村上春樹のレビュー一覧
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イエスタデイが好きだった。
木樽のような人間になりたい
ドライブマイカーの
どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛し合っている相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。
そんなことを求めても自分が切なくなるだけです。
しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことができるはずです。
ですから結局のところ僕らがやらなくちゃならないのは、自分の心と上手に正直に折り合いをつけていくことじゃないでしょうか。
本当に他人を見たいと望むなら、自分自身をまっすぐ見つめるしかないんです。
自分は理解するのは不可能でありだけど、相 -
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ネタバレ出だしから、ナカタさんによる骨の矯正が凄く面白かった笑
ナカタさんに振り回されつつも、刺激的な体験ができているホシノが少し羨ましい。
「いつか父を殺し、母と交わり、姉とも交わる」
という不吉な予言を残していた父親。
その言葉どおりになってしまうカフカ。
入り口の石を探すナカタ。
最後まで付き合うホシノ。
父であり猫殺しのジョニー・ウォーカー。
ホシノを導くカーネル・サンダーズ。
佐伯とナカタが出会ってからはあっという間だった。
正直、カフカの方は分かるようなわからないような、というかやっぱり強姦などの性表現が苦手。
ナカタとホシノの関係性が良く、今後は何か考える必要がある時はナカタさ -
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ネタバレ楽しみにしていた村上春樹の新刊。他の作品と同様、不思議な/突拍子もないキャラクターが出てきたかと思う一方で、これらが物語の重要な役を担い、次第に不可欠な存在になっていくのが面白い。ねじまき鳥クロニクルが夫婦の再生(或いは夫婦での悪への共闘)を描いたのだとすると、本作は娘と母親の関係性について描かれたもの。家族も含めて、人と人とはどこかハマり切らないピースのようなものであり、それに半ば気がつきながらも、日々に追われる中でその関係性を数十年単位で放置してしまうものであると思う。主人公の夏帆は、守護天使やありくい、叔父等の存在を通じて、この問題に向き合う(つまり、自分の世界の物語をくぐり抜ける)。自
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ネタバレクリフハンガー
"作劇手法の一つで、劇中で盛り上がる場面、例えば主人公の絶体絶命のシーンや新展開をみせる場面などを迎えた段階で結末を示さないまま物語を終了とすることである。"
この小説の構成として、この言葉が一番似合うであろう
いくつかの物語が並行して進んでいく中、各章の最後にはクリフハンガーが訪れ、そして、それが回収される前にまた別の物語が進行し、そこでもまた別のクリフハンガーが訪れる。
常に新鮮な衝撃が脳髄を駆け巡るこの経験、あまりに心地よい!!!
世界で一番タフな15才の少年、君が幸せに生きれる保証はないが、タフに生きてくれ、と思いながらスピンを外す。
僕は気 -
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過去の人に会うことは、過去の自分に会うことなのかもしれない。
島本さんは、単純に「忘れられない女性」というより、初が選ばなかったもう一つの人生や、過去への憧れそのものに見えた。
島本さんと一緒に現実を捨てることもできたはずだけど、結局は現実を捨てきれない。妻や子供、仕事、自分が現在まで積み重ねてきた人生を完全には手放せない。
要するに、現実が捨てきれない。
だから島本さんは消えた。
イズミの存在も、過去に自分が誰かを傷つけたこと、その記憶や罪悪感が現在の自分の中に残り続けることを象徴しているように感じた。
結局、人は「もし別の人生を選んでいたら」という可能性を完全に消すことはできない -
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表題作『ティファニーで朝食を』でオードリー・ヘプバーンの映画を思い浮かべる人も多いと思うが、そちらは未視聴で読んだ。作中のホリー・ゴライトリーは溌剌としたヘルシーな印象で、自由な猫のようにプリズムが弾け飛んだようなギラギラした瞳をした女性だったので、上品なイメージのヘプバーンが演じたことが意外だった。実際、著者も映画化の時にオードリー・ヘプバーンがホリーを演じると聞いて、多少不快感を露わにしたとのことだった。
この作品の中にはティファニー以外にも短編が3作収録されている。どれも純真の象徴としての存在が登場し、それが暗いテーマの中で対象物として良い働きをする。以前カポーティの『誕生日の子どもた -
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映画「ライ麦畑の反逆児」がおもしろく、サリンジャー関連でそういえばこの本持ってたと思い出して再読。(初読のとき感想書いたかな?と思って本棚内検索したら、わたしは2007年から感想書きはじめていたようで、2003年出版のこの本は出てこなかった)。
最初に村上春樹氏による「キャッチャー・イン・ザ・ライ」訳者解説を読んだら、「ライ麦畑の反逆者」のストーリーがよりよくわかって、さらに細部が補完される感じですごくよかった。村上氏は、サリンジャーは戦争体験がショッキングすぎて小説にすることができず、「キャッチャー~」は書かれることのなかった彼の個人的な「戦争小説」かもしれない、ということを書いていた。
で -
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解るようで解らない、そもそも「わかる」ものではないのかもしれない。
ただ、何となく雰囲気がいいなとか、この文章が好きだなとか、この登場人物には共感するなとか。
もしかしたら、小説ってそれでいいのかもしれない。
もちろん逆の感情も然りで、ここが嫌い、不快、意味が分からないなどもありだし。
小説を読み続けて30年以上になるけれど、この作品を再読しながらそんなことを考えた。考察とか、小説に限らずそういうのが楽しい物もあるけれど、ただ素直に作品から受け取るということ。誰にも評価されなくても、共感を得られなくても、自分だけの気持ち、感触を見つけられたらそれでいいんじゃないだろうか。
内容とは関係ない -
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ネタバレ初めて読んだのは高校三年の春だった。そのころとは私自身の考え方が随分変わったし、視野も変わっている。約二年越しに読んで思ったのは多崎つくるの感情をより身近なものに感じたし、同時にクロの犠牲にも、どこか孤立無援の静けさを感じた。色彩を持たない多崎つくるが人生で最も大切にしていた四人の友人たち。その四人は彼の望まない形で離れていき、そのうち三人と十六年の月日を隔てて再会する。その再会は、私にはどこか儀式的で、荘厳ささえ感じた。自分を切り離したかつての友人と、再会することができるだろうか。再会した三人は、それぞれ隔てていた年の分だけ変わっていた。シロを起点とした亀裂はその五人グループを決定的に破壊し
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作中時間とは少しズレてしまったけど、ギリギリ8月中に、夏の間に読めたことは満足
その後の村上春樹作品にも見られる会話のテンポの軽妙さや淡白さ、それと共存する深刻さが見られて、村上春樹らしさを感じながら読めた
過ぎ去っていくあらゆるものは再び捉えることができないし、それを諦めて受け入れようとしても、心の底では屈託してしまう人間のままならなさを感じた
「もう何も考えるな。終ったことじゃないか。」
色々と考えるべきことや示唆はあるんだろうけど、一先ずはリズムと情景に身を任せたいと思わされた
あと、個人的に驚いたのは、作中の「僕」が思う小説の評価基準の通りに、セックス・シーンが出てこないこと
村上 -
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恋人だった訳でもないのに、昔心通わせた島本さんのことが忘れられない。彼女で無くてはと申し分の無い幸せを手に入れた後に気が付き、どちらを取るかの葛藤が面白かった。
知らなくてはならなかったものごとがまるでサンプル・ケースみたいに全部ぎっしりと詰め込まれていた。
これはとても大事なことだから、よく聞いて。さっきも言ったように、私には中間というものが存在しないのよ。私の中には中間的なものは存在しないし、中間的なものが存在しないところには、中間もまた存在しないの。だからあなたには私を全部取るか、それとも私を取らないか、そのどちらかしかないの。それが基本的な原則なの。
僕はその暗闇の中で、海に降る雨の -
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自分が気にしている事項あるいはその優先順位が、自分の関係している他の人と異なる、このことについて、何を気にして何を気にしないか? あるいはその結果、その各人が取ったあるいは発生した行動に対して、どのように評価したり感じたりするのか。そして、これらに対し、人はどこまで責任をとる必要があるのだろうか。
つくるがフィンランドに飛び判明した事項からそんなことを考えた。そして自分でコントロールできない事柄について、どこまで気にするべきであるか?
「色彩を持つ、持たない」ことについても同様。名前という表層の世界でも、実際の活動に対する評価としての「色彩」についても、観念的な世界では極めて主観的である。