あらすじ
十年前、京都の引っ越しパーティーに居合わせた男女。30代になった彼らが、今宵再会する……行定勲監督がいち早く、紙上映画化した書き下ろし小説「鴨川晴れ待ち」収録。芥川賞作家が贈る感動作!
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きょうのできごとの2作目 今回も気持ちよく引き込まれてしまいました。
流石にちょっと無理があるなぁ、と感じたり、辻褄が合ってるのかな、と心配になったりするところもありましたが、それも愛嬌。
中沢君が振られた…は、読者をがっかりさせておいて、今後に続く…かな。
どなたかが書いておられましたが、私を含め、この本が好きな人、面白いと思える人の感性に乾杯!したいです。
Posted by ブクログ
あなたは、旧友と久しぶりに会ってみたいと思うことがあるでしょうか?
私たちは熱い青春時代を過ごしてきました。もちろん、その熱さは人によってマチマチでしょうし、比べるものでもありません。しかし、誰にとっても輝いていた時代であることに違いはないと思います。
そんな時代には、誰しもが親友、悪友と言われる友だちの存在があったはずです。一緒に煌めく青春時代を駆け抜けた友だち。人によってはその後も生活圏を同じくして仲良く付き合い続けている場合もあるかもしれませんが、多くの場合は、それぞれ次のステージに進む中で疎遠になっていく場合の方が多いように思います。しかし、疎遠になったとしても、この空の下のどこかで生きているかつての友だち。そんな彼らと久しぶりに会ってみたい、そんな感情が湧き上がることは普通にあることだと思います。
さてここに、三十代となった面々が十年ぶりに再会する様を描く物語があります。再び京都へと集まる面々が描かれていくこの作品。あの懐かしい名前が次々に登場することにウルウルしてしまうこの作品。そしてそれは、”いろんなところで、いろんなことが起きてるんやな”と改めて読者が思う「きょうのできごと」を見る物語です。
『富士山、と聞こえた気がして目が覚めた』というのは主人公の けいと。新幹線で西へと向かう けいとは眠る前に読んでいた雑誌の『街で噂の素敵な男子』というページに掲載された『見覚えのある顔』を見ます。『町家を改装したカフェ&スペインバルの店主、中沢吉裕さん(32)。気さくなトークのなごみ系』という記事には、『来月からは隣に一日一組限定の宿をオープンします。ゆったり流れる京都の時間を楽しんでくれる女の子に来てほしいな』というコメントも付されています。それを見て、『なんやそれ、と思わず口に出し』そうになる けいと。
場面は変わり、『川まで下りてきたら、やっぱり変われへんなー』と『三条大橋の袂から河原に下りてみた』けいとは真紀と会話を交わします。『けいとは、こっちに全然帰ってこられへんもんね。わたしも京都は二年ぶりぐらいかな。相変わらずやね、この距離感』と語る真紀の『視線の先、河原の縁にはカップルが見事に等間隔で並んでい』ます。『けいとは、なんかばりばり仕事できるふうになってて。忙しそうやから、今日のこと誘うのもちょっと迷った』、『疲れてるように見える?』、『海外出張とかもよう行ってるやん。映画祭の写真とかもアップしてたやろ。有名な監督といっしょに写ってて、すごいやん』、『いやー、働いてるほうは全然地味やし肉体労働やし、かっこええとこなんかいっこもないって』と会話する二人。『十年前、京都で映画の撮影現場を見に行った』けいとは、それがきっかけで『東京の映画制作事務所で働くことにな』り、『今は小さな配給会社にい』ます。一方の真紀は『大学卒業以来十年間同じ会社で働いて、春からは役職にもついてい』ます。そして、二人は『二年ぶりに会った』という状況。そんな中、真紀の顔を見る けいとは『真紀ちゃんはどうなん?中沢と会うてるんやろ』と気になっていることを訊ねます。それに『うーん、もう一年も前やで。今日のパーティーのことも、中沢くんより先に正道くんから聞いて』と『視線を逸らしてから言』う真紀。『あー、正道くん!今日来るんやんな。十年前は、正道くんの大学院進学と引っ越し祝いでパーティーしたよなあ。会いたいわ。元気かな』と言う けいと。そんな『会話が一段落したあとで』、『中沢くんは、ようわからんわ』とつぶやく真紀。そんな言葉に『おととしのお正月に真紀ちゃんから別れたという話を聞いて以来、今度はどうも戻る気配はなさそう』と思う けいと。
場面は変わり、『荒神口の橋』を越えたところでベンチに座る二人。そこに『二歳か、三歳ぐらい』の男の子があらわれにっこりと笑いかけます。『ママは?どこ?』と訊くも答えない男の子。そこに『小学校の低学年くらいの女の子』が現れます。『おねえちゃんかな?』と話しかけると突如泣き出した女の子。そんなところに『ラテン系の顔立ち』の『女の人が走ってき』ました。そんな中、『あの人らがルイを連れていったー』と女の子は けいとと真紀を指差します。『ええっ』と慌てる二人…そんな風に始まり、「きょうのできごと」から10年後の物語が描かれていきます。
“十年前、京都の引っ越しパーティーに居合わせた男女。30代になった彼らが、今宵再会する…行定勲監督がいち早く、紙上映画化!”と内容紹介にうたわれるこの作品。2000年1月に刊行された柴崎友香さんのデビュー作でもあり、行定勲監督によって田中麗奈さん主演で2004年3月に公開された「きょうのできごと」の続編です。大学生たちの日常、なんのことはないその中のある一日の彼らの行動を切り取った作品は不思議な魅力に溢れてもいます。では、そんな物語の続編を見ていきましょう。まずは、舞台となる京都の描写です。『鴨川に行ってみたい』という けいとの希望に真紀と『三条大橋の袂から河原に下りて』みた二人の目の前に広がる光景です。
・『さっきまでいた繁華街の人混みや賑やかさが噓みたいに、鴨川べりは午後の日差しを浴びて穏やかで、涼しい風が吹いていた』。
・『河原の縁にはカップルが見事に等間隔で並んでいる。誰が決めたのか不思議になるくらいに、お互いの距離はいつも同じ』。
京都と言えば鴨川は外せないと思います。私も何度か訪れたことがありますが、まさしくイメージ通りの光景です。カップルの等間隔並びという象徴的な光景の先にある鴨川べりが頭に蘇りました。そして、面白い感覚で京都と東京を比較する表現が登場します。
・『向こう岸には、川端通りの並木と低い建物が行儀よく並んでいた。その上を、京都に着いた二時間前よりも青いところが増えた空が覆っていた。ここからあんな遠いところまで、なんにもない空間がある』
・『東京の街なかでどこにも山が見えないほうが行き止まりみたいな感じがするのは、土地の距離感がつかめないからかなーと、考えたりした』
京都は高さ規制が敷かれている分、遠くまで見通せる感覚というのはあると思います。無秩序にさまざまな高さの建物が乱立して見通しの効かない東京で山を見るのは至難です。そんな違いを『土地の距離感』という考え方で比較する柴崎さん。なかなかに興味深い視点です。
また、この作品では前作同様に癖のありそうな短編タイトルがつけられた六つの短編が連作短編を構成しています。では、そんなタイトルとそこに登場する人物および場面を簡単にまとめておきましょう。
①〈「空の青、川の青」九月二十一日 午後二時〉
・京都へ戻ってきた けいとが真紀と鴨川沿いを歩く
・けいと、真紀
②〈「あるパーティーの始まりと終わり」九月二十一日 午後五時〉
・la Sopaという中沢の店
・真紀、中沢、けいと、西山、西山妻、かわち、正道
③〈「休日出勤」九月二十一日 午前一時〉
・クレーム処理のために休日出勤
・かわち(河内)、けいと
④〈「おれの車」九月二十一日 午後十二時/九月二十二日 午前〇時〉
・あるショッキングなできごとの発生
・中沢、けいと、真紀
⑤〈「真夜中の散歩」九月二十二日 午前二時〉
・夜中の散歩中
・イトウ
⑥〈「小さな場所」九月二十二日 午前一時〉
・鴨川の河川敷
・正道、西山、かわち
という感じでしょうか?なんだかよくわからないと思いますが、ポイントは前作同様それぞれの短編には『九月二十一日』と『九月二十二日』という二つの日付と時間が記されていることです。前作は”三月”でしたが、この作品では半年先、『九月』という設定がなされています。そんな作品の中で六つの短編は『① → ⑥』という順番で収録されています。しかし、時系列で見てみると
③ ⑥
④の1 → ② → ④の2
① (⑤)
という別の順番が見えてきます。そうです。この作品はここに記した人物たちが『②』の短編において、中沢の店に集合する場を中心として、それに前後して、『①、③、④の1』では、集合前のそれぞれの人物たちのその直前の行動が、そして、『②』の後に三つに分かれた面々の行動が『④の2、⑥』として記されていくのです。前作は五つの短編でしたが、この作品は六つの短編から構成されています。その差分が〈誰かのきょうのできごと〉とサブタイトルがつけられた『⑤』であり、イトウという他の短編とは関わり合いをもたない人物の〈九月二十二日〉のできごとが記されているのがある意味での変化球となっています。作品の構成を書いてしまいましたが前作同様、そんな概要が分かったからと言って、この作品にとってはネタバレでもなんでもありません。これも前作と考え方は同じですが、この作品も山場というものがありません。『④』の短編中にショッキングなできごとが起こりはしますが、この作品全体から見るとそれもある人物にとっての「きょうのできごと」の一つにすぎません。ドキドキハラハラ、もしくはあまりの感動に号泣する、そういったこととは無縁の作品世界がここには描かれています。そんなこの作品の成立経緯を映画監督の行定勲さんはこんな風に記されています。
“映画の主人公たちがどこかで今も生活している感覚に陥ったわたしは、その後の彼らに会ってみたいと思った。どこで暮らしているんだろうか?どんな生活をしているんだろうか?”
なかなか面白い発想です。例えばリアル世界で青春時代に友だちだった面々と再会してみたい、という思いの先にこのような感情を抱くことは普通にありえます。同窓会というものがあちこちで催されているのはその証左とも言えます。一方で、小説や、アニメ、あるいは映画で登場人物たちのその後に興味を抱く感覚というものもありえます。この世には数多の続編ものの需要があり、そんな続編に涙したという感覚をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。この作品は、行定勲監督の熱い想いに答えるように彼らの消息をこの世で唯一知っている柴崎さんに”彼らに会わせて欲しい”と依頼したことがきっかけで生まれたようです。行定勲さんはそんな続編を読んでこんな感想を抱かれたと記されています。
“けっして思い描いたような人生にはなっていなかった。三十代になった彼らの一日とそれぞれの人生の岐路が、「きょうのできごと、十年後」には書かれてあった。やはり、人生は面倒くさくて、いろいろあるもんだなとしみじみ思った”
私たちはそれぞれが未来に希望を抱きます。青春時代には無限の可能性がそこにあり、さまざまな夢をそこに思い描きます。しかし、現実はそう甘くはありません。思い描いた通りの未来を生きることが容易いものでないことはこのレビューを読んでくださっているあなたにとっても同じことだと思います。
この作品には、前作同様、いったいどこに行き着くのだろうと心配になる物語が描かれています。読者は十年前の彼らの姿を知っています。そんな読者が、十年後の今をそれぞれに生きる彼らの日常を見る感覚は不思議と似たような思いを抱かせもします。十年を経ても特に大きなことが起こるわけでもない一見真っ平な日常こそが、おそらく私たちの一生のうちの大半を占めるものなのだと思います。そして、そんな日常を見る中に、なんでもない会話に、なんでもない仕草の一つ一つにも、私たちの感情が微妙に揺れ動かされるのを感じるのも同じです。それは、大きなできごとがないからこそ気づく感情の機微でもあるのだと思います。十年前の彼らのその後を見る物語。そこには、それぞれの今を精一杯生きる三十代の彼らの姿が描かれていました。
『十年がこんなにすぐに過ぎるもんだとは思っていなかった。自分が三十歳を過ぎるなんて、思っていなかった』。
前作「きょうのできごと」から十年経った先の彼らの日常を再び切り取るこの作品。そこには、十年後に京都で再会した面々の今の姿が描かれていました。京都の街の描写に魅せられるこの作品。十年を経た彼らの中に過去の面影を探してしまうこの作品。
こうなったら、その先の十年、さらにその先の…と彼らのさらなるその後も知りたくなってもしまう、そんな作品でした。
Posted by ブクログ
映画になった「寝ても覚めても」を観て、「きょうのできごと、十年後」(河出文庫)が気になり始めて、買ったはずなのか、買ったつもりなだけなのか、どこを探してもなかったので新刊を買ってきて、まず、読んだ。すると、2000年に出て、映画も、たしか見た「きょうのできごと」(河出文庫)が気になって探すと、これは書棚にあって、もう一度読んだ。
「きょうのできごと」は、一応、柴崎のデビュー作ということだから、読み始めて18年もたつんだと思って、今、読み終わった文庫本をしげしげという感じで眺めていると表紙の写真が妻夫木聡と田中麗奈。映画のコンビ。ぼくでも名前を知っている数少ない俳優なのだけれど、田中という人はほかの場所で見てもすぐにわかるとは思えない。文庫の後ろの方を見ていると映画は2004年だとわかって、ぼくの柴崎初体験は14年前だとあらためて気づいた。年齢でいえば、50歳の時で、とても、そんな年になってから出会った作家だとは思えないのだが、事実は事実ということのようだ。
解説は保坂和志が書いていて、柴崎についてだけでなく保坂自身にもつながる、まあ、当たり前だけど、大事なことを言っているのだけれど、そこで出てくるジャー・ムッシュという映画監督をぼくは知らない。
《未来はもうかつて信じられたみたいな“特別な”ものではない。それを私たちはよく知っている。だから、「ストレンジャー・ザン・パラダイス」を境にしてフィクションの時間はもう未来に向かってまっすぐ進まなくなってしまった。それはフィクションの構造にも、展開にも、両方にあてはまる。未来に希望も絶望もないけれど、今はある。見たり聞いたり感じたりすることが、今この時に起こっているんだから、フィクションだけでなく、生きることそのものも、過去にも横にも想像力を広げていくことが出来るのではないか。もしそれが未来に向かったとしても、過去やいま横にあることと等価なものとしての未来だろう。》
今読んでみると、十年以上も前のことだけれども、この文章を読んだことは確実で、柴崎の小説の案内を書くときに「今この時」にこだわっていて、《今ここにいるということがなにげないことなのに、哀しい。》というふうな感じになるのは、保坂のこの文章に、理解しているかどうか、あやふやだけど、インスパイア―されている。
「きょうのできごと、十年後」と、「きょうのできごと」に話を戻すと、20代の始めだった人たちが、10年後に再会するという設定で、複数の登場人物の、一人称の語りという描き方は同じ。だから、当然なのだけれど、二つの小説の登場人物は、ほぼ重なっていて、10歳、年を取っている。
登場人物の中の「かわちくん」という青年と「けいと」という女性の絡みの描写がそれぞれの小説の中にある。
《こたつの部屋の隅っこで、けいととかわちくんが並んで座ってお酒を飲んでいた。(略)
思った通り、けいとはかわちくんに一生懸命話しかけていた。
「あんなあ、酔うてるときって、卵の中におるみたいな気がせえへん?せえへん?」
「卵ですか?」
(略)
「そう、卵の中。でも、卵っていうても鳥の卵じゃないねんで。あんな固い殻じゃないねん。殻のない卵。」
「気にせんでもいいで、かわちくん。それはけいとの酔うたときのねたやから」
「そうなんですか」
(略)けいとはわたしのほうをちょっと睨んでから話し続けた。かわちくんに話しかけるたびに短い外はねの髪の毛が揺れて、しっぽを振る犬みたいだと思った。
「ええやろ、べつに。ほんまにそう思うんやから。卵やの、卵。柔らかい、水みたいのに包まれる感じせえへん?声とかも水の中でしゃべってるみたいにこもって聞こえるし、感覚とかも鈍くなるやん。触っても、あんまり感じへんくって。きっと卵の中におるのって、こんな感じなんやろうなあって思うねん。鳥の卵じゃなくて、おたまじゃくしの卵とか、そういうのやで」
「おたまじゃくしの卵ですか」
かわちくんは素直に聞いて、考え込んでいる様子を見せた。けいとはかわちくんの反応を、期待を込めた目をきらきらさせて待っていた。わたしは目の前にあった、袋の底に少しだけ残っていたポテトチップスを食べながら、けいとってかわいいなと思った。
「なあ、かわちくん、そんな感じせえへん?おたまじゃくしの卵の中みたいやって。おたまじゃくし。どう?」
かわちくんはまじめな顔をして、テーブルの上の氷だけになったコップの底にたまった水を少し飲んでから言った。
「おたまじゃくしの卵って、変じゃないですか?かえるの卵でしょう?」
「えっ?」
けいとは予想外の答えに戸惑って、何を聞かれたか理解するのに少し時間がかかっているみたいだった。わたしは、固まっているけいとの顔がおかしくて笑ってしまった。》(「きょうのできごと」(真紀のモノローグ)
《「もおーっ、暗いなあ!あかんあかん、せっかくの男前がもったいない」
けいとさんは、今度はぼくの肩をゆすった。今、ぼくが考えていることは、この人にはわからない。ぼくが何をしてきたのか、この人は知らない。十年ぶりに会った、他人のこの人には、ぼくは実際よりも少しましに見えているのだろう。
「別に、こんな顔、役に立てへんし・・・・・・」
「立つよ!今も、目の保養させてもらってるし。癒されてるよ」
真剣な口調が、うれしかった。
「やさしいですね、けいとさん」
「ほんま?やさしい?」
けいとさんの二つの目は、潤んで、そばにある変わった形のライトを反射していた。鳥の羽みたいな不思議な服。どっどっどっ、と音楽の一部が響いてきた。誰かの声も聞こえる気がする。
「けいとさんは、素敵な女性やと思います。あの・・・・、かわいいし」
けいとさんは、こっちに手を伸ばした。そして、ぼくの顔を触った。頭から顎に向かって、そっと撫でた。細い指で、温かい手だった。だけど、感じたのはそれだけだった。
「あー、なんでやろなあ」
けいとさんは、ぼくから離れ、赤い椅子にどさっと持たれた。
「それ十年前に言うてくれたらよかったのに。そしたらわたし、素直によろこんで、っていうかぎゃーぎゃーうるさかったと思うけど、かわちくんになんでもしてあげたのになー」
けいとさんは笑っていた。懐かしい友だちみたいな笑いかただった。
「けいとさんは、イマイチ男性の趣味が悪いのかもしれませんね。見る目がないというか」
「ええっ?」
「ほら、ぼくとか、もしつき合っても、全然おもしろくなかったと思いますよ」
「せやなあ。恋愛に関してはろくなことなかったし、確かに、そうなんかも。かわちくんも、こんなぐだぐだやしなあ」
「すいません」
「謝らんでいいって。謝りすぎ」
「それもよく言われます」
あはは、と声を上げて笑ったけいとさんは、眠そうに見えた。》「きょうのできごと、十年後」(かわちのモノローグ)
ここまで読んできた人には、「十年の歳月」ということが、人に何をもたらすのかということを、この作家が書き込んでいることに気づいていただけたのではないだろうか。
10年後の「今、ここ」が、単なる時間の経過の結果としてあるわけではなくて、そのとき、そのときの「今、ここ」が重層的に重ねられた経験として人の中に積もってゆく。すこしづつ、その露頭を垣間見せながら、「きょうの」会話が構成されていく。何が変わって、何が変わらないのか、自分でもよくわからない。しかし、口調や物腰、外の世界の見え方の中に、否応なく露出してしまう。
10年前の「きょうのできごと」にも「かわちくんのモノローグ」は書かれている。そこでは、「その日」の「かわちくんの悲惨な、きょうのできごと」と、酔っ払って口説くけいとの「おたまじゃくしの卵」にたいする「かわちくんん」の強烈なリアクションの描写に、「今、ここ」の「分厚さ」があったのだが、「十年後」のかわちくんが、やはり酔って口説くけいとに「やさしいですね、けいとさん」と答える会話のシーンには、10年前に掘ったの井戸から、新たな水を汲みだして口にしたような深い味わいがある。
とかで、「きょうのできごと」「きょうのできごと、十年後」(河出文庫)。是非、続けてお読みください
Posted by ブクログ
続編と知らず先に読んでしまうという、、
10年前の関係を勝手に想像しながら読んだから、次はその答え合わせをしてみようかなと。
場面描写が細かくて、ゆっくり進んでいく感じがとても好みだった。
10年後の自分はどうなっているんだろう。10年前の自分は10年後のことなんて想像できていなかったな。何が起こるかわからない未来がとても楽しみになった。