【感想・ネタバレ】続きと始まりのレビュー

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2024年03月28日

自分が決して共感しないだろう人の心情を疑似的に追体験するのが小説の機能の一つ。そういう意味でとてもよかった。依然としてわかりはしないけれど。

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Posted by ブクログ 2024年01月29日

『三月十一日は仕事が入っていなかったので、れいは部屋の片付けをしていた。この部屋に移ってきて以来、テレビをつけることはめったになく、代わりにときどきラジオを聴くようになった。(中略)ニュースは「震災から十年」という言葉で始まった。コロナ禍のために追悼式典は縮小され、政府からの出席者も制限されています...続きを読む、と各時間ごとに別のアナウンサーが同じ文言を告げた。「十年の節目」という言葉が、何度も聞こえた。「節目」ってなんだろう、と思う。なにか変わることがあるのか、れいにはわからなかった。その十日後に、緊急事態宣言は解除されることになった』―『二〇二一年二月 柳本れい』

柴崎友香を読み始めていつの間にか二十年。その間、世の中を揺るがすような大きな出来事もあったけれど、この作家の立ち位置はほとんど変わっていないということに気付く。何か流行りのものに流される様子もなく、好きなもの(特にバンド)は好きと表明しつつも、何かを断定的に判断することに常に躊躇を感じる人の心情を書き続けている。作家がそんな風に代表する立場を、あるいは「サイレント・マジョリティー」と呼んでも良いのかも知れない。けれど、そう呼ばれた人は、決して黙っていたい訳ではないし、主張したくない訳でもない、というのがより適切な言い方になるのだろう。それはもしかすると、現状を完全に肯定している訳ではない、という表現に還元され得る心情なのかも知れない。

そう言ってみてしまうと、何だか妙に内向的で、「ネクラ」な人々のことを指しているようだけれど、無理に自己主張を強いられることに抵抗感がある人の方が普通ではないだろうか。主張は、ものごとを単純化して理屈に合わせて訴えなければならないが、その過程で失われる個や感性の代償も大きい。その意味では「多様性」と集団を俯瞰した立場で表現した瞬間に失われているものがある、と言い換えても良いかも知れない。この作家は、それをいつまでも省略しない生き方を書き続けているのだとも言える。それを突き通すことによって、全ては日常生活の延長上にある、ということを柴崎友香は常に訴えてくる。訴えてくる、というのは強過ぎる表現かも知れない。だがこの作家の書くものを読んでいると、いつもそう感じてしまう。

『ヨッシーは、前にいいって言われたものをなぞっているだけに見えるし、被写体に対しても勝手な思い込みがある感じがする、と訥々と話した。他の学生たちは、そうかなあ、と首を傾げたりしていたが、撮影者と仲がよく、そのクラスの中心的な存在でもあった山岡という男子学生が、批判するならもっと明確な理由を言うべきだ、と苛立ちを隠さずに言った。(中略)説明できないってことは正しくないってことだろ、単なる感情でしかないじゃん、納得させられないんだからその時点で間違ってるんだよ、ちゃんと考えてからしゃべれよ、と、声を荒らげた』―『二〇二一年八月 柳本れい』

これは、養老先生が常々いうところの「概念」の話だ。曰く、概念は感覚を凌駕するものではない。複雑なものを人間にも理解できるように単純化するだけのこと。そしてX=3、a=bという概念上の操作を飲み込む時、何でもありの世界に踏み入れている事に気付けないでいると、倫理観を徐々に失いかねない、と教える。柴崎友香が書いていることは、まさにその感覚が「何かが違う」と訴えていることに拘るということなのだと理解すれば、やたらに風景描写や物事の変化を捉えて記すことが多い文体のことなども理解できるような気になる。変化は日々の中にあるのだけれど、いちいちそれに気を止めていたのでは日常生活は滞りがちとなる。だから、これは昨日も在ったし今日も「同じように」在る、と頭で整理する。しかしそこに違和感が残ることに、この作家は拘っているのだ、と。養老先生が自然に帰れと言うのと基本的に同じことを柴崎友香は小説に書き記す。ただしもっと間接的に。

『昨年三年ぶりに刊行した長編小説は、忘れていた過去が今の自分や周りの人間関係にどう影響しているかをテーマにした話だ、と説明されていた。これを書こうと思ったのは、コロナ禍で一人で今までのことを見つめ直す時間ができたのもあるし、東日本大震災から十年が経つこともありました。実は、震災の一年後に津波で大きな被害を受けた場所を訪れたのですが、そのとき見たことについてはいまだになにも書けないんです。一行も。なにか書くつもりで行ったわけではないのですが。私は大学生の時に阪神・淡路大震災を経験していて、でもうちの周りは被害がたいしたことなかったから、そんな自分には書けないと思っていたんですね。でも二〇一一年に東京で震災を体験したとき、自分には書けないと思っていてもなにか少しでも書くべきだったと思ったんです。直接大きな被害を受けたわけではなくても、なにか少しでも伝えられることがあったんじゃないかって。それなのに、また書けないんですよね。十年経っても、なにをどう言葉にしたらいいのかわからなくて。その思いが、今回の小説につながっていると思います』―『二〇二二年二月 柳本れい』

そして、これまでのインタビューやエッセイの中でも語られて来たように、この作家の違和感の根底に、震災の記憶というものがある。本書の中で作家の等身大の投影が最も色濃く反映されている人物(直接出てくることはない)に語らせているこの思いは、作家の思いが直接的に語られていると見ても良いように思える。「だからどうなの?」と問われても返す言葉が見つからないことは、だからといって忘れてしまって良いことではない。そんな声が、じわじわと伝わって来る。

そして『「なにげない日常こそがかけがいのないもの」と判で押したように紹介されたりすることに、抗うことができたかもしれない』と、主要な登場人物の一人に語らせている一言もまた、如何にも作家柴崎友香の心情そのもののように響く。「何も起きない」などとも評される小説は、実は「起きていることに読者が気付けない」小説なのだ、と作家は言いたいのだろうと思う。もっとよく見てください、と。その意味では今回の作品は随分と丁寧に起きていることが語られていて、作家の拘りの根源にも迫るような一冊となっていると思う。

そして、ヴィスワヴァ・シンボルスカの「終わりと始まり」。さて、自分はどんなことを感じていたのか、と振り返って見ると、
「 原因と結果を
覆って茂る草むらに
誰かが寝そべって
穂を嚙みながら
雲に見とれなければならない
『終わりと始まり』

わたしは解らない、と認識し続けること。それは逆に言い換えてみれば、わたしは考え続ける、ということ。恐らく、今、一番必要なこと。」
などと書いている。ああ、本当にそうなのだ。自分が柴崎友香の小説を好きな理由もそこにある。

最終章は、言ってみれば、これまでの柴崎友香節に戻ったようなエピローグ。ちょっと「きょうのできごと」を思い出させる。そういえば全体の構成もオムニバス風なのだった(そもそもナイト・オン・ザ・プラネット(ジャームッシュ)だものね)。と、つらつら考えていたら、頭の中で矢井田瞳の「マーブル色の日」が流れ出して止まらなくなった。

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Posted by ブクログ 2024年01月18日

三者三様のコロナ禍“あの日”“あの頃”の経験は、怖いほどリアルでフィクションなのに“身に覚え”があり過ぎて‥語り手達が個人的に見た景色まで、わたし自身が見聞きしたり経験してきたことに重なり、脈絡もなく記憶のページが開かれて、頭の中がパンクしそう。「どうすればいいかわかるのはいつもそれが過ぎてから」。...続きを読むそう言えばあの頃、大災害と同時進行であんな事もあったし、こんな事もあった。能登はまだ揺れているし、あれもこれも正解はわからないけれど、私たちなりの方法で後片付けをし続けていかなければ。

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Posted by ブクログ 2024年01月09日

柴崎さんの小説が大好きで、いつも新刊を楽しみに、読んできました。でも、これは今までの柴崎さんの作品と、全然違う、すごい・・・と読み終わって感服しました。

3人の主人公の、今の生活や仕事、生まれ育った家族や今の家族のこと、日々のささいな気づきやひっかかりが、
関わる人々との会話によって、気づきに深み...続きを読むが増していく。

何十年も前の後悔や痛みが、全く関係のない場所で、理解できたり納得できたり、癒えたりすることがある。
ということが、鮮やかに文章で描けることが、本当にすごいと思いました。

私たちは生きている限り、考え続けることができて、それは、続きの始まりなんだ、と。
今も、災害や戦争が遠い場所で起きていて、自分は画面の中の現実をみているだけで、何もできない、と思っているような日々の中で、
考え続ける、終わることはない、ということが身に沁みました。

フェミニズム的な視点からも、とても勇気づけられる小説で、これから何度も読み返すと思います。

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Posted by ブクログ 2024年03月18日

なんかわかるな。
なんかそれぞれの感じ方に、共感できる部分が多数あって、なんか透明な感じにすーっと物語が続いてる感じがとても良かった。

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Posted by ブクログ 2024年03月03日

2020年3月から2022年2月の間の3人の日常。
そのうちの1人、石原優子の章で、リアルな関西弁の会話に惹き込まれた。ここまで正確に関西弁を表記した小説を私は知らない。
それぞれの行動、思索に2つの震災とコロナ禍が思考の端々に絡んできて考えさせられる。
最後の章で、偶然3人が一堂に会するというシチ...続きを読むュエーションには、え…なんで?とちょっとがっかりしてしまった。

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Posted by ブクログ 2024年02月25日

最後、こう繋がるのかぁと感服。
いつかの2月に3人は(石原優子、小坂圭太郎、柳本れい)新宿のトークイベントで一瞬だけ会って少しだけ言葉を交わしてたんだね。
オリジナルTシャツの作業場でパートとして働く優子、いろんな飲食店を転々として働く調理師の小坂、カメラマンの柳本れい。
それぞれがそれぞれの環境で...続きを読む震災のこともコロナのことも生活の一部として語られていく。
そこでの人間関係も。リアリティがありすぎて、まるでその主人公をつかの間生きた感じがした。(特に石原優子ね)
ポーランドの詩人、ヴィスワヴァ・シンボルスカの
「終わりと始まり」にインスパイアされての小説なのかな。
この詩も素敵だった。

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Posted by ブクログ 2024年01月20日

阪神・淡路大震災と東日本大震災の2つの災害、そしてコロナ禍をリンクさせて現代を見据えた意欲的な作品だ。
2020年3月の石原優子の章から始まって、5月の小坂圭太郎、そして7月の柳本れいへと語り手が移り、以後ほぼ2ヶ月毎の出来事がそれぞれの視点で綴られていく。彼らは住む場所も仕事も違い接点はなさそうに...続きを読む思えるのだが、最終章で1つになり唸らされる。
これまでに読んだ柴崎さんの作品とはいささか作風が異なるが、確かな手応えを感じた。

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Posted by ブクログ 2023年12月29日

過去を消すことはできない。
人を傷つけ、人に傷つけられた事実も無かったとこにできないし、あきらめた選択肢も戻ってこない。

つまるところ、みなそれぞれにこれまでの「続き」を生きるしかないのだ。

でも、新たな「始まり」のきっかけは、そんな現実や自分との向き合い方次第でいつでもだれにでも与えられるとい...続きを読むうことを、この本は教えてくれる。

待望の長編新刊。読み応え十分。
もう少し刊行月が早ければ「今年の3冊」とか「2023年回顧・文学」にきっと取り上げらていたはず。

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Posted by ブクログ 2024年03月07日

何か特筆するような出来事が起こるわけではない。2020年3月から2022年2月にかけての期間、コロナ禍で全ての人の生活が影響と制約を受けていた期間における、ごくありふれた一般市民である男女3人の身の回りで起きたことを、それぞれが主人公となる章を交互に重ねることで描いていく。
確かに、コロナ禍の生活っ...続きを読むてこんな感じだったよなあと、ほんのちょっと前のことなのに、時を隔てた異世界のように感じられるのが不思議だ。
あの時期の暮らしや感覚を、後に記録として残す意味でも貴重な価値を持つ小説と言えるかもしれない。

登場人物たちに、ふとしたきっかけで蘇る過去の記憶、それがこの小説のテーマである。阪神大震災や東日本大震災など多くの人が共通に体験した記憶と、両親や同級生、別れたパートナーとの間で交わした会話の断片などのプライベートな記憶。
ありふれた一般市民といっても、人に歴史ありというか、記憶を紐解くことで立ち現れる、それぞれの人生の複雑性や個別性、それを丁寧に紡いでいく筆致の確かさはさすがで、読み応えがある。

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Posted by ブクログ 2024年02月18日

この本を読んで、久しぶりに「クラスター」と言う言葉を思い出した。
本当に、人は忘れる生き物なんだなぁと思った。
もう少し、波がある話かとも思ったけれど普通な感じではあった。

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Posted by ブクログ 2024年02月05日

風化していくって怖いなって読んでて思ったほど、緊急事態宣言という言葉が懐かしいと思ってしまった。あんなに日常的だったマスクのこと、忘れてはならない震災も。大切なことたちが随所に散りばめられててハッとすることがあっていいなと思いながら最後まで楽しく読んだ

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Posted by ブクログ 2024年01月20日

地震、コロナ、、日常生活が脅かされる。
そうした中でそれぞれの境遇の3人が必死に?それなりに?生きている。
それを描いた小説、、、
みんないろいろあるけど、生きている。

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Posted by ブクログ 2024年01月15日

閉塞感を感じた。なかなか上手く行かない人生。自分の人生は、良い様に思う。1989年に入社して、今も会社員。定年も延長になり、恵まれている。今の暇な仕事、やりがいのない仕事。まだ、マシなことなのかもしれない。

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Posted by ブクログ 2023年12月25日

かつて日常を非日常にしてしまった二つの大震災。
未知の病原体の出現。
過去の出来事だけど、それはあまりにも深く心に残っていて…
コロナに関しては、今もまだ安心とはいえないが…
それなりの前に戻ったかのように日々は続いていく。
この物語は、三人の住むところも違う男女の日常を描いている。
2020年3月...続きを読むから2022年2月までのコロナ禍の日常である。

それぞれの生活や環境やもちろん考え方も違うけれど過ぎてゆく時間は、同じように流れている。
その年に自分は何をして、何を考えていたのかを思い出していた。
自分自身の性格が変わるわけではなく、ただ世界のどこかで地震があり、戦争が始まり、事件もまたおきているというのを「情報」として見て、時間が過ぎていく。



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