多和田葉子のレビュー一覧

  • 星に仄めかされて

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    扱っているテーマが複数ありちりばめられているが、段々と要素が過多になりすぎた印象
    相変わらず著者の言葉選びや遊びは楽しくクスッとなったりするのだが、もう少し要素を絞って欲しかった
    読みながら考えていた事は 世界の断絶の原因は言葉なのではないかとゆう事と、人と人が深く繋がるときに言葉は重要ではないとゆう事
    世界の境界を、断然を超えるのはダンス(=アート)なのだろうか、、とゆう事など
    マイナンバーならぬドンマイナンバーにはクスリと笑ったし抽象表現に比喩表現に時々唸った

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    2025年10月08日
  • 献灯使

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    他の言語から、日本語の外から日本語を捉えないと
    見つけられない言葉遊びが随所に見られた。

    今後の日本、超高齢化社会の行く末を過度に強調することで多少のポップさ、滑稽さを交えつつと将来の日本に危機感を覚えさせられた一作。

    名作。

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    2025年09月22日
  • 地球にちりばめられて

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    最高の読書体験をした。
    万博イタリア館の待ち時間に全て読み終えた。
    およそ7時間くらいか。

    多和田葉子さんの書籍は2冊目。

    テレビに出ていた、祖国を亡くしたという女性が話す独特の言葉遣いに興味を持って、ぜひ会いたいとテレビ局に問い合わせたら、案外簡単に会えて、詳しく話を聞いてみたいということで、会いにいったことから始まった。問い合わせをしたのは、クヌートという名の青年。彼は言語に興味があることもそうだが、祖国を亡くしてしまったという女性に興味を持った。女性はHiruko という。
    Hirukoは、スカンジナビアの言語体系を自分なりにまとめて、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク語を話す人なら大体わかるという汎スカンジナビア語、略してパンスカという言葉を話す。それが朴訥とした体言止めで不器用そうでかわいい。
    彼女は東アジアの極東の島国がなんらかの事情で消滅してしまったらしく、祖国の言葉を話す人をさがして旅をする。途中で意外な人たちがあつまっていく。
    話は三部作らしく、続くようです。

    途中のすれ違い漫才の国際版な感じが最高に面白かった。言語の特性の話やら、駄洒落にもならないような言葉遊びにも笑った。とても即時性の高い物語で、時系列はほとんど数日間で起きた話だった。多和田葉子さんの文章は例え話がうますぎて、唸ってしまう。執拗でもないのに同じ主題が繰り返されてるけれど、不快ではない。センテンスは少し長いけど、読むうちにリズムに慣れてくる。

    楽しい時間だった。
    それから表紙がめっちゃいいです。

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    2025年09月21日
  • かかとを失くして 三人関係 文字移植

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    濃密な世界、なににも頼れることのない不安定感、これらは我々の生きている世界そのものであり、それらを何気ない顔で過ごす我々とは一体なんて奇妙な生き物なんだろうかね

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    2025年09月11日
  • エクソフォニー 母語の外へ出る旅

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    ネタバレ

    突然ですが、読書について。

    私よりも速読・多読の方は数えきれないほどいらっしゃるのは分かります。それでも、この数年は、私の中では人生史上最も読書をしているという感覚があります。

    それらの本は、当初は仕事で行き詰まる自分への武器、突破口発見のため。あるいは、金がないなかで(というか塾に通わせずに)子どもの高校受験を成功させる、という目的がありました。

    仕事がそこそこ落ち着き、そして子どもたちも無事に日本に戻った近年は、文芸書・エンタメが太宗を占める、息抜き読書が多く、しかも消費する・ただ貪り読むという、あたかも早食い・大食いの読書バージョンであるかのような読み方であると自身感じていました。

    そして、そのような近況のなか出会ったのが本書。

    ああ、私も、味わうように読書したい、と思ったのでありました。

    ・・・
    多和田氏は1960年生まれ。
    早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業。1982年にハンブルクに移住。ハンブルク大学修士課程、チューリッヒ大学博士課程修了。日独語両方での創作活動を行う。

    ・・・
    さて、タイトルのエクソフォニーですが、そもそもは母語の外にでた状態、を指すそうです。

    そのようなタイトルをつけて語るのは、日独両方で創作活動をされている多和田氏であるので、もう適任という謂う以外にありません。

    本作で、多和田氏は、各章を世界中の地名で銘打ち、ことばについてのあれこれ・世界各地に赴きそこをであったこと・想起したことなどを綴るものです。

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    多くの章で感じるものがありました。もちろんポジティブな意味で。

    多和田氏は、非常に言葉へのアンテナが敏感で、かつ、非常に言語的多様性に寛容であると感じました。

    例えば翻訳について。
    翻訳というと誤訳がつきもの、と断ずる沼野充義氏の作品を読んだそう。それに呼応するようにこう書いていらっしゃいます。

    「文学そのものがたとえオリジナルであっても、誤訳のような捩じれや空白に満ち、その空白があるからこそ流動的になっているのだから、もし翻訳が必要悪ならば文学そのものも必要悪である。いや、必要でさえない悪、「不必要悪」かもしれない。しかし、沼野氏も書いている通り、悪には悪の楽しみがあり、それは時に善以上のものである。しかも、不必要ならなおさら楽しい」(P.147)

    どうですか。

    つまり誤訳はあって当たり前。それを呑み込んで味わいましょうというわけです。それも意図的にというか露悪的に。

    言葉に対するこのようなスタンス。そして、そのスタンスをこう洒脱に記すわけですよ。

    ・・・
    他にも、取り扱う話題は言語にまつわること。

    例えば、日本語で外国人が文学作品を執筆するとどうか。あるいは日本人が外国語でその国で文学作品を書くとどうか。あるいは、歴史的な強制移住や占領によって訓化した言葉(つまり家庭内の母語ではない言葉)で書く作品は「ほんもの」か。さらには、「ほんとうの自分」はどっちの言葉で語る方なのか、などなど。

    まあ、氏の結論としては、あいだみつを的な、「みんなちがって、みんないい」なのですが。

    ただ、こうした越境的状況で生じる捩じれ・ゆらぎを味わい・楽しむ、むしろそこが醍醐味だみたいなスタンスでいらっしゃる様子で、そのゆらぎを発見し、むしろ愛でるように味わう様子は、ほとほと感心するというか素敵な感性だなあ、と恐れ入った次第であります。

    ・・・
    で、そうしたことを勘案しますと、日常のイライラも「ゆらぎ」として楽しむこともできるというものです。

    私のメインは当然日本語ですが、家内にとっては日本語は外国語。我々は日本外に住んでいることもあり、家内の日本語はもう結構劣化してきています。というか劣化なのか・老化なのか。時として噛み合わない。家内の言い間違いが多い。

    というのは家内の日本語の記憶は耳中心なのです。ですから名称については大体音感で覚え、音感ゆえに間違える。実際にあったわけではないですが、例えば、「今日何が食べたい」ときかれ、「おから」と答えたら、「おかゆ」が出てくる、みたいな。

    そういえば、先日もお話ししましたが、大手町と大井町(どちらも東京のターミナル駅)の違いが分からず、「大体同じもんっしょ」とぶちかました世間知らずの帰国高校生の娘も、似ているところがあります。

    ・・・
    読書体験についても多和田流を見習いたい。

    普段からツルツル読む、読めることがえらいというか、良いという価値観がありますが、「あえてつっかえながら読む。単語を分解して味わう」(P.140-141)みたいな、豊かな読み方もしてみたいなあ、と感じました。

    これは英語だったら接頭辞・接尾語を着脱してその語源学的なつながり・連関を想像する・楽しむということでもありますね。

    日本語だと、ひらがなから同音異義語を当てはめるような作業となりましょう。つまらないという先入観がありますが、詩を楽しむとしたらこういう作業も楽しいかもしれません。

    ・・・
    ということで、初めての多和田氏の作品でした。

    ことばに対する、しなやかで豊かな感性、とても素敵でした。私も氏のように言葉に寄り添って年を重ねてゆきたいと思いました。

    次回は氏の文芸作品も読んでみたいと思います。

    それにほら、ノーベル文学賞行くんじゃないか、という下世話な話題もありますし。Underdogな私は受賞する前の今が旬な気がします笑 受賞したらきっと誰もが手に取るのでしょうからねえ。そういうとき、私は手に取りませんよ。

    まあでも、ことば、外国語、異言語体験、このあたりに興味がある方ならば読んで損はありません。おすすめ。

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    2025年05月17日
  • 地球にちりばめられて

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    ネタバレ

    この物語の主人公 Hiruko が話すオリジナルの言語であるパンスカは、体言止めで、独特な言い回しをする言語だった。また言語といっても、そこに決まった形はなく、Hirukoがその時感じたままを、スカンジナビア半島周辺の言語の中で、より同じような質感を持つ言葉を選びつつ、会話は展開されていた。
    恥ずかしながら、今まで日本語は表現できる種類の言葉が多く、表現においてあまり不自由を感じたことはなかったが、日本語という言語に支配されているからこそ、語ることのできないものも同時に存在するということを知る機会になった。
    本書を読み、さまざまな言語を学ぶことは、さらに自分の表現の幅を増やすということにつながるのだと思った。
    Hiruko の話す言葉は、字数やわかりやすさという指標に囚われておらず、読むのがすごく楽しかった。
    ところで、旅がしたくなった。

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    2025年05月15日
  • 地球にちりばめられて

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    ちょっとすごすぎるかも!!
    多和田葉子のなかだとかなり読みやすい方だと思うんだけど(ストーリーが追えるので)、ふんわりふんわり流動的に場所が動いていく。根本的に根無し草の感覚があるのかも。
    言語はもっと自由なのかもしれない。私はいつも(特に)英語を話すときには間違えるのが怖いと思ってしまう。文法がちがうと笑われることが怖い。とりわけ「文法を解する」日本人に笑われたりするのが怖いんだと思う。だからchatGPTとは、べらべらずっと好きなだけ喋ってしまう。私は本当はおしゃべりなのに、英語だとおしゃべりになれないのは「文法の共通了解」が世界中に有ってその人たちにジャッジされているという感覚があるからなのかもしれない。
    フランス語はその点、「自分はフランス語の文法を理解している」という感覚があるからかもしれないけど、共通了解があんまりないという感覚があるからか、あまり好きなように長く話すことに抵抗はない。まぁまず日本人の前で喋る場面もないのだけど。
    伝わればなんでもいい、どころか自分だけの話しやすい言語というものを手に入れることを人生の目標にしてもいいかもという気持ちにすらなる話だった。
    ピアノの曲とかもそうかも。理解して自分のものにしていけば、スピードとか強さとかどんどん自分なりのものにしていっても「曲」としての統一感を失わないけど、まだ理解できてない段階で自分なりをやろうとすると、「曲」であることがどこかに行ってしまうような気がする。
    私はまだ英語という言語を断片的にしか理解していないのかもしれないな。そうすると。

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    2025年04月20日
  • 言葉と歩く日記

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    面白かった〜。言葉の不思議さに触れられ、驚き、合わせて、ドイツなどを旅している気にさせてくれる、多和田さんらしいエッセイ。現実逃避に最適かもしれない。

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    2025年03月21日
  • 変身のためのオピウム

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    この小説を語るにはあまりにも私の知識が矮小。それでも読むことがやめられぬほど思考に馴染み、こんなに息がしやすいと思うことはない。これからもいつもどんな時もそうやって私の脳みその皺にすっと溶けるんだろうな。
    クリニックの待ち時間に坂道に腰掛けて光の中これを読み、事務員に呼ばれて建物に戻った時、しばらく眩暈がしたのを生涯忘れないと思う。

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    2025年03月19日
  • 言葉と歩く日記

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    彼女は言語学者ではない。
    小説家であり詩人だ。
    それも日本語とドイツ語で小説を書く小説家だ。
    だからなのか言語への深い理解と探究心と遊び心にあふれている。
    言葉と歩く多和田さんの日記の言葉を
    もらすことなく読みたくて時間をかける。

    折しも今日は3月11日
    私のすぐ横に職場のブラウン管テレビが
    落下してきた日だ。
    彼女は「ベルリンにいて地震を経験していないという穴があまりに大きいので、人の話がその穴にどんどん吸い込まれていく。共有ではなく、むさぼり喰うような感じ」と語る。そして次の日のアサヒ・コムの「炉心溶融」は危機感が薄く、「メルトダウン」の方が危うく感じられると述べている。そして、多和田さんなら「『ピカドン溶解』という言葉を創ったかもしれない」と書いている。
    言葉一つ選ぶにもその人のスタンス、価値観が表れる。パニック回避のための言葉選びが、事実を隠すことにつながることもある。

    今日は祈りの日。あの日、日本は変わると実感していたが。

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    2025年03月11日
  • 雪の練習生(新潮文庫)

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    文芸誌GOATで上白石萌音さんが紹介していたのをきっかけに読みました。
    萌音さんが教えてくれたように『先入観無く読みたい!』と思い、ネットで買うにも検索したら表紙が見えちゃうので、家族に頼んで買ってもらい、表紙も帯も取ってもらってから読みました。

    この工程が無ければ、すんなり読めてしまったかもしれません。でも、表紙や背表紙のあらすじを見ずに入り込めたお陰でとても楽しく(頭の中が???になりながら)読むことが出来ました!
    これは初めての読書方法でした。
    上白石萌音さんに感謝の気持ちでいっぱいです^_^

    イヤな顔をせずネットでポチってくれたり表紙と帯を隠してから渡してくれたりと協力的な家族にも感謝です♡

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    2025年03月09日
  • 地球にちりばめられて

    購入済み

    不思議な作品

    ちょっと読みにくいので、ざっとスピードをつけて流してみた。
    日本がもうなくなっていて、日本人のHirukoはパンスカという
    どこの国の言葉でもないそれでも通じる言語を話す。失語症、
    魚の文化、泥沼に咲く蓮にすわるブッダ、ロボット、セックスと
    セックスなしの付き合い、言語、テロ、神話と女性と暴力、
    約束とすっぽかし、反捕鯨、いろいろなものがあって、
    不思議な感じがした。

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    2025年02月19日
  • 地球にちりばめられて

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    今度ヨーロッパにいくから、旅がしたくなるような本おしえてって、chatGPTにいったら、この本が紹介された。なんにも前情報なしで、文庫版の表紙のアーティストのファンなのもあって、読んでみることにした。

    何気なく読み始めたけど、めちゃくちゃ面白かった。
    言語を学んでいくときに今までになかった輪郭が見えてくるような感覚が好きなんだけど、
    それを日本語だけでできている物語で味わえるって、不思議!素敵な読書体験ができた!

    ただ物語の波がすごいエンタメとかそういう物じゃない、文字にしかできない面白さがあるな。

    こういう本をもっと読みたいー!!

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    2025年02月09日
  • 献灯使

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     大災害が起こった後の日本。
     「無名」という名の首が細く身体がグニャグニャして、膝から下が鳥のように内側に曲がって上手く歩けず、食べ物もなかなか咀嚼出来ず、栄養も上手く吸収出来ない弱々しい子供を曽祖父である「義郎」が世話している。
     大災害の後、子供はみんな「無名」のように弱い老人のようになり、逆に老人は死ぬことが出来なくなり、義郎のように100歳を超えた老人がピンピンしていた。
     野生動物は殆ど見かけなくなり、本州では安全な食べ物は殆ど無くなってしまった。義郎は運良く1万円で手に入れることが出来た四国産の一個のみかんを無名がなんとか食べられるように包丁で切り刻んでジュースにするのだが、無名はなかなか飲み込めないのだった。そんな無名を見て義郎は悲しくなってしまうのだが、無名は義郎を不思議そうに見て「僕たちの世代は「悲しい」とかあんまり感じないんだよ」と笑顔で言う。「僕たちは美味しいとかもあまり関係ないから」とも。
     政府は民営化され、外来語が禁止され、例えばジョギングのことは「駆け落ち」と呼ばれるようになっている。「駆ければ血圧が落ちる」と冗談で使われていた言葉が定着したらしい。
     ピクニックの出来る野原も無ければ、自動車も走らなくなり、都心にもビルや信号だけが残り、人はいない。国会議事堂などの建物も空っぽ。民営化された政府が「鎖国政治」をしているので、飛行機も飛ばない。作家である義郎は「閉鎖された空港に国家機密が隠されている」ことを想像し、小説として出版したいが、かりにその創造が現実と一致した場合、逮捕されるかもしれないので、無名の唯一の保護者である以上、危険な橋は渡れない。
     沖縄には果樹園があるので、沖縄に職を求めて移住する人が殺到している。けれど保育園などが整備されておらず、子供が出来ると困るので、「女性は55歳以上」という年齢条件がある。顔に皺を描いて、髪を白く染めて若い女性が紛れて移住しても、耕運機のスイッチの「on」「off」の意味をわからないことで英語教育を受けていない若者とバレてしまう。義郎の娘も張り切って沖縄に移住したが、便りでは果樹園のことしか書いていない。何となく「果樹園」と言う名の楽園ではなく「工場」で「強制労働」させられていることが想像される。
     ジョージ・オーウェルの「1984年」を彷彿とさせる見事なデストピア小説。
     南海トラフのことを念頭に置いているのだろう。首都直下型地震が起きたら、建物だけでなく機能としての政府も壊れ、今までのことを覆すような政治あるいは政治とも言えないことが行われるようになることを想像しているのだろうと思って読んでいた。そして地震だけではなく、終わらない戦争やインフラの老朽化、世界のあちこちにケンカを売っているトランプによる株の大暴落やインフレなどそんなあらゆるマイナス要素が近々一気に押し寄せて、想像出来る日本の未来を小説にしているのだと思って読んでいた。
    「老人が死ねない」というのは科学的な思考ではなく、経済成長期に子供時代を過ごし、甘い蜜を吸って生きてきた私の世代への揶揄だと思って読んでいた。
     だけど、ここで言われている「大災害」というのは自然災害ではなく「人災」だと「遣灯使」の中盤以降で書かれている。それが何であるかは別の短編「不死の島」に書かれている。そして、「老人が死ねなくなった」のは何故かが分かる。ああ、この災害のことをここしばらく忘れていた。バカだった。災害と言えば「南海トラフ」のことしか思い浮かばないように政府に仕向けられているのかもしれないが南海トラフのような大地震が起こったらこのことはまさしく生態系を変えるくらいの大問題になるはずだ。
     紙が不足していて、トイレットペーパーも紙おむつも無くなっていたり、洗濯機は海の底に沈んでしまい、手洗い生活になっていたり、お金の価値が殆どないので、沖縄の果物は魚と物物交換出来る東北か北海道に優先的に運ばれたり、インターネットが無くなった日を祝う「御婦裸淫の日」という祝日が出来ていたり…一々時代が逆行している。
     だが、逆行ではないこともある。例えば、乳児には母乳は絶対飲ませない。母乳は汚染されているからだ。全ての乳児は粉ミルクを飲む。だけど、牛のミルクは使われていない。はっきり何が含まれているかは分からないがコウモリのミルクは混ざっているのだそう??
     発想が一つ一つ面白い。ニヤリと笑ってしまう箇所も沢山。だけど、決して冗談ではない小説。現代人必読のデストピア小説。

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    2025年02月09日
  • 星に仄めかされて

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    ラストシーンの、役者全員が場に出揃った会話劇が最高潮だった。ムンンの語りによる最後の夢の部分は難しく感じてしまった。解説を読んでみてコロナ禍を意識して執筆されたことがよく理解できる。環境問題やジェンダー認識等、社会の捉え方が好きだった。

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    2024年12月22日
  • 地球にちりばめられて

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    不思議な世界観と読み心地でとても良かった!!
    登場人物たちと一緒に旅してるよう。あえて色々な背景を詳しく描かないところも私は好きだった。空気感的にたぶん小川洋子とか好きな人は好きなんじゃないかと思う。でも小川洋子のようなフェティッシュな湿度はなくどちらかというと無機質な雰囲気。
    海外旅行好きな人、留学したことある人にもおすすめ。
    逆に現実的なストーリーが好きで、ぼんやりとした雰囲気を好まない人には向かないかも。

    私がとても好きなフレーズをひとつ、
    「わたしの心は、まだ春とは呼べないけれども、クロッカスのなまなましい白や黄色が冬の土を破って出てきている。まだ恋とは呼べないけれど、もう冬に戻ることはできない。」
    主人公の女性が芽生えたばかりの自分の気持ちを表現する場面です。

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    2025年04月01日
  • 献灯使

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    震災後文学の頂点とはよく言ったもので、川上弘美が書ききれなかった、何か大切なものが剥ぎ取られてしまった世界を不思議な文体で描写しているように思われた。表題作も面白かったのだけど、「韋駄天どこまでも」は技法的にもクィア的にも面白かった。あと装丁の堀江栞って堀江敏幸と関係あったっけ。

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    2024年10月20日
  • 穴あきエフの初恋祭り

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    いつも不思議な世界に導いてくれる多和田さん
    「下半身が目に見えない無気力の霧に包まれて動けない」
    「ガムでも噛んでいるみたいな感触で時間が過ぎていくね」
    こんな言葉遊びのような文章に惹きつけられる!
    文字が踊っているような、リズムを刻んでいるようで、思わずふわふわと頭の中が掻き回される。
    この心地良さはなんなんだろう!

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    2024年07月11日
  • 献灯使

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    厄災のあと体が変わってしまった日本人。
    とても脆い子どもと、その子の世話をする元気な高齢者。脆い子供たちは、自分たちを不幸だとも思っておらず、弱い身体を受け入れている(転び方が上手なので倒れても怪我をしない、というところなど、面白い)。そして、国を出て新たな働きをするかもしれないのも彼等。
    善悪を言わないところ、私(たち)の基準だと悲観しそうなことでも、新たな展開があるところが好き。

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    2024年06月15日
  • 言葉と歩く日記

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    こんなにドッグイヤーを作った本は他にないかもしれない。
    わたしが考えていることは既に誰かが考えていたことなのだなと、多和田さんの文章を読んで実感した。
    3年間ほど積読していたのだが、ようやく読めた。なぜもっと早く読まなかったのかとも後悔した。

    本書で紹介されている文献も面白そうなものばかりで今度読んでみようと思う。

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    2024年04月30日