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Posted by ブクログ
小説だと思って読みはじめたからか最初は読みにくかった。
小説ということだけど、小説というより多和田さんが散歩をしていて、考えていることをつらつら垂れ流しにしているエッセイという感じで、一緒にベルリンの街を、時空を、思考の中をふらふら歩いている気分になる。
特に最初の方は、言葉遊びが樋口一葉と雰囲気が似ていて川上未映子が好きそうな感じだなと思った。
「別宮、別宮浮かん、別空間」、「おつまず、つままず、つつましく、きつねにつままれ、つまらなくなるまで」
★「シーン」があるのは映画の中だけのことで、現実にはシーンなんてない。切り取ることのできない連続性の中を突っ走っていくだけだ。
★出逢ったかもしれない人たち、親友になったかもしれない人たちで町はいっぱいだ。そのせいか、どんなに気の合う昔からの親友でも、同じくらい気の合う人間は町にたくさんいるのだけれど偶然知り合う機会がなかっただけではないかという疑いが払いきれない。
★家に帰って待っていれば確実に会えるのだが、家ではなく、わたしが辿り着いた遠い場所まで、あの人の方から歩み寄ってほしいのだ。
★「四時に行くわ、とマリアは言った。八時、九時、十時」
Posted by ブクログ
ベルリンに住む「わたし」は「あの人」に会うため町を歩く。勝手に名付けた人びとが語らう黒い喫茶店、ガラス越しにミシンを踏む人の姿が見える帽子屋、子どもの幽霊がお菓子をねだる自然食料品店。待ち合わせを永遠に引き延ばすかのようにさまよう「わたし」の歩みはベルリンの町に折り重なる何層もの歴史の記憶に分け入り、だんだんと浸食されてゆく。
ざっくり言ってしまえば、散歩中の意識の流れを追っただけ、とも言える小説。だが、散歩の合間に目に入ってくる景色と、それにまつわる知識や個人的な思い出、あるいは全然関係ない心配事などが同時多発的に頭のなかをかけめぐる、あの感覚そのものを言語化したような語り口が本当に素晴らしい。
とにかく一文一文のコストが高くて、ふんだんに盛り込まれたマルチリンガルな言葉遊びや、町の通りに名前を付けられた偉人たちとベルリンにまつわるトリビア、移民として暮らす「わたし」の実感などを読むだけで満足感がある。たとえば「果物の話は必ず政治の話につながっていく」という一文を私は心に刻んだ。散歩や普段の会話のなかに、見て見ぬふりをして考えないようにしている事柄が多いことに気付かされる。
実はグーグルマップと対照して読むことができるくらい本当のベルリンに即して書かれてもいるらしい(2017年当時)。大きな観光地はオペラ座くらいしかでてこないけれど、読んでいると「わたし」がたびたび入ってしまう味もサービスもよくない個人経営のカフェや、インスタレーションのようなガラス張りの帽子屋をのぞいてみたくなる。なにより〈歩く〉という行為をこんなに豊かに感じられるようになるまで、いろんな町に行ってあらゆることを学びたくなる。
町の記憶に語りかけ、幽霊たちと共に「わたし」が歩んでいった先に「あの人」が待つことは遂にない。どこに行けば会えるのかはっきりわかっている人と思わぬ場所で再会したい、という願いは叶わぬまま、「わたし」はベルリンという大きな「家」をでて語りから解き放たれてゆく。取り返しのつかない寂寥感と同時に、「春のような」解放感が体を包むラストの一文。物語の行く末を知るためではなく、ただただ〈読む〉ことの快楽をひさしぶりに思い出させてくれた小説だった。
Posted by ブクログ
最近ふとしたことからドイツ語に興味を持ち、特に「名詞に性がある」というドイツ語の特徴になんとなく気になるものを感じていました。とりわけ「ややこしそうな文法ルール」として。
そんな中、個人的に惹きつけられた本書の一場面が、ドイツ語文法に怒りを込めて文句を言うアメリカ人と思われる女性に対し、主人公の「わたし」が
『「性を失った英語の方がよっぽどステューピッドでしょ」と言い返してやりたくなった。』
と心の中で反発する場面でした。
真実がどうかはさておき、「言葉というものには元々性があって、英語はその性を失ってしまった言語なのだ」というものの見方は、自分の中に新しい視点を与えてくれたように思います。
もっと言えば「ややこしそう」というネガティブな印象をも反転させられたと言えるかもしれません。
言葉の中にある引っ掛かりや違和感みたいなものを、独自の視点で掬い上げる感覚はやはり多和田さんならではだなと唸ってしまいます。
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