著者の芥川賞作品『春の庭』はちょっと気になっていたけど、海外にいた頃で手に取るタイミングを逸した。
その『春の庭』でも、かつてその場所に生きた人たちの時間が積み重なった街と、今そこに生きる人間の関係を描いてきた著者。
「人は自分の記憶や経験だけでなく、他者の記憶や経験をも生きているものだと思います
...続きを読む」と、とあるインタビューで語っている。
そもそも、読書というのも、文字を通して他人の人生を生きるモノでもあり、作品の登場人物と時を過ごす楽しみがある。
本書はそうした他人の人生の何十年もの営みが、サラリと手短に33篇も収録されていて面白い。面白いといっても、個々の人生が面白いわけでなく、実になんてことない、ごくありふれた日常が多い。なんでもない時間の積み重ねこそ人生だと言わんばかりに。
200頁に満たない中に33篇だ。長いもので数ページ、短いものは3ページほど。その中に、10年単位の物語・・・ というか、時の流れが記されている。
さらにご丁寧に、各作品に、その要約とでもいうようなタイトルが付けられている。
「一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下の植え込みできのこを発見し、卒業して二年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話」
「商店街のメニュー図解を並べた古びた喫茶店は、店主が学生時代に通ったジャズ喫茶を理想として開店し、三十年近く営業して閉店した」
タイトルで書かれているとおりに物語は展開し、とくに大きな展開も、予想外の結末も待ってはいない。ただそこに過ぎ去った時間の記憶だけが記されている。
最初の数作を読んでいるうちは、なんだか味気ない話ばかりだなと思ってページを繰っていた。あるいは、それぞれのお話がどこかで有機的にリンクしている、昨今ありがちなギミックでも凝らしているタイプかとも思ったがそうでもない。
徐々に気づくが、淡々とした物語こそ人生なんだな、と思わされる。というか、目を見張るような起承転結がなくても、人の一生は形作られていくものだと、思わされる。
こんなタイトルの作品もある。
「二人は毎月名画座に通い、映画館に行く前には必ず近くのラーメン屋でラーメンと餃子とチャーハンを食べ、あるとき映画の中に一人とそっくりな人物が映っているのを観た」
うちの夫婦だって
「二人は毎週地元の映画館に通い、映画を観た後は必ず作品の舞台にちなんだ料理を食べ、・・・・」
と、この作品のような一遍が出来上がるかもしれない。いや、出来上がるのだろう。
人生って、そんなもの。
いや、そんな人生も、どれもが尊い、ということなのかもしれない。
著者は大阪生まれだ。地下街の噴水の話が二篇あった。どちらも梅田の地下街のことだろう。既視感のある風景、行きかう人の様子が懐かしい。
また、
「言うたらあかんで、って言われるから、言うたらあかんで」
という関西弁あるあるの表現もクスリとさせられる。