柴崎友香のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
妻の書棚にあった柴崎友香もの2冊目はこれでした。
『その街の今は』と本書は語り手が1人。『きょうのできごと』は語り手が交互に入れ替わる。『その街の今は』はタイトル通り基本的に場所は移動せず,主人公の日常的な範囲内で収まっている。『きょうのできごと』は大阪に住む人々が京都に引っ越した友人を訪ねる設定。どこか明示はされていないが動物園なども出てきて,関西圏にいくつか舞台を持つ。それに対し,本作は主人公ともう一人の女性の活動範囲が広い。冒頭では東京発新大阪行きの新幹線で,主人公の芽衣と音生(ねお)の2人旅が始まる。3年勤めた会社を辞めた芽衣と,東京で恋人の二股が発覚して別れてきた音生の感傷ツアーってことだ。突然トルコに出かけることになった2人。旅の途中で仲違いしてしまうのに,帰ってくるとその足で徳島の温泉に移動し,そこで長期滞在をする。そして,また急に思い立って石垣島まで辿り着く。
まあ,それだけでも柴崎氏の作品としては大きな出来事の連続なのだが,ある意味では相変わらずドラマティックな展開はなく,淡々と物語は進む。ある意味で,これら3作品で作品中舞台の空間スケールが異なっているのは,地理学を専攻していたという作者のこだわりだろうか。トルコ旅行における主人公の視点も単なる観光客目線とは違ったものを感じます。
そして,今回も文庫版なので,解説文がついています。今度は長嶋 有という人物の解説だが,『きょうのできごと』の保坂和志氏の解説文が気に入ったらしく,勝手に続編にしていて,タイトルは「ジャームッシュ以降の作家・その2」と題された。そして,長嶋氏は次の人にもバトンをつなげたいとこの文章を結ぶ。この解説文でも非常に的を射たことが書かれていた。それは,私の『きょうのできごと』の読書日記とも相通じるし,私の研究活動の意義にも類似している。というのは,作者が解説者とのインタビューでの一言を引用して次のように書いていることだ。「これから世界がどんどん(閉塞した)管理社会になっていくとか,そういうことを(私は)信じていない」という発言だ。そして,長嶋氏もそれにひどく同意する。簡単にいうと社会に対する楽観主義だが,驚くべきことに文学の世界でもそうした楽観主義はあまり受け入れられないと長嶋氏は主張している。同じことは学問でも,特に私が属していると考える人文・社会科学で特に似たような風潮を感じるのだ。近年顕著になっている政治的な問題や社会的な問題を取り上げ,ユーモアなど排除して,文彩も排除して論文を書くのが研究者だと,そんな風潮があるように思う。でも,実はそれは間違いで,ヨーロッパの難民を研究している人や日本の日雇い労働者の研究をしている人は私と同様に,なかなか就職できないでいる。結局,大学側が要求しているのはなににつけても社会に波風立てないような知的刺激がほとんどないような研究者なのだろうか。まあ,それにしても読む人が読めば上の例は具体的な地理学者のことを書いているのがバレバレなのだが,彼らは少なくとも出版界からはある程度必要とされている。それに対して,私のような研究は全く必要とされているように思われない。メディアを研究していても最新のものでもないし,思想ぶった文章を書いていても,それは1970年代くらいの思想家で最新でもない。自分では政治的な批判を込めているつもりだが,それは決して分かりやすいものではない。むしろ,何気なくやりすごしてしまうようなもののなかに,批判すべき社会の本質が潜んでいるのではないかと,しかも一方ではそういう作品は地味に楽しむことができるような。
なんか,書いていて自分だけにしか分からないような内容になってきたので,この辺にしましょう。 -
Posted by ブクログ
ネタバレぼんやりとただ文字を追うだけで読んでしまうタイプの人は、この作品が味気ないように感じるかもしれない。
事件は何も起こらないし、何よりオチがよくわからない。
日常のワンシーンを切り取ってきたような話だから、例えば登場人物たちの全く別の日を描いてもきっと成立してしまう。
だからこそ、面白いんだと思う。
私たちの生活は、期待するほどの事件は起こらない。朝起きて会社やら学校やら行って、ちょっと嫌なことがあればイライラして、面白いことがあれば笑って、美味しいものを食べて満たされて夜は眠り、週末は出かける。
作品は、まさにそんな感じ。
場面や人物は違うけど、まるで自分もそこにいるような錯覚。
で、この作者柴崎友香さんは、とにかく色づかいが綺麗。白い紙に綴られた黒い文字から、鮮やかな世界がもくもく舞ってくる。
主人公目線で話はすすむのだけど、時折別の人物視点に切り替わるのも巧い。あ、こんなふうに見えてるんだ、と。
本作は3編の話で出来ている。あたたかい関西弁ですすむ物語、やはり私は表題作の女の子限定カフェの場面が好き。
他愛ない会話の連続。
なんとなくぼわぼわ生きてる日常が、実は面白いしみどころあるんじゃん、と改めて気づかされる、きらきらした物語。 -
Posted by ブクログ
午後と夕方の中間ぐらいの時間、品川の港南口で、ミーティングが終わり、少々時間が空いたので、品川埠頭の方に向かって歩いてみた。東京新聞の配送センターを通り過ぎ、旧海岸通りを抜けて、吉田修一の東京湾景にも出てくる御楯橋を超えて歩いた。途中、サラリーマンや作業着の人にまじって、インド人の主婦が数人子どもをつれて歩いていた。
その日は、風が弱く、春めいていたが、海に近いせいか、少し肌寒さを感じた。東京海洋大学のキャンパスを右に見ながら、人どおりの少ない道がゆるやかに蛇行し、海岸通りに合流するように歩き続けた。海岸通り沿いに歩くと、頭上にはモノレールが走っている。モノレールの姿は、歩行者には直接には見えにくいが、道沿いのビルに列車の影が映り、ごうごうという通過音だけが定期的に続いた。
芝浦運河を左に見ながら、倉庫街をしばらく歩いた。汚泥処理場を横に見ながら、五色橋を渡りかけていると、左の風景の左上の方からモノレールが少々陽の翳ってきた青空を斜めに切るように通り抜けて、運河沿いの建物の中に消えていった。しばらく、その風景に見とれてしまった。無機的な背景の中を、無機的な機械が走り抜けていく風景に、東京というものを感じた。
こんな場所を平日の午後に、目的もなく歩く人などはなく、1時間近く散歩したが、すれ違う歩行者も少なかった。倉庫街のトラックの運転席から聞こえる、70年代のディスコサウンドが、奇妙にその場の空気にフィットしていた。
デジタルカメラでも持ってくるんだったなあと本当に思った。
東京という空間のいまを、言葉で、しっかりと囲い込んでみたいと思う。
その思いは、東京というものが、描かれている小説や映画への尋常じゃないぼくの執着の原因でもあるようだ。
柴崎友香という若い(といっても30代だが)大阪の作家がいる。保坂和志がその小説論でほめていたので、読み始めた。映画化された「きょうのできごと」や「ショートカット」や「フルタイムライフ」などで、大学生からOLになっていく、女性の普通の生活空間を精緻に描いている。できごとらしいできごとが起こるよりは、主人公たちが触れる、人々との繊細なコミュニケーションの仕草や、空間の描写につかるのがとても気持ちの良い小説だ。
台本が透けて見えて、それに向かって、猛然と読み飛ばしていける小説ではない。細部につっかりながら読むことになるので、本の厚さのわりには読むの時間がかかる。
彼女の「ショートカット」という遠距離恋愛についての短編集を読んだ。関西にいる女の子が、東京にいる男の子に会いたいと思う話が中心だ。
そんな関西人の柴崎さんが、東京の原宿を描写している。東京に住んでいる、土地勘のある作家なら、その近辺のビルの名前や、店の名前という固有名詞に逃げ込んでしまうところでも、土地勘のない作者、そして土地勘のない主人公の目にうつる原宿は、そういった使い古しの固有名詞に汚されていない分、読みにくいが、新鮮だった。
《「表参道、行きたいな」
全然動かない祐次くんに向かって、そう言ってみた。自分の言葉が聞こえた瞬間に、わたしは表参道に行ける、と思った。
急に目の前が開けて、夏休みの原宿駅前のすごく沢山の人にたじろぎそうになった。だけど、わたしはどっちに向かって歩けばいいのか、はっきりわかっていた。なかちゃんの説明を覚えていたから。
四時半を少し過ぎたところで、傾いた太陽はまだまだ勢いがあって、これ以上ないくらいの都会の真夏の暑さだった。右を向いてまっすぐ歩くとすぐに広い道に出たので、左に曲がった。何斜線もあるまっすぐな道路がのびていて、それが表参道だとわかった。道はしばらく下り坂で、その先に見える交差点の向こうからまた上り坂になるようで、人の頭がびっしりと道を埋め尽くしているのを一目で見渡すことができた。歩道には、なかちゃんの言っていた大阪では見ることのない大きさの街路樹が、一定の間隔で並んでいた。空気が緑色、と言っていたなかちゃんの言葉は本当だと思った。街路樹から伸びた緑の枝葉が、遥かに高いところでわたしたちの頭の上を覆っていて、緑色の影をその下に作っていた。・・・
わたしの歩いていく方向の信号は赤で、大勢の人が立ち止まって信号を待っていた。右側を見ると信号は青で、数え切れない人が横断歩道を渡っていて、そのぞろぞろした足の動きはみんなで二人三脚をしているみたいに、楽しそうに見えた。わたしの周りで立ち止まっている人も、これからどこに行くかなにを買うかそれから今日あったことなんかをそれぞれに話していて、とてもにぎやかだった。》
良い小説というのは、紋切り型のストーリーや固有名詞に逃げ込むことなく、登場人物をとりまく空間と、彼らの関係性や、登場人物たちのコミュニケーションの繊細さをいまいちどそこに現出させているものなのだろうと思う。でもそういった小説は、難解な言葉を使っていなくても、読み飛ばせないものが多い。
彼の小説よりも、小説論の方が面白い保坂和志の影響をいま受けているぼくはそんなことを思って、自分が歩いている周りを観察している。 -
Posted by ブクログ
柴田元幸のカズオ・イシグロへのインタビューの中で、イシグロがこういう不思議なコメントをしていた。
「ええ、ちょっと聞くと侮辱に聞こえるかもしれませんね。我々はみな執事だなんていう言い方は。私が言おうとしていたのは、ある種の倫理的な、さらには政治的な次元では、それが我々の大半にとって人生の現実ではないかということです。
(中略)
でも大半の人間は、これは私自身も含めて言っているのですが、要するに何をしているかというと、自分の仕事をきちんと果たすよう学んでいくのだと思います。それが自分の人生に望める最大のことだいう場合も多いんじゃないでしょうか。なんらかの技術を身につけ、マスターする。そのささやかな貢献を、もっと何か大きな存在にー会社とか、あるいは一人の人物、上司に、または政治上の主義に、国家にー捧げるわけです。
そして個人としてはあくまで、めいめいささやかな仕事に専念し、精一杯きちんとやろうと努める。そのささやかな仕事をきちんとできるんだということから、プライド、尊厳といった思いを得るのです。そしてそれを、上にいる人に捧げて、上にいるその誰かが良い形で利用してくれることを願う。でも多くの場合、自分の貢献がどのように利用されるかについては、責任を放棄するわけです。」
執事が主人公のRemain of the dayについてのコメントだった。
でも、なぜか、読後に、身体の隅に残っている。どんなに自由そうに見えても、皆、誰かの執事なのだ。社員は上司の、上司はそのまた上司や顧客の、社長は株主の、株主の機関投資家はそのまた先の個人と、執事のチェーンはぐるぐると廻っている。そして、ぼくたちが感じる疲労感の原因のかなりの部分が、誰かのための人生ということから生じている。しかし、そこから、完全に逃れたところに完全な人生が見つかるわけでもない。
誰かのために、働きはじめることを、明確に意識するのが、新入社員になった時だ。もう自分が新入社員だった時のことなど忘れてしまっていた。
保坂和志がどこかで褒めていたので、思わず買った、柴崎友香の「フルタイムライフ」(マガジンハウス)が面白かった。
忘れていた新入社員時代の気分や雰囲気のようなものを思い出させてくれる。
主人公は22歳。美術大学のデザイン科を卒業し、食品の包装をする機械を製造している大阪の会社に入社した。彼女の10ヶ月をたんたんと描いている。
絵を描いたり洋服とか小物を作るのが好きだったので、単純に好きなことをずっとやれたら楽しいだろうと思って美術系の大学のデザイン科に入った。だけど、実際にそこで勉強するうちに、自分にはこういう仕事はできないと思うようになった。デザイナーとか絵を書いてやっていける人と、自分は違う。才能っていうことも大きかったけれど、それよりもまず行動力というか、実際に卒業して創作をするような仕事ができる人は、大学にいるあいだからどんどん個展やイベントをやったりコンテストで賞を取ったり雑貨屋で作品を売ったりしていて、わたしはそんな人の活動を見るたびにすごいなあと感心する側で、ぼんやりしているうちに気がついたら置いていかれることが多かった。」
社内報制作担当などといっているうちに、当然ながら、多くの雑用や日常業務が押し寄せていく。主人公は、その状況を否定するわけではなく、若干の好奇心と諦念のようなものでゆるやかに受け入れていく。友達と共同で、デザインのバイトをやったり、好きな男の子にさらさらと振られたりと穏やかに日常が流れていく。そして仕事上でつきあう、ウェブデザイナーの友人にちょっとした恥ずかしさを感じたりする。
「印刷機の都合で、縮小コピーしたイラストを鋏で切って糊で貼って作っているような社内報は、きっとかおりちゃんが想像しているのとは違っている。そういう作業も嫌いではくてどっちかというと楽しいのだけど、今、実際にデザインの勉強を生かした仕事をしているかおりちゃんには見せたくないと思っている自分に気がついていた。」
ゆっくり、ゆっくりと日常に馴染んでいく中で、彼女が見せるこういう視線が魅力的だ。これは新入社員だった頃の僕が見た風景を思い出させてくれるような気がした。社内報の慶弔欄の情報がファックスで送られてくるこんなシーン。
「そこには画数の多い名字の人のお母さんが先週98歳で亡くなった、その葬儀の場所や日時のお知らせが書いてあった。長生きやったんやなと思って窓の外を見上げると、八月の午前中のとても深い青色の空があって、外はほんの何分かでも出たくない暑さななのに、カーディガンを羽織っても寒いときもある事務所の中にいると、それは冷たい水を思い出すようなほんとうに深くて涼しい色だった。」
リストラ、営業会議、そういった日常が淡々と流れていく。そういった男の社会である企業の中で、一定の諦念を持ちながら、たんたんとまじめに生きていくOLたちのフルタイムライフが、リアルで、とてもいとおしい。そして、皆が誰かのために働いている企業というものが切なく、苦しく、しかし、かけがえのないものに思えた。