多和田葉子のレビュー一覧
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面白かった。登場人物どの人をみても変わっているんだけど、そんな人たちが集まって旅をするというのがこんなにも楽しくワクワクするなんて。最後のみんなのカオスな会話の中クヌートの母がアカッシュに向かって「あんた何なの?」アカッシュ「クヌートの恋人です、あなたは?」というのに笑ってしまった。多分ここまで読んだ方ならこの笑いをわかってくれると思うのだけど!続編の『星に仄めかされて』が楽しみ。
「薄暗い空間ならば、近くにいる人たちと薄闇の中で曖昧に結ばれている。貧しさとか日々の苦労とかを共有して。でも明るすぎる光に照らし出されたら、わたしはわたし、あなたはあなたで孤立してしまう。(以下略)」こういうものの見え方もあるっていうことを言葉にできるってすごいなと思った箇所。 -
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ネタバレ面白く読んだのに、いざ感想を書こうとするとまとまらない…まとめられない。
消滅した国の言葉を話す人を探す旅。
消滅した国を故郷に持つHirukoは、独自の言語「パンスカ」(汎スカンジナビア語)を作り出して喋っている。その言語に興味を持ったデンマークの言語学者クヌートを筆頭に、旅の仲間が増えてく……
旅のきっかけや目的がハードで、手掛かりを掴んだと思ったらそうすんなりといかず…ですが、切実さよりも光や和気藹々を感じています。今のところ、かもしれないけれど。
HirukoとSusanoo、古事記の神様から付けられてるとしたら、この先はもっと大変なことになるのかなぁ。
ナヌークが開いたHPが、しばらくしたら消えているという描写があるので、日本の消滅の理由も剣呑なものかもしれません。小川洋子さんの「密やかな結晶」のように。
文化の片鱗はあるのに、場所も名前も記憶されてないとは……アジア人の区別つかないとはいえ。
去年、友人がデンマークへ旅行し、オーデンセにも滞在したので、長いこと積んでたけれどこのタイミングで読んだことは良かった気がします。
土産話聞いてなかったら、地名でさらに「???」となってたかも。
続きも読みます。 -
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何度も言葉の濁流に飲み込まれそうになりながら、なんとかこの大海を渡り切った、と感じるような読後感。
登場人物のセリフの言い回しが独特で、洋画を小説にしたような雰囲気だな、というのが第一印象だった。
消滅した島国(日本)の謎については一切触れず、ただ「久しぶりに同郷の人に会って日本語で話してみたい」という女性を中心に、多国籍の男女がまとまっていく様子をそれぞれの視点から追っていくストーリー。
とにかく比喩表現が多くて文字もびっしりなんだけど、その比喩が的を射ていて「その発想はなかった」と驚かされるものが多く痺れた。作者の頭の中はいったいどうなっているんだろう。
なにか感動するポイントがあるわけじゃないし、登場人物に感情移入できるかといったらそんなこともない。(強いていうなら、子離れできてない母を持つクヌートの気苦労は理解できるかな、というくらい)
それなのに、次から次へとやってくる言葉の波に乗るように思わずページをめくってしまう。そんな不思議な引力のある作品だった。
ただ、いかんせん文字量が多くて明確な区切りも少ないので、読むのにけっこう体力を使う。体感的にだいぶ読み進めたと思ったけどまだ10ページしか進んでなかった、みたいなことがよくあった。
正直人に勧めやすいわけではないけど、「なんかすごいものを読んだ」という重量感がしばらく残りそう。 -
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ノーベル文学賞に近いと言われる多和田葉子。初めて読んでみた。いやはや、確かにノーベル賞に近い感じがした。国とは何か?言語とは何か?アイデンティティとは何か?を問いかける。言葉の運び方が実にうまいというか、ダジャレのような言葉の選び取り方。読みながら、なんか可笑しくなる。そうくるかとその言葉の発想がいいのだ。
まず、物語の中では、留学中のHirukoは、故郷の島国(日本)がなくなってしまっているらしい。国が失っているということが、一つのテーマだ。民族とは、共通の言語を持ち、伝統、食文化、衣服、音楽、芸術などの文化的要素、共有する歴史や生活様式を持っている。
登場する若者は、クヌート、Hiruko、アカッシュ、ノラ、テンゾつまりクヌート、Susanooの6人。
自分が何者であるか?というのは、他人があって初めて違いを見つける。その違いを容認することで価値観が多様化する。Hirukoは、語学的才能がある。自分で言語をつくる。
言語学者のクヌートは、テレビに出ているHirukoを見て、興味を持ち、テレビ局に電話して、Hirukoに会うことにした。その出会いによって、言葉を通じて、二人は理解を深める。
クヌートは、曾おじいちゃんが、左翼の北極探検家で、その名前をもらった。クヌートは、Hirukoという女性よりも、Hirukoの話す言葉に興味を持つ。クヌートは、面倒なことが嫌いで、子離れしない母親にうんざりし、言葉にエロスを感じる青年だった。
Hirukoは、ドイツのトリアの旨味フェスティバルに行く計画を持っていて、クヌートは旅が好きではないが、Hirukoの行くところについていきたかった。コペンハーゲンから二人は一緒にドイツに向かった。アカッシュは、インド人でドイツでガイドをしていて、性の引越しをした人(この表現がいい)だった。赤色系サリーを着ている。たまたまアカッシュはルクセンブルグ空港で、二人に出会い、クヌートに一目惚れする。
日本人、デンマーク人、インド人が、ドイツの空港で出会って、友達になる。不思議な縁でつながり、「出汁」に興味を持つ。その出汁が、テンゾという若者が作っている。テンゾは、日本語では禅寺で食事の世話をする役職の名前だ。漢字では「典座(テンゾ)」である。こういう名前を持ってくることに著者の企みがある。
テンゾは、実はグリーンランドのエスキモー人で、医者になろうとして、コペンハーゲンに来ている若者だった。日本では寿司が有名で、テンゾはドイツで寿司職人の手伝いをして、出汁に興味を持ったのだ。旨味フェスティバルがあり、そこでテンゾは出汁でチャレンジする予定だった。そして、テンゾがエスキモー人だとわかって、ドイツで寿司を伝えたSusanooが行ったフランスのアルルに向かうのだった。
こうやって、一人一人を説明していると実に多様な国の人たちが絡み合い、コミュニケーションをして、互いを認めあい、そこにクヌートの母親も登場して、言語学の話題が広がっていく。とにかく、日本の小説の狭い空間から、飛び出したはみ出者たちの物語だ。よくぞここまでの編集能力があると感心した。多和田葉子の多言語世界とそれぞれの国の特徴、言葉のつながりが実に痛快である。 -
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『雲をつかむ話』ではまさに雲をつかむようでつかめないようなそんなお話だった。しかも数々のエピソードは作者の経験談が多く入っているというのだから驚いた。そして言語というものに対してとても追求する感じなんだなと―初めて多和田葉子の小説を読んだけどーそう感じた。あとは普段は流してしまいそうな物事の意味や疑問みたいなものを小説内に入れていくのも個人的には好きだ。
例えば「雲たちはまるで日が暮れる前に家に帰ろうと急いででもいるかのように夕空を目に見える速さで移動して行く。雲たちは夜、どこで眠るのだろう。」
「箸は二本で筆は一本、と言う人がいる。だから物書きは食費の半額しか稼げない。でも、もし二本の鉛筆を持って、同時にものを書いたらどうなるだろう。左手は左から右へ、右手は右から左へ。両手は中央で交わり、また離れて行く。」など。
あとは解説が非常にわかりやすくてとても良かった。 -
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岸本佐知子さんの編んだ書き下ろしアンソロジー、タイトルに惹かれてまず読んだ津島佑子の短編「ニューヨーク、ニューヨーク」が素晴らしかった。読みながら、読み終わってから、幾つものことを思った。
「ニューヨークのことなら、なんでもわたしに聞いて。それがトヨ子の口癖だった、という」冒頭のセンテンスを読んで、わたしも数年前の夏に数冊の本を読むことで行ったことのない「ニューヨークのことはもう分かった」と嘯いたことを思い出す。そこには彼女がニューヨークを思うのと同じように個人的で特別な理由があったのだけど。
その後に元夫と息子がこの世にいない彼女について語り合うことで明らかになり“発見”される、今まで知り得なかった「彼女の孤独や哀しみやささやかな矜持や希望」あきらめ、恨み、失望は、編者あとがきで岸本さんが書いているように「私たちみんなが心の奥に抱えているもの」なのだと思えた。少なくとも、わたしは同じようなものを抱えていた。改めてそれらを見つめることになる。さらにその語り合い、解釈を通して「なにか肝心なものが欠けた存在」では、と思いはじめる元夫、名無しの“男”の人生に自分を省みて、思い出し落ち込み、わたしも「少し涙ぐむ」。
そして、もういない人を語りあうこと、あるいは不在になったときに語られることについても考える。別の方向からの印象を聞き、ぶつかり合いすり合わされることで、新しい印象が浮かび上がる。それは勿論“正解”ではないのだけど、新たな、あなた、わたしが描き出される。何処までいっても憶測でしかないそれを、真実とその人自体だと思い込む、そうせざる得ないことは、実はとても恐ろしいことなのではと思い至る。しかし、人も含めた世界はそうやってしか捉えることが出来ないのなら、それは真摯に語られるべきだ。この小説のように。そんなことを少しこじつけて思う。とても素晴らしかったけれど、予想していなかった怖い思いもした短編小説だった。太宰治の娘だということはさっき知った。「電気馬」も読んでみたい。 -
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初めて読んだ多和田さんの小説。本書には『雲をつかむ話』と『ボルドーの義兄』の二作品が収録されている。
「人は一生のうち何度くらい犯人と出遭うのだろう」との不思議な書き出しで始まる『雲をつかむ話』。ある日、作者の家に「あなたの本を買いたい」と言って男が訪ねてきたが、「プレゼントなので、それらしく包んでほしい」との依頼に応じるため離れていた間に男はいなくなってしまっていた。それから一年後、一通の手紙が届いた。その手紙には、あのとき自分は警察に追われていて、その後逮捕され刑務所にいる。そして今自分は日本語の練習を始めた、といった内容が書かれていた。
そこから、語り手である作者と色々な「犯人」との出遭いや、「犯人」の印象的な姿が語られていく。
それぞれの挿話が一編の短篇小説のように魅力があるが、小説の終盤、語り手の乗った飛行機、そしてパスポート審査の場面を読んで、そうきたかと唖然となった。