村上春樹のレビュー一覧
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前書きからアクセル全快の短編集。村上春樹自身が「四〇〇字詰め原稿用紙八十枚」の長めに書いたと語るように、文量、ストーリー展開ともに分厚めの作品集です。どの作品も読み応えがありますが、一番気に入ったのは「木野」。村上作品お決まりのジャズバーで各々が読書や音楽、物思いに耽る場面はさすがの描写力だと思いますし、一人で何かに没頭することは本当に贅沢な時間の使い方だなと結婚した今思います。また、蛇の登場から始まる時間•空間の転位は『ねじ巻き鳥クロニクル』を思わせる展開。他の作品を含めて何度夜中に電話のベルがなったり、ドアがノックされたのか分かりませんが、遂にその相手の正体と真意が明らかに。なるほどと思わずにはいられない結末でした。
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面白い。物語を通じて生きるとは、人生とは、世界の終わりに向けて自分はどれくらいたくさんのものを見落としているんだろう、、、と思わされた。
要約したりどんな話しか?そんなことをするのは無粋かな、読んで感じて余韻に浸る。読む人それぞれ味わい方が違うんじゃないかなと思う。
ただ、一つ事実として驚いたこと。
この作品が発表されたのが40年以上前ということ。
もちろん作中にはスマホもなければカーナビもない。
だけど、文体や世界観に古さを感じさせず、現代でも通ずる人間らしさが描かれている気がして、
村上春樹の魅力ってこういうところも一つ挙げられるのかなと思った。 -
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カポーティが紡いだ文章はそれがこの世に顕現したこと自体に畏怖を感じるレベルであり間違いなく唯一無二の作家なのだが、雰囲気先行すぎて内容が今ひとつ頭に残らないことも多い。
その点この「草の竪琴」はプロットが非常にわかりやすく、それでいて文章の魔術的な魅力は他に劣らないため、これが個人的にカポーティの一番好きな作品である。
文章を読んでいてその恐ろしい完成度の高さに打ちのめされた体験は思い出す限りでは夏目漱石の「門」の二人が恋に落ちる場面が真っ先に思い浮かぶが、この草の竪琴いちばんの見せ場である雨の降る森のシーンは、久々にこの打ちのめされる感覚を味わった。あまりに文章が上手すぎる。この美しさをぜひ原著で読めるようになりたいと思えるほど素晴らしい。
過去のエッセイやあとがきを読む限り村上春樹はフィッツジェラルド、カポーティをそれぞれ別の方向性で特別視しており、さらにチャンドラーやドストエフスキーなども重要な作家だと捉えていると、個人的に認識しているが、彼自身の文章を読むとやはりフィッツジェラルドやチャンドラーよりはカポーティの方が親和性を感じる。あとがきに書かれている「カポーティショック」はおそらくクリエイターとして成功できるだけの審美眼を備えたあらゆる創作家が一度は経験しているであろう類の苦悩であり、あの村上春樹がそれを感じるほどの作家であるというだけでカポーティの凄さは十分に伝わる。
「夜の文体」の短編3本は、同い年である安部公房の著作に近いものを感じる。不気味で美しい、繊細なガラス細工のような作品。安部公房はもっと重厚でガラス細工というより彫刻のイメージではあるが。 -
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再読。
雑誌『anan』に毎週一年間にわたって連載されたエッセイ。
村上春樹さんの小説は何冊か読んだことがあるが、小説とのギャップが激しくて、あまりのゆるさに驚かされた。小説と違ってリラックスして気楽に読めるところがいい。
大橋歩さんの版画も村上さんの文章に合っていてステキ。
個人的には、童謡『赤い靴』の歌詞について書いた話、チンドン屋の演奏するビートルズの『オブラディ・オブラダ』にはサビの部分がなかった話、たった1時間のフライトの間に次から次へと集中が妨げられた話、コロッケとの蜜月の話、ゴルフをやらず走ることが好きな理由、体重計の話が面白かった。
心に残った言葉
何が正しくて、何が正しくないというような押しつけがましいことも、なるべく書かないようにしようと。だってある人にとって正しいことが、別の人にとって正しくないこともあるし、あるときに正しいことが、別のときには正しくないことだってあるわけだから。 -
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最後の表題作「一人称単数」のパンチがすごかった。やはり村上春樹は「他者」の描き方がすぐれている。まったくの部外者でなく、逆に全くの身内でない他者。心当たりはないのに、邪顕に出来ない。それでいて自分に意味を持つ他者。
同じことは「クリーム」にもいえる。ピアノの演奏会に招いた女の子。公園でまっすぐに告げるおじいさん。他者。
「石のまくらに」。なぜ、まくらが漢字ではなく、ひらがななの?短歌の中の言葉だから?五感と語感?
「品川猿の告白」。この本全体に回想、記憶がテーマ。猿に背中を流してもらい、猿とサシでビールを飲む。昔話のような雰囲気。なにがおきても受け入れられる。我慢できない猿。名前を盗む。7人+1名?また、品川に戻っている?暴力的な手段(力尽くで放逐)で群馬に?犯罪矯正への寓意? -
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若い頃何度も読み返し、手元にあったのはボロボロになっていた。
何度目かの大々的な断捨離で「もう不要だ」と手放したものの、痛烈に呼ばれたので本屋さんで新品を購入。
読むたびに、違う感触を得るのがとても面白いところ。
今回は、とても痛い所をキリで突かれた。
度々論争になる、村上春樹
「分かる派」対「分からない派」問題。
彼の文章は、読む者の無意識を刺激して、日常生活では使われていないある種の回路を発動させる仕掛けになっていると思う。
なので、因果関係が明快なエンターテイメントとして読むと「分からない」。
ツルツル滑る、眠くなる。
ここではない、どこかへタッチさせてくれる寓話として読むと「分かる」。
というより「深く、強烈に入ってしまう」。
優劣の問題ではなく、単に性質の違い。
その装置として、個人的には
『ねじまき鳥クロニクル』が最恐だと思う。
これは断捨離網を軽々潜り抜けて、本棚にじっと座っている。
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凄く面白い短編集だった。
今まで、蛍その他短編集、パン屋再襲撃、女のいない男たちを読んだが、パン屋再襲撃の次に好きな短編集となった。
内容としては相手の奥行きを測り損ねてしまう、正確には覗き込もうとするがその輪郭は当事者にしか掴めないということを多面的に述べていた短編集だと思う。
タイトルにもなっている、中国行きのスローボートや午後の最後の芝生、土の中の彼女の小さな犬など、初期の村上春樹が持つ物語を曖昧に操作する力が上手く働いた作品が多かったと思う。
輪郭が曖昧で、道が川のようにスルスルとしており、それこそ風の歌を聴けのように全体の空気感とファクター、小物でニュアンスを操作しているものが多かったように思える。
それでいて、併せ持ったポップさと現代にも通じる感性、空気感それらがとても心地よい。
最後の話、しりつたんていは子供向けに書かれた小説なのであろう(巻末より)が、それもとても面白い話だった。
結局は、相手を想像して、努力をするがそれがフロイトだか、想像力だかそんな適当なもののお陰で何となく浮かび上がり何となく消えていくのだ、我々はきっとそうやって人と結びついて、孤独に生きているだと思う。
主人公は、庭や動物園、そこに住む人を言い当てて想像することができる。しかし、それは大変疲れてそれでいてそこに立ち入ったとしても何も感じることも匂いを嗅ぐこともできないのだ。
我々人間にはきっとそれぞれみんながそんなスペースを抱えているのだろう。 -
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村上春樹さんの作品、私は好きだなあと思う。(まだカフカしか読み切ってないけど)
このあと青豆と天吾の運命が重なるようにストーリーが進んでいくんだろうけど、警察銃撃事件のこととかNHK のこととか断片情報万歳でこっからっていうこのミステリー感?が私はめちゃくちゃ好きです。
割と一章ごとくらいに頭が疲れてしまうので一気読みはできないけど、先が楽しみすぎて最後まで読み切ってしまいそうな予感がしてる。
青豆とあゆみの会話は卑猥よりむしろ上品に聞こえるまであるし、殺人を犯せる青豆も自死してしまった環もどこかおかしいんだろうけど、すごく共感してしまう部分もあったりする。