柴崎友香のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2020年3月から始まり2022年2月までの物語。ちょうどコロナ禍の話。
タイトルはポーランドの詩人の「終わりと始まり」という詩集からきているらしい。
1995年の阪神淡路大震災や2011年の東日本大震災の頃を回想しつつ、コロナ禍の現在を生きている主人公は3人。
3人共ある意味普通の人達なので、自分自身と比較しやすい。震災の時に募金はしたけれど、ボランティアには行かなかった事の罪悪感とか、どんな時でも「自分よりも大変な人がいる」と思ってしまう感覚。
災害が起こると感じる、「安全な場所で『情報』を見ている」という言葉が一番刺さったかも。
『戦争が終わるたびに
誰かが後片付けをしなけれなばならない
物事がひとりでに
片づいてくれるわけではないのだから』
今ウクライナで起きている戦争は、まだ終わってもいないけれど。
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Posted by ブクログ
⚫︎感想
一件家、アパート、空き家、庭など、さまざまな種類の住まいを通して、1人の人間が生きるとは?に思いを馳せることができた。生活をする中で、一つ一つの出来事は些細なんだけれども、その些細なことの積み重ねで生活ができあがる。その些細なことのなかには、偶然がもたらす人間関係だったり、自分ではコントロールできないものがあったりする。
諸行無常を思わせる作品だった。語りは優しいが、ドキっとすることも起きたりで、一気に読めた。好きなタイプのお話だった。
⚫︎あらすじ(本概要)
東京・世田谷の取り壊し間近のアパートに住む太郎は、住人の女と知り合う。彼女は隣に建つ「水色の家」に、異様な関心を示していた。街に積み重なる時間の中で、彼らが見つけたものとは―第151回芥川賞に輝く表題作に、「糸」「見えない」「出かける準備」の三篇を加え、作家の揺るぎない才能を示した小説集 -
Posted by ブクログ
ネタバレ・単行本では33。文庫で1増補。文庫解説=深緑野分
・公式HPが充実。後藤正文による書評「百年後の誰かも読む本」。作者と柴田元幸の対談「響きあう時間と場所と誰かの記憶」。
・読みながら思った……ある場所で、時間が流れる、何事の不思議なけれど。で検索してみたら、北原白秋「薔薇二曲」だった。〈一//薔薇ノ木ニ/薔薇ノ花サク。//ナニゴトノ不思議ナケレド。//二//薔薇ノ花。/ナニゴトノ不思議ナケレド。/照リ極マレバ木ヨリコボルル。/光コボルル。〉
・あるいは各話の章題から、飯田茂実「一文物語集」を少し連想した。といって「一文物語集」はそれ自体で完結しているので、拡大すればこうなるというものでもない。
・単語<タイトル<俳句<章題や小見出し<文章、などと量的な差があるとして、まとめたり伸ばしたりすると質が変わる、ということがある。本作では章題と内容のズレも面白い。ただのあらすじではないのだ。
・そういえばセルバンテス「ドン・キホーテ」とかでもやってたな。と思っていたら、柴田元幸さん曰く近代以前の文芸には結構あることらしい。
・また作者が、昔話や民話も意識していたらしい。岸政彦編「東京の生活史」から人間臭さを抜いたような……いやあれを脱臭すると生活史ではなくなってしまうか。うまくいえないが通じるものがあると思った。
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目次
●一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して二年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話
●角のたばこ屋は藤に覆われていて毎年見事な花が咲いたが、よく見るとそれは二本の藤が絡まり合っていて、一つはある日家の前に置かれていたということを、今は誰も知らない
●逃げて入り江にたどり着いた男は少年と老人に助けられ、戦争が終わってからもその集落に住み続けたが、ほとんど少年としか話さなかった
●〈娘の話 1〉
●駅のコンコースに噴水があったころ、男は一日中そこにいて、パーカと呼ばれていて、知らない女にいきなり怒られた
●大根の穫れない町で暮らす大根が好きなわたしは大根の栽培を試み、近所の人たちに大根料理をふるまうようになって、大根の物語を考えた
●たまたま降りた駅で引っ越し先を決め、商店街の酒屋で働き、配達先の女と知り合い、女がいなくなって引っ越し、別の町に住み着いた男の話
●小さな駅の近くの小さな家の前で、学校をさぼった中学生が三人、駅のほうを眺めていて、十年が経った
●〈ファミリーツリー 1〉
●ラーメン屋「未来軒」は、長い間そこにあって、その間に周囲の店がなくなったり、マンションが建ったりして、人が去り、人がやってきた
●戦争が始まった報せをラジオで知った女のところに、親戚の女と子どもが避難してきていっしょに暮らし、戦争が終わって街へ帰っていき、内戦が始まった
●埠頭からいくつも行き交っていた大型フェリーはすべて廃止になり、ターミナルは放置されて長い時間が経ったが、一人の裕福な投資家がリゾートホテルを建て、たくさんの人たちが宇宙へ行く新型航空機を眺めた
●銭湯を営む家の男たちは皆「正」という漢字が名前につけられていてそれを誰がいつ決めたのか誰も知らなかった
●〈娘の話 2〉
●二人は毎月名画座に通い、映画館に行く前には必ず近くのラーメン屋でラーメンと餃子とチャーハンを食べ、あるとき映画の中に一人とそっくりな人物が映っているのを観た
●二階の窓から土手が眺められた川は台風の影響で増水して決壊しそうになったが、その家ができたころにはあたりには田畑しかなく、もっと昔には人間も来なかった
●「セカンドハンド」というストレートな名前の中古品店で、アビーは日本語の漫画と小説を見つけ、日本語が読める同級生に見せたら小説の最後のページにあるメモ書きはラブレターだと言われた
●アパート一階の住人は暮らし始めて二年経って毎日同じ時間に路地を通る猫に気がつき、行く先を追ってみると、猫が入っていった空き家は、住人が引っ越して来た頃にはまだ空き家ではなかった
●その人には見えている場所を見てみたいって思うんです、一度行ったことがあるのに道がわからなくなってしまった場所とか、ある時だけ入口が開いて行くことができる場所のことを考えるのが好きで、誰かが覚えている場所にもどこかに道があるんじゃないかって、と彼は言った [文庫に増補!]
●〈ファミリーツリー 2〉
●水島は交通事故に遭い、しばらく入院していたが後遺症もなく、事故の記憶も薄れかけてきた七年後に出張先の東京で、事故を起こした車を運転していた横田を見かけた
●商店街のメニュー図解を並べた古びた喫茶店は、店主が学生時代に通ったジャズ喫茶を理想として開店し、三十年近く営業して閉店した
●兄弟は仲がいいと言われて育ち、兄は勉強をするために街を出て、弟はギターを弾き始めて有名になり、兄は居酒屋のテレビで弟を見た
●屋上にある部屋を探して住んだ山本は、また別の屋上やバルコニーの広い部屋に移り住み、また別の部屋に移り、女がいたこともあったし、隣人と話したこともあった
●〈娘の話 3〉
●国際空港には出発を待つ女学生たちがいて、子供を連れた夫婦がいて、父親に見送られる娘がいて、国際空港になる前にもそこから飛行機で飛び立った男がいた
●バスに乗って砂漠に行った姉は携帯が通じたので砂漠の写真を妹に送り、妹は以前訪れた砂漠のことを考えた
●雪が積もらない町にある日大雪が降り続き、家を抜け出した子供は公園で黒い犬を見かけ、その直後に同級生から名前を呼ばれた
●地下街にはたいてい噴水が数多くあり、その地下の噴水広場は待ち合わせ場所で、何十年前も、数年後も、誰かが誰かを待っていた
●〈ファミリーツリー 3〉
●近藤はテレビばかり見ていて、テレビで宇宙飛行士を見て宇宙飛行士になることにして、月へ行った
●初めて列車が走ったとき、祖母の祖父は羊を飼っていて、彼の妻は毛糸を紡いでいて、ある日からようやく話をするようになった
●雑居ビルの一階には小さな店がいくつも入っていて、いちばん奥でカフェを始めた女は占い師に輝かしい未来を予言された
●解体する建物の奥に何十年も手つかずのままの部屋があり、そこに残されていた誰かの原稿を売りに行ったが金にはならなかった
解説=深緑野分 -
Posted by ブクログ
装丁が心にストライクで、古本屋で出会った1冊。
なんで古本屋さんで出会うと、こんなにもご縁感じちゃうんだろう。不思議。
ほんと価値観って人それぞれだし、本来誰かと比較するもんでもないよなぁ。
なんで自分が思う当たり前を、振りかざしてしまうんだろう。他人にも、自分にも。
人生1回しかない。
と思いつつ、この本の評価が低めなのを見てちょっとガッカリしている自分がいる。
自分がいいと思った本に高評価がついていたらちょっと安心しちゃうし、逆だったらちょっとがっかりしてしまう。
「普通」でいたいという、マイノリティから外れたくないという思いは、無意識的にあるんだろうな。
意見が別れて当たり前のものですら、少しそう思ってしまうんだから、人生「普通」の壁の連続じゃないか。
別にいいじゃないか。私はいいと思った。
それでいいはずだ。自信を持て、自分。
意識していなくても、色んな意見が目に飛び込んでくるから、自分がどう思っているのか、自分の声にしっかり耳をすませなきゃなと思った。 -
Posted by ブクログ
大阪が舞台の話なので会話が関西弁で、同じ関西に住んでる私にはすごく自然に頭の中へ入ってくるので、めっちゃ読みやすかった。
私も去年あたりから自分の住んでる、よく知ってる場所の昔の写真やらYouTubeに転がってる昔の映像やらを見るのにハマったので、主人公の歌ちゃんの気持ちにとても共感した。私は京都で育って今も京都に住んでるから、京都は昔も今もそんなに変わらないことを知って、すごく不思議な気持ちになった。お寺なども変わってないし、見覚えのある建物も沢山あったし、車や人々のファッションなどが違うだけで、ほとんど同じような景色を見ながら現代とそんなに変わらない暮らしをしていたのかなぁ〜って思った。昔から沢山の人が同じ景色を見てきたんだと思うと妙な気持ちにもなる。
この本自体も平成18年、つまり2006年に発行されたものだから(私は元号より西暦のほうが分かる世代)、またその時と比べて大阪の街並みも変わってるかも。2006年は私もまだピカピカの小学1年生だったので、心斎橋にソニータワーというビルがあったこともこの本を読んで初めて知った。検索してみるとすごくかっこいい姿だった。今はもうとっくに解体されてしまい実物を見れないのがとても残念。読んでると頭の中で懐かしい平成の雰囲気が蘇ってきたのも面白かった。
最近、京都でも老朽化などであちこちが変わっていく姿を目の当たりにしてちょっぴり寂しい気持ちになってたので、この小説を読んでより何気ない普段の街並みも愛おしく感じたし、私も積極的に写真に残そうと思った。もしかしたら未来の人たちが今の街並みの写真を見て、歌ちゃんや私と同じような気持ちになったりするのかもしれない。