【感想・ネタバレ】犬婿入りのレビュー

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学習塾の独身女性の元へ太郎という犬男が現れ、奇妙な共同生活が始まる「犬婿入り」。
ドイツ留学中の女性が味わう差別や偏見、攻撃によりアイデンティティをを失う「ペルソナ」。
異質なものに対して、意図的にではなく無意識に排除してしまうこともあるから厄介だ。そもそも異質と同質の境はどこにあるのか?作品から抱いたモヤモヤをうまく言語化できないのがもどかしい。

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2024年02月10日

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ネタバレ

⚫︎受け取ったメッセージ
混ざり合い、影響しあう人間と文化

⚫︎あらすじ(本概要より転載)
多摩川べりのありふれた町の学習塾は“キタナラ塾”の愛称で子供たちに人気だ。北村みつこ先生が「犬婿入り」の話をしていたら本当に〈犬男〉の太郎さんが押しかけてきて奇妙な2人の生活が始まった。都市の中に隠された民話的世界を新しい視点でとらえた芥川賞受賞の表題作と「ペルソナ」の2編を収録。

⚫︎感想
「犬婿入り」
全てのものに境界線がない世界観。民話風な雰囲気で現在と過去、現実と虚構、動物と人間、父と娘、妻と夫、先生と生徒、男と女、清濁、といった境界全てを曖昧にしてひとつの世界を作っている。非常に不思議なお話。排泄物の話や鼻くそノートなんてものも出てくる。これも自分のもののようで自分から離れて、でも自分のものなのか?という象徴か。すべての登場人物が普通のようで普通でなく、すべて「生き物」として描いている。

「ペルソナ(能面)」
ドイツに住む日本人である主人公が、言葉が違う国で暮らすことで「日本人」としては認識されず、「東アジア人」として曖昧に認識され、曖昧な状態におかれる。日本らしさを象徴する能面を被って街へ出るが、もはやそれは主人公とは認識されない。
最近の多和田さんのインタビュー記事を読み、著者はこの「間合い」の世界を捉え、作品にしていると知った。この作品は主人公の苦しみが中心だが、多和田さんはその間合いを好ましく捉えて執筆している。

「純粋にたった一つの文化から生まれる言語があるとは思いません。言語は常に混ざり合い、他の文化や言語の影響を受け合っています。」というインタビュー記事から、このこと自体をテーマとして物語が創出されているのが多和田作品なのだとわかった。

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2023年11月21日

購入済み

不思議、と、多文化

犬婿入り、不思議に感じながら読んだ。
子供の視点があるから、
汚いのかエッチなのか
はぐらかされてしまう。
綺麗な先生でこんなことをされてるんだと
美女と野獣みたいにも思える。
そこに可哀そうな女の子がからんで、
それから超人的なことが
修行で身につくとか
触れてあったと思う。
はじめの、町の描写、周りの様子から入って
剝がれかけたようなポスター、
うわさとかから先生にだんだん
フォーカスされたのがおもしろい。
最後も、あれっと思ううちに
狐にでも化かされたように
不思議のうちに終わった。
ペルソナ、は読み忘れてた。
そういえばとばしたんだ。
読んでみたら読みやすい。
最初のあたりからして、どんなことが起こったか
先を気にさせる、道子はこんな初めに出てくるが
だいぶ後でどんな人かわかる、
こんな書き方も面白い。
だいたいにおいて、いろんな人種、言葉があって
よくこんな世界で生きていられるんだと
感心する。人種による顔の違いとかも
なるほど的確で興味深い。
これから読んでいきます。

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2023年07月30日

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ネタバレ

2編収録。
・ペルソナ
ドイツに姉弟で同居する道子。二人はそれぞれ留学中の身である。ドイツ中世文学をやる弟、道子はドイツ現代文学を研究中だが、成果なく、奨学金を得られなくなり細々したバイトに明け暮れている。
自分に向けられる差別、自分以外の外国人に向けられる差別、日本人の奥さんたちと弟が持つ差別感情。道子は常にそれらを感じながら生きている。
作者の体験から出てきた作品なのだろう。肌感覚の嫌な感じがうまく文章から伝わりゾクゾクする。

・犬婿入り
面白すぎる。だが笑って済まされるものではない不穏な物語だ。民話にありがちなエロさ、不潔さ、理不尽さをきちんと備えた、しかしちゃんと現代の話である。なんのメタファーか寓意かわかりそうでわからない。作者の只者ではない力量に感服するほかない。

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2022年01月01日

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「犬婿入り」(多和田葉子)を読んだ。
「ペルソナ」「犬婿入り」の二編。
前回これを読んだのはもう四年くらい前で、日常生活に潜む緊張感とか不条理性とかそういった多和田葉子の世界にすっごく感激した記憶があり今回もやっぱりすっごく感激したけれど、と同時にリラックスして笑える自分がいた。

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2019年09月24日

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遅読の私なのだが実にすいすい読み進めた。
二冊目にして「多和田葉子流」に慣れたのは
思考の形がどこか似ているのかしら?なんて
多和田女史の研ぎ澄まされた言語感覚と
深い洞察力を前にして とても言えない。

1993年芥川賞受賞の「犬婿入り」。
エロチックな有機物のにおいに満ちているが
妙に乾いた空気感。
「異質な存在」も人々の「言葉」次第では
そうでないものになり
何者なのか 何物なのか 
わからないまま時は過ぎていく。

「ペルソナ」には「ドイツで生きる私」が
ちょっと痛々しく描かれている。
ある韓国人に対するドイツ人の反応をきっかけに
「東アジア人」の自分がよくわからなくなっていく。
能面をかぶったまま街を歩き
日本人を体現しようとしたものの 
誰も日本人だと思ってくれない。
ペルソナ=外的側面のせいで
何者でもなくなってしまうという恐怖。

私は海外に住んだことがないくせに
何度も行っているから知った気になっている
情けない人間だが
異国において自分が誰かよくわからなくなる感じは
なんとなくわかる。

以前 ミュンヘンで
商店街のウィンドウを眺めながら歩いていた時
妙にくすんだ女性の像が突然目に飛び込み
ぎょっとした。
平たく表情のない顔。凹凸の少ない身体つき。
それは鏡に映った私の姿だった。
一瞬 時間が止まるというか 血流が止まるというか
身体が地面から浮いてしまったような
気がしたことを覚えている。

20世紀末 多和田女史は異国にあって
アイデンティティを喪失した共同体は
やがて断片の集まりでしかなくなる 
という不安を感じたのではないだろうか。
21世紀に入って20年。
その不安が現実となった世界に私たちは暮らしている。

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2019年02月24日

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『ペルソナ』と、芥川賞受賞作『犬婿入り』の2編収録。
どちらの作品とも、言葉の使い方・つむぎ方がとても面白いです。
言葉でとことん遊んでいて、とても実験的で前衛的。

『ペルソナ』
ドイツに留学している道子は弟の和男と同居している。
道子の偏執的な思考が怖い。
怖いんだけど、その偏執的な思考を目で追うのは、酔いにも似た快感があるから不思議。
文化と、人種と、言語の狭間で道子の思考はぐるぐるぐるぐる回り、私の思考も同じ足取りを辿ってぐるぐるぐるぐる。
仮面をかぶることで、狭間から飛び出た道子は、どこへ向かうんだろう。どこまでも追いかけたくなってしまう。

『犬婿入り』
果てしなく長い一文が、句読点ごとに心地のいいリズムを刻んで、まるで音楽を聴くかのように文字を追っていました。
文字を目で追うという快感をこんなにも感じることのできる小説はなかなかない。
この文体は川上未映子っぽかったです。川上未映子は多和田葉子を好きらしいですね。
どこにも存在しなさそうな場所で起こった、不思議な動物譚。
ますます多和田葉子にはまってしまいそう。

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2011年01月28日

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新感覚の小説だなと感じました。 
「ペルソナ」は、ドイツに住む日本人の道子が
人種による偏見に苛まれて、様々な国の人たちに出会い、それぞれの国でも、偏見があると知りながら、東アジアで一括りにされることに嫌悪感を
抱く弟の和男との共同生活にも、違和感を感じていく、著者自身が、ドイツに住んでいることからも、自身が体験したことも反映されていると思います。 
「犬婿入り」は、ある塾を中心に繰り広げられる不思議なストーリーでした。言葉が一つ一つ胸に響いてきますね。太郎の奇妙さも際立ちます。

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2023年12月29日

Posted by ブクログ

『ペルソナ』も『犬婿入り』も面白かった。
多和田葉子さん自体、初めてだったけれどとても読みやすくあっという間に読んでしまった。

あれは何かを意味していてとか、あれはそういうことで等、難しい解釈は分からない。
ただ私が読んでいて好きだなぁと思ったのは、ペルソナにしても犬婿入りにしても主人公の女性が周りで起こっている変な事の割に、妙に現実的な考え方や過ごし方をしているところだ。
周りが全部おかしくて、主人公だけが現実のような。不思議の国のアリスのようなところが初心者読者の私も取り残されず楽しめた。

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2023年05月30日

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 「ペルソナ」と「犬婿入り」の2作品で「犬婿入り」の方が好きだった。
 2作ともギリギリのギリギリで破綻しない奇妙な状況や雰囲気が終始続いて、最後には堰を切ったように破局を迎える。その感じがすごく良かった。特に犬婿入りの方はホラーみたいな不気味さがあるけど奇妙さに親しみの持てる感じが良かった。

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2023年05月08日

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この作家の特徴でしょうか?
文章がとても長い。1つの文章にたくさんの情報が入っている。
「ペルソナ」も芥川賞の「犬婿入り」も間なのか溝なのかを書いてあるんだな?と思いました。
「ペルソナ」の最後にどちらでもない自分になった道子はその後どんな人生を送ったんだろうか?
「犬婿入り」は本人たちとその周りの人たちのギャップが面白かったです。

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2023年03月26日

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表題作のつもりで読み進めていってたら全然違う作品で焦った。

さて、解説にもあるとおり、二作品を収めたこの『犬婿入り』は「溝」がキーワードになっている。つまり境界線のことだ。

「ペルソナ」では信頼の置ける弟の和男でさえ、主人公・道子とは合同な意見を持っているわけではない。
特に序盤は、意識的にさまざまな国の名前が登場する。母語である日本語が、だんだんと自分の体から解離していく。日本人らしさや、外国人らしさ、といったステレオタイプには軽微な齟齬がある。同じくらい執拗に、肉の厚みについて述べられる。それもその一点が明白に羞悪な瑕瑾であるかのように。また、「ニガイ」は一貫してカタカナで表記されていた。途中わずかに登場する黒人の話と何か関係があるのだろうか。

表題作の「犬婿入り」。安部公房の作品群に似た雰囲気が離れない。水平線が分かつ二つの世界がぐるぐると混ざり合っていく感覚。忘れた頃にやってくる「電報」の言葉。何が普通で何がそうでないのかが判らなくなってくる。三人称的な視点で読者は自分を凝視する。伝染していく獣の体臭。みつこもだんだんと臭いに敏感になっていく。特に序盤は、文章が息継ぎすることなく進んでいく。非日常にいざなう導入催眠のようにも思える。

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2020年10月28日

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これが多和田葉子の世界、という短編2編。

純文学はその作家の個性がわかると、あるいは立ち上がってくるものがわかるとなかなか面白いものです。芥川賞の「犬婿入り」の雰囲気もそうですが「ペルソナ」の方はその入り口という感じでしたから、より理解しやすかったですね。

「ペルソナ」は作者の分身のような道子さんの、ドイツ留学における生活のもろもろの遭遇と心模様を描いています。移民を認めているドイツには様々人種が集まっている。わたしたちがヨーロッパの人種を判別しがたいように、自分たち日本人や韓国人、中国人を東アジア人としてまとめられる経験をする。違和感や嫌悪感を感じる人(道子さんの弟)もあるが、道子さんは平気だ。しかし自分が「何者か?」ということにはとてもこだわる。しかし、その個性を究めるともう日本人と見られなくなるという皮肉な結果になりました。

人種のパッチワークの中にいるからこそ、それがわかったのか。「犬婿入り」では日本の中の出来事です。ごく普通の町に変わった行動をする女性が塾を開いている。親は眉を顰めるが、子供には人気です。北村みつ子先生だから「キタナラ塾」のあだ名がついたのか。いえ、きたならしいとえっちなことがとめどもなく子供を引き付けるからです。で、尋常じゃないと思われる次第がいろいろと起こってくるのですが、異質なものの存在を認めるのには、普通の町ではもう見て見ぬフリが出来なくなり、受け止められなくなるのです。

すなわち異質なものと折り合いをつけて生きていくのが簡単なのか、大変な困難を伴い、身を削るような思いをするのか。それでも何とかしなければなりません、地球は狭くなったので。

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2019年11月17日

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春樹の次(寧ろ春樹以上⁉)に、ノーベル賞に近いとされる作家に初挑戦。話題の”献灯使”からとも思ったけど、とりあえず芥川賞作品から。中編2作を収録していて、表題作は後半なんだけど、なんせ前半が辛かった。『~った』がひたすら多用される文章の意図も何となくは分かるし、人種問題も理解はできるんだけど、物語としての魅力が…。表題作も、唐突に犬婿が入ってきたり出ていったりで、実際問題良くは分からんのだけど、何となくおかしみはあってまだ良かった。

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2019年09月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

人は自分と共通点のある似通った人とは仲間になりたがるけれど、ちょっとでも異なる人とは区別したがる。
生まれた国や言語、文化、風貌、立ち振舞い等あらゆる基準により自分とは異なる者を「異物」と見なし排除し、時に攻撃する。
まるで多数決で多い方が正義となるかのように。
『ペルソナ』でのドイツに住む日本人・道子に対して、表情が乏しく何を考えているのか分からない、と言って傷付けたり、表題作の風変わりな塾教師に対して母親達が無責任な噂話を広めたり。

個人的には芥川賞受賞作の表題作より『ペルソナ』(これも芥川賞候補作)が好き。
道子が日本人の顔になるために化粧をする姿(素顔ではベトナム人に間違えられるため)や能面(ペルソナ)で顔を隠すことにより柵から解放され堂々と歩く姿がとても印象深い。
長年ドイツで暮らす多和田さんも、ドイツに住み初めの頃は色々と苦労したのだろうか。

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2018年11月25日

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芥川賞受賞作品であったがすんなりとはわからない不思議な小説であった。ドイツのことには全く触れられていない。

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2017年04月27日

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「犬婿入り」を初めて読んだとき、饒舌体っぽいことばの流れ方や、生臭いにおいがしてきそうな雰囲気がすっごく好みやと思ったんですが、べつにそーいう文体の人ではなかったとゆーことに後から気付きました。
でもやっぱり多和田さんも、笙野頼子とか町田康とか(ぽいと思ったんだよーう)、ことばを武器にことばと戦う作家さんやった。
「ペルソナ」は、無意識な部分をえぐってくれてやるせないきもちになりました。綺麗事言うとる場合やないよ。

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2013年01月04日

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「ペルソナ」はドイツ在住の作者らしい、海外で暮らす日本人の違和感を中心にした話。「犬婿入り」はちょっとファンタジックな話。

2本の小説で文体が全く違うのが興味深かった。ペルソナは比較的シンプルな文をつないでいく、素直な作りなのに対し、犬婿入りは不必要なほど長い文体。素直には読ませないという作者の意識を感じた。

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2012年05月04日

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登場人物のキモチを、体の部位が叫びわめく文章が並ぶ。
正に、理想とする文体です。

『ペルソナ』では、イメージを精密に表現する力を、
『犬婿入り』では、イメージを創り上げる才能を。

彼女のさわやかではない、ちょっとねっとりした雰囲気が好きです。

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2012年04月25日

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「ペルソナ」は堀田善衛の「審判」を彷彿とさせる。他者のまなざしにさらされるという問題。
「犬婿入り」では身体の感覚や接触を通して他者とのはかなく危うい関係が築かれる。
両作品が併録されているバランスのよい一冊。

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2011年02月20日

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『ペルソナ』 そんなに危ないことが起こっているわけじゃないのに、読んでいて妙に体が緊張する。不安になる。かみくだかれた状態でつらつら書かれていく登場人物たちの心情に近づけそうで近づけない、不思議な感覚。

『犬婿入り』 不思議…。現代版おとぎ草子? あとでまた読んでみます。

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2011年02月19日

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「ペルソナ」と芥川賞を受賞した「犬婿入り」の 2 篇。
まず気になったのはその文体。「ペルソナ」では「~のだった」という文末表現がくどいほどに繰り返され、「へんだ」と感じるほどなのだが、不思議とその不自然なリズムが心地よく、すらすら読めてしまう。一方の「犬婿入り」の文体も変わっている。なにしろ、1 文が異様に (と読者が感じざるを得ないほど) 長く、ときには 1 ページ以上もあるのだ。解説に著者のことばとして、「自分の母国語で書くときも、いわゆる上手い日本語、綺麗な日本語というのを崩して行きたい。つまり、二つの言語を器用にこなしている人になりたいんじゃないんです。また、一つを捨てて、もう一つに入ったんでもなくて、二つを持ち続けながら壊していくような、そういうようなことを一応、恥ずかしながらめざしているんです」という引用があるが、なるほど、そういう意味で実験的にこのような文体を使ったというなら理解できる (まだこの著者の作品はこれしか読んでいないので確信はないけれど)。
私は「ペルソナ」、「犬婿入り」のどちらも気に入ったが (より共感できる・わかりやすいのはドイツに留学している日本人女性の日本人であることに対する疎外感、日本人であることと自分自身であることの矛盾を描いた前者)、「生理的にダメだ、受け付けない」と思う人はいるかもしれない。でもそれは逆に考えると、「気持ち悪い」「がまんならない」と思わせるだけの何かが、この作品の中に存在するということでもある。

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2010年04月11日

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異種婚を扱った犬婿入りと、ドイツでの留学生活を描いた「ペルソナ」。個人的体験からペルソナの異文化の中での疎外感、隔絶感、差別意識の描き方が好き。同胞アジア人へのちょっとした見下し感(差別とは少し違う)、自分もドイツ人からみたらアジア人であることの劣等感、裏返しのドイツ人への反発。
犬婿入りのほうは、文章が好き。映像が流れる様に入ってくる感じで。

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2020年01月01日

Posted by ブクログ

多和田葉子の中編集。表題の「犬婿入り」と「ペルソナ」の2作品が収録。
以前に読んだ「献灯使」が心に残ったので、芥川賞受賞作品である本書を手に取ってみた。

「犬婿入り」は芥川賞受賞作。39歳の学習塾を開いている女性を中心とした不思議な物語。
「ペルソナ」はドイツに留学している姉弟の話。姉の視点から日々の生活が描かれ、外国で日本人として暮らす姉の心情風景が描き出される。

「犬婿入り」は、芥川賞受賞作らしく、非常に難解であった。実際に犬が婿にくるような話なのであるが、それがエロティックというか、気持ち悪いというか、心にざわざわ感が残るというか、何とも読後の印象の不思議な物語だった。

「ペルソナ」も理解するのが、非常に難しかった。移民の多いドイツであるが、日本人や韓国人などの「東アジア人」はドイツ人や他の移民達から何となく差別を受けている。例えば、「東アジア人は表情がなく、本当の気持ちを顔に出すことは無い」などといった、差別とは言えないほどの些細なものだ。
おおっぴらに差別はされないが、誰もが心の中に壁を作り、それぞれの人たちが持つ「東アジア人」に対するステレオタイプを押しつける、あるいはそのように接してくる。
この微妙な空気のなかで息が詰まりそうになりながら主人公である道子の心情を、独特な筆力で筆者は描き出す。この心情は道子と同じくドイツで暮らす筆者の心情にも通じているのだろう。

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2019年05月27日

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「ペルソナ」は匿名性や等価性といったものが構造としても表されているが、やや型に嵌った感もある。それに較べて「犬婿入り」はもう少し奔放な感じがするが、細部まで読み込めなかったので口惜しい。

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2017年03月01日

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自我自我していないドライさと、頻出する小学生受けしそうなプリミティブな言葉(鼻くそとか乳房とか)とが好相性だったし、ところどころ笑いのツボもあったけど、個人的にあの手の息の長い文体はうらめし…

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2015年11月22日

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表題より前掲のペルソナがよい。
まあ、読みにくい。
異国の生活でのアイデンティティについて。外国人とも日本人とも意識が乖離。私はこの問題に関して留学中は諦めてたなと反省。むしろ韓国人やベトナム人に見られることで新たなペルソナを被り匿名性の快感を感じてました。
壁も、ステロタイプの像も他者の頭から無くなるわけない。諦めた方がいいはず。でもこの作者は戦っている人でした。非常にタフ。

ついでに犬婿入りのメモ。
長文を繋げてリズミカルに。
口上。興行師の話し方に似ている。書き方で連想するのはなめとこ山の熊、樋口一葉。きっと後者が近い。
口上を目指すことで民話的な、昔々的な世界観を作る?
段階別の異様さ。主婦、先生、太郎の順。噂話から段階的に異様さに繋がるため異様さに入りやすくなる。
通常、この展開なら異常も噂話で語られ真偽は不明の終わらせ方にするが、そうはならない。油断してると当たり前のように異常が事実として語られるから、荒唐無稽な話にリアリティが生まれるのか?

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2014年01月14日

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ペルソナ、表題作の二篇。ちょっと歩いただけで体中に小さい棘が刺さる。端的なようでねじれた文章、意地の悪い目線。散らされた毒に、違和感の集積が肩にのしかかる。重ならないが故のあきらめ、一方の引力、思いやり。ひとり目の道子と似た環境にいたことがあるけれど「あーあるねー」ってところと、そういう風に感じるのか、と思うところと。アジアは総じて「アジアチック」、「トヨタ」ではなく「ソニー」だった。顔指して言われた事はないしいわれても別に気にならなかったと思う。

正直なところ、主人公が神経過敏でなんてめんどくさいんだ、と思った。でも、その感覚を知っている気もする。読後こってりした澱が残る。

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2014年01月01日

Posted by ブクログ

この場合の「ペルソナ」は人、位?ユン グが唱えた心理学上の概念?俺にはよくわからない「のだった」。
犬婿入りは、節が、三行位の長めの文を
意識して多様したようだ。

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2012年12月22日

Posted by ブクログ

多和田葉子さんの本を一度読んでみたいと思っていたので、手にとってみました。
ペルソナはとても面白く読みました。自分が同じような環境に身を置いたことがあるせいかもしれないけど。
表題作の 犬婿入り の方はあんまり、、、という感じでした。
文学的なものを書こうと意識し過ぎたのか、ちょっと不自然な印象を受けたのは私だけでしょうか。

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2012年05月28日

Posted by ブクログ

犬婿説話の現代バージョンらしい。描写は細やかで実際味に溢れるのに、物語の出来事が現実離れしているときのこの薄気味悪さ。ごちそうさまです!

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2011年03月20日

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