村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
なぜ小説家の方々は、自分とは性別も年代も異なる登場人物を、これほど解像度高く描けるのだろう。
本を読むたび、美しい文章がどのように生まれるのか、不思議に思います。
本書で、村上春樹さんは小説を書くうえで大切なこととして、次のような点に触れています。
① 執筆を支える基礎体力をつける
② 良い文章、時に悪い文章に触れる
③ 人間を観察し、自分の引き出しに蓄える
④ 自分自身が楽しむ
アイデアは既存のものと既存のものを掛け合わせることで生まれます。
そう考えると、美しい文章を書くために必要なのは、机に向かう時間だけではないのかもしれません。
本を読むこと。人を観察すること。身体を動かすこと。日常の中で心が動く瞬間を見逃さないこと。
何気ない経験の積み重ねが、想像力を育み、いつか自分だけの言葉になるのだと思いました。
#職業としての小説家 #村上春樹 #読書 #読書記録 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『ねじまき鳥クロニクル』を読んだ。とても面白かったので、是非とも備忘録を遺しておきたいと思って、いま筆を執っている。
第一・二部のテーマは、「他者といくら親密な関係でも彼の全てを知っているのだろうか、また全てを知ることが原理的にできるのだろうか」というもので、第三部および全体のテーマは「運命」だと感じた。
前者については多く語る必要はないだろう。
よって以下では主に後者について、語ることとする。
本書は、村上春樹には珍しく純粋悪や戦争が登場する作品らしい。
これらが齎す「大きな暴力」という多面体の、「運命」という一面に着目したのが、この作品に通底するテーマがそれとなったきっかけのように思える。
そして本書は「運命」というテーマを通して、「運命に直面してしまったときどうすればいいのか」という大きな疑問を提出しているのだ。そして結論から言ってしまえば、「運命に自分の創造した物語を付け足し続け、自分の現在を現在それ自体に取り戻すべきだ」とその疑問に答えているように思う(ただそもそも私は、優れた小説における伝えたいメッセージなどというものは一口に言語化できるものではない、と考えていることは留保しておきたい)。
まず本書における運命とは何なのか少しく考えてみよう。
1. 運命というのは、自分の現在を、今ではない時間に回収することで成立する見方だ。
現在が、過去の或る出来事から枝分かれの無い一本の線で結びついたことを思い返して了解するとき、「今のこの状況は、あの時から決まっていた運命だった」と言え、それは今在る現在を、今無い過去に回収してしまうことで起こる。
また、予言やそれに類するもので提示された未来が、現在から枝分かれの無い一本の線で結びついていると了解してしまったとき、「未来の或る状況は、今この時には既に決まっている運命なのだ」と言え、それは今在る現在を、今無い未来に回収してしまうことで起こる。
2. そしてこの了解は、事実である必要はなく、劇中の言葉を借りるなら「僕にとっての真実」でいい。
3. 運命は個人の意志ではどうにもならないような大きな力である。そうでなければ運命とは言えない。そして、それ故に運命は、諦観や無力感を齎す。
4. 運命は物語と換言できる。物語も枝分かれの無い一本の線で結びついているからだ。その線は、ある種の一貫性とも呼べるだろう。
運命を構成する要素について便宜的に四つの番号を割り振った。
なぜこの四つを列挙したのかというと、これによって劇中での行動が数多く読み解けるからだ。
例えば、本書には占い師が多く登場する上、彼らやそうでない者からも多数の予言を貰うのは、1の「現在を未来に回収する」パターンの運命があることは提示するため、といった具合だ。
さて、なぜ「運命に直面してしまったときどうすればいいのか」という疑問が意義を持つのかと言えば、それは運命に直面すると非常に困ったことになるからだ。それは3の要素が絡んでくる。
運命は深い諦観を齎し、間宮中尉の戦後の半生のように、人生を台無しにするほどのネガティブな力を持っている。そのうえ、同時に運命はその定義からして、「個人の意志ではどうにもならない」のだ。まるで、致死的な症状を持つが、治療法の無い病のようなものだ。故に非常に困る。
しかし、本当に治療法はないのだろうか。
運命は4にあるとおり、物語的な性質も持つ。その方向からのアプローチを試みた代表的な例がシナモンであろう。
彼は「自分という人間の存在理由を真剣に探している」。その手法として、父親の運命を、彼の物語を書くことで探ることを選んだ。
運命とは「枝分かれの無い一本の線」なので、物語の進展における登場人物の「そうした筈」という論理的(あるいは擬論理的)な筋道から、運命を割り出せると考えたのだ。
また3にもあるとおり、運命の成立における了解は、事実である必要はなく、「僕にとっての真実」でいい。真実と思えるなら事実ではなく物語でもいいのだ。
こうした物語を用いた療法は、そのまま小説にも適応される。
故にシナモンの書く劇中作の題も、本書の題も『ねじまき鳥クロニクル』なのだ。
主人公が辿る超自然的、無意識世界的な旅路が、現実世界とリンクするのも、運命の成立、言い換えれば本作品という物語の成立にとっては事実かどうかは問題ではなく、ただ「僕にとっての真実」かだけが問題だからだ。
また、こうした事実の軽視のような見方が、作品の謎の多くが明かされることなく物語が終わってしまうことのエクスキューズにもなっている。つまりそうした謎の「本当の事実」は主人公の岡田亨の物語療法には必要なかったのだ。
しかし、本書の登場人物がこの手段を用いていることは分かったが、なぜそれが運命に抗する治療法となりうるのだろうか。
まず運命というものは、事実や物理的な現象ではなく、(特に通俗的な理解においては)本人の認識に過ぎないだろう。運命はそういう胡乱なものなので、心持ちしだいでなんとかなるといった治療法も当然考えられるが、本書を読めばそんな結論はあまりに通俗すぎると断言できるだろう。
それに寧ろ、運命とは、他人に理解してもらえるような物理的な現象ではなく、個人的で、偶然的で、超自然的な概念だから、当人にその暴力性や支配性、不可避性を発揮するのだ。そうした性質は、ねじまき鳥の不可視、不可知性に象徴されている(言うまでもなくねじまき鳥が巻いているのは、運命のねじだ)。
おそらく「物語療法」が有効になりうるのは、「どうにもならない」筈の運命に、或る程度恣意的に続きやディティールを付け足せるからだ。そして何故付け足せるのかと言うと、運命は現実世界の物質や事実を暴力的に支配するが、「物語」はそれらから隔絶・遊離した「想像」であり、「僕にとっての真実」だからだ。
運命の擬人化のような役回りの綿矢ノボルが現実世界で強い影響力を持つ傍ら、夢の世界では力が弱く、最終的に僕に打ちのめされてしまうことからも分かるだろう。
作中の結末だって、「クミコは浮気をして家出をした」という状況証拠から導き出される極めて現実的なシナリオで納得せず、独善的と言えるほどにクミコの内面を”想像し、決めつけ、行動に踏み出した”故に、「もっとひどいことになりえた」があの程度で済み、ハッピーエンドとまではいかなくとも、ビタースイートなエンドに終わったのだ。
クミコもとい電話の女との夢の世界での最後の問答からも分かる通り、”想像し、決めつけ、行動に踏み出す”ことがとても重視されている。
また、そうして自らの意志で運命を物語で付け足し続けるのは、「現在を過去/未来に回収してしまう」性質を持つ運命から再び、己の現在を現在それ自体に取り戻すことに繋がるのだ。
よって、本書が提出している「運命に直面してしまったときどうすればいいのか」という大きな疑問に「運命に自分の創造した物語を付け足し続け、自分の現在を現在に取り戻すべきだ」と答えていると私は結論付けた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ良かった!
中年の男性は大抵、人生に対する「渇き」を多かれ少なかれ持っていると思う。本当はこうしたい、あの時こうしていればよかった、こんなはずでは、、など(世代や性別は関係ないかも笑)。
そんな「渇き」の正体が明確なハジメはある意味恵まれている方でしょう、と思いきや、島本さん、そりゃないよと笑
大人になるってこういうこと、と言われている気がした。
それにしても村上春樹さんの作品を読むといつも、浮遊感が残る。
周りの音が小さくなって、焦点が遠くにある感じ。
それが心地良い!
あとでふと気づいたが、押見修造さんの漫画『漂流ネットカフェ』は、この作品ととても似ていると思う。
知らない人は読んでみてほしい! -
Posted by ブクログ
足元がおぼつかなくなるような読書体験だった。読み終わって、イヤホンを外しても生きている世界に戻ってきた実感が湧かなくて、人工甘味料を流し込みながら一歩一歩を取り戻しつつ帰宅。
国境の南はたぶんあるんだよ。あると信じられているうちに、太陽の西はないと気付かされてしまう前に。それは島本さんなんだよ、死ぬことと引き換えでしか或いは死んでも手に入らないもの。名前を叫んで手繰り寄せて絶対に離すな。もしかしたら叫ぼうと思っても、喉が渇いてうまく声が出ないかもしれない。でも、その先に広がるのは、それを超越した圧倒的な渇き、歩いても歩いても広がり続ける砂漠なんだよ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ最初は、田村カフカくんがなんでそこまでして家出したいのか不思議でしょうがなかったけど、ジョニーウォーカーの場面を読んで、たしかにこれはきついと思った。
ずっと静かな文体で、綺麗で、落ち着いた世界を読んでいると思っていたら、ジョニーウォーカーの家での場面に差し掛かって食欲が無くなるほど嫌な気持ちになった。
この場面を読みながら食べていたマックのポテトが半分くらい食べられなくて捨てた。
猫の心臓とか、頭とか、おいしそうに、楽しそうに切ったり食べたり、急にむごくてね…笑。
前半は登場人物たちの繋がりが分からなかったけど、後半にかけてだんだん繋がってきて読むのが楽しくなってきた。
後半も楽しみ。