村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2010年に新潮文庫出読んで以来の再読(村上春樹訳)。最近村上春樹訳の小説がアタリが多く、折角なので読んでみることに。また、昔読むきっかけになったアニメ映画『秒速5センチメートル』(以下、単に『秒速』という。)の実写映画を観たことも、『草の竪琴』を思い出すきっかけになった。
【表題作】
初読の頃は主人公たちを脅かす存在に非難の気持ちを抱きながら読んだものだけど、今回はなんというか、もっとフラットな気持ちで、まさにおとぎ話を読むように味わった。
「あるいは我々の誰にも、居場所なんてものはないのかもしれない。ただし我々は、それがどこかにあることを知っている。それがもし見つかったとしたら、そしてほんのひとときでもいいからそこに暮らせたとしたら、そのことを至福と見なしていいんじゃないかな。」 (p.63)
読み方が変わったのは単純に歳を重ねたからであって、こうした変化は自分に限ったことではないのだろう。成長なのか経年劣化なのか、それは分からない。
いい小説だよな。読んで良かった。
なお、先述のとおり、そもそもこの小説に出会ったのは、『秒速』のヒロインがエンディングの途中に一瞬この小説を読んでいる描写があったからだ。(新海誠の他の映画では、主人公がサリンジャーの『ライ麦』(村上春樹訳)を読んでたりもする)
この小説を『秒速』のヒロインが読んでいた意味…
彼女の大切な恋が、人知れず奏でられる風が草を揺らす音のように、毎日の生活の中で意識せずとも、静かに響いていることを示しているのかな。とか、ちょっと気持ち悪いことを考えた。
また、訳者である村上春樹について。彼は様々なところで自身にカポーティが与えた影響について言及しているところ、私はその辺の感受性がないのか読解力がないのか、カポーティが自分の中で特別な作家という訳ではない。ただ、この小説からは、村上春樹のハードボイルドではない側面の源流をみた気がする。
丁寧な優しさ?小説的な優しさ?とでも呼んだら良いだろうか。優しさという言葉には、例えば親切であるとか相手を良くしてあげるだとか、そういった行為も含まれるのだが、この小説で描かれる優しさは、なんというか位相が異なる感じが伝わってくる。『海辺のカフカ』とか『IQ84』とか、それこそ『風の歌を聴け』とか、あの辺りの小説を読んだ時、もっといえば村上春樹を読んだ時に感じるもののエッセンスが含まれている気がした。
【最後のドアを閉めろ、ミリアム、夜の樹】
表題作とは打って変わって、とんでもなく不気味な小説群。正直にいえば「夜の樹」は自分にはイマイチぴんと来なかったが、前二者は最早ホラーといった感じで空恐ろしい。特に、その恐怖の原因が自分の中にある可能性が留保されており、澱のように自分の中に残ってしまう。
あまりにも表題作と違って驚いたけど、これはこれで面白い。 -
Posted by ブクログ
映画から入り小説→映画と何度もループしてしまう大好きな作品。
ホリー・ゴライトリーの奔放な美しさと、その裏側にある苦悩、自由を求めるあまりその自由に苦しむ、ホリーの言う"いやったらしいアカ"は、現代人、とくに都市で生きる僕らに通ずるものがある。
オードリー・ヘプバーンのキュートさがこの作品を有名にした一助であることは間違いないが、物語としては小説の方が好みである。映画版の結末はややご都合主義というか、映画を見終わった人たちが肩透かしを喰らわないように配慮したのでは、と感じる。小説の結末の方が、ホリーというどうしようもなくは魅力的な人間の内面を表していると思う。 -
Posted by ブクログ
村上春樹は20年近く続けてきた一人称「僕」で小説を書くことがだんだん息苦しくなってきて、『ねじまき鳥クロニクル』(1994)を最後に、三人称での語りを取り入れたみたい(参考文献:村上春樹『職業としての小説家』新潮文庫)
『1Q84』は、カルト集団のリーダーを暗殺した青豆と、青豆と特別な関係を持つ天吾の2人の三人称の語りで交互に物語が進んできたけど、この巻からはまさかの牛河(カルト集団に雇われた醜い容貌の追跡者)の語りも加わった!
青豆と天吾の周囲には時空や次元を超える不思議な世界があるけど、そこに現実世界の牛河が加わることで、スイカに塩をかけて甘さを引き立たせるような効果が生まれた
ところで、安達クミという登場人物が自分のことを、「パッとしない名前でしょ?」と言うシーンがあり、なんで??としばらく考えてたけど、名前の最後に"ん"を付けたらっていうこと!?(まさかまさか)
Haruki Murakami gradually found writing novels in the first person using "boku" (I), which he had continued for nearly 20 years, to be increasingly stifling. After "The Wind-Up Bird Chronicle" (1994), he began to incorporate third-person narration (Reference: Haruki Murakami, "Novelist as a Profession," Shincho Bunko).
In "1Q84," the story had progressed alternately from the perspectives of two characters: Aomame, who assassinated the cult leader, and Tengo, who has a special relationship with Aomame. However, from this volume onward, unexpectedly, the perspective of Ushikawa (an ugly tracker hired by the cult) was added!
Around Aomame and Tengo exists a mysterious world that transcends space, time, and dimensions. By adding Ushikawa's viewpoint from the real world, it created an effect like sprinkling salt on a watermelon to enhance its sweetness.
By the way, there is a scene where a character named Kumi Adachi says, "Isn't it a dull name?" I wondered why for a while—but does it mean that adding the syllable "n" to the end of the name would change that!? (No way, no way)