多和田葉子のレビュー一覧
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普段、ほとんど読むことのない現代の日本人作家のアンソロジー。
興味深く読んだ。
もとは、深堀骨 の作品を読んでみたかったから手に取ったが、どれもなかなか良かった。ありそうでない話というファンタジーというか、不気味な話が多い。恋愛要素はどれも少なく見えるが、一応恋愛ものという括りらしい。
一作だけ、多和田葉子の漢字の話はすでに読んでいた。
特に印象的だったのは、
本谷由希子、迫力とリアリティと奇想天外で面白かった。
村田沙耶香、細かく書き連ねて積み上げるのがうまい。
吉田知子、多分この中で一番好きなタイプの作家。
小池昌代、切れ味がよい。
星野智幸、描写がうまい。
というかんじ。
編者は岸本佐知子。掃除婦の訳者だ。納得。 -
Posted by ブクログ
多和田葉子(1960年~)氏は、早大第一文学部ロシア語学科卒、ハンブルク大学大学院修士課程修了、チューリッヒ大学大学院博士課程修了(ドイツ文学)。1982年から2006年までハンブルク、2006年からベルリン在住。1993年に『犬嫁入り』で芥川賞受賞。谷崎潤一郎賞、野間文芸賞ほか数々の文芸賞を受賞。紫綬褒章受章。ドイツ語でも20冊以上の著作を出版し、それらは英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、中国語、韓国語などにも翻訳されている、本格的なバイリンガル作家で、ドイツでも、ゲーテ・メダル、クライスト賞等の有力文芸賞を受賞。今や日本人で最もノーベル文学賞に近い作家とも言われる。
本書は、2014年に出版され、2017年に文庫化された(表題作以外に「韋駄天どこまでも」、「不死の島」、「彼岸」、「動物たちのバベル」の4つの短編を収録)。マーガレット満谷による英訳版『The Emissary』は、2018年に全米図書賞翻訳部門を受賞。尚、多和田氏は、本小説には日本語による言葉遊びが多いため、受賞は翻訳家の功績が大きいと述べているという。
私はノンフィクションやエッセイを好み、小説はあまり読まないのだが、以前、仕事上の要請でドイツ語圏に長く駐在し、ドイツ語を使って生活をしていたことがあるため、多和田氏には関心があり、これまでに読んだエッセイ集の『エクソフォニー』、『溶ける街 透ける路』も面白かったことから、今般初めて小説を手に取った。
『献灯使』は、大きな災厄に襲われた後に鎖国政策を取る日本に住む、100歳を過ぎても元気な義郎と、体の弱い曾孫の無名を巡る作品で、執筆のきっかけになったのは間違いなく東日本大震災と福島の原発事故であり、それに、少子高齢化などの現代日本の問題を絡めて描かれる世界は、いわゆるディストピア小説であると評されることが多い。しかし、松岡正剛氏は伝説的書評サイト「千夜千冊」の中で、本作品はディストピア小説でも未来小説でもなく、言わば「現在(めまい)小説」であり、多和田氏が現在日本に抱いている違和感・不審に対する柔らかい異議申し立てであると書いている。
また、多和田氏が国際的に高く評価されているのは、「エクソフォニー」(母国語の外に出た状態。特に,母国語以外の言語を用いる社会で生活したり,母国語以外で言語表現を行うこと)を実践し、そこから生まれ、広がる様々な発見、疑問、洞察が、作品の中にこれでもかと散りばめられているからなのだと思われるが、そのセンスは本作品でも遺憾なく発揮されている。
と、こう書きながらも、私は正直なところ、期待したほどの面白さを感じられなかったことを白状しなければならないが、それは、もともとノンフィクションを好む、私の合理主義的な嗜好性に拠るのかも知れない。
フィクション性が強い(「ファンタジック」とも言えようか)が故に、好みの分かれる作品のような気がする。
(2022年11月了) -
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初めて読む多和田さんの作品。
そして私がこれまで読んだことのないタイプの小説でした。
ホッキョクグマの「わたし」はケガが原因でサーカスの花形から事務職に転身。
ひょんなことから自伝を出版することとなり、世界的ベストセラーになるがー。
「わたし」の娘の「トスカ」、「トスカ」の息子の「クヌート」、3代にわたるホッキョクグマの物語。
こう書くと、ふわふわとした優しいファンタジーかと思われそうですが、そういう作風とはほぼ対極にあると言ってよいでしょう。
ホッキョクグマの視点から見た人間社会の問題点、滑稽さ、無駄などが浮き彫りにされていて、読み手のこちら(人間)がむむむ、と考えさせられてしまいます。
かと思えば、動物ならではの愛らしく無邪気な一面を覗かせたりもします。
なんとも不思議な物語であり、巧みな構成となっています。
私がこういった文体と作風に不慣れなため、面白いと思えたのは3代目のクヌートの章に入ってからでしたが、この何とも不思議な世界観に魅せられたのは間違いありませんでした。
レビューを書くのが難しい。
ちなみに、解説がよいです。
2020年18冊目。 -
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ネタバレ7編の短編集。特に、「鼻の虫」「ミス転換の不思議な赤」の二作品が面白かった。
「鼻の虫」は、衛生博物館の「体の中の異物」という展示で見た人間の鼻の中で、何千何万年もの愛、共存してきたという虫を、ふと意識するようになる「わたし」の物語である。「わたし」は、携帯電話を梱包する工場での就職が決まり、海辺の町へ引っ越してきたが、この工場の描写や、社会描写からは、この世界が、現実とは異なる世界で、その工場は、どこか怪しげな雰囲気であることを感じさせ、しかし、「わたし」は、同僚の女性従業員がみな解雇されるなか、自分だけ課長に昇進し、管理職となる。
そんな生活の中、「わたし」は、朝起きると鼻の虫が、鼻の中に戻れるように、布団からすぐに起き上がらないように気をつけ、寝る前には、虫たちの食事や生活を想像しながら眠る。それは、引越し後、ペットを飼いたいと思ったこともあったが、鼻の中に虫を飼っていると思うと、目の前が明るくなるほどだった。そして、ある日、「わたし」が、いつもの工場へ向かうバスにあえて乗らず、逆の方向へと歩き出す所で、物語は終わる。
後半、「わたし」は、今の生活から、本音では解放されたいことを語る。そして、「寄生虫と人間は共存して」いて、「一度彼岸花を眼にしてしまったら、夢幻に墓場を訪れる度にその花を無視することができないのと同じで、一度博物館に足を踏み入れた者はもう眼には見えない寄生虫を見て見ぬふりをすることはできない」と言う。小さな虫の存在を知ってしまったことで、生きる活力を得た「わたし」のどことなくパッとしない毎日が、共感された。 -
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北極熊のクヌート、その母トスカ、そして祖母の三世代の物語。作家である祖母の再三の亡命に伴い変化する言語への困難な適応、母トスカと女性調教師ウルズラの夢の中での異種間コミュニケーション、娘クヌートとマティアスの親子同然の信頼関係とクヌートの言語認識過程や自他の理解等々が人間と熊の目を通して語られる。更に、異種の動物間では単一の共通言語での会話が可能な反面、亡命の度に異なる言語の習得が必要な人間界の煩雑さや、自由移動の障害となる、紛争や覇権争いにより構築された国境や体制などの数多の問題が重層化され、自己レベルでの解釈で読み進まずを得られなかった。作者の意図とは関係なく、動物との会話が可能な状況で、人はそれでも助命を乞う動物を殺し、その肉を食べるのだろうかと、ふと思った。
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ドイツの尼僧修道院の中に、日本から来た女性作家が潜入取材する、第一部が印象的。
人生のありとあらゆる大波を乗り越えた、未婚、あるいは離婚した女性たちが集まる修道院が、実は不調和だというのも、よくよく考えれば納得できるものがあり、何千年もの歴史を等しく重ね続ける建造物とは対照的に、理想や妄想でない現実的な人間味を、住んでいる尼僧たちに感じられたことに、むしろ好感を持った。
こういうのもハイブリッドというのかもしれない、なんて思っていたら、第二部での、「個人に本当に選択の自由があるのか」という、昔からあるような因襲的な問いかけに自ら飛び込んでいくような、彼女自身の歴史が、思いのほか印象に残らなかったやるせなさに、真の孤独は修道院でなく、ここにあったと実感させられた。