あらすじ
第151回芥川賞受賞作。「春の庭」
書下ろし&単行本未収録短篇を加え 待望の文庫化!
東京・世田谷の取り壊し間近のアパートに住む太郎は、住人の女と知り合う。
彼女は隣に建つ「水色の家」に、異様な関心を示していた。
街に積み重なる時間の中で、彼らが見つけたものとは――
第151回芥川賞に輝く表題作に、「糸」「見えない」「出かける準備」の三篇を加え、
作家の揺るぎない才能を示した小説集。
二階のベランダから女が頭を突き出し、なにかを見ている。(「春の庭」)
通りの向こうに住む女を、男が殺しに来た。(「糸」)
アパート二階、右端の部屋の住人は、眠ることがなによりの楽しみだった。(「見えない」)
電車が鉄橋を渡るときの音が、背中から響いてきた。(「出かける準備」)
何かが始まる気配。見えなかったものが見えてくる。
解説・堀江敏幸
感情タグBEST3
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めちゃくちゃ良かった......。このところ問題提起的な鋭い小説ばかり読んでいて心がささくれていたので、ちょっとぼけっとした人間の、物事の捉え方の機微が描かれているところにほっとした。初めて読む著者だったけど文体がとても好みで、気に入った表現がいくつもあった。あと酒が美味そう。毎日暑くてうんざりしてる中、そういえば近くに生えてるサルスベリが花をつけてる時季だなと気がついてとてもよかった。歳を重ねるごとに読み返したいと思った。
文庫版収録の三編もとてもよかった。最後の話がとくに気に入った。それから解説が信じられないくらい言語化能力が高くて(当たり前)、超納得した。
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「春の庭」あんまりよく分からなかった??展開は全く読めなくて面白かった
「糸」父と息子の距離感が面白かった
「見えない」職場の人との会話が面白い
「出かける準備」これが一番好きかも。わかるよ
Posted by ブクログ
『ソーセージマフィンは、予期したとおりの味だった。ハッシュポテトもミルクも、過剰でもなく不足でもなく、それは快適ということだと、わたしは思った』―『出かける準備』
柴崎友香の作品で一番好きな作品はやはり「きょうのできごと」ということになるのだけれど、これはジャームッシュの「ナイト・オン・ザ・プラネット」という映画を彷彿とさせる設定のオムニバス的作品だ。但しジャームッシュの映画には必ず出てくるとても個性的な人物が登場したりはしない。ただゆるゆると過ぎてゆく一日の中に流れる輻輳的な物語(それは毎朝の混み合った電車の中にもあるに違いない物語)の描き方が似ていると思うのだ。そんな非日常ではない日常を描いた作品は、様々な批評で何もない物語というラベルを貼られてしまっていたけれど、映画やドラマのようなできごとが起こらなくても一人ひとりの頭の中はその都度立ち上がる思考や気付きで充分に満ちているということを改めて実感させてくれる作品だ。保坂和志が柴崎友香の作品を批評して、優れた動体視力、という言い方をしていたが、まさにその通りと思う。なにしろ「カンバセイション・ピース」の保坂和志が言うのだから、間違いは無い。
そういう動体視力に裏打ちされた文章は読み手に色々な思考を促す効果があるようで、柴崎友香の作品を読んでいると思いが彼方此方の脇道に入っていってしまう。そのせいか、この「春の庭」は単行本が出た時にも読んでいるけれど、文庫本で読み直して見ても、不思議と新鮮な印象がある。そして、単行本には含まれていない三篇と併せて読むと、またしても柴崎友香とジャームッシュの相関が見えてくる。この作品に対峙するのは「コーヒー&ジガレッツ」というやはりオムニバス。エピローグの唐突感、切り離されてはいるけれど、中空を漂い続けるモーメンタム。その感じがジャームッシュのこの作品とよく似ている。ジャームッシュは物語を説明的に語らない代わりに登場人物の語りや、小道具に意味を託したりするのが上手いと思うが、柴崎友香も登場人物に内面を細々と語らせたりはしない代わりその人物が見ている景色を描くことで何かを伝えようとする。その映像的手法は、言葉に成り切らない感情を巧みに描写するように思う。人は見たいものしか見えないということを柴崎友香はよく解っているのだと思う。
最近、貼られ過ぎたレッテルに敢えて挑戦するような作品も手掛けている柴崎友香だが、ひょっとすると「春の庭」は最も柴崎友香らしい作品として残るのかも知れない。もちろん、どんな作品を書いてもこの作家の個性は常にそこにあるのだけれども。
Posted by ブクログ
はじめましての作者さん。
表題作は、終わり方が急ハンドルに感じて戸惑った。「糸」もだけれど、話を締めくくるタイミングが独特。
「見えない」では更に、どう捉えたらいいのかわからない光景が飛び込んできたところで話が終わってしまい、夢と現を行き来しているような心持ちに。
ここまで来たら、最後のお話はどう意表を突いた幕引きなのか?と期待していたら、すごく安穏に終わり、またも予想を裏切られた(笑)
一冊を通して、段々と作者のペースを掴み、どこか飄々とした作風が癖になってきた気がするので、他の作品も読んでみたい。
どのお話も建物や街の描写が印象的で、人の営みが見えてくる短編集だった。
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たくさんの人が来ては去って行く都市部の片隅で、建物とそこに住む人の刹那を描いた本作。
そこに誰がいてどんな暮らしがあったのかなんて長い歴史の中では取るに足らないことだが、何かのカケラは残るのかもしれない。
主人公は終始淡々としていて、周囲もまた淡々と変わっていくが、それこそが土地の変遷を物語っているようだ。
静かに心が温かくなる作品。
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⚫︎感想
一件家、アパート、空き家、庭など、さまざまな種類の住まいを通して、1人の人間が生きるとは?に思いを馳せることができた。生活をする中で、一つ一つの出来事は些細なんだけれども、その些細なことの積み重ねで生活ができあがる。その些細なことのなかには、偶然がもたらす人間関係だったり、自分ではコントロールできないものがあったりする。
諸行無常を思わせる作品だった。語りは優しいが、ドキっとすることも起きたりで、一気に読めた。好きなタイプのお話だった。
⚫︎あらすじ(本概要)
東京・世田谷の取り壊し間近のアパートに住む太郎は、住人の女と知り合う。彼女は隣に建つ「水色の家」に、異様な関心を示していた。街に積み重なる時間の中で、彼らが見つけたものとは―第151回芥川賞に輝く表題作に、「糸」「見えない」「出かける準備」の三篇を加え、作家の揺るぎない才能を示した小説集
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主人公が観察した西さんが観察した青い家が主人公。青い家を中心として過去と現在をまたぎつつ、場所が持つ力みたいな、場所も生きてるんだよ、、、みたいなことを描こうとしてたのかなぁ。
なんか主人公が主人公っぽくないな、と思いながら読んでたけど、途中で姉に視点を切り替えたりして、敢えて主観性をなるべく固定化しないように、舞台を主役にするように描いてたんだな、と納得。
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L字型のアパートに住んでいる主人公(30代男)とそのアパートの住人2人の女性と3人の話と、そのアパートから見える水色の家。水色の家は昔アーティストが住んでいて、それが"春の庭"という写真集にもなっている。それを高校時代に読んだ1人がその家の人と仲良くなり、家の中を見せてもらい、どうしても風呂場を見たいがために…ある事件になってしまう。
主人公はベランダから見えるその家のステンドグラスが気になり、そして庭を掘り返している写真が気になる。
自分の家に父親の骨を砕いて埋めたことがあるから。
最後に主人公の姉が出てくるんだけれど、ここで姉=私 になる
なぜ⁇
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映画で時々見かけるドリーのような手法とでも言うのか、あるいは今風のドローン撮影のような感じと言う方が良いのか、視点が緩やかに変わっていくのに感覚的について行けず一寸苦労しましたが、巻き戻して(言い方が昭和…)再度読み直すなどすると慣れました。内容はともかく、豆腐への収斂がとても面白く印象的でした。
Posted by ブクログ
難解な作品だな、というのが感想。
途中までは何も起こらない、だけど何も起こらない故の面白さみたいなものが感じられて、スイスイと読み進められたのだが、作品の終盤近く、視点が三人称から「太郎」という登場人物の姉に唐突に変わってからは、作品の様相がガラリと変わってしまったように感じられた。
視点どころか、過去・現在といった時系列も入り組んでしまったように感じる。
しかも視点は姉に変わっているはずなのに、いつのまにか三人称、つまり変わる前の状態に戻ってしまっているようにも読める。
ネットで検索してみると、この視点の変化については色々な意見が出されているのだが、「これだ!」という解釈は(当然のことながら)出されてはいない。
少なくとも、作者は何かの意図をもってこういう書き方をしているのだから、単純に「読者を驚かせるための効果」などという軽視の仕方は出来ないだろうと思う。
いずれにしても、この視点が変化してからの二十数頁が存在するおかげで、僕にとってこの作品は「何がなんだかよく判らないけれど、何かが間違いなく存在している」魅力ある作品となった。
そういう意味でも(少なくても僕という読者にとっては)この視点の変化は必要不可欠だったことになる。
書き忘れそうになったけど、第151回芥川賞受賞作品である。
Posted by ブクログ
何か特別な結末が待っているわけでもないありふれた日常を書いた1冊。
何も起こらない隣人とのごくごく普通なやり取りだからこそ没入できる。
近所の居酒屋で2人で話すシーンが生活感を感じられてよかった。
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「春の庭」第151回芥川賞受賞作
特別何かがあるわけでもない
どちらかと言うと淡々とした毎日の方が多い日常
その中で
木々や
花たちから感じる季節の移ろい
そんな幸福感を感じることができる小説でした。
Posted by ブクログ
「春の庭」は気を衒うことなく淡々と話が進む中に色んな人生の歩み方が語られている。何か特別な技巧は感じないながら、他の小説との類似性を感じない伸びやかさがあった。読解力がないせいか、残り僅かな場面で語り手が太郎から太郎の姉に変わるところの意図が理解出来なかった。
Posted by ブクログ
第151回芥川賞受賞作。くわえて、単行本未収録短編二点と、書下ろし短編一点を収録。
表題作『春の庭』は、妙な出会いというか縁というかによって話をするようになった、取り壊し間近の同じアパートに住む主人公・太郎と西という女性漫画家。この二人を主要人物として物語は進んでいきます。しかしながら、物語はどうなっていくのか、中盤まで読み進めていってもまったく先が読めません。僕にとっては「物語」というものの引き出しの外にある「物語」で、つまりは自分にとっての新種の「物語」なのかもしれない、なんて思いました。あるいは、「物語」のどのようなコードに対してもそのまま従うということをしない、というカテゴリに分類される「物語」なのかもしれません。とはいっても、僕の中にある「物語」の類型のストックがまだまだ少ないがために断言はできないのですが、それでもおそらく未踏の地を行く冒険家の類いの作風なのではないかと思いました。くわえて言うならば、派手な物語ではないのだけれど、現実というものの質感のある物語であるといったところでしょうか。
それが残り40ページくらいのところから、怪しい感じ、つまりこの先に何かあるなあ、という感覚になりました。それからそれまで三人称で語られていた人称がいきなり変わり、「え」と楽しくあたふたし、その後まもなく「やっちまってるじゃないか!」というふうにそれまで納まってきていた枠外に飛び出し、ねじれていく物語にわくわくしながらめまいを感じました。これは語りの技術だし、独自の表現方法でした。それで仕舞いの一行ですとんとそしてぐにゃりと着地させる技があります。その一行までのあいだの40ページくらいでは、ぎりぎりのところで読者をおきざりにするかしないかみたいな、でも技術的にはテンポやトーンを変えていて「ついてこれますか」と走っていくんです。さらに背後から忍び寄るような緊張感が漂いだします。それをたった最後の一行で見事に回収する、というか、解放する、というか、無に帰す、というか。相撲や柔道で、うまく投げられてしまった、という感じ、それに似ていたかもしれません。
全体をぼんやり見てみると、平常の感覚では、日常はつるんとしたものだ、と、とくに疑いもなくとらえている。それがなにかひとつ、気にかかったことをきっかけとして注意を与えると、そのつるんして見えてきた日常に実は存在している凹凸が見えてくる。たとえばそれは、小説を作るという一連の流れと似ていたりもするかもしれない(作り方にもよるけれど)。つるんとした細部の決まっていないアイデアを、粘土を練り造形するみたいに凹凸をこしらえていく、あるいは探り当てていきますから。そんなふうにもこの作品からは感じられました。
その他の短編も含めて、住んでいるアパートやマンションの重要度が高く扱われていました。本書の特徴の一つだと思います。そして、どこか不穏で、でもなまぬるさのようなものがあって、健全なのか不健全なのかわからないような安穏がある。
その他の短編のなかでは、書下ろしの『出かける準備』がとくに気に入りました。女性二人による、亡くなった知人の男の噂話のところがぐっときたのです。男と昔いっしょだった職場で、主人公ではないほうの女性がとてもしんどくてどこか遠くへ行きたくなっていたとき、男はなにげなく「だいじょうぶ?」と声をかけ、でも、冗談のようにそれはうやむやになるのだけれども、女性はそれで救われた、と今になって涙を流すのです。この男についての噂話はまだあって、それで一人の人間の多面性、立体性が浮かび上がりながら最後にこのエピソードで締められていて、ここらのあたりの没入感は違いました。
というところです。なんとなくですが、著者は実直に原稿に向う方なのかな、という気がしました。でも、他の作品をまた手に取ってみないとわかりませんし、一作だけの印象ってあてにならなかったりします。またそのうち、違う作品に触れてみようと思います。
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「東京って大自然ですよね」という主人公の言葉はとても魅力的。その一言を意識するだけで、世界に対する接し方がころっと変わってしまう、魔術的な言葉。写真集の中の人物たちの生活と、それを眺める太郎や西、その太郎や西の生活も最後は「わたし」によって見られる対象となっている。そんな入れ子構造によって重層化して見える生活の活写が見事。
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特に大きな秘密が明かされるわけではなく、淡々と時間が過ぎていく。
このアプリで芥川賞受賞作と知って、驚いた。
自分の好みとは合わなかった。
取り壊し予定のアパートに住んでいる太郎と、その隣人たち、近所の青い家の人達はそれぞれ個性があって、のんびり暮らしているイメージ。
晴れた暖かい日を想像する1冊だった。
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春の庭、糸、見えない、出かける準備の4作品。春の庭は写真集の題名。取り壊しが決まっているアパートに住む主人公の太郎は同じアパートの住人、西から写真集をもらい、アパートのすぐ裏にある「春の庭」を持つ水色の洋館に興味を抱く。西ははじめから、この洋館ありきで、この地に越してきていた。4作品とも、建物が何かしらポイントとなっていて、私は、「出かける準備」が、面白かったかな。
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表題作含めて4作品収録
表題作は芥川賞受賞作
水色の家が気になりその隣のアパートに越してきた
女と以前からアパートに住んでいる男のお話
水色の家は無人だったが、家族が越してきて・・・
その他の作品もアパートが印象に残ったかも
表題作では視点の変化は感じました
解説ではそのことと他にも書いていたが
他のことはあまり感じなかったかな
Posted by ブクログ
全体が変拍子の様々な音を構成する建物、人、もの、空間がそれぞれのリズムを刻んでいて、なんとか人で結んでいこうという感じに見受けられていて、さびも盛り上がりもなく終わる物語だと感じた。これらがすべて徒歩圏内、視界圏内に繰り広げられていて、空間的には蜜なのにそこに喧騒もざわめきもなく、むしろ無機質で。なんとも言えない作品集。
表題作。「糸」、「見えない」、「出かける準備」
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本全体の感想が、まさに「春の庭」という感じでした。
ほのかに暖かくて静かで、平和。なにか刺激的な本を読みたい方にはおすすめできないですが、静かな本を読みたい方にはおすすめです。
Posted by ブクログ
自分が到底住めない家に憧れること、何となくわかる気がするなぁ。色々な妄想をしてみて、実際に中に入って色々感じてみて。最後の太郎は何を感じたんだろう。自分の身の丈?それはよくわからなかったけど、何となく気持ちはわかるなぁ、という感じ。
Posted by ブクログ
表題作よりも書下ろし短編がもっとも読みやすかった印象が強い「オチの無い」短編集でした。モヤモヤを引きずりながら解説を読んでなんとなく共感は得られたものの、結局何が言いたかったのかスッキリしませんでした。アクタガワ賞の敷居の高さに打ちのめされた感あり
Posted by ブクログ
古いアパートに住む離婚歴のある男性と、写真集の舞台となった隣家に異様な関心を示す女性の日々を描いた芥川賞受賞の表題作ほか、3つの短編を収録。
写真集の家に執着する女性の行動こそ変わっているものの、主人公の男性の日常は淡々としていて、とらえどころがない。取り壊すことが決まっているアパートと隣の家での出来事が大半を占め、すべては現実的なのにどこか宙吊りにされているような不安定さも伴っている。
極めつけが、終盤語り手が突然男性の姉に変わること。全体をとおして、心地よい不可解さとでも言ったらいいのか、読後にもっと理解したくてパラパラと読み返してしまう一冊だった。
Posted by ブクログ
登場人物の言葉や振る舞いがとても素直。小説だからと変に飾り立ててなくて、きっと自分もこんな反応をするんだろなと思った箇所が沢山あった。するすると読み終える。