柴崎友香のレビュー一覧
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確かに、ここには私がいる。
しかしそれは、共感という名の、自己愛に満ちた思いの表明ではない。
自画像を突きつけられたときの少しばかりの居心地悪さに近いだろうか。
深煎りのコーヒーを口に運び、苦味と共に微かにざらつきが舌に残る。
声高な社会への違和感と、それに目を伏せるだけの日々。
空き地を見ても何が建っていたかすら思い出せない不安。
まだ恵まれている方だよなと、いう思いが浮かんでしまう自己嫌悪。
真っ当に生きていると思う一方で、社会の“普通”の枠から疎外され、帰属感を持てないこと。
誰かを傷つけた罪悪感を、誰かに癒して欲しいこと。
「終わり」も「始まり」も掴めないまま、続きを生きることしかできない僕は、何かを始めていけるのだろうか。
ベルリンの壁が打ち壊される映像に釘付けだった中学生のときのようには、僕もまた、世の中がいつか素晴らしくなるだろうとは、もう思えなくなってしまったけれども。
作中では二つの震災後が回想として描写される。
津波に押し流された石巻を訪れたとき。
“ダウンジャケットを着込み、ニット帽を目深に被ったその人は、どんな人か遠目からはわからなかった。どんどん歩いて行く犬に引っ張られて、だんだんと夕闇が迫るその場所を、まっすぐに歩いていた。
どこを通ることもできそうだと、ここに何があったのかを知りもしない自分には見える場所で、車も、人も、道を通っていた。
犬は、どんどん道を歩いていった。
静かだった。
何もかもが変わってしまったその場所で、犬は変わる前と同じ道を散歩していた。たぶん、毎日。
悲しいと感じたのか怖いと感じたのか、もっと別の感情だったのか、いまだにわからない。”
神戸の街を六甲山から眺めたとき。
“「わたしがここ初めて来たんやったとしたら、この景色はどんなふうに見えるんやろうなぁ、
って。
穏やかな海が見える、きれいな街やなあ、ただそういうふうに見えるやろか。
それか、あれからもずっと働いてたり、住んでたりしてたら、毎日見続けてたら自分が生活してる、暮らしてる街として馴染んでいって、そういう風景に見えてたかもしれへん。
二十年以上経ったなんて、信じられへんけど、その間にあったたできごとは全部確かにあったことで、上の子は二十歳になるし、母は死んだし、私は四十四歳で、どの人にもどの場所にも、同じだけ時間が過ぎて、それは消えない”
始まりはすべて
続きにすぎない
そして出来事の書はいつも
途中のページが開けられている
失なっても、残るものがある。
目に見えなくても、消えないものがある。
忘れてしまっても、色褪せてしまっても、僕を作ってきたものは確かに存在する。
引用された詩にあるように、続きの日々を新しく生きていくこと。
決して派手でも、目新しいわけでもないが、虚しく希望のない時代の中でも、日々を歩むことは、何かを作り出すことだと信じて。
終わらせてはいけないものに耳を澄ませて。
まだ始まらないものの胎動に目を凝らしながら。
今への違和感に向き合って、こだわりながら。 -
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こんな心地よい平熱があるのかー
自分の人生において、覚えていようがいまいが1ミリも支障のない些細なシーンなのに、なぜか何年たっても頭から離れないことや、自分以外は誰も覚えていないけど自分だけがひっそりと覚えている友達とのやりとり、みたいなもの。そんな場面を詰め込んだような短編集です。
基本は平熱です。ずっと平熱。最後の一行でどんでん返しがある?ある?ある?、、、やっぱない、みたいな。あえてラストの数行を手で隠しながら読んだりしましたが、そこには常に平熱しかありませんでした。これはけして「つまらない」と言っているのではありません。こんなに心地良い平熱があるのかと不思議な読後感です。派手な盛り上がりはないですがぐいぐいと惹き込まれます。
どんでん返しもないうえに、なんなら各話のタイトルが内容をそのまんま語ってしまっています。ゆえにタイトルとしては長い文言になっていて、著者自ら先にネタバラシをしてしまっている構造も含め、ある意味とても挑戦的だと感じました。「ラーメン屋「未来軒」は、長い間そこにあって、その間に周囲の店がなくなったり、マンションが建ったりして、人が去り、人がやってきた」というタイトルの話は、本当にこのタイトルのまんま展開していくのです。それが分かったうえで面白く、満足な読後感があります。
岸政彦さんとの共著「大阪」を読んだときも思ったけど、柴崎さんは街を描くのが本当にうまい。時代や場所の指定はないし、細密な説明もないけど、みんなが思い浮かべる「こんな街」「あんな場所」をするりと自然に想起させます。肩の力が抜けた作風ではあるけれど、実は丁寧に表現してるのかなあ。
街の表現の豊かさと対照的に、人間関係はかなりあっさりと書かれています。あっさりと書かれていることで、呼んでいるこちらに行間の熱を想像させてくれます。街の表現と人の表現、両者の手触りの差がおもしろい。感触の違うものが一つのストーリーに混在していて独特のノリを感じます。柔らかい牛皮にカリッとした胡桃が混ぜ込まれた、くるみゆべし食べてるみたいな感覚だな、と思いました。
書かれているのは場所、人との関わり、時間の経過です。環境と人と時代は切っても切れません。無関係ではいられず、当たり前に作用しあってしまうものなんだと改めて気づかせてくれます。
世代や国をこえて、思いが受け継がれていく様が描かれます。一緒に過ごしたあの夏を、戦争をはさんで別々の国で思う。親がすごした家のことを、子供が思う。祖母の育てた大根を、移住した先の国で孫が栽培する、、、、短編だからこそ、限られたページの中で時間の経過が際立ちます。読み終わって本を閉じ、この本のタイトル「百年と一日」に立ち返ったときに、時間の流れについてボーっと考えてしまいました。各話は物語として、終わりがあるからもちろん終わるんだけども、現実がそうであるように、このストーリーもページの外へ続いていくし、描かれていない「これまで」があるんだろうと、、、
久しぶりに「フィクションの効能」というものを感じた気がします。物語が、記憶のどこかにしまわれていたあの街・あの人を読者に想起させて、ページをめくる手をとめてしばし追想・夢想させる。これこそフィクションがなせる技で、現実からしばし離れてイメージの世界へ意識を飛ばし、その間、人はリラックスできる時間を得られる。百年を一日に、一日を百年に感じさせるような、フィクションの力を感じられた読書タイムになりました。 -
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気づかずに忘れていたあの日々のこと、空気と、少しずつ降り積もっていった気持ちたち。
楽しいことはすべて制限されるのに仕事だけが通常モードになろうとする、働くだけの存在になれってこと?
とか、
まんぼう
とか、
⚫︎度目の緊急事態宣言
とか、
また営業時間が変わるだけ
とか、
え、これでもやるの?なオリンピック
とか、
自宅待機
とか、
Go travelとか。
いくつかの並行世界が、なんとなく同じところで繰り広げられてるように見えていた世界が、
やっぱり並行世界は並行世界だったんだと気付かされるような出来事の数々。
もっとさかのぼって、東日本だったり阪神淡路だったり
でもこの後だってたくさん更新されてしまってることたち
どれもその瞬間その日々は影響を受けて少しずつ削られてすり減って
なのに慣れてしまっていつしか忘れてしまう
優子が毎日川の見え方を確認する行為は、
自分自身の確認とともに、自分自身へのエールでもあったのかも。
でもほんとうに毎日は、このような些細なエールで築き上げられている -
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20代、30代の頃はミナミでよく遊んだ。ホームグラウンドだった。梅田にはないバタ臭さとごった煮感が自分の肌感覚に合っていた。あらゆる道を歩いて知らない路地はなかった。働いたお金は大体洋服か友人、彼女とのご飯代に変わっていった。居酒屋、バー、カフェ、立ち飲み、レストランが好きで新しいお店を開拓しては仲間と語らいバカみたいに飲んで朝方始発で帰るような生活をよくしていた。大阪を読んでいるとまんま自分と同じ生活を感じて同じような感覚で街を捉えている2人の体験が綴られていて夢中で一気に読んでしまった。自分があの頃に感じていたミナミと今のミナミは同じで違う存在なんだなと改めて突きつけられた。
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岸政彦さんと柴崎友香さんによる、大阪に纏わるエッセイが交互に展開される。岸さんは上新庄に住まわれていて淀川河川敷の話などあり、私も淀川沿いの大学で、社会人になってから1年半ほど上新庄に住んでいたので同意するエピソードが多々あった。柴崎さんは1973年生まれということで、私は1972年なのでほぼ同世代。中学校の頃の「4時ですよーだ」など2丁目劇場や、ミニシアター系、音楽の話題など同じような感じ。最近の小中高生がどんな感じかよくわからないけど、昔の方が無駄があったというか、時間がゆっくりだったような気はする。そんな以前の大阪をロマンティックに書かれていないところが、貴重な記録というか自分にも近い当時の思い出が再現されていて大切にしたい本だと感じた。
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上京物語は掃いて棄てる程あるが、下阪(なんて表現はないが都に住む以外が全て下るのであるならば)物語は中々ない。大阪ですらそうなのだから他の各地では尚更だろう。
最近の「移住しました」系のYouTubeともどこか似て非なる、進学就職を機に移り住み、そのまま居着いてしまった人達の中の一定数には、その居着いた土地に対して染まらない染めれない感情と、一方で愛したい愛されたい感情が相反して内在している。
他所から大阪に移り住んだ、という点では岸氏と立場を同じくするが、自分は故郷を棄ててしまった訳ではない。故郷忘れじ、という点では柴崎氏と同じである。愛惜ある土地が複数ある事は幸せな事、と思う。
「大阪の生活史」を益々読みたくなって来た。
喜久屋書店阿倍野店にて購入。 -
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石原優子、小坂圭太郎、柳本れい。
この3人の2020年から2022年までの日々や思いがそれぞれ記された小説。1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東北大震災、そして2020年からのコロナ禍。生活も考え方も変わらざるをえない出来事のなかで、どう生活をしなにを考えてきたのか。三人三様なのだけれど、細かく表現されていて、読みごたえがあった。共感することも多かった。「じわじわと。自分が削り取られていく感じ」とか。深く考えてしまうと、人と話すのは本当に難しく思えた。「わたしは、なにを言って、なにをしてきたか。わかっているのだろうか。」ということも、自分に当てはめて考えた。捉え方は人それぞれだから、普通に話すことは難しいと改めて思った。
「始まりはすべて
続きにすぎない
そして出来事の書はいつも
途中のページが開けられている」
このシンボルスカの詩の一部分が、表現していることが今日も続いているんだな、と思った。柴崎友香さんの他作品も、これから読んでいきたい。 -
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ネタバレ主人公の置かれているその瞬間の情景と空気感を文章で伝えられる珍しいタイプの作家だと思います。
主人公が若い時は「若い」と分かる空気感と情景の表現であるため、昔を思い出し郷愁にかられる描写がいくつもありました。(当方トシなので)
しかしこれは甘い恋愛小説ではない!
主人公は(おそらく)守ってあげたいタイプの可愛い女の子で、自己中な性格でも友だちがいて男性にも好意を持ってもらえて…
若い女性特有の「根拠のない無敵感」が分かる描写が中盤まで続き、後半で30歳を超えた主人公を取り巻く現実が徐々に読者に開示されます。
これまでやってきた事のツケが回ってきており、職や友達を失い、貯金もない。
「根拠のない無敵感」が通用するのは若い時だけ。
人間性に難があっても若い時はノリで恋人や友達になれるけど、歳を重ねると付き合う人間を選ぶようになる。
しかしそのことに気づいていない主人公の未来が想像できるラストまで、秀逸でした。