という感じでしょうか?なんだかよくわからないと思いますが、ポイントは前作同様それぞれの短編には『九月二十一日』と『九月二十二日』という二つの日付と時間が記されていることです。前作は”三月”でしたが、この作品では半年先、『九月』という設定がなされています。そんな作品の中で六つの短編は『① → ⑥』という順番で収録されています。しかし、時系列で見てみると
③ ⑥
④の1 → ② → ④の2
① (⑤)
という別の順番が見えてきます。そうです。この作品はここに記した人物たちが『②』の短編において、中沢の店に集合する場を中心として、それに前後して、『①、③、④の1』では、集合前のそれぞれの人物たちのその直前の行動が、そして、『②』の後に三つに分かれた面々の行動が『④の2、⑥』として記されていくのです。前作は五つの短編でしたが、この作品は六つの短編から構成されています。その差分が〈誰かのきょうのできごと〉とサブタイトルがつけられた『⑤』であり、イトウという他の短編とは関わり合いをもたない人物の〈九月二十二日〉のできごとが記されているのがある意味での変化球となっています。作品の構成を書いてしまいましたが前作同様、そんな概要が分かったからと言って、この作品にとってはネタバレでもなんでもありません。これも前作と考え方は同じですが、この作品も山場というものがありません。『④』の短編中にショッキングなできごとが起こりはしますが、この作品全体から見るとそれもある人物にとっての「きょうのできごと」の一つにすぎません。ドキドキハラハラ、もしくはあまりの感動に号泣する、そういったこととは無縁の作品世界がここには描かれています。そんなこの作品の成立経緯を映画監督の行定勲さんはこんな風に記されています。