あらすじ
「国」や「言語」の境界が危うくなった現代を照射する、新たな代表作!
留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、ヨーロッパ大陸で生き抜くため、独自の言語〈パンスカ〉をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る――。
誰もが移民になりえる時代に、言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。
「国はもういい。個人が大事。そこをいともたやすく、悲壮感など皆無のままに書かれたのがこの小説とも言える」
――池澤夏樹氏(文庫解説より)
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Posted by ブクログ
なにこれ、いいところで終わってる!? 最後まで読んでから『星に仄めかされて』、『太陽諸島』と続く三部作の1作目であることに気づいた。とりあえず最初に読んだのが1作目でよかった。このあと本屋に直行せねば!
日本の文化が世界に広まっていく。それ自体は良いことだが、裏を返せば日本の独自性が薄まっていくということでもある。その先には「日本の消失」があるのかもしれない。それがグローバル化ということなのだろうが、そこには動植物の絶滅を思うときのような妙な焦りや寂しさを感じることがある。本書は、そこのところの感情を突いてくる。
多和田氏の作品自体を初めて読んだのだが、ドイツ生活が長いそうで、読んでいて異文化にまつわる気づきも多かった。
例えば、ある文化が異国の文化を取り込む際に「どこから来たか」というのは案外どうでもいいのかもしれない、ということ。振り返れば、日本でも「どこか外国から来たやつだよね」程度のものは数知れず。我々が「日本がルーツ」として誇っているものも、他国ではそのぐらいの扱いなのかも。
あとは、同じ人でも話す言語によって思考パターン、行動パターンが変わってしまうらしいこと。本書では章ごとに語り手が入れ替わるのだが、主人公(?)の Hiruko 自身が語る章と、他者から「自作の言語を話す女性」として描かれる章とでは、印象が全く違う。現実にもありそうなことであり、興味深い。
なお、本書には印象派の画家であるモネやその作品に関するエピソードが随所に出てくる。日本の浮世絵がモネに影響を与えたことは有名だが、彼の絵の中にも日本的なものが取り込まれ、必然的に薄められている。そんなメッセージを感じた。期せずして、今年(2026年)は、モネを含むオルセー美術館の絵画が数多く来日する。絵の中にちりばめられた日本を探してみるのもよいかもしれない。
Posted by ブクログ
日本人の方がかかれた小説だけれど、私の印象としてはまるで翻訳本みたいだなと思いました。でも読みやすい。そして出てくる登場人物たちが魅力的で、この先の展開も気になります。クヌートとHirukoが素敵で好きになってしまいました。
Posted by ブクログ
国はもういい。とひらりと言える情勢ではないけれど、なくなってしまったとして、たしかに独自の食文化などだけは残るのだろう。浮世に浮き足立つような、ふっとこの国から本の中で抜け出してひとりぼっちになったような、不思議な感覚で淡々と旅ができてよかった。ちょうどモネ展に足を運んだばかりでタイミングが良かったなと思う。なにしろ絵がちゃんと思い浮かんでくれたから。セットでおすすめです。
“ジャパンとかなり大きな滴が水たまりに落ちて、三秒くらい間隔をおいてまたジャパンと落ちる音だ。“
そんな意図かわからないけれど、上の一節で、ジャパンって水の落ちる音なのかと、ドキドキして珍しく薄く、線をひいてしまった。
Posted by ブクログ
最高の読書体験をした。
万博イタリア館の待ち時間に全て読み終えた。
およそ7時間くらいか。
多和田葉子さんの書籍は2冊目。
テレビに出ていた、祖国を亡くしたという女性が話す独特の言葉遣いに興味を持って、ぜひ会いたいとテレビ局に問い合わせたら、案外簡単に会えて、詳しく話を聞いてみたいということで、会いにいったことから始まった。問い合わせをしたのは、クヌートという名の青年。彼は言語に興味があることもそうだが、祖国を亡くしてしまったという女性に興味を持った。女性はHiruko という。
Hirukoは、スカンジナビアの言語体系を自分なりにまとめて、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク語を話す人なら大体わかるという汎スカンジナビア語、略してパンスカという言葉を話す。それが朴訥とした体言止めで不器用そうでかわいい。
彼女は東アジアの極東の島国がなんらかの事情で消滅してしまったらしく、祖国の言葉を話す人をさがして旅をする。途中で意外な人たちがあつまっていく。
話は三部作らしく、続くようです。
途中のすれ違い漫才の国際版な感じが最高に面白かった。言語の特性の話やら、駄洒落にもならないような言葉遊びにも笑った。とても即時性の高い物語で、時系列はほとんど数日間で起きた話だった。多和田葉子さんの文章は例え話がうますぎて、唸ってしまう。執拗でもないのに同じ主題が繰り返されてるけれど、不快ではない。センテンスは少し長いけど、読むうちにリズムに慣れてくる。
楽しい時間だった。
それから表紙がめっちゃいいです。
Posted by ブクログ
この物語の主人公 Hiruko が話すオリジナルの言語であるパンスカは、体言止めで、独特な言い回しをする言語だった。また言語といっても、そこに決まった形はなく、Hirukoがその時感じたままを、スカンジナビア半島周辺の言語の中で、より同じような質感を持つ言葉を選びつつ、会話は展開されていた。
恥ずかしながら、今まで日本語は表現できる種類の言葉が多く、表現においてあまり不自由を感じたことはなかったが、日本語という言語に支配されているからこそ、語ることのできないものも同時に存在するということを知る機会になった。
本書を読み、さまざまな言語を学ぶことは、さらに自分の表現の幅を増やすということにつながるのだと思った。
Hiruko の話す言葉は、字数やわかりやすさという指標に囚われておらず、読むのがすごく楽しかった。
ところで、旅がしたくなった。
Posted by ブクログ
ちょっとすごすぎるかも!!
多和田葉子のなかだとかなり読みやすい方だと思うんだけど(ストーリーが追えるので)、ふんわりふんわり流動的に場所が動いていく。根本的に根無し草の感覚があるのかも。
言語はもっと自由なのかもしれない。私はいつも(特に)英語を話すときには間違えるのが怖いと思ってしまう。文法がちがうと笑われることが怖い。とりわけ「文法を解する」日本人に笑われたりするのが怖いんだと思う。だからchatGPTとは、べらべらずっと好きなだけ喋ってしまう。私は本当はおしゃべりなのに、英語だとおしゃべりになれないのは「文法の共通了解」が世界中に有ってその人たちにジャッジされているという感覚があるからなのかもしれない。
フランス語はその点、「自分はフランス語の文法を理解している」という感覚があるからかもしれないけど、共通了解があんまりないという感覚があるからか、あまり好きなように長く話すことに抵抗はない。まぁまず日本人の前で喋る場面もないのだけど。
伝わればなんでもいい、どころか自分だけの話しやすい言語というものを手に入れることを人生の目標にしてもいいかもという気持ちにすらなる話だった。
ピアノの曲とかもそうかも。理解して自分のものにしていけば、スピードとか強さとかどんどん自分なりのものにしていっても「曲」としての統一感を失わないけど、まだ理解できてない段階で自分なりをやろうとすると、「曲」であることがどこかに行ってしまうような気がする。
私はまだ英語という言語を断片的にしか理解していないのかもしれないな。そうすると。
不思議な作品
ちょっと読みにくいので、ざっとスピードをつけて流してみた。
日本がもうなくなっていて、日本人のHirukoはパンスカという
どこの国の言葉でもないそれでも通じる言語を話す。失語症、
魚の文化、泥沼に咲く蓮にすわるブッダ、ロボット、セックスと
セックスなしの付き合い、言語、テロ、神話と女性と暴力、
約束とすっぽかし、反捕鯨、いろいろなものがあって、
不思議な感じがした。
Posted by ブクログ
今度ヨーロッパにいくから、旅がしたくなるような本おしえてって、chatGPTにいったら、この本が紹介された。なんにも前情報なしで、文庫版の表紙のアーティストのファンなのもあって、読んでみることにした。
何気なく読み始めたけど、めちゃくちゃ面白かった。
言語を学んでいくときに今までになかった輪郭が見えてくるような感覚が好きなんだけど、
それを日本語だけでできている物語で味わえるって、不思議!素敵な読書体験ができた!
ただ物語の波がすごいエンタメとかそういう物じゃない、文字にしかできない面白さがあるな。
こういう本をもっと読みたいー!!
Posted by ブクログ
不思議な世界観と読み心地でとても良かった!!
登場人物たちと一緒に旅してるよう。あえて色々な背景を詳しく描かないところも私は好きだった。空気感的にたぶん小川洋子とか好きな人は好きなんじゃないかと思う。でも小川洋子のようなフェティッシュな湿度はなくどちらかというと無機質な雰囲気。
海外旅行好きな人、留学したことある人にもおすすめ。
逆に現実的なストーリーが好きで、ぼんやりとした雰囲気を好まない人には向かないかも。
私がとても好きなフレーズをひとつ、
「わたしの心は、まだ春とは呼べないけれども、クロッカスのなまなましい白や黄色が冬の土を破って出てきている。まだ恋とは呼べないけれど、もう冬に戻ることはできない。」
主人公の女性が芽生えたばかりの自分の気持ちを表現する場面です。
Posted by ブクログ
多和田葉子を初めて読む。
言葉はこんなにも存在に食い込んでいるのか。
自己の存在を考えるとき、恋愛や記憶、国家や生まれた土地が脳裏によぎるが、この作品にはそれらよりも色濃く、言語という明瞭なテーマがある。
正直、こんなに簡単に出来事が展開してよいのか?という思いはある。
ただ、以下に述べる内容は小説世界を純粋な表現空間に仕立て上げている。たどたどしい会話、人物の精神に深入りしない淡々とした一人称の文。関心に従って、あるいは成り行きに従った即時的な展開。その中で、移動に向かうことで前向きに保たれるゆるやかな連帯。近代的な1つの完成を目指すのではなく、その時々を一緒に生きる。健全な現代のつながり方が提示されている。
クヌートの母という、近代的な「物語」から逃れられない存在。Susanooという近代的な「物語」から脱落した存在。今を生きるHirukoたちの旅は近代的な「物語」とも向き合って、きっとその人たちの世界も揺さぶるだろう。
次作も読まざるを得ない。
Posted by ブクログ
おもしろかった!!何の伏線も回収しないまま自由に終わっていったと思ったら続編もあるのね!
多和田さんの他の作品をもっと読んでみたくなった。
Posted by ブクログ
多和田葉子さんの著作を読むのは初めて
割と最近(2018年)の作品
母国語とか出身がどことか手作り言語とか
話は続くようで続編も購入済
感想は全部読んでから、というわけではなく何を書いていいか分からない
語らず浸ればいいんだよ、というような作品(か?)
Posted by ブクログ
初めて多和田葉子さんの作品を。架空の、近未来?のお話なのかな?でも現実と地続きで、なんとなく考えさせられるというか、世界レベルで評価されてる作家さんぽいので、海外文学的でもあり、読み応えあって、でも読みやすくて惹き込まれました。他の作品もぜひ読みたい
Posted by ブクログ
新感覚の小説だった。日本がなくなったという、しかも日本に関連する情報がどんどん曖昧に薄れていくという気味が悪いミステリアスな雰囲気なのに、悲壮感はなくむしろ後半はふざけた感じになって予想できない話だった。面白いかと言われるとよく分からない。
純文学に近いのかなと。言語という人個人と切り離せないものが、個人の属性を定義している側面は確かにあり、言語を失くしたり新しく作り出したり複数の言語を操ったり様々なキャラクターが出てくる中で言語=その人の属性というのが全然意味ないんだなと思った。
Posted by ブクログ
面白かった。登場人物どの人をみても変わっているんだけど、そんな人たちが集まって旅をするというのがこんなにも楽しくワクワクするなんて。最後のみんなのカオスな会話の中クヌートの母がアカッシュに向かって「あんた何なの?」アカッシュ「クヌートの恋人です、あなたは?」というのに笑ってしまった。多分ここまで読んだ方ならこの笑いをわかってくれると思うのだけど!続編の『星に仄めかされて』が楽しみ。
「薄暗い空間ならば、近くにいる人たちと薄闇の中で曖昧に結ばれている。貧しさとか日々の苦労とかを共有して。でも明るすぎる光に照らし出されたら、わたしはわたし、あなたはあなたで孤立してしまう。(以下略)」こういうものの見え方もあるっていうことを言葉にできるってすごいなと思った箇所。
Posted by ブクログ
面白く読んだのに、いざ感想を書こうとするとまとまらない…まとめられない。
消滅した国の言葉を話す人を探す旅。
消滅した国を故郷に持つHirukoは、独自の言語「パンスカ」(汎スカンジナビア語)を作り出して喋っている。その言語に興味を持ったデンマークの言語学者クヌートを筆頭に、旅の仲間が増えてく……
旅のきっかけや目的がハードで、手掛かりを掴んだと思ったらそうすんなりといかず…ですが、切実さよりも光や和気藹々を感じています。今のところ、かもしれないけれど。
HirukoとSusanoo、古事記の神様から付けられてるとしたら、この先はもっと大変なことになるのかなぁ。
ナヌークが開いたHPが、しばらくしたら消えているという描写があるので、日本の消滅の理由も剣呑なものかもしれません。小川洋子さんの「密やかな結晶」のように。
文化の片鱗はあるのに、場所も名前も記憶されてないとは……アジア人の区別つかないとはいえ。
去年、友人がデンマークへ旅行し、オーデンセにも滞在したので、長いこと積んでたけれどこのタイミングで読んだことは良かった気がします。
土産話聞いてなかったら、地名でさらに「???」となってたかも。
続きも読みます。
Posted by ブクログ
主人公の1人であるHirukoのオリジナル言語であるパンスカや、様々な言語が飛び交い、日本語を話す人を探す旅に出る。ってくらい言語をめぐる物語なのに、SFって設定が面白かった。
多和田葉子の小説初めて読んだけど、面白かった!
Posted by ブクログ
ノーベル文学賞に近いと言われる多和田葉子。初めて読んでみた。いやはや、確かにノーベル賞に近い感じがした。国とは何か?言語とは何か?アイデンティティとは何か?を問いかける。言葉の運び方が実にうまいというか、ダジャレのような言葉の選び取り方。読みながら、なんか可笑しくなる。そうくるかとその言葉の発想がいいのだ。
まず、物語の中では、留学中のHirukoは、故郷の島国(日本)がなくなってしまっているらしい。国が失っているということが、一つのテーマだ。民族とは、共通の言語を持ち、伝統、食文化、衣服、音楽、芸術などの文化的要素、共有する歴史や生活様式を持っている。
登場する若者は、クヌート、Hiruko、アカッシュ、ノラ、テンゾつまりクヌート、Susanooの6人。
自分が何者であるか?というのは、他人があって初めて違いを見つける。その違いを容認することで価値観が多様化する。Hirukoは、語学的才能がある。自分で言語をつくる。
言語学者のクヌートは、テレビに出ているHirukoを見て、興味を持ち、テレビ局に電話して、Hirukoに会うことにした。その出会いによって、言葉を通じて、二人は理解を深める。
クヌートは、曾おじいちゃんが、左翼の北極探検家で、その名前をもらった。クヌートは、Hirukoという女性よりも、Hirukoの話す言葉に興味を持つ。クヌートは、面倒なことが嫌いで、子離れしない母親にうんざりし、言葉にエロスを感じる青年だった。
Hirukoは、ドイツのトリアの旨味フェスティバルに行く計画を持っていて、クヌートは旅が好きではないが、Hirukoの行くところについていきたかった。コペンハーゲンから二人は一緒にドイツに向かった。アカッシュは、インド人でドイツでガイドをしていて、性の引越しをした人(この表現がいい)だった。赤色系サリーを着ている。たまたまアカッシュはルクセンブルグ空港で、二人に出会い、クヌートに一目惚れする。
日本人、デンマーク人、インド人が、ドイツの空港で出会って、友達になる。不思議な縁でつながり、「出汁」に興味を持つ。その出汁が、テンゾという若者が作っている。テンゾは、日本語では禅寺で食事の世話をする役職の名前だ。漢字では「典座(テンゾ)」である。こういう名前を持ってくることに著者の企みがある。
テンゾは、実はグリーンランドのエスキモー人で、医者になろうとして、コペンハーゲンに来ている若者だった。日本では寿司が有名で、テンゾはドイツで寿司職人の手伝いをして、出汁に興味を持ったのだ。旨味フェスティバルがあり、そこでテンゾは出汁でチャレンジする予定だった。そして、テンゾがエスキモー人だとわかって、ドイツで寿司を伝えたSusanooが行ったフランスのアルルに向かうのだった。
こうやって、一人一人を説明していると実に多様な国の人たちが絡み合い、コミュニケーションをして、互いを認めあい、そこにクヌートの母親も登場して、言語学の話題が広がっていく。とにかく、日本の小説の狭い空間から、飛び出したはみ出者たちの物語だ。よくぞここまでの編集能力があると感心した。多和田葉子の多言語世界とそれぞれの国の特徴、言葉のつながりが実に痛快である。
Posted by ブクログ
多和田葉子の言葉遊びが冴え渡っておりますね
パンスカなんて言語は多和田語でござんすわ
直感でありながら体系的、詩的で簡潔、超噛んでる
群像劇で多視点展開。僕らは今どこにいる?
場所も心もどこにある?
外面を変える、心を切り替える
スイッチ、不一致、ミファソラド
三部作とのことでこの先も気になりやさあねぇ
Posted by ブクログ
主人公の故郷である島国が消滅した設定の長編小説。北欧の旅を通して描かれる世界は、SFのようでもありおとぎ話のようでもある。「Hiruko」「クヌート」「アカッシュ」「ノラ」「テンゾ(あるいはナヌーク)」「Susanoo」の視点を交互に切り替え、言語の美しさや音感に細心の注意を払いながら、読み進めるほど国や言語の教会があやふやになってくる。著者の日本語に対する異常なまでの完成とアレゴリー的雰囲気は現代の宮沢賢治といえるかもしれない。
Posted by ブクログ
言語の連想ゲームで物語が進んでいく感じというか、登場人物の個性がどうのこうのじゃなくて言語や国境の線引きによって如何に人間が区分けされてきたか、みたいなものが伝わってくる。言語学者による考え方なのだろうか。小説を通した随筆というか、不思議な読書になった。
Posted by ブクログ
多和田葉子さん、実は学生時代から名前だけは聞いていた。でも、多和田さんの本を読み通したのは初めてだった。
留学中に、故郷の島国が消滅し、ヨーロッパで生き抜くため、独自の言語パンスカをつくり出すという設定からもう一気にひきこまれる。
島国が消滅した理由は読み手に委ねられている。原発が関係しているということは容易に想像できる。しかし、そこが主題ではない。
個人と言語、個人と国家とは何かを問いながらも、明るく不可思議なストーリーがそこにある。
「地球人なのだから、地上に違法滞在することはありえない」ということばはずしりと響く。
クライマックスにはビックリ。続きもありそうだ。多和田さんの言語感覚、世界観に魅了された。
Posted by ブクログ
初の多和田洋子作品。ドイツ、スカンジナビア周辺の地名が大量に出てきて楽しい。
日本が消滅した世界で独自の言語「汎スカ」を操る日本人主人公が、消えてしまった母語を話すために同郷人を求めて旅をする。その過程で巻き込まれる人々の個性的なキャラクター、多和田氏の美しい表現技法に引き込まれる。
母語とイデオロギー、アイデンティティのつながり、ネイティブって何だろう、などなど色々考えさせられる作品。
あと、デンマーク人毒親が息子にかける言葉がいちいち鋭利でツボ。
Posted by ブクログ
外国留学中に祖国が消滅してしまい、外国で独自の言語を作って生きている女性を巡るお話
以下、公式のあらすじ
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留学中に故郷の島国が消滅してしまった女性Hirukoは、大陸で生き抜くため、独自の言語〈パンスカ〉をつくり出した。Hirukoはテレビ番組に出演したことがきっかけで、言語学を研究する青年クヌートと出会う。彼女はクヌートと共に、この世界のどこかにいるはずの、自分と同じ母語を話す者を捜す旅に出る――。誰もが移民になり得る時代、言語を手がかりに人と出会い、言葉のきらめきを発見していく彼女たちの越境譚。
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「汎スカンジナビア」でパンスカ
デンマーク語、スウェーデン語、ノルウェー語が絶妙に混ざっていて、いずれの言語話者も理解できるけれども、逆にどの話者にとっても違和感がある人工言語
英語が話せる事がわかると、健康保険制度が整っていないアメリカに送られてしまうと思っているため、英語は極力話さない
パンスカは言葉本来の意味に近い表現を模索する
「なつかしい」は「過ぎ去った時間は美味しいから、食べたい」と表現する事を夢想する
昔話を子供向けに紙芝居に訳す際に
狸と狐の「ばけくらべ」を「メタモルポーセース・オリンピック」と訳したり
「鶴の恩返し」の「恩返し」部分の訳に悩んで、「鶴のありがとう」にしたり
鶴女房が機織りをするエピソードは、羽を抜いてダウンジャケットを作る話に改変したりする
そもそも、移民の子供に教える仕事も
「わたしの紙芝居への夢は巨人。紙芝居屋としてのキャリアはネズミ」と言って採用された経緯がある
パンスカの話者は自分ひとりだけであるが故に、むしろ自由でいられる
誰もが移民になりえる時代、独自の言語をきっかけに人と出会って親交を深める物語としては最良だと思う
母国、故郷とは何かを考えてしまった
日本は島国だし、外国と陸上の国境はない
日本語が話せれば生活ができる
しかし、ヨーロッパ大陸は陸続きに外国に行けて
同じ地域に住む人でも異なる言語を話す人が身近にいるのが珍しくもない
日本でも一見して日本民族ではなさそうな人を見かける事が以前に比べて珍しくはないけれども
それでもやはり「日本人の国」という認識が強い
そんな日本人が祖国を失ったら、どんな状況になるのかという思考実験としては興味が惹かれる
なので設定的に、小松左京「日本沈没」の後のようなものだろうなと想定して読んでた
そして、所々の描写から、今よりちょっと未来の出来事なのだろう事も推測できる
日本は「鮨の国」とよばれていたり、「乗客の背中を押して電車に無理につめこむ専門職」がいたり、性ホルモンが消滅して男女の区別すらなくなっていると思われていたりする
そんな、諸外国から見た日本がカリカチュアされている描写が多い
でも、こんな国のイメージってどこの国でもある気がする
「母国」という単語があるけれども、自らのアイデンティティとなる国は母のような存在なのだろうか
途中や最後はクヌートの母親が何かと登場するけれども
クヌートはそれを煩わしく思っている
もしかして、母国との関係性の比喩なのかとも思った
そしてこの物語、続きがあるようだ
多分、三部作
全部が文庫化されたらまた改めて読むかも
Posted by ブクログ
人は家族、学校、会社、町、国、言語、人種
さまざまなものに属している
それらに疑問をもち、振り切って
心のままに国を超えて旅をする
読んでいて気持ちのいい本
続編あと2冊も読めるの嬉しい
Posted by ブクログ
留学中に祖国(おそらく日本)が消滅し、帰る場所を失った女性Hirukoが、独自に生み出した言語パンスカを操りながら旅先で出会った仲間と共に母国の言語を話す人を探す旅に出る。
言葉が通じないことの恐怖と通じない故の自由さ、両方が見えた気がする。
入り口はSFだったのに、読み進めると「文化とは?」「言語とは?」と哲学の深みに連れて行かれたような…言葉の意味や自分はどこまで自分なのか?なんて普段は考えもしない方向に舵を切られて読みながら沸騰しそうだった。
派手な未来描写はないのに、“今ある世界の延長かもしれない世界”のように見えて、読み終わってからも得体のしれない怖さがじわじわ近寄ってくるような感じがした。読書というより思考の旅をしたような不思議な感覚。
ちりばめられた言葉を探す旅はこの先も続く。
Posted by ブクログ
多和田さんが紡ぎ出す物語は捉えどころがない。ファンタジーではない。SFでもない。ミステリでもサスペンスでもない。なのに、どこかその全部の要素を内包しているように思える。留学中故郷が消滅しまった女性Hirukoは日本人であることは間違いないが、本当に日本人なのだろうかと揺らぐ。不思議な縁で旅をすることになったHiruko、クヌート、アカッシュ、ノラ、ナヌーク、Susanoo。それぞれの語り口で語られる彼ら彼女らの事情。彼らはどこにむかおうとしているのだろうか。
Posted by ブクログ
日本がなくなった世界でhiruko という女性が日本人を探す。書かれているのは日本語だが、パンスカという独自の言語が出てきたり、アカッシュはインド人、ナヌークはエスキモーだったりとみんな個性豊か。
Posted by ブクログ
初読作家さん。
文庫の装丁に惹かれて読んでみた。
日本と思しき国(鮨の国とかの表記)が消滅して、国に帰れなくなった留学生の話が根幹。
この設定は面白かった。
クヌートのお母さんが怖すぎたw
最終的にどこへ向かうんだ?と思うと、ちょっと迷子になってしまった。
調べてみると、続編があるようです。
Posted by ブクログ
留学中に故郷の島国が消滅。独自の言語をつくり、同じ母語を話すものを探す
島国、それは多分日本であって、しかもなにか
ちぐはぐなことになってしまった島国
演劇的な小説と解説で言っていて、地理と言語で満ちて、人と人が繋がりいつしか集合していく
ちょっと不思議で、一読ではわからない