柴崎友香のレビュー一覧
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ネタバレ描写の精緻さ、爽快さに対して周りの人間への淡々とした無関心さが凄まじい。ただし、麦をのぞく。
主人公の目(さあちゃんずアイ)を通して見た話だと思えば、納得できるが、では主人公は何を考えて何をしてるのかほとんどわからない。
彼女の選択した仕事や行動に対する心理描写はほぼわからない。わかるのは麦の外見や行動、表面に出るところが好きということだけ。
その好きに至るプロセスもほぼわからない。最短距離で好きになるため、読者からすると理解できないため怖いとすら思う。
しかし、周りの人間や環境、風景の描写は綺麗で巧みなため、周辺の細部は浮き上がるが、主人公は空白という形で浮かびあがってくる。
浮かびあがって -
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Posted by ブクログ
ネタバレ「その街の今は」や「わたしがいなかった街で」の次は「マンモス団地小説」だった。
戸山ハイツ、箱根山、がモデルなんだとか。
ド田舎出身ゆえ、35棟、3000の部屋、7000人近く住んでいるというスケールを想像しづらいが、大友克洋「童夢」を思い出しながら読んだ。
また、たまたま連続する団地の部屋というイメージから、黒沢清の作品群を断片的に連想したが、たぶん通底している。と思いたい。
黒沢清は別アプローチから別手法で、記憶や時間について考えを深めると、幽霊に行き着くのではないか、と。
「かわうそ堀怪談見習い」は企画ものではなく必然だったのだ、と事後的に考えることができた。
つい黒沢清について書い -
Posted by ブクログ
・棚に並ぶ、大きさの不揃いなたくさんの本は、わたしが読めないことがいっぱい書いてある。(53:蛙大路とハリウッド)
猛禽類のようにぴゅうっと滑空してとらえるのか、一度木に留まってからつついてくるのか、そしてあんな小さなものをどうやって見つけることができるのか、自分は知らないことばかりだと思った。(70:つばめの日)
・目に見えたものは「見失った」と言うけれど、耳に聞こえたものは何で言うんだろう。(122:海沿いの道)
・皆、大阪の食べ物を食べていた。ここも大阪でいいんじゃないかと思った。(226:ハルツームにわたしはいない)
・もしかしたら、真ん中で黙っているけいなら、わたしの感じていることが -
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三人称多元視点の小説であることの仕組みと効果は本文庫の解説に述べられていて、割合と正当な批評ができるていると思ったから、その事に関しては特に言うべき事がない。相変わらず本作も技巧は冴えているように読めた。
日常を書いた小説、と誰もが雁首揃えて言うのだけど、日常の描き方にも種類がある。ただただ波風が立たなくて退屈しそうなくらいで、だけど平和で幸福な日々を淡々と書く作家に第三の新人にカテゴライズされる庄野潤三という大物がいるが、柴崎友香はそれと正反対だ。波風が立ちまくりである。
事件というほどでないが、比較的平穏な描写から急にシリアスな緊張感の支配するシーンになる、ということが本当によく