楽しむこともできるというものです。
私のメインは当然日本語ですが、家内にとっては日本語は外国語。我々は日本外に住んでいることもあり、家内の日本語はもう結構劣化してきています。というか劣化なのか・老化なのか。時として噛み合わない。家内の言い間違いが多い。
というのは家内の日本語の記憶は耳中心なのです。ですから名称については大体音感で覚え、音感ゆえに間違える。実際にあったわけではないですが、例えば、「今日何が食べたい」ときかれ、「おから」と答えたら、「おかゆ」が出てくる、みたいな。
そういえば、先日もお話ししましたが、大手町と大井町(どちらも東京のターミナル駅)の違いが分からず、「大体同じもんっしょ」とぶちかました世間知らずの帰国高校生の娘も、似ているところがあります。
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読書体験についても多和田流を見習いたい。
普段からツルツル読む、読めることがえらいというか、良いという価値観がありますが、「あえてつっかえながら読む。単語を分解して味わう」(P.140-141)みたいな、豊かな読み方もしてみたいなあ、と感じました。
これは英語だったら接頭辞・接尾語を着脱してその語源学的なつながり・連関を想像する・楽しむということでもありますね。
日本語だと、ひらがなから同音異義語を当てはめるような作業となりましょう。つまらないという先入観がありますが、詩を楽しむとしたらこういう作業も楽しいかもしれません。
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ということで、初めての多和田氏の作品でした。
ことばに対する、しなやかで豊かな感性、とても素敵でした。私も氏のように言葉に寄り添って年を重ねてゆきたいと思いました。
次回は氏の文芸作品も読んでみたいと思います。
それにほら、ノーベル文学賞行くんじゃないか、という下世話な話題もありますし。Underdogな私は受賞する前の今が旬な気がします笑 受賞したらきっと誰もが手に取るのでしょうからねえ。そういうとき、私は手に取りませんよ。
まあでも、ことば、外国語、異言語体験、このあたりに興味がある方ならば読んで損はありません。おすすめ。
Posted by ブクログ
言葉に真摯に向き合っている筆者が、旅行先のエピソードからの想起に端を発して自身の言語論を展開していく。
その言語論は実際に行動に移す中で獲られたものだから、読んでいてとても小気味よい。
読みやすい文章だけど、手を止めてゆっくり読みたくなる本。
Posted by ブクログ
エクソフォニーとは母語の外に出た状態一般を指すそう。移民ではなくとも外国語で書く人がいる。意思疎通のために独自言語として進化したというわけでもない。日本語とドイツ語で本を書く著者の母語の外を巡る紀行文であり、言葉に対するエッセイ。母語しか扱えない(それもたまに危うい)身としては、母語と外国語の狭間を生きる感覚がどういうものなのか、体感できないゆえに羨望を覚える。思索は尽きない感じがした。
Posted by ブクログ
フランス語がわからない著者がその環境に10日間ほどいたときの、夢の話が興味深かった。"ちょっと空気が震えただけで、泣いたり、喚き散らしたり、人を殺したくなる"という一文の凄み。ぐっとくるを通り越してなんかもう、ウッとなった(もちろんいい意味です)ここからもいい意味で、わりと怒りを感じるところに人間味を感じた。
そのほかにもいいなあとじわじわ感じるところが多々あり、ほかの方も感想に書いてらしたけれど、多和田さんの言葉に対するこだわりや真摯さを感じられる。言葉えらびがすてきで、くり返し読みたくなる文体でした。読んでよかったです。
Posted by ブクログ
日本語とドイツ語で創作する作家の母語をはなれることと、そこから何かを生み出すことに関するエッセイ集。
エクソフォニーとは、母語を離れた状態を表す言葉のようだが、フォニーというところに、音楽的なニュアンスがあって、シンフォニーとか、ポリフォニーといった調和感ではないのだけど、一種の緊張感と解放性のある言葉なのかな〜。
私たちの概念やストーリーがまさに言葉でできていることを日常的なレベル、そして文学作品を作る現場から、すらっと教えてくれる。
そして、言語の音とか、綴りなどがもつ、呪術性というか、身体性も改めて、伝えてくる。自分の知らない意味の分からない外国語から、何らかの作品を作ってみるワークショップの様子とか、ほんと面白い。
水村美苗さんの「日本語が滅びるとき」を思い出させてくれて、自分は、こういう話しが好きなんだなとつくづく思った感じ。
あと、なんかそれだけでないなんか共感できるフィーリングもあるのだけど、もしかするとほぼ同年代だからかな〜。著者は、82年にドイツに移住しているので、そこまで同じ時代の感性を共有しているというわけでもないのだろうけど、なんともいえない同時代感を持った。
Posted by ブクログ
世界各地の地名をタイトルに、その土地にちなんだエッセイをまとめた第一部と、ドイツ語という言語にフォーカスしたエッセイをまとめた第二部からなりますが、個人的には多和田さんご自身の着眼点の面白さがより詰まった第二部が面白かったです。
冒頭からずっと読んでいて、色々な単語に対する好き嫌いの記述が本書中に何度も出てくるので「やっぱり言葉に対する感性が鋭いんだな」ぐらいに思っていましたが、第二部の以下の部分を読んではっとさせられました。
ちょっと長いですが、多和田さんの文章に対する哲学が垣間見えるとても印象的な一節なので引用させていただきます。
『(前略)ところで、わたしは単語の好き嫌いばかり言っているようだが、好き嫌いをするのは言葉を習う上で大切なことだと思う。嫌いな言葉は使わない方がいい。学校給食ではないのだから、「好き嫌いしないで全部食べましょう」をモットーにしていては言語感覚が鈍ってしまう。一つの単語が嫌いな場合は、自分でもすぐには説明できなくても必ず何らかの理由があり、その理由は、個人の記憶や美学と結びついている。だから、思い切りわがままな好き嫌いをしながら、なぜ嫌いなのかを人に言葉で伝える努力をしたい。』
Posted by ブクログ
140ページに、「速く読み過ぎてはいけない」とあります。
ケータイでスクロールしながらヤフーニュースを流し読みしているうちに、本を読むときも加速しすぎて、意味を捉えることができないことが多くなりました。目が先に行っちゃう、って感じ。
は?
「書くという作業は、作者とは別のからだである言語という他者との付き合いなのだ」
「いろいろな人がいるからいろいろな声があるのではなく、一人一人の中にいろいろな声があるのである」
204ページに、何とhard-fiのイメージがあって驚く。私のポケットにも穴が開いてるから。
最後の「感じる意味」は何度でも戻っていきたい。感じたことを無視しちゃいけない。感じてもいないことに時間を費やすな。
Posted by ブクログ
日独バイリンガルでドイツに渡り、母語を日本語としながら日本語とドイツ語の両方で小説を書く作家の「言葉を越境する」ことから広がる視界、言葉をめぐる冒険のエッセイ。
自身が当たり前のように接していた言葉、日本語、外来語について紐解かれていくのが非常に興味深かかった。
自身の知識では抑えきれていない部分もあるのだろうと思わされつつ、読めば読むほど奥深い発見が溢れていた。
Posted by ブクログ
日本語‐ドイツ語のはざまで、ドイツ語から日本語を、日本語からドイツ語を照射しそれぞれを解放していく。
言語の、生きられたコードとしての不自由さのいっぽうで、コードそのものに宿る固有の何か、をあぶりだしていく。
幼児の言語習得の過程では、分節をふやしていくのではなく
分節を忘れる―区別をしなくなる/ある種のコードに沿った分節に屈する、ということが印象的。
コードへの執着を持ちながら、そのコードを自らの手で増やし相対化されているー言葉の快楽におぼれるでなく、実感に基づいた冷静な思考。
刺激的な言語論であり文章論。
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多和田葉子さんは
1993年に芥川賞を受賞した著名な作家なのだが
私は恥ずかしいことに
多和田さんの存在を
「2018年の全米図書賞翻訳部門を受賞」
のニュースをネットで見て初めて知ったのだった。
多和田さんは早稲田大学でロシア語を学び
ロシア(当時ソ連)ではなく
ドイツ(当時西ドイツ)に留学。
以来30年以上ずっとドイツに住み
日本語とドイツ語で作品を創り続けている。
Exophonyとは
「母語以外の言語で文学を書く」という意味。
サブタイトルのように
多和田さんは朗読会や講演などを行うために
世界各地を旅しているわけだが
その度に母語と非母語について
考え
感じ
新たな捉え方に挑戦し続けている。
一文学者の紀行文として楽しみながら
目からウロコのような「多和田式」捉え方に
刺激を受けることができる一冊だ。
多和田さんを
ノーベル文学賞に最も近い日本文学者と
言う人もいるが
彼女の活動を辿れば納得がいく。
Posted by ブクログ
ヨーロッパと日本の言語を巡る状況を概観するとともに、いろんな物事が統一とか硬直に向かっていくことを危惧し、それとは全く逆の瑞々しい価値観を提示している。外国語を学び、外国語と母国語の間で考えることで、一つの文化を相対的に見ることができる。ここからはかなり教訓的な考えを取り出せるだろう。だが本書の特徴はいたるところに言葉遊びが散りばめられていることだ。この本はただ有意義なだけでなく、たたずまいそのもので芸術を表している。
Posted by ブクログ
「90年代を代表する文学はどんな文学かと聞かれたら、わたしは、作者が母国語以外の言語で書いた作品、と答えるのではないかと思う」
と言い切る多和田葉子氏の著作で、解説は英語を母語としながら日本語で捜索活動を続けるリービ英雄氏。
『エクソフォニー』という表題は耳慣れないが、副題は「母語の外へ出る旅」。
そうなれば本書のテーマは明らかだろう。
要するに「母語を相対的にとらえる」ということになるのではないか。
我々は当たり前のことだけれど母語に依拠して生きている。
それはつまり、母語の世界観を前提にした考え方やものの見方しかしていないということだ。
筆者の多和田氏はそうした我々の「思い込み」を突き崩そうとしているように思われる。
だからこそ、多和田氏の投げかける問題は、我々の生きた方の問題として切実に迫ってくるのではないかと思う。
非常に刺激的な本で、とてもおもしろかった。
Posted by ブクログ
「エクソフォニー(exophony)」
聞き慣れない言葉だが、「母語の外に出た状態一般」、そして「母語以外の言語で文学を書く現象」を意味するらしい。
日本語とドイツ語で創作活動を続けてきた著者の多和田葉子さん。
様々な言語文化と接する中で見えてきたもの、感じたことを鋭い洞察力で文字に起こしている。異なる言語の視点を持つことで、日本語を客観的に見る機会が得られることに気付かされる。
ドイツ語の言葉遊びも面白い。
Posted by ブクログ
多和田葉子(1960年~)氏は、早大文学部ロシア語学科卒業後、ドイツ・ハンブルクの書籍取次会社に入社し、ハンブルク大学大学院修士課程を修了。1982~2006年ハンブルク、2006年~ベルリン在住。1987年にドイツで2ヶ国語の詩集を出版してデビュー。チューリッヒ大学大学院博士課程(ドイツ文学)修了。ドイツ語でも20冊以上の著作を出版し、それらはフランス語、英語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、スウェーデン語、中国語、韓国語などにも翻訳されている、本格的なバイリンガル作家。1993年に芥川賞、2016年にはドイツの有力な文学賞クライスト賞を受賞。今や日本人で最もノーベル文学賞に近い作家との声もある。
私は、書物は好きだが、大半はノンフィクションで小説は殆ど読まないため、多和田葉子の名前は知ってはいたものの、著書を読むのは本書が初めてである。
本書を読んでまず感じたのは、「母語の外に出る」ことによって、こんなにも広く、深い視点・感覚があるという新鮮な驚きだった。人間が母語ではなく外国語で書くということは、当然ながら昔からあったが、それは通常、移民やクレオール、あるいは在日、ポストコロニアルのように、政治や経済、つまり「外的」な要因によって生じたものであった。しかし、多和田葉子がドイツ語で書き始めたのはそうした理由からではなく、外国語によって自己表現や他者表現をすることに対する「内的」な衝動に突き動かされたもので、そこから生まれ、広がる様々な発見、疑問、洞察が、本書にはこれでもかと綴られているのだ。
また、多和田氏は、本書のアプローチについて、当初は「移民文学」「越境」「クレオール」「マイノリティ」「翻訳」などの抽象的なキーワードを軸に書こうとしたが、上手く行かないので、自らが世界各国を旅する中で、そこで得られた様々な気付きを綴るというエッセイの形式をとったと言っているが、そのおかげで、読む側にとっても、必ずしも身近とは言えないテーマにも関わらず、読み易いものになっていると思われる。
私は、1990年代にヨーロッパで、ドイツ語、スイス・ドイツ語、英語の中で生活をした経験があり、第一部の「バーゼル」の篇で出てくる、ドイツとスイスにおけるドイツ語の違いや、4つの公用語(ドイツ語・フランス語・イタリア語・レトロ―マン語)を持つスイスの日常、また、第二部「ドイツ語の冒険」に出てくる様々なドイツ語の表現などは、肌感覚で理解でき、興味深く読むことができたが、全篇を通して語られていることは非常に深遠で(難解ということではないと思うのだが。。。)、著者の意図をどこまで汲み取れたかは正直心許ない。時を置いて、再読してみたいと思う。
「母語の外に出る旅」。。。学校教育で外国語を習ったり、ビジネスで使うために外国語を習得する限りでは、ほぼ意識することすらない視点での新たな旅の扉を開いてくれる一冊と思う。
(2020年6月了)
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日本語とドイツ語の2ヶ国語で著作をあらわす筆者が、これまで訪れた世界の街での経験に寄せて、創作意欲や表現方法を語るユニークな本。
多国籍クリエーターたちのエピソードが面白く、また、幼少時に住んでいたわけでもない国に意図的に定住し、その国のことばで作品を出す動機が深い。
「ことば」をオールにして世界に漕ぎ出し、世界を見つめる姿勢が徹底している。兎角ヒトはあれこれ欲張ってしまうが、定点に構え、じっくり数十年かけて物事を見極めようとすることの重みを感じた。
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「その場所にしかない奇妙な地方性が濃密になる瞬間が大切だからこそ、国境を越えたくなる」というのは私も感じていたことを言語化してくれたようで衝撃を受けた。
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日本人としてドイツに移住し、日本語とドイツ語の両方で創作活動を続ける作家、多和田葉子が自身の母語から出るという行為―エクソフォニーーについて、自身の経験や思索をまとめた論考集。
とはいっても、エッセイのような文体で書かれており、内容は重苦しくない。文学の世界では母語を用いずに創作した作家の多くは、政治的な亡命により異国に渡ったことが理由になっているケースが多い(ロシアからアメリカに亡命し、英語で創作を行ったナボコフのように)。一方、多和田葉子はそうした先例とは異なり、自身の明確な意思によってドイツへの移住を選び、ドイツ語での創作を行っている。このような創作活動を行っている日本人作家は極めて稀有であり、日本人が母語の外に出て創作活動を行うにあたって、どのようなことが考えられているのかが本書では明確に知ることができる。
異なる言語の関係性を考える上で良質な一冊。
Posted by ブクログ
日本語を母国語に持ちながら、ドイツ語でも小説をものしている著者が、「母語の外へ出る旅」を語るエッセイ集。元来、僕は言語は思考の枠組みを変える(ので、第二言語を喋っているときは性格が変わる)という説の信奉者であり、様々な思考の枠組を手に入れるために様々な言語を学ぶのは良いことだと考えている。しかし、この著者は単に新しい言語を手に入れるに留まらず、母国語と第二言語、そしてそれらの境界についての思索をさらに深めていく。二つの言語の境界線上では、日本語を母国語としたドイツ語話者に特有の Japanisch Deutsch が誕生し、言語表現はさらに豊かなものに……。