多和田葉子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
<抽象>人間は社会的動物
毎日生活する上で切っても切れない関係の「言語」。
自分と同じ言語を話す人をHirukoが探しているのは、人間は根本的に社会的動物だからであろう。
自分の世界の概念を相手の世界の概念に落とし込むことは、難しい。でもHirukoはスカンジナビア半島のどの国の人にも通じる言語を自分でつくった。そのことも社会的動物だから、人は人と関係することでしか生きられないから。根源的な衝動によって、パンスカをつくったのだろう。
膨大な歴史と地理の歴史が随所に出てくる。
根底からヨーロッパが好きじゃないと、この物語は書けないね。
(たわださんはヨーロッパ在住歴長し)
私もヨーロッパ好きだけど、歴史は疎いから私には書けないな。
また、日本を外から見たことのある人じゃないと書けない部分もあった。その点は、留学したことのある人にもおすすめ
私には、SF的世界観と感じられ、普段SFを読まないからとても不思議な感覚に襲われている。いやなじゃない感覚。
連想で進んでいく部分があるから、村上春樹がダメな人はダメだと思う
一文一文に伝えたいことが凝縮されていて、長年非母語の国で生きている人ならではの感性で書かれているように思う。
日本昔話(浦島太郎など)が出てくる。
最初から最後まで言語で言語を説明している感じ。
言葉遊び。
日本語を話せる人種でよかったと思う。
たとえば、父という言葉一つとっても、父親、おやじ、パパ、おとうさん、とうさん、おとっつぁんといくつも言い方があるから。
日本、グリーンランド、デンマーク、ノルウェー
<こんな人におすすめ>
・海外文学が好きな人(言い換えが随所にあるから)
・村上春樹が好きな人
・留学したことのある人
・外国語を勉強したことがある人
・歴史、地理、経済が好きな人
<キーワード>
富士山、鮨、出汁、旨味、モネ
盆汁、胡麻んダレ -
Posted by ブクログ
NHKラジオの語学講座(ドイツ語)で『多和田葉子を読む』というプログラ厶で多和田葉子さんに触れる。それまで作品のあらすじを読む限り、得意なジャンルじゃないかも…と読んでこなかった。
そんな時、自伝的な本書の存在を知り、読むことに。
登場する作者と思しき「わたし」は、名前が出てこない。ただ、世間に知られている範囲での著者プロフィールに合致するエピソードで進んでいく。
事実でも事実でなくても、80年代に想いを馳せました。ドイツには行ったこともないのに。
そして、みなさまの感想にもあるように、起伏なし、ドラマチックな展開なし、なのに、とてもページターナーな1冊でした。
バー「たまねぎ(ツヴィーベル)」のマスター、ウルリッヒ
奈良(!)のユースホステルで知り合ったマグダレーナ(かなりな長い友人になったと思われる)
この二人が、将来食道がんで亡くなることが、わりとはっきり示唆されている。
「わたし」も、当時喫煙者。今はどうなんだろう。
それから「わたし」の男女にこだわりのない視線が良かったです。人とつきあうのにこだわりがないというか。
職場では、ドイツとはいえ、いろいろありそうでしたが。
それから、ドイツに私立学校がなく、さらにお金持ちはいる…(たぶん家柄とがもある…)ということにも、なんとなくひっかかったり。
レーサーになりたかった社長が、魅力的でしたが(勝手にサイモン・ベイカーのイメージ)、実際にはどうだったのか…ビジュアルはともかく、実業家としては超一流で、猛スピードで運転しながらこなす仕事…ただの人ではない…
『わたし』のお父様も登場。そこは丸ごと事実かなー、と読みました。
80年代初め、生意気にも新聞で国際記事を読んでいました。とにかく外国に関わりたかった。そして、何か書く人にもなりたかった。その頃の気もちを思い出しました。
以来40年以上経つわけですが、外国にも、書く人にも、かすりもしないで生きてしまった…
そんな中、読むことだけは続けられていて、まだまだあきらめてしまわない…と思い直したりしました。
これから多和田さんの作品を読むかは、正直わかりません。でも、読書する多和田さん、言葉に独特の感性を持つ多和田さんには、触れていくように思います。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ外国語をやっている人間は読んでおくべき本、というような紹介をどこかでされていて、それならばと手に取った本。
作者はドイツ語で(日本語でも)小説やエッセイを書いている多和田葉子さんで、タイトルのエクソフォニーとは母語の外に出た一般的状態、というものらしい。日本語とドイツ語、時には他の言語話者の話を聞きながら、間を行ったりきたりする中で、見えてくる感受性や、言葉と文化にまつわる様々な気づきについて書いたエッセイ。
第一言語は考えずとも自然に話したり書いたりできる自在さがある一方、生まれてからずっと吸収してきたその土地や文化の暗さや重さもまた心にのしかかって口がうまく動かないことがある。高校生の頃、拙い英語でカナダ人の先生と自分のアイデンティティについて話したときの開放感が私のエクソフォニーな原体験で、そこからの英語との付き合いは今も続いている。女性として日本語を話す時、家父長制の強い家庭で育った習い性で、婉曲な表現をしたり、ものの言い方の強弱を微細にコントロールしてしまう。その点でも、つまりながら話すとしても英語の方が気楽だと感じることが往々にしてある。そんな感覚が本書の中でも表現されていた。以下抜粋。
p193
外国語を学ぶということは、新しい自分を作ること、未知の自分を発見することでもある。わたしたちは日本語を通して世の中の仕組みを学び、人との付き合い方を学び、大人になってきたわけだから、こういうことは考えてはいけないとか口にしてはいけないというタブーが頭の中に日本語と一緒にプログラミングされている。つまり、日本語でものを書いている限り、タブーに触れないようにする機能が自動的に働いてしまう。それが他の言語を使っていると、タブー排斥機能が働かなくなって、普段は考えてもみなかったはずのことを大胆に表現してしまったり、忘れていた幼年時代の記憶が急に蘇ってきてりもする。
このような作用があるのだから、AIでなんでも通訳、翻訳できるから外国語を学ぶ必要はない、なんていうのはあまりに勿体無い話だなと思う。
他にも中国から入ってきた美、という言葉と枕草子にあらわれる「心ときめきするもの」「あてなるもの」「めでたきもの」「うつくしきもの」「心にくきもの」などの知的、感覚的繊細さとの対比の話など、面白い話がたくさん入っていた。
特にp50の
頭の中にある二つの言語が邪魔しあって、何もしないでいると、日本語が歪み、ドイツ語がほつれてくる危機感を絶えず感じながら生きている。放っておくとわたしの日本語は平均的な日本人の日本語以下、そして私のドイツ語は平均的なドイツ人のドイツ語以下ということになってしまう。その代わり、毎日両方の言語を意識的かつ情熱的に耕していると、相互刺激のおかげで、どちらの言語も単言語時代とは比較にならない精密さと表現力を獲得していくことがわかった。
というところは、体感としてその通りと感じるとともに、毎日「意識的かつ情熱的に耕し」続けなければ、と少し襟を正す気持ちになった。
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Posted by ブクログ
◼️ 多和田葉子「星に仄めかされて」
不思議と謎への興味と、人間。やはりアプローチが独特で、惹かれる作家さん。
多和田葉子はさっぱり分かんないこともあるし、根っこのところが賛同できないな、と思った過去もある。でも多くの要素からなる、知性と無邪気さが融合したような物語の成り行きに、強く惹きつけられるときがある。ドイツ在住の長い、言語学的なテイストの入った、不思議な作品を書く人、という感じで、ついつい何作も読んでしまう。この作品は3部作である「地球にちりばめられて」の次、「太陽諸島」の前の中巻。
Hirukoはかつて中国大陸とポリネシアとの間にある列島から留学してきた女性。しかし帰国直前に母国は消えてしまい、北欧を転々としている。その間に「パンスカ」というスカンジナビア共通言語のようなものを生み出した。自分と同じ母国語を話す人を探しており、その過程で言語学を学ぶクヌートや、インド人で性の引越し中のアカッシュ、エスキモーで、日本人にはりすまして鮨職人を演じたナヌーク、その恋人ノラらと知り合い、福井出身だというSusanooに会いにいくが、Susanooは言葉を発さない。コペンハーゲンのクヌートの友人のドクター、ベルマーはSusanooを失語症の実験協力者として寝泊まりさせる。そこにHirukoはじめ一行が「お見舞い」に訪れるー。
それぞれモノローグで語る章で構成されている。ベルマーの病院の下働きムンンから始まり、ベルマー、ナヌーク、ノラ、アカッシュ、クヌートの母親にしてナヌークの学費援助者、さらにベルマーの現恋人のニールセン夫人、クヌート、そしてHiruko、Susanoo、最後にまたムンンに戻る。
それぞれの人となりや想い、ナヌークとノラ、アカッシュのドイツからコペンハーゲンへの旅、ニールセン夫人の来し方などなどが語られ、そしてついに・・!
時にヘンな思考、怪しく刺激的なエピソード、性的関係、おかしな言語を挟みつつ、あちこち飛びながら集合した病院では意外な展開となる。そして最大で関心を呼ぶ謎への旅が扉を開く。
「地球にちりばめられて」もモノローグ章の展開だった。4年前の過去書評で思い出した。それぞれのより深掘りされた人間くさいドラマ性と心情、他者性のある視点から描かれる微妙なすれ違いもおもしろい。
まああと、独特の表現や仄めかし、もたまにクフフと笑いつつ楽しませてもらった。
「(以前の患者の少女の)生みの母は奈良の人で、東京に出て法学を勉強し『インクの田んぼ』とかいう名前の区役所に就職した。お見合いで、『大きな手の町』という不思議な名前の町で働いている手の大きな男と結婚したが・・」
一瞬、どの区役所だろう?なんて考えた笑。
ほかにも
「心臓がつんのめった」
「インガ(ニールセン夫人のこと)の快さを知ってしまったが故に、自分という洋服がすっかり嫌になったが脱ぎ方がわからない」
「イルカが毛糸のセーターを着せられたようなもので、しっくりしないし、納得できない」
なんて言い回しがポロポロ出てくる。
Hirukoの話に日本神話を挟んだりして、おちこちに散らしてある面白みにワクワクする。
エクソフォニー、別の言語圏の人間が集まると、異国風の情緒も出て、しぜん疑問も多くなるし、会話自体がわらわらと楽しくなる。
にぎにぎしいパーティーはついに最大の謎を解くカギとなるエリアへ向かう。さあどうなるか。「太陽諸島」が楽しみだ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ初読。意図的に隠されていた情報が少しずつ読者に手渡されていき、物語の骨格を組み立てていく楽しさを与えてもらえた。ソ連とドイツの関係とか、人間と動物の関係とか、言語と非言語の関係とかの要素が巧みに織り込まれていき、ふと歩みを止めてしまうのも素敵な読書体験だ。少し寝かせてもう一度(あるいは何度でも)読み直したい。
文芸誌『GOAT』創刊号「愛」の「私のGOAT本」コラムで上白石萌音さんが熱を込めて紹介していたのに、釣られた。誰かに買ってきてもらって帯と表紙カバーを外して渡して貰えとの指示だったが、お願いできる人がいない私は、自分で買って極力前情報が入らないようにして読んだ。おかげで目論見通りの結果はほぼ得られた。ただ表紙のイラストが見えちゃったのは避けられない。