あらすじ
人を思う気持ちはいつだって距離を越える。離れた場所や時間でも、会いたいと思えば会える。「だって、わたしはどこでも行けるから」─遠い隔たりを“ショートカット”する恋人たちのささやかな日常の奇跡を描いた、せつなく心に響く連作小説集。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
行きたい場所があれば、会いたい人があればすぐに行けるよ。そんなに遠くないから。
恋愛も友情も距離なんか関係ないと言いたいわけじゃない。強く会いたいと思えば、すぐにでも行けるんだと思えた。
Posted by ブクログ
東京と大阪、2つの場所の距離感をどう考えるか。何かイベントがないと行き交うことがない距離か。いや、思い立った瞬間行くことができる距離だ。それは海外であっても同じ。
やりたいと思ったら即行動、やんな。
あとちょいちょい出てくるなかちゃんの人柄に惹かれる。
Posted by ブクログ
この人の描く日常と異性同士の係わり合いがとっても好きです。
普段も素敵な人間関係気付いてるのかなぁと考えてしまう。
遠距離恋愛がテーマの連作短編集です。
Posted by ブクログ
柴崎さんの世界観をまざまざと見ることができる小説。
色彩豊かで確かに目の前にある風景を克明に描写しており、それは主人公の心情を、時に微かに、時に大胆に揺さぶる。
自分自身の恋を機に「恋愛小説」と言える小説を久々に読んだが、やはり人の色恋というものは特有の感情の動き、心の揺れを見ることができて非常に興味深い。
それぞれの登場人物が抱える相手への想いや恋愛の考え方などの大部分は違うが、同じと思えるところもあって、それを読者がどれほどの距離感で読むかによって小説の評価も人によって大きく変わるだろう。
文学作品としても非常に優れている。
時間を引き延ばしたり逆に吹っ飛ばしたり、空間を拡張したり逆にギュッと縮小したり、それらの時空の中に入り込んだり逆に俯瞰してみたり…。
時間空間論をこの小説に見たとき、風景にフォーカスを当てることを得意とする著者の特長と時空は絶妙にマッチしている。
小説全体にキラキラ光る星のように示唆が散りばめられながら、草木がサラサラと揺れるような確かな空間体験を読者に与え、その読書世界に風のように流れる時間を感じさせる。
都市論や身体論的にも考察の余地が多くありそうで、再読した際にぜひ注目して読んでみたい。
「物語世界に没入しながらも読者自身の世界へも立ち返らせる。」
解説の方も述べているが、こういう新鮮な読書体験ができる小説は、やはり秀でているとしか言いようがないだろう。
Posted by ブクログ
・「美しい、なんか普段使わんやろ。でもおれは使うもんね、今ここで、表参道のために」(15:ショートカット)
・わたしは、自転車を押す片野くんと、真夜中の人の通らない道を二人で歩いている。それが自分が確かめられることの全部だと思った。(65:やさしさ)
Posted by ブクログ
【本の内容】
人を思う気持ちはいつだって距離を越える。
離れた場所や時間でも、会いたいと思えば会える。
「だって、わたしはどこにでも行けるから」―遠い隔たりを“ショートカット”する恋人たちのささやかな日常の奇跡を描いた、せつなく心に響く連作小説集。
[ 目次 ]
[ POP ]
遠距離恋愛をしていたとき、100万円くらい払ってもいいから(払えないけど)「どこでもドア」が欲しいと毎日思っていた。
それが駄目なら「取り寄せバッグ」でもいいと思っていた。
ドラえもんが頼りにならないならこの際エスパー魔美にでもなるから、とにかくこの状況をどうにかしてくれ、枕を濡らしていたのを思い出した。
距離っていうのは気持ちとか想いとかでなんとかなるものでは決してないのだが、でも気分としてはなんとかできるものであってほしい。
この小説はそれを本当にライトに書きあげていて、とても心が軽くなる。
本当にすっきりとして気持ちがいい。
ショートカットという響きが心にしんと澄み渡る、とても素敵な小説です。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
大阪弁が自然で、登場人物が真っ直ぐで、柴崎氏の目線に気負いがなくて、とにかく大阪を離れて単身赴任の寂しさを癒してくれる作品でした。
大阪で読む以上に効果的だと思う。
Posted by ブクログ
午後と夕方の中間ぐらいの時間、品川の港南口で、ミーティングが終わり、少々時間が空いたので、品川埠頭の方に向かって歩いてみた。東京新聞の配送センターを通り過ぎ、旧海岸通りを抜けて、吉田修一の東京湾景にも出てくる御楯橋を超えて歩いた。途中、サラリーマンや作業着の人にまじって、インド人の主婦が数人子どもをつれて歩いていた。
その日は、風が弱く、春めいていたが、海に近いせいか、少し肌寒さを感じた。東京海洋大学のキャンパスを右に見ながら、人どおりの少ない道がゆるやかに蛇行し、海岸通りに合流するように歩き続けた。海岸通り沿いに歩くと、頭上にはモノレールが走っている。モノレールの姿は、歩行者には直接には見えにくいが、道沿いのビルに列車の影が映り、ごうごうという通過音だけが定期的に続いた。
芝浦運河を左に見ながら、倉庫街をしばらく歩いた。汚泥処理場を横に見ながら、五色橋を渡りかけていると、左の風景の左上の方からモノレールが少々陽の翳ってきた青空を斜めに切るように通り抜けて、運河沿いの建物の中に消えていった。しばらく、その風景に見とれてしまった。無機的な背景の中を、無機的な機械が走り抜けていく風景に、東京というものを感じた。
こんな場所を平日の午後に、目的もなく歩く人などはなく、1時間近く散歩したが、すれ違う歩行者も少なかった。倉庫街のトラックの運転席から聞こえる、70年代のディスコサウンドが、奇妙にその場の空気にフィットしていた。
デジタルカメラでも持ってくるんだったなあと本当に思った。
東京という空間のいまを、言葉で、しっかりと囲い込んでみたいと思う。
その思いは、東京というものが、描かれている小説や映画への尋常じゃないぼくの執着の原因でもあるようだ。
柴崎友香という若い(といっても30代だが)大阪の作家がいる。保坂和志がその小説論でほめていたので、読み始めた。映画化された「きょうのできごと」や「ショートカット」や「フルタイムライフ」などで、大学生からOLになっていく、女性の普通の生活空間を精緻に描いている。できごとらしいできごとが起こるよりは、主人公たちが触れる、人々との繊細なコミュニケーションの仕草や、空間の描写につかるのがとても気持ちの良い小説だ。
台本が透けて見えて、それに向かって、猛然と読み飛ばしていける小説ではない。細部につっかりながら読むことになるので、本の厚さのわりには読むの時間がかかる。
彼女の「ショートカット」という遠距離恋愛についての短編集を読んだ。関西にいる女の子が、東京にいる男の子に会いたいと思う話が中心だ。
そんな関西人の柴崎さんが、東京の原宿を描写している。東京に住んでいる、土地勘のある作家なら、その近辺のビルの名前や、店の名前という固有名詞に逃げ込んでしまうところでも、土地勘のない作者、そして土地勘のない主人公の目にうつる原宿は、そういった使い古しの固有名詞に汚されていない分、読みにくいが、新鮮だった。
《「表参道、行きたいな」
全然動かない祐次くんに向かって、そう言ってみた。自分の言葉が聞こえた瞬間に、わたしは表参道に行ける、と思った。
急に目の前が開けて、夏休みの原宿駅前のすごく沢山の人にたじろぎそうになった。だけど、わたしはどっちに向かって歩けばいいのか、はっきりわかっていた。なかちゃんの説明を覚えていたから。
四時半を少し過ぎたところで、傾いた太陽はまだまだ勢いがあって、これ以上ないくらいの都会の真夏の暑さだった。右を向いてまっすぐ歩くとすぐに広い道に出たので、左に曲がった。何斜線もあるまっすぐな道路がのびていて、それが表参道だとわかった。道はしばらく下り坂で、その先に見える交差点の向こうからまた上り坂になるようで、人の頭がびっしりと道を埋め尽くしているのを一目で見渡すことができた。歩道には、なかちゃんの言っていた大阪では見ることのない大きさの街路樹が、一定の間隔で並んでいた。空気が緑色、と言っていたなかちゃんの言葉は本当だと思った。街路樹から伸びた緑の枝葉が、遥かに高いところでわたしたちの頭の上を覆っていて、緑色の影をその下に作っていた。・・・
わたしの歩いていく方向の信号は赤で、大勢の人が立ち止まって信号を待っていた。右側を見ると信号は青で、数え切れない人が横断歩道を渡っていて、そのぞろぞろした足の動きはみんなで二人三脚をしているみたいに、楽しそうに見えた。わたしの周りで立ち止まっている人も、これからどこに行くかなにを買うかそれから今日あったことなんかをそれぞれに話していて、とてもにぎやかだった。》
良い小説というのは、紋切り型のストーリーや固有名詞に逃げ込むことなく、登場人物をとりまく空間と、彼らの関係性や、登場人物たちのコミュニケーションの繊細さをいまいちどそこに現出させているものなのだろうと思う。でもそういった小説は、難解な言葉を使っていなくても、読み飛ばせないものが多い。
彼の小説よりも、小説論の方が面白い保坂和志の影響をいま受けているぼくはそんなことを思って、自分が歩いている周りを観察している。
Posted by ブクログ
つまりワープ。
遠いとかなかなか行けないと思っている場所でも。案外近いもんで、お金とちょっとした時間があれば行けてしまう。
ここに出てくる人達はみんなそんな感じで、行きたいと思ったら、行けばいいみたいな。
思ったときにしか行けないっていうかできない。
やろうと思ったときしかできないこともある。
そういう勢いとかタイミングは大事。
きっとそう思ったときが一番やりたくてあとは薄れていくだけだから。
Posted by ブクログ
関西弁の文章はあまり得意ではないのだけれどこの小説は問題なくというよりも
むしろ親しみを感じて読めた。関西弁を使う人物はやけにハイテンションなキャラに
されがちだけれど、この小説に出る人はみんな淡々としゃべるせいかもしれない。
たまにはしゃいでも「大人も許される範囲の」はしゃぎ方だから不自然さもない。
特にはっとする斬新な表現もなければ、テーマもありふれたものだけれど
この会話文のうまさで飽きることなく読み進められる。
4作に共通するのは「距離」で基本的にそれは壁になるけれど、扱われ方は微妙に違う。
大阪と東京。行けないこともないのだけれど、なんだか腰が重い中途半端な遠さと思い。
どの主人公も、誰かに会いたいと思うのと同じくらいにどうでもいいと感じていて
その足が地に着いていないところが、ショートカットの場面を印象的にしている。
今までのぼんやりしていた景色が、そこを境にふっとクリアに切り替わる。
本当にワープをしてしまったような気持ちよさがある。
そして、なかちゃん。彼は本当にいい味を出しているなぁ。
4作全てに登場するのにずっとサブキャラクターの割に情報もほとんどなくて
もっと知りたいと思わせるあたりが絶妙だ。
Posted by ブクログ
4つの恋愛オムニバス(一部に、共通?と思われる人が出てますけど)。
読後感のすっきりした小説。
ドロドロでもなくて、とりわけラブラブでもない。
なんだか、等身大で日常の恋愛。
関西弁苦手じゃなければ、オススメ。
Posted by ブクログ
離れているけど気持ち次第で近くなる距離。
なにか、雲を掴むような話です。
といっても、いかんせん土台無理な話ってことではなくて
掴んでもそこには無い、指の間からこぼれ落ちていくような、そんな儚い話です。
短編4つなんですが微妙に繋がっています。
その薄い繋がりの描き方が上手くて何度もページを遡りました。
最後のタイトルが、その名も
『ポラロイド』
僕も使っている大好きなPolaroid690が出てきます。
おそらく柴崎さんも使っておられるのは?
描き方が細かくて、ホントに使っている人でしかわからないようなこともこまごまと書いていて
おもわずウンウンと頷きながら読んでしまいました。
最後のシーン
「今ここにしかない景色を全部見ることができるのはカメラじゃなくて私だ」
深いよ!深い!
Posted by ブクログ
あなたは、”遠距離恋愛”をしたことがあるでしょうか?
結婚相手紹介サービスの株式会社オーネットが全国の25~34歳の独身男女693人に対して2024年9月に実施した”独身男女の遠距離恋愛に関する意識調査”。
それによると、全体で22.4%の男女が、現在”遠距離”恋愛中にあることがわかったようです。さらに興味深いのは、全体の22.4%の男女が、以前、”遠距離恋愛をしていた”と回答していることです。これら両者を合わせると全体で44.8%もの人が”遠距離”による恋愛を経験していることになります。恋愛に距離は関係ないということが改めてわかります。
『おれの会いたい人は東京におって、東京やからっていうだけちゃうくていろいろあって簡単には会われへんねんな。でも、会いたいねん』。
さまざまな事情が二人の間を阻んでもいきます。そんな”遠距離”恋愛が成就する日はどれくらいの人に訪れるのでしょうか?
さてここに、”遠距離”な想いを抱える主人公が登場する物語があります。日常の中に秘めた想いを抱える主人公を見るこの作品。緩く繋がってもいく連作短編を見るこの作品。そしてそれは、『会いたい』と思う気持ちが、『どうやったらワープできるん?』という問いに繋がってもいく「ショートカット」したい人の想いを見る物語です。
『なあ、おれ、ワープできんねんで。すごいやろ』と、『右耳のすぐそばで同じ言葉』が繰り返されるのを聞き、『自分のいるところを思い出』したのは主人公の小川南津(おがわ なつ)。『夏休みになってから大学の資料室でいっしょにアルバイトをしている後輩の愛梨ちゃんにただで飲めるからって合コンに連れてこられて』…と、八人でテーブルを囲むのを見る南津は『あ、わたしに言うてるんや、それ』と気がつき『右側にくっつくように座っている彼にそう聞』きます。『そうやで。きみに言うてるんやで。これはだいじな話やで。おれが、ワープできるねんからな』と『弾んだ声』で返す彼に『ワープ?』と『復唱』する南津は、『長椅子のいちばん端に座っていたわたしの右側に、その男の子は無理矢理詰めて座っていた』と、『バリカンで丸坊主にしたのがそのまま伸びて一か月、というような髪型で、黒目ばっかりの丸い目』の彼を見ます。『そうや、ワープやで。すごいやろ』、『なんなんそれ?急に遠いところに行けるやつ?』、『そう。瞬間移動や。瞬間で移動する。したことある?』、『ないけど、それは』と会話する二人。そんな時、『ちょっとおにいさん、なんやったっけ名前?南津さんにわけわからんこと話しかけんといてよ…』と、『左側に座っている愛梨ちゃんが手を伸ばして彼の肩をたた』きます。そんな愛梨に『わたし機嫌悪ないで。それやし、なんかこの話おもしろそうやし』と、『なんとなく、この話がどこかにつながるような感じがした』南津は答えます。『それやったらいいけど』と言う愛梨は、彼女の向こう側、『男の子が三人と女の子が二人』座る『反対側に向い直』ります。そして、南津が『右側に目を戻すと』、愛梨を見つめる彼は『変わってんな、あの子。ほんでどこまで話したっけ?…聞きたいやろ?ワープやもんな。みんな聞きたいくせにひねくれてんねんわ。きみは素直な子や。この話はきみだけに教えるわ。えーっと』と言うので『小川です』と答えると『そう、小川さん。小川南津さん。覚えてるで。おれは、なかちゃん。忘れてたやろ。ええで、気にせんでも。ほんで、小川さんはワープしたことないんやったよね?普通はできへんよなあ、ワープ。それが、おれはできるねんな。してんな、実際。羨ましいやろ。もう、一瞬で東京やで』と続けます。それに『東京?』と『グラスをおいて』聞き返す南津に『お、興味湧いてきた?やっぱおれの話術、最高』と言う彼。『いや、そうじゃなくて、東京』と言う南津に『ああ、東京?ええ響きやなあ、トウキョウ。しかもな、表参道やで。行ったことある?表参道』と訊く彼に『ない』と、『一か月前から』『心の中にずっとある地名を思い浮かべます。『わたし、表参道に行きたい』と言うと『黒い目をきらきらさせて笑』う『なかちゃん』は、『そらそうや。みんな、表参道に行きたいはずや。まあ、この話をするにあたってはおれの好きな人について、つまりこの一年間に起こったことを順番に話さなあかんわけやけど…』と話を続けます。そんな話を聞いて『誰かに森川のことを聞いてほしかった』と『高校三年の秋の夜に、たまたま心斎橋で会ってうちまで自転車で送ってくれた隣のクラスの男の子』で、『三年で美術のクラスが同じになってからずっと話したいと思っていた森川が、ソニータワーの前でわたしを呼び止めた』ことを振り返ります。『小川さん。小川さんやんな、八組の。今の映画おれも見ててん。小川さん、途中で寝てたやろ』と話しかけられた南津は、『あのとき森川に会った場所は、ここからすぐ近くだった』と思います。一方で、自らの『ワープ』の体験を滔々と語る『なかちゃん』。そんな中、『わたし、ちょっとトイレ』と席を立った南津はトイレが空くのを待つ中に『森川のことを考え』ます。『東京のどこかの大学に行って』しまった森川が彼女と歩いている写真が雑誌に載ったのを見た南津。再び席に戻った南津は『それで、どうやったらワープできるん?わたしも、表参道に行きたいねんけど』と『なかちゃん』に話しかけます…そんな南津がまさかの『ワープ』?を体験する先の物語が描かれていきます…という最初の短編〈ショートカット〉。表題作らしく、この作品に綴られていく”遠距離”な想いを上手く表した好編でした。
“人を思う気持ちはいつだって距離を越える。離れた場所や時間でも、会いたいと思えば会える。「だって、わたしはどこでも行けるから」ー 遠い隔たりを“ショートカット”する恋人たちのささやかな日常の奇跡を描いた、せつなく心に響く連作小説集”と内容紹介にうたわれるこの作品。河出書房新社の季刊誌「文藝」の2002年、2003年夏号に掲載された前半の2編に加えて、この作品のために書き下ろされた後半の2編の四つの短編が収録されています。
そんなこの作品は内容紹介に記されている”連作短編集”という言葉が一つのキーになると思います。具体的には『なかちゃん』という男性が物語を緩く繋いでいきます。
● 『なかちゃん』ってどんな人?
〈ショートカット〉
・『バリカンで丸坊主にしたのがそのまま伸びて一か月、というような髪型』
・『黒目ばっかりの丸い目』
・『おれ、ワープできんねんで。すごいやろ』
〈やさしさ〉
・『坊主頭』
・『黒目ばっかりの目』
・『遠くの人を好きなんは、辛いなあ』
〈パーティー〉
・『刈りたての芝生みたいな坊主頭』
・『洗濯に耐えきれなくなったようなTシャツにジーンズ』
・『おれの会いたい人は東京におって、東京やからっていうだけちゃうくていろいろあって簡単には会われへんねんな。でも、会いたいねん』
〈ポラロイド〉
・『唐突なそのしゃべりかた』
・『おととし大阪に帰ってきて、それから最近また写真撮りだしてん』
四つの短編に散りばめられた『なかちゃん』の存在を感じさせる表現を抜き出してみました。実は二編目の短編〈やさしさ〉には『なかちゃん』という名前は一度も登場しません。『男の人』という言い方で記されているのみです。しかし、『坊主頭』、『黒目』という特徴とその会話の様で間違いなく『なかちゃん』であることがわかります。とは言え、『なかちゃん』はあくまで脇役であって、視点が移動する訳でもなく、それぞれの短編には主人公となる人物が別に登場します。しかし、上記した『なかちゃん』の語りにある通り大阪に暮らす『なかちゃん』が『東京』に『会いたい人』がいるという点が一つのポイントになります。それこそが、この作品、四つの短編の底辺に流れる”遠距離”な想いがそこに浮かび上がるからです。
では、そんな四つの短編について見ていきましょう。表題作の〈ショートカット〉は上記でご紹介しましたので残りの三編です。
・〈やさしさ〉: 『だいぶ飲んだでしょ?』、『なんかふらふらしてるで』と『マウンテンバイクを降りた片野に声をかけるのは主人公の矢野。一緒に歩き出し、『片野くんの腕が何度かわたしのノースリーブから出た肩に当たって、半袖の腕の温度と湿気を感じてどきどきしていた』という中に矢野の携帯電話が鳴ります。それは東京にいる由史からでした。『長い間会っていな』いという由史との電話を終えると、『彼氏?』と訊く片野。『うん』と答える矢野に『彼氏、東京やもんねえ。遠距離仲間や。ぼくには、今日まだ電話ないわ。向こうも、大学で飲み会あるらしくって』と答える片野。そんな『向こう、という言葉には、単に電話の向こうじゃなくて、「こっち」と対になった親しい響き』を感じる矢野。そんな矢野は『信号が赤だったので止ま』ることになった瞬間『わたしは願いが通じたと思いたかった』という気持ちになります…。
・〈パーティー〉: 『ほんまにこんなとこにマリーナなんかあんの?』と訊く和佳子と同じことを思うのは主人公のりょう子。その『五メートルほど先をどんどん歩いていくなかちゃん』は『ときどき川や堤防に向けて、シャッターを切ってい』ます。『もうすぐ着くから』と『立ち止まらないで振り返』る『なかちゃん』は『気楽にそう言』います。『一週間ほど前』、『フリーマーケット』で『写真をやっているのでモデルになってほしいと』和佳子に声をかけてきた『なかちゃん』。『適当にあしらっていた』ものの熱い語りに了解してしまった二人。そして、歩き続ける中に『おれ、すごい写真が撮れたら、会いに行きたい人がおんねんな…』、『おれの会いたい人は東京におって…簡単には会われへんねんな。でも、会いたいねん』と語り出した『なかちゃん』の語る『「東京」と「会われへん」』という言葉だけが気になるりょう子は…。
・〈ポラロイド〉: 『撮った写真』を掲載してくれた『雑誌の編集者』の木島と『今日初めて』直接『会っ』たのは主人公の吉野。その後、『新宿御苑』で写真を撮った吉野は『もう十時も過ぎている』という時間に再び飲み屋で向かいあいます。『あの、ここってどこら辺なんですか?』と訊く吉野に『えーっと、新宿から言うと…靖国通りってわかる?』、『花園神社っていう古い神社があって…』と説明する木島。『花園神社、って』と『その名前を覚えていた』吉野が『もう三年以上前やけど、行ったことあります』と反応すると『へえ、なんで?』と木島が訊くので『そのとき、彼氏がこっちに住んでて…』と説明する吉野。『ふーん、遠距離だったんだ。まだ続いてんですか?』と訊く木島に『いえ、去年別れました』と返す吉野。そんな吉野に『やっぱ、東京と大阪じゃ遠いよねえ』と木島は語ります。
表題作の〈ショートカット〉含め、それぞれの短編では、”遠距離”で相手のことを思う人物が登場します。上記でご紹介した四編共通に登場する『なかちゃん』はその代表格でもあります。そんな『なかちゃん』は、〈ショートカット〉で、主人公の南津にこんなことを滔々と語ります。
『なあ、おれ、ワープできんねんで。すごいやろ』。
瞬間移動を指す『ワープ』という言葉はSF小説ではよく登場しますが、柴崎友香さんの作品では違和感があります。しかし、この〈ショートカット〉では、えっ?まさか?という場面が登場します。ネタバレになるので余計なことは書きませんが、これから読まれる方には少し楽しみにしていただきたい場面です。そこには柴崎友香さんらしい『ワープ』が描かれていると思います。
とは言え、上記した通り『なかちゃん』はあくまで脇役です。ただし、重要な役どころを果たしています。それぞれの短編には、一人ずつ主人公となる女性が登場します。そんな主人公たちは、それぞれの”遠距離”な想いを抱えていることがわかります。
『どうやったらワープできるん?わたしも、表参道行きたいねんけど』
そんな風に”遠距離”を飛び越えて『会いたい』という想いを募らせていく主人公たち。物語では、そんな彼女たちにひとつの”きっかけ”を与える役割を『なかちゃん』が果たしていきます。
『簡単には会われへんねんな。でも、会いたいねん。そのために、おれはおれのめちゃめちゃすごい写真を撮りたい』。
そんな風に語る『なかちゃん』。それぞれの短編ではそのきっかけはもちろん異なります。しかし、緩やかに『会いたい』という想いに心を振り向けていく主人公たち。それぞれの主人公たちの日常がある意味淡々と描かれる物語には、”遠距離”な想いと共に生きる4人の女性たちの姿を淡々と描き出す、そんな物語が描かれていました。
『だって、わたしはどこにでも行けるから』。
そんな風に思い至る主人公たちの姿が描かれたこの作品。そこには、四つの短編それぞれに、それぞれの事情で”遠距離”な想いを抱える主人公たちの物語が描かれていました。濃厚な関西弁が物語に独特な雰囲気感を醸し出すこの作品。四つの短編共通に登場する『なかちゃん』が良い味を醸し出してくれるこの作品。
物理的な距離と心の距離、その二つの”遠距離”な感情を「ショートカット」したいと思う主人公たちの想いを綴る柴崎友香さんらしい作品でした。
Posted by ブクログ
映画館で「寝ても覚めても」という作品の予告編を観ながら思いだした。
柴崎友香。
「きょうのできごと」(河出文庫)で登場して、行定勲が映画にした。小説は読んでいたが、映画をテレビで見て、映画もいいなと思った。
そのときからずっと読んでいるが、面白いことに出来が悪いと思った「春の庭」(文春文庫)という作品で芥川賞をとった。ぼくの先生の一人の哲学者が「ヒャクキン小説」とおっしゃるのを聞いて、二の句が継げなかった記憶がある。ともあれ、この作家に「芥川賞」は似合わないと思った。「そんなたいそうなことじゃないんです。」って、本人がいいそうな気がする。
「今このとき」が書かれている小説、それがやっぱりおもしろい。だから「これ、いいよ。」そんなふうに紹介したい。ところがこれがムズカシイ。ぼくが好きな小説はすこし変なのかもしれない。そんなふうに思うこともある。「ショートカット」(河出文庫)もそんな一冊。
《今日の仕事が終ったらすぐに、由史くんに電話しようと思っていた。由史くんは仕事中かもしれないけれど、それでもどうしても話したかった。おなじ場所にいるだけでなにも言わなくてもわかることが、電話の向こうとこっちで別々の景色を見ながらいくらしゃべってもきっと伝わらないって、決定的にわかり始めていた。だけど、そのことを、電話をかけて、確かめたかった。電話の向こうの由史くんに伝えたかった。》『やさしさ』
《「なんで、今日、こんなとこまで来たんやろ」和佳ちゃんは声を落とさないで言ったけれど、なかちゃんは聞こえないのか聞こえていないふりをしているのか、その言葉には反応しなかった。角度の高い太陽のせいで小さくなっている影を引き連れて、相変わらず周りの建物や空を見回しながら歩いていた。足元を見ると、自分の影もとても短かった。「なんかさ、後から考えたら筋が通ってないのに、その場ではわかったような気になって返事してしまうことって和佳ちゃんもある?そんな感じ?」「うーん。」》『パーティー』
《「なんか、意外。和佳ちゃんはそういうとこはさらっとした感じかと思ってた。」「なんで?どこが?だって、わたし、好きな人とめっちゃ遠くの知らへん場所で暮らすって決めてるねんもん。好きな人についていって見知らぬ遠くの街で暮らすっていうのこそ、女の子の醍醐味やん。」わたしより三つ年上の和佳ちゃんは、中学生の女の子みたいに、その夢になんの疑いも持っていない眼で語った。「そうかな?大変そうやん。知らへんとこなんかいったら。」「大変やけど、愛があれば苦労もできる。それが愛。」「遠くって、どのぐらい遠く?」
船が出る、一応港と呼べる場所なのに、どこを見渡しても行き止まりに見えた。近くの工場から、鉄を削る音やとても重くて固いものがぶつかり合うような音が重なって響いてくる。空は、だんだんと雲のほうが多くなっていた。
「とりあえず、日本やったらあかん。希望は太平洋を越えたくって、近くても東南アジア。」「じゃあ、外国の人と結婚すんの?」》『パーティー』
この本のなかには『ショートカット』『やさしさ』『パーティー』『ポラロイド』という四つの短編小説が入っている。それぞれ別の話なんだけれど、一つめの引用で「由史くん」に電話しようとしている女性と二つめと三つめの引用で「和佳ちゃん」と話している人は登場人物としての名前は違うようなのだけど、どうも同一人物ではないかという感じの小説群。就職して東京に行ってしまった彼を思う『ショートカット』、その彼と別れそうになっている『やさしさ』、彼と別れた『パーティー』、新しい彼と出会う『ポラロイド』という連作。
気いったところを探して引用しはじめてみたけれど、ドンドン書き写してしまいそうになってしまう。この案内をここまで読んできた人は「どこがおもしろいねン?」きっと、そう思っているだろうと思う。
こんな言い方をするともっと意味不明になってしまいそうだが、今、ここにたしかにあって、みんなには見えない本当のことにとらわれてしまうとか、仲の良い友達と一緒にいるのに、自分が一人ぼっちだと感じるような経験をしたことはないだろうか。一緒にいる人は、きっと変な気がする。
この小説はそんな気分をとてもうまく書いている。この人の小説を読んでいると、そんな気分の中に主人公と一緒にワープしてしまうような、スリリングなリアリティがとても心地よい。
例えば一つめの引用で「由史くん」に電話をかけたいと切実に思っている彼女はこの時、友達と電車の先頭車両に乗っている。
《一人しかいないのに進行方向を指差して確認している運転手にも、それ(前方の風景)は同じように見えているはずで、不安にならないのか不思議に思った。進む先が見えていないのに、どうしてちゃんと進めるんやろうって。目の前の線路が見えているだけで、ただ昨日も乗っていたからだいたいのことがわかるだけやのに。》
なんて事を不思議に思いながら、前方を見つめている。
《発車のベルが世界を分ける。ドアが閉まって、わたし達は空気と一緒に運ばれる。移動していることを感じないまま》
今、立っていた世界から引きちぎられるように遠ざかっている自分を見つけてしまう。
今ここにいるということがなにげないことなのに、哀しい。そこに立って見せているこの作家の作品は、なかなか「ヒャッキン」では買えないものなのではないだろうか。
うーん、これではやっぱり案内になっていないか?(S)
Posted by ブクログ
17/01/25 ⑥
関西弁なのにやさしい。ほろほろにやさしい。
・それから、どこか遠くを見つめるような目をして、
「おれは、あの人に会いたい」と、言った。(P25 ショートカット)
・「会われへんようになるなんて思わへんかった。卒業しても、家も近いし、次があるって思ってた。なんの根拠もなかったのに、今思うと」
「それは違うで。会いたいって思ってるから、会えるんやで。誰でも、たぶん。(P38)
Posted by ブクログ
行きたい気持ちさえあればいつでも好きなところへ行けるんだ、という明るい短編集。別れの予感がする遠距離恋愛の話が多いのだが暗さはまったくなく、読後は晴れ晴れとした気分になった。柴崎友香の中でも一番爽快さのある作品だと思う。
恋人に対して離れていく心、それから人生そのものを非常によく象徴している『やさしさ』の次の一節が印象に残っている。
「発車のベルが世界を分ける。ドアが閉まって、わたしたちは空気といっしょに運ばれる。移動していることを感じないまま。(85P)」
解説で「その小説以外のことをいろいろ考えてみたくなって、その小説を読んでいるのに、その小説のことを、つい忘れてしまう」から柴崎友香の小説は素晴らしいのだと言っていて、柴崎友香の作品の魅力を絶妙にうまく表現した説明だと思った。言われてみると私も、彼女の作品を読んでいたはずがいつのまにか自分の身の回りのことを回想していることが多い。彼女の作品には、平凡な生活を送っている私のような人でも、自分と自分の周りの世界を重ねられる懐の深さがある。
Posted by ブクログ
遠距離恋愛がテーマの連作短編だけど、全然甘くない。
甘くないどころか、終わりを予感させるような作品が多いけど、だからといって切なくもなく、体温が低めの人達の話という感じ。
日常を切り取っての描写が、私のツボに入らないので、波長が合わないんだろうなあ……。
文章は読みやすいので、波長が合う人には面白い作品なのだと思われます。
Posted by ブクログ
日常の一コマだけど、ちょっと不思議な感じ。
絵日記みたいな感じがずるけど、“会いたいけど会えない人がいる”という切なさのベールで覆われて、どこか白くうすぼんやりしている。
そんなイメージの小説だった。
Posted by ブクログ
柴崎さんの小説は、派手なことは何も起こらない、淡々とした物語ばかりです。登場人物が関西弁の人が多いのも好きなところです。この物語は、短編集なんだけれども、登場人物同士がちょっとずつ繋がっています
Posted by ブクログ
思いが 膨らんで 何かを超える瞬間
桜を散らす風や、夏のぬるい夜風
そんなものを通すと
全てが透明になって、気持ちがどこまでも走る
会いたい人を思い出す
Posted by ブクログ
私は彼に会うために大阪から東京へショートカットする。そんな夢のような、一見訳の分からない話。でも、心の距離って現実よりも、もっともっと短いのかもしれない。ショートカットすることは出来ないけれど、「いつも近くにいる」というその距離を信じることが大切なのかも。