多和田葉子のレビュー一覧

  • 言葉と歩く日記

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    ベルリン在住で、日本語とドイツ語のニヶ国語の小説を発表している多和田さんの、"言葉"に関する日記形式のエッセイ。
    小説の中で多和田さんはよく言葉遊びを取り入れておられる。生まれてからずっと日本在住で日本語しか話さ(せ?)ない私にとって、それは新鮮で斬新で、いつもクスッと笑ってしまう。
    ドイツから見た日本、ドイツ語と比較した日本語、というように俯瞰して日本並びに日本語を観察しておられるからできる技なのだろう。特に印象深かったことをピックアップ。

    ●時代と共に日本人が遣う日本語も変化し、遣われなくなり消えていく日本語も少なからずある。実際遣っている我々は、そんなものかと時代に流されている感があるけれど、多和田さんはそのことを大変危惧されていた。
    ●日本語の発音の響きと字の形。日本人にとっての当たり前を掘り出して注目し、時に心配もする多和田さんの日本愛はかなりなもの。日本在住の日本人以上の愛情を感じた。
    ●文章が縦書きなのは日本だけとは驚いた。韓国はともかく中国も横書きとは。日本は東アジアの中でも特に古いものを残す国、と世界の中で言われていることにも驚いた。やはり島国だからかな?
    ●日本の敬語について。敬語を遣った質問の場合、単刀直入に訊くのでなく間接的な言葉を遣うことが多い。例えば「砂糖をお使いになりますか?」という表現。砂糖は道具でも召使いでもないのに何故"使う"なのか?一方ドイツでは「砂糖が欲しいですか?」と単刀直入に訊くそうだ。何故日本人はわざわざ回りくどい言い方をするのだろうか。つくづく不思議である。敬語の言い回しは日本人にとっても難しい問題。
    ●日本語や英語等の言語に主語はいらない説には感心した。確かに話し言葉にわざわざ主語なんて付けない。付けるのは教科書くらいかな。あと、詩は助詞を抜かした方が勢いも出てきて好き。好みの問題かもしれないけれど。
    ●多和田さんの場合ニヶ国語だけでなく、そのニヶ国から張り巡らされている別の無数の言語との関係性を見ておられる点が面白い。
    ●花から花へ飛び移るミツバチのように、様々な国の言語や文化を吸収し、また別の国へと運び、多和田さんなりに混ぜ込み、多和田文学が創られるのだろう。今年はコロナの影響で飛び回れず、ウズウズしておられるかな。

    多和田さんの頭の中で、ニヶ国の言語が其々の主張をして対話を重ねることにより生まれた"言葉"は、我々日本人を刺激する。
    多和田さんが日頃感じる、異国の中の日本語に対する疑問や解釈の発想がとても面白かった。

    時折内容の高度な箇所もあったけれど、大学時代の教授の講義を聴いているみたいに思えて、とても懐かしくもあった。
    また続編が出ないかな。
    次回があれば、出来の悪い教え子なりに多和田教授の講義に付いて行きたい。

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    2020年09月27日
  • かかとを失くして 三人関係 文字移植

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    これまで読んだ中でも、その独特な世界観は際立っている。
    半分過ぎた辺りで本が行方不明に。
    見つけ出す前に他の本を読み始める。

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    2020年09月26日
  • 言葉と歩く日記

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    ノーベル文学賞候補ベルリン在住多和田葉子さん。ドイツ語圏、日本、英語圏などを言葉とともに旅するエッセイ。ドイツ語で表す日本語とのニュアンスの違い。日本語で考える日本人にグローバルな思考とは何かを問う。

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    2020年09月09日
  • エクソフォニー 母語の外へ出る旅

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    多和田葉子(1960年~)氏は、早大文学部ロシア語学科卒業後、ドイツ・ハンブルクの書籍取次会社に入社し、ハンブルク大学大学院修士課程を修了。1982~2006年ハンブルク、2006年~ベルリン在住。1987年にドイツで2ヶ国語の詩集を出版してデビュー。チューリッヒ大学大学院博士課程(ドイツ文学)修了。ドイツ語でも20冊以上の著作を出版し、それらはフランス語、英語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、スウェーデン語、中国語、韓国語などにも翻訳されている、本格的なバイリンガル作家。1993年に芥川賞、2016年にはドイツの有力な文学賞クライスト賞を受賞。今や日本人で最もノーベル文学賞に近い作家との声もある。
    私は、書物は好きだが、大半はノンフィクションで小説は殆ど読まないため、多和田葉子の名前は知ってはいたものの、著書を読むのは本書が初めてである。
    本書を読んでまず感じたのは、「母語の外に出る」ことによって、こんなにも広く、深い視点・感覚があるという新鮮な驚きだった。人間が母語ではなく外国語で書くということは、当然ながら昔からあったが、それは通常、移民やクレオール、あるいは在日、ポストコロニアルのように、政治や経済、つまり「外的」な要因によって生じたものであった。しかし、多和田葉子がドイツ語で書き始めたのはそうした理由からではなく、外国語によって自己表現や他者表現をすることに対する「内的」な衝動に突き動かされたもので、そこから生まれ、広がる様々な発見、疑問、洞察が、本書にはこれでもかと綴られているのだ。
    また、多和田氏は、本書のアプローチについて、当初は「移民文学」「越境」「クレオール」「マイノリティ」「翻訳」などの抽象的なキーワードを軸に書こうとしたが、上手く行かないので、自らが世界各国を旅する中で、そこで得られた様々な気付きを綴るというエッセイの形式をとったと言っているが、そのおかげで、読む側にとっても、必ずしも身近とは言えないテーマにも関わらず、読み易いものになっていると思われる。
    私は、1990年代にヨーロッパで、ドイツ語、スイス・ドイツ語、英語の中で生活をした経験があり、第一部の「バーゼル」の篇で出てくる、ドイツとスイスにおけるドイツ語の違いや、4つの公用語(ドイツ語・フランス語・イタリア語・レトロ―マン語)を持つスイスの日常、また、第二部「ドイツ語の冒険」に出てくる様々なドイツ語の表現などは、肌感覚で理解でき、興味深く読むことができたが、全篇を通して語られていることは非常に深遠で(難解ということではないと思うのだが。。。)、著者の意図をどこまで汲み取れたかは正直心許ない。時を置いて、再読してみたいと思う。
    「母語の外に出る旅」。。。学校教育で外国語を習ったり、ビジネスで使うために外国語を習得する限りでは、ほぼ意識することすらない視点での新たな旅の扉を開いてくれる一冊と思う。
    (2020年6月了)

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    2020年06月03日
  • 変愛小説集 日本作家編

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    タイトル通り変愛を集めた短編集。

    「お、おう、そんなところに」「そんなのと」「え、何この設定」とか本当にそれぞれ変な愛ばっかり笑

    吉田篤弘目当てだけど、電球交換士が出てきていたとは。

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    2020年04月16日
  • 百年の散歩(新潮文庫)

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    “川、湖、滝など、水の見える場所にすわっていると喉につかえていたものが流れて楽になる。”(p.171)


    “子供は親のすべての表情、仕草、言葉を解釈できないままに記憶し、夜空のように肩に背負って歩いていく。”(p.206)

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    2020年01月31日
  • 百年の散歩(新潮文庫)

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    ベルリンの街並みと多和田葉子の想像力、言語力がゆるやかに化学反応を起こしながら散歩はどこまでも続いていく。散歩しながら思索する人は多いだろうけど、そんな人たちの頭の中を多和田仕様で覗かせてもらったような気持ち。気取らず朗らかに、足取り軽く彼女はゴドーを待っている。


    散歩に出たくなるけれど、ただ同じ道を歩いても多和田葉子が拾い上げる要素の数は誰とも比較にならないように感じる。そしてわたしもこの本で、かつて歩いたことのあるベルリンの記憶を辿る。
    ベルリン以外には住みたくない、本当にそう思ったことがあった。
    そうだったよ、わたしも、もう一度ベルリンに行きたい。

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    2020年01月13日
  • 犬婿入り

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    これが多和田葉子の世界、という短編2編。

    純文学はその作家の個性がわかると、あるいは立ち上がってくるものがわかるとなかなか面白いものです。芥川賞の「犬婿入り」の雰囲気もそうですが「ペルソナ」の方はその入り口という感じでしたから、より理解しやすかったですね。

    「ペルソナ」は作者の分身のような道子さんの、ドイツ留学における生活のもろもろの遭遇と心模様を描いています。移民を認めているドイツには様々人種が集まっている。わたしたちがヨーロッパの人種を判別しがたいように、自分たち日本人や韓国人、中国人を東アジア人としてまとめられる経験をする。違和感や嫌悪感を感じる人(道子さんの弟)もあるが、道子さんは平気だ。しかし自分が「何者か?」ということにはとてもこだわる。しかし、その個性を究めるともう日本人と見られなくなるという皮肉な結果になりました。

    人種のパッチワークの中にいるからこそ、それがわかったのか。「犬婿入り」では日本の中の出来事です。ごく普通の町に変わった行動をする女性が塾を開いている。親は眉を顰めるが、子供には人気です。北村みつ子先生だから「キタナラ塾」のあだ名がついたのか。いえ、きたならしいとえっちなことがとめどもなく子供を引き付けるからです。で、尋常じゃないと思われる次第がいろいろと起こってくるのですが、異質なものの存在を認めるのには、普通の町ではもう見て見ぬフリが出来なくなり、受け止められなくなるのです。

    すなわち異質なものと折り合いをつけて生きていくのが簡単なのか、大変な困難を伴い、身を削るような思いをするのか。それでも何とかしなければなりません、地球は狭くなったので。

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    2019年11月17日
  • 犬婿入り

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    春樹の次(寧ろ春樹以上⁉)に、ノーベル賞に近いとされる作家に初挑戦。話題の”献灯使”からとも思ったけど、とりあえず芥川賞作品から。中編2作を収録していて、表題作は後半なんだけど、なんせ前半が辛かった。『~った』がひたすら多用される文章の意図も何となくは分かるし、人種問題も理解はできるんだけど、物語としての魅力が…。表題作も、唐突に犬婿が入ってきたり出ていったりで、実際問題良くは分からんのだけど、何となくおかしみはあってまだ良かった。

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    2019年09月30日
  • 変愛小説集 日本作家編

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    「恋愛」ではなく「変愛」…変わった形の愛が描かれたアンソロジーです。
    面白かったです。
    ディストピア文学が大好きなので、「形見」が好きでした。工場で作られる動物由来の子ども、も気になりますが、主人公の子どもがもう50人くらいいるのも気になりました。色々と考えてしまいます。
    「藁の夫」「逆毛のトメ」「クエルボ」も良かったです。藁の夫を燃やす妄想をしたり。クエルボはラストは本当に名の通りにカラスになったのだろうか。。
    多和田葉子、村田沙耶香、吉田篤弘は再読でしたがやっぱり良いです。
    岸本佐知子さんのセンス好きです。単行本から、木下古栗さんの作品だけ再録されなかったようですが。
    表紙の感じに既視感が、と思ったら、多分小川洋子の「不時着する流星たち」の単行本の絵と同じ方でした。あったかいような不安になるような、好きな絵です。

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    2019年08月30日
  • 尼僧とキューピッドの弓

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    普段自分の読むようなジャンルではないけれど、講談社企画の「乃木坂文庫」で鈴木絢音ちゃんが紹介していた本だったので購入して読みました。
    明確なオチはないのですがその時代の情景や人間関係が分かりやすく書かれていてたまにはこういうのもいいなって思いました。
    もっと凝らして読めばまた違う感じ取り方があるんだろうとは思います。自分に感じ取れたかは微妙です。

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    2019年02月04日
  • 犬婿入り

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    人は自分と共通点のある似通った人とは仲間になりたがるけれど、ちょっとでも異なる人とは区別したがる。
    生まれた国や言語、文化、風貌、立ち振舞い等あらゆる基準により自分とは異なる者を「異物」と見なし排除し、時に攻撃する。
    まるで多数決で多い方が正義となるかのように。
    『ペルソナ』でのドイツに住む日本人・道子に対して、表情が乏しく何を考えているのか分からない、と言って傷付けたり、表題作の風変わりな塾教師に対して母親達が無責任な噂話を広めたり。

    個人的には芥川賞受賞作の表題作より『ペルソナ』(これも芥川賞候補作)が好き。
    道子が日本人の顔になるために化粧をする姿(素顔ではベトナム人に間違えられるため)や能面(ペルソナ)で顔を隠すことにより柵から解放され堂々と歩く姿がとても印象深い。
    長年ドイツで暮らす多和田さんも、ドイツに住み初めの頃は色々と苦労したのだろうか。

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    2018年11月25日
  • ヒナギクのお茶の場合

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    ネタバレ

    多和田さんの自由な文体が相変わらず面白い。
    「電車に乗っていると、どうして電車なんかに乗っているのだろうと思ってしまう」
    出だしから笑った。
    静かなトーンの話からクスッと笑える軽快な話、と多和田さんの引き出しの多さが伺える短編集。
    「枕から枕へ、今夜見る夢から明日の夜見る夢へ」とあるように、多和田さんに夢の世界に誘われたかのようにふわふわした余韻が漂う。

    特に『目星の花ちろめいて』『所有者のパスワード』が好き。
    『目星…』は多和田さんの紡ぐ詩のような言葉遊びが心地好く、続きが気になる終わり方でもっと読んでいたくなる。
    『所有者の…』の姫子が夢中で読んでいた「ボクトーキタン」(永井荷風の『濹東綺譚』らしい)が気になる。何度もニヤリとなった。

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    2018年11月05日
  • 言葉と歩く日記

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    ネタバレ

     『地球にちりばめられて』で知った著者。2冊目。こちらはエッセイ。

     その昔、野沢直子が一時帰国をして『笑っていいとも!』に出演したことがある(御存知と思うが、野沢直子は日本で売れた後、武者修行とばかりにアメリカに渡り、現地で伴侶を得て当時はアメリカのショービジネス界で頑張ってた。今も?なのかな?)。

     その時、「今、日本って、なんでも2文字で言っちゃうんですねー」と驚いていた。何のことかと思ったら、「早い」「遅い」「長い」などが、「はやっ!」「おそっ!」「ながっ!」っとなっていると。
     全然気づかずにそうした表現を使ってたけど、そうかー、久しぶりに海外から日本に戻ってくると、そういう違いに気づくんだーと、言葉を駆使する芸人の鋭い感性に感心したもの。
    「じゃあ、タモリさんのことも、”タモっ”って言っていい?」とボケまでかます達者ぶり(笑)

     前置きが長くなったが、本書の著者もドイツで暮し、日本語とドイツ語他、他言語を操る御仁。日本に居るだけの日本語だけの話者には気づかない多くの発見があって実に楽しい。

     日記風に、1月1日から4月の中旬まで毎日なにかしらの記述がある。
     三日坊主でもない、この中途半端な期間は、著者が自著『雪の練習生』のドイツ語翻訳に取り組んでいる期間だそうだ。日本語をドイツ語に訳すに際し、改めて両言語間の暗くて深くて溝に思いを馳せることになる。
     翻訳作業の苦労も滲み出ているが、むしろ新たな言語的な気づきに一喜一憂している日々が楽しく綴られている(「喜」のほうが8割、9割と多いのが良い)。

    「ほぐすことのできない単語に矛盾する形容詞を付けて」遊んでみたり、広辞苑や岩波古語辞典、果ては『アレ何?大辞典』なる面白そうな辞書まで引いて、日々、言葉と格闘する様がおかしい。

     著者が日本語もドイツ語も堪能で、ドイツ在住ということもあり、現地で朗読会なるものも開催しているのも興味深い。著者本人が自作を読み聞かせるなんて、あまり聞いたことがなかった。朗読に際しての著者の気付き、驚きも面白い。

    「初めて他人に向かって自作を声に出して読む時は、少し動揺し、読み方までよろめく。自分が書いたものがそういう形で外界にさらされることに対する驚きが毎回ある。」

     印刷物になった言葉だけでなく、こうしたヴァーバルな体験もしながらの考察ゆえに深みがあり、日本語のみならず、多くの言語に対する尊敬あるいは思慕の念が随所に感じられる。

    「文章を物質として見る。単語一つ一つを物として観察する。単語は自分の心が外に溢れ出したものだと考えるのは思い込みで、単語はわたしの生まれる前から存在し、独自の歴史を持ち、わたしが死んでも全く悲しまずに、存在し続けるだろう。」

     自分の生み出した文章、作品ですら、古くから伝わる単語、言葉自身が紡ぎ出しているかのような物言いが謙虚でいい。

     そうして過ごした凡そ4か月間。毎日が気付きの連続で、読みながらどんどん付箋紙を貼りつけていって、こりゃえらいことになる!?とちょっと焦った(いつもブックカバーに貼り付けてある付箋紙が足りなくなる!?)。後半、各地に旅に出たりして紀行文的な内容になると前半ほど、言葉や表現を考察したりすることが少なくなり、気楽に読み流せる度が増してちょっとホッとする(その旅程自体は、翻訳作業に関わるものだったり、朗読会関連だったりして、言葉関わる日常であるが)。

     こんなにして、日々言葉とがっぷり四つに組んで出来上がる『雪の練習生』のドイツ語訳。そちらを愉しむ機会が無いのは残念だが、せめて原書(日本語)のほうは、いずれ読んでおこうと思った。

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    2018年10月30日
  • 変愛小説集 日本作家編

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    いくつか読んだことがある作品も収録されていましたが、今までの愛に対する見方を思いっきり揺さぶられる一冊であることは間違いなし。
    どれもこれもお勧め?
    「韋駄天どこまでも」は漢字遊びの要素なので、編者も書いているように翻訳は超絶技巧が必要だなぁ。
    単行本にしか収録されていない作品があるそうなので、単行本も読まねば。

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    2018年07月21日
  • ヒナギクのお茶の場合

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    短編小説が集まったものである。アメリカ風のものが出てくる。タイトルのものは、本人の友人である女性が、舞台美術を仕事としており、疲労のあまり、赤いペンキの上に突っ伏して眠り、それを見た友人が、死亡したと勘違いして自分に連絡してきたという話である。

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    2020年09月15日
  • 犬婿入り

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    芥川賞受賞作品であったがすんなりとはわからない不思議な小説であった。ドイツのことには全く触れられていない。

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    2017年04月27日
  • 言葉と歩く日記

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    ベルリン在住の小説家ということだけかと思っていたら、ドイツ語のことが詳しく書いてあるので、ドイツ語の参考書としても使える。

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    2017年04月22日
  • 尼僧とキューピッドの弓

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    ドイツの田舎町の歴史ある尼僧修道院を訪れた日本人のわたし。そこには様々な人生を送ってきた女性たちが共同生活をしていた。そんな尼僧たちの生活を観察するわたし。しかしわたしに滞在許可を与えた尼僧院長が不在だった。
    透明美、陰休、老桃、火瀬、貴岸。わたしが尼僧たちにつけた呼び名は、その読みを示されておらず非現実感を高めます。しかし彼女たちはしっかりと現実に足を下ろしてそこにいます。
    修道院の尼僧というと人生の全てを宗教に(神に)捧げた人たちなのかと思いましたが、そうとは限らず彼女らの宗教観も様々なものだったのです。それよりは自分の人生をどこかの段階で振り返り、少し方向を変えてみよう高さを変えてみよう歩む速度を変えてみよう、そう思った先に修道院があったのかも知れません。そこで共同生活をすることにより己の考えが純粋化することもあるでしょうし、より複雑化することもあるでしょう。わたしはそんな尼僧たちに彼女らの枠の外から声を投げ掛け、様子を観察します。静的なのに、いや静的だからこそ映像的なそんな面白い感覚がそこにありました。
    そして第二部では失踪した尼僧院長の自伝。いかにして修道院へ入り尼僧院長となったのか。そして何故失踪することになったのかが語られます。第一部では尼僧たちはわたしに語りかけ、わたしがそれを文章化しましたが、ここでは己の言葉で表されています。そこにあるのはひとりの人間の意志。他者に流されたのか自分で選んだのか。自分の意志とは何なのか。さて。

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    2017年04月09日
  • 尼僧とキューピッドの弓

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    尼僧につけられた呼び名の瑞々しさ、僧院内で交わされる言葉の生々しさ。俗世から隔絶された場所という僧院のイメージを覆してくれる。

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    2017年04月05日