あらすじ
あの日なら、僕はすべてを捨ててしまうことができた。仕事も家庭も金も、何もかもをあっさりと捨ててしまえた。――ジャズを流す上品なバーを経営し、妻と二人の娘に囲まれ幸せな生活を送っていた僕の前に、十二歳の頃ひそやかに心を通い合わせた同級生の女性が現れた。会うごとに僕は、謎めいた彼女に強く惹かれていってーー。日常に潜む不安と欠落、喪失そして再生を描く、心震える長編小説。
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Posted by ブクログ
あれ、これも読んだことあるぞ。
村上春樹の本、もしかしてほぼ読んでるな…
でもいつ読んだかとかまるで記憶ない…
いま、他の本も意識して読むと
この本のダンス・ダンス・ダンスのその後みたいだなーと思った。
ダンス・ダンス・ダンスでいったん現実に着地したものの、やっぱり心の震えを忘れられなくて、虚無の世界というか、地に足のつかないものに心惹かれてしまう。
結局最後はまた現実世界を生きることを決めるのだけど、心は常に現実の外側にもっと美しい心惹かれる何かがあるんじゃないか?と想像するスペースを残している気がする。
すごく共感できる。
雪かき仕事や家庭を放り出してバックパックで旅に出たくなることってある。
Posted by ブクログ
読み終わってすぐ感想を書いている。
そうしないと、誰かに勧めるときにありきたりな言葉を使いそうだからだ。
主人公は側から見れば順風満帆な生活を送っている。しかしその生活は自分の努力によるものではないと考えており、生活に満足していない。
そんな時に小学生時代に心を通わせた女性と再会して、恋に落ちる。何の不満もない妻と娘2人がいて4LDKに住んでいる生活を捨ててもいいと思うほど、恋に落ちる。
妻と島本さん(恋に落ちた女性)の性格、外見が入れ替わっても、主人公は恋に落ちていたと思う。主人公は状況に惹かれているのだ。順風満帆で不満はないのに、なぜか物足りないと感じる。そんなときに自分の思い通りにならない(急に長期間会えなくなる)女性が現れる。その人のことしか考えられなくなる。
私にはまだ経験はないが、今後私や身の回りでこういうことが起きても不思議ではないと思った。時が経ち、仕事や生活に慣れて、特に努力せずとも側から見たら充実した生活が送れるようになった時、私は何を求めるのだろう。またパートナーが同じような状況になった時、主人公の妻のように許せるのだろうか。
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終盤に何ページにも及ぶ性描写があり、
官能小説を読んでるのかと思った。
そこまで長い性描写は好まない。
Posted by ブクログ
もっともっと評価されて良い作品。
ストーリー自体は何かの恋愛小説で見たことがあるような王道な展開。けれども、そこに春樹の魅力的な言い回しや比喩、暗喩表現が加わって、ただの恋愛小説で終わらせない世界観を構築していて流石の一言です。文章のリズムも良く、展開も気になって読む手が止まりませんでした。
内容としては、過去や幻想に囚われることで目の前の幸せなはずの現実が見えなくなり、どのような選択を取るべきか苦悩するハジメの心の葛藤がリアルに描かれています。
一度狂った歯車は簡単には元に戻らない。過去は過去でしかなく現実と未来に目を向けなければいけない。そのようなメッセージを私は受け取りました。「国境の南、太陽の西」このタイトルも重要な意味が含まれていて素晴らしいですね。結末も意味深な終わり方になっています。読み手によって様々な解釈が生まれる非常に深い作品です。
Posted by ブクログ
最後の1行の「誰かがやってきて、」は、現実世界に引き戻され、島本さんが消えてしまった空洞に対して喪失感を抱いている(島本さんのことを深く考えていた)ところへ、有紀子がやってきたということなんだろうなと思う
Posted by ブクログ
友達にオススメしてもらいました!
出てくる女性のセリフがすごく好きだし、感情移入というか、小説としてのこの物語に心揺さぶられました。
僕が主人公だったら耐えられないな、と思うくらい僕からしたら辛いシーンがたくさんあって、でもこれは小説だからと割り切れて、言葉にできないけど新感覚でした。
はじめての村上春樹作品がこれでよかったです!
Posted by ブクログ
島本イズミと、主人公のハジメ。出会い、別れ、そして大人になって、再開する。その一連の人生のポイントにおいて、偶然とある種のきっかけが、人生に影響を与えていく。父の仕事でイズミは藤沢の江ノ島に引っ越し、そこから人生を歩んでいく。ハジメは出版社に勤めて、女性を傷つけてしまった。あるとき、後ろ姿にイズミの面影を見つけてついていったが、本当にイズミかどうかわからなかった。そして、経営するバーがうまくいき、ブルータスに載ったことで、イズミが店にやってくる。中間的なものが存在しないところには中間は存在しない。
あいまいな、たぶん、が存在する世界と、存在しない世界。曖昧な自分自身が体験したはっきりとした現実のような世界は、実は全く存在しない、もう一つ別の世界であった。イズミとの生々しい行為自体の記述が本当に現実的であって、一方でそれ自体が幻想のような非現実ということを突きつける。一方で、本当の現実は、相手を傷つけて、どうしようもない世界が待っている。何かが満たされない感覚を、もう一つの世界が埋めていた。
村上春樹の原点の一つと言える小説の一つだと思う。圧倒的な表現で、現実ともう一つの現実を行き来する。読者を思いっきり引き込む。街とその不確かな壁で、表現された世界観を改めて思うと、本書がまさにスタートだったのかなと思わせてくれる。
Posted by ブクログ
すごい上質でいて,それでいて体系的であり読みやすく面白い小説だった。
誰もが感じる自分の欠陥や、味のない肉体を自分のペルソナや環境や、考え方やそんなものを変えることで補おうとする。
しかし,それで変わるのは外見であり魂を纏う肉体であり欠陥ではない.
ある意味では欠陥こそが自分自身なのかも知れない
このセリフが本当に素晴らしい
この言語化が本当に素晴らしい
内容としてはとても体系的で分かりやすい
体験ベースの感情移入であり,一人称で基本進んでいく村上春樹の小説なのでやはりわかりやすい。
キャラクターの奥行きや哲学もやはり解像度が高くわかりやすい
ある意味では僕が抱えていた欠陥を
その存在を認知し,誰かを傷つけた経験を振り返るもそれを顧みることができない。それは悲しみではなくそこにある必然なのだ。
素晴らしい結論であると思う。
思春期に出会う、少女二人とその体験とトラウマを通して変わらない自分と認知できない自分の感情を丁寧に描いている。
いや、本当に面白いなこれ
まじで,人生において大切な考え方だと思う。
相変わらずおしゃれで比喩的だけど,その一貫性が非常に見えやすくとても読みやすかった.
ありがとう村上春樹。そしてこの本を選んだ自分自身よ.
多くの登場人物と,その年齢、そして縦と横のつながり。
変わらない何かと、みんなが持つ必然。
とても面白い小説だった
それと好きな表現があった。
それは、僕が回想をするときに、島本さんを推し量ろうとした、と言ったことである。
そこにあるのは理解であり納得であり解釈である。
これは人に確認することであるが,それを頼りに生きてきた人間である.
そんなことがわかる一言でありとても的確な表現だと思った。
追記
よく考えてみたが村上春樹の面白いところは、欠陥をただの一人っ子という設定にしたことであると思う。
それを写す鏡である島本さんに惹かれる流れを含めて。
誰にでも感情移入ができ、それでいて個人的であるバランスが本当に素晴らしいと思う
よくかんがえたら、その欠陥もただ主人公がひとりっ子であり周りとは何か違ったような違和感を覚え、それでいて言い訳をするところから始まるわけです。それこそが写し鏡なわけで,でもそんなこと37歳になる頃には忘れているわけですね。
これこそが欠陥の真実なのかなあ
感じた何かを忘れていても、そこに残った感情や苦しみは忘れることができない。
それはまるで欠陥を思い出すような行為にすら思えてきました
Posted by ブクログ
主人公は金銭的にも人間関係的にも子宝にも恵まれ、束の間のことだったかもしれないが〝性的〟にも満たされた。率直に言って、僕は主人公のことをうらやましく思った。でもそれに反して、主人公は虚無感を抱え、喪失感に襲われている。もちろんそれは最終的に、島本さんを失ったことが大きな原因だろう。でも、絶頂のあとに必ずどん底が続くのなら、私たちは一体何のためにあくせくして幸せになろうとするのだろうか?いよいよ分からなくなってしまう。
Posted by ブクログ
今あらためてこの本を読み返すと、心に刺さるところばかりで、畏怖をもって読み進めなければならなかった。たくさんの人が自分を通り過ぎ、決して少なくない人達を傷つけてきた。人はどこへも行けない、決して変われない。
Posted by ブクログ
激しく激しく心を揺さぶられた。
「東京に向かう新幹線の中で、ほんやりと外の風景を眺めながら、(中略)僕は生まれて初めて自分に対して激しい嫌悪感を感じた。でも僕にはわかっていた。もしもう一度同じ状況に置かれたとしたら、また同じことを繰り返すだろうということが。僕はやはりイズミに嘘をついてもその従姉と寝ただろう。たとえそれがどれほどイズミをつけることになったとしてもだ。それを認めるのは辛かった。でも真実だった。
もちろん僕はイズミを損なったのと同時に、自分自身をも損なうことになった。僕は自分自身を深くー僕自身がそのときに感じていたよりもずっと深くー傷つけたのだ。そこから僕はいろんな教訓を学んだはずだった。でも何年か経過してからあらためて振り返ってみると、その体験から僕が体得したのは、たったひとつの基本的な事実でしかなかった。それは、僕という人間が究極的には悪をなし得る人間であるという事実だった。僕は誰かに対して悪をなそうと考えたようなことは一度もなかった。でも動機や思いがどうであれ、僕は必要に応じて身勝手になり、残酷になることができた。僕は本当に大事にしなくてはいけないはずの相手さえも、もっともらしい理由をつけて、とりかえしがつかないくらい決定的に傷つけてしまうことのできる人間だった。」
なんというか自分の魂に真っ正面からぐさりと切り込んできた。これは私のことを言っているのだ。きっと。
私も「動機や思いがどうであれ、必要に応じて身勝手になり、残酷になることができ、本当に大事にしなくてはいけないはずの相手さえも、もっともらしい理由をつけて、とりかえしがつかないくらい決定的に傷つけてしまうことのできる人間」なのかもしれない。
そう言われているようで動悸が激しくなった。
そして私は、ねじまき鳥でクミコが絡め取られてしまった「悪」とはまさにこれなんだと唐突に理解した。
去年ねじまき鳥を久しぶりに読み返して、一体クミコの黒い暗い闇の部分ってなんなんだろう、具体的に何を指してるんだろうってずっと考えてた。
それはきっと一言で名指しできるものではなくて、その時々に応じて、大切な相手を傷つけ自分を損なうものの総称なんだ。
ああ本当に村上春樹に聞きたい。私は悪い人間なの。
もちろん冷静になると、たぶん春樹くんは「人は誰しも究極的には悪をなし得る」と言いたいのだと思う。
そしてこの小説は主人公がうちなる悪と向き合い、付き合い、乗り越えていく話なのだと思う。
でもだとすれば、島本さんはどういう存在なのだろう。
もちろん、ただ欲望と衝動に任せて行為を重ねただけのイズミの従姉とはわけがちがう。
運命的に気持ちがぴったりくる、自分の欠落感を埋めてくれる大切な人なのだから、悪の象徴ではあるまいし。
でも「僕」の大切な人を傷つけ人生が破滅へと向かう方向に作用する人でもあるし。
もしかして、「悪が何かは簡単に割り切れない」と言いたいのか、春樹くんは?それは私の都合の良い解釈だろうか。
6、7年前に初めて読んだ時は、こんなに深く心を打たなかった。全然違う。
きっとこの間に私はさまざまな経験をしてきて、今の気持ちにどんぴしゃな小説なんだ。
暗く、静かで、哀しく、澄んだ小説。
素晴らしい....
素晴らしいの一言
この作品には既婚者が味わうであろう感情に"少し"の色をつけた現実的なストーリーである
ただ、その"少し" あと一歩を踏み出すか 踏みとどまるか その少しの先を見させていただきました
Posted by ブクログ
若い時初めの方で読むのをやめた本だった。今読むと、他の長編のモチーフとつながっていることに気づくし、現実世界の理解でおさまる範囲で語られているようで読みやすい。
喪失が埋められ、ゼロから始まる予感で終えられているのも悪くない。語り手だけでなく、主要な人間が根元に関わる喪失を経験しているという共通点もある。
Posted by ブクログ
学生の頃から数々の村上春樹作品に挫折してきた私だけど、初めてはっきり理解できる作品だった。かといって共感できる部分はひとつもなかったが…。
結局のところ私は村上春樹的なバブルの遺物みたいなキャラクターが出てくる小説が結構好きなんだよな、と思う。同じことが江國香織作品に出てくる危なっかしい雰囲気の女性にも言える。
内容について思ったのは、再会した島本さんってつまり非現実の存在なのでは?ということ。
主人公が囚われていた希死念慮?のようなもの。満たされなさを抱いて、現実から逃げてしまいたくて幻影を見ていたのかなと。
何がそんなに不満だったのかは全然納得がいかないけど、島本さんのミューズ感ってやっぱり魅力的なんだよな…。
あとやはり文章のリズムとか言葉選びの唯一無二なところはすごいと思う。繰り返し読みたくて付箋をたくさんつけた。
Posted by ブクログ
どんな内容なのかと思っていたが,複雑だが日常でありそうな恋愛話だとは思っていなかった。昔に出会った異性を想うのはよくあることで、悪くないことと思うが、実際に会ってしまうのは良くないんだろう。会いたい気持ちはよく分かるが、会わないから良い。現実にもありそうな話であるように感じた。
Posted by ブクログ
「世の中には取り返しのつくことと、つかないことがあると思うのよ。そして時間が経つというのは取り返しのつかないことよね。こっちまで来ちゃうと、もうあとには戻れないわよね。それはそう思うでしょう?」
そこには留保もなく条件もなかった。原因もなく説明もなかった。「しかし」もなく「もし」もなかった。
ハジメと島本さん。ハジメとイズミ。ハジメと有紀子。
Posted by ブクログ
読む人の人生経験によって受ける印象の変わる本だと思います。
若い頃は感受性が豊かで、その頃の異性との交流というのは、とても心満たされるものでした。特にモテるというわけでもなかった私は、異性と少し話すだけでも心弾むものでした。
そんな時期に、お互いに信頼感を持って交流できた異性は、大人になってからもかけがえのない存在として強く記憶に残っています。そして、細かなやり取りまでは覚えていないにしても、そうした相手へ抱いていた感情も、やはり大人になってからも覚えているものです。
大人になってからも素敵な異性に出会う機会は増えましたが、やはり若い頃にそうした信頼できる異性に抱いた感情の記憶は残っています。
多くの場合、それは心の片隅においてあってたまに思い出すもので、もはや再現されることのないものですが、それが現実になったときにどうなるのかは想像がつきません。その想像を具現化したのが本書ですが、果たしてここまですべてを投げうつだろうかとは思いました。現実の人生は長く続くので、そんな無責任な行動はできませんから、夢のようなものです。
そうした夢をなぞってみることができるのが、物語のいいところだと思います。
Posted by ブクログ
はじめて村上春樹の本をちゃんと読んだ。
主人公が何不自由のない、むしろ幸せと分類される家庭を持っているのにも関わらず、"吸引力"をもつ小学校の同級生である島本に惹かれていく…
幸せだけど、今の家族への物足りなさ、、だけど孤独にはもう耐えられれない、、、主人公が抱える不安、、全て理解できないが(不倫はだめ)、共感できる部分も少なからずあった。
登場人物が発する言葉がどれも深かった。
Posted by ブクログ
村上春樹ブームで数冊おきに読んでいる。
彼の作品に登場する主人公(男性)は2人以上の女性で心が揺れ動き、平穏な日常を壊すほどの大胆な選択をすることがある。
それは彼の周りの女性が魅力的すぎることが問題であると最近気づいた。
主人公を取り巻く女性たちはみんな儚い美しさを持っており、どんな環境であっても軸が揺らぐことはなく、どこかミステリアスで強い印象を持つ。
もはや主人公のキャパシティを超えるほど、大切にしたい魅力的な人物として存在するのだから、不倫云々が致し方のないことなのかと錯覚してしまうほどだ。
今回の作品に登場する小児麻痺で左脚が不自由な島本さん。クラスでも一目置かれるほどの素敵な女の子で、所作ひとつひとつに魅力を感じる主人公ハジメは小学生のころに彼女と出会い、小学生らしい親密な関係を持っていた。まだ幼かったこともあり、正確な性欲をまだ持っていなかった。
中学生、高校生と時が進み、性欲と向き合うことになるハジメの心の中にいるのはいつだってあれからあっていない島本さんだった。
大人になり、世帯を持ち、仕事を成功させて何不自由なく幸せに生きているにも関わらず、ずっと彼女を求めていた。
タイトルの『国境の南、太陽の西』。国境を越えて島本さんに触れることと、果てしなく続く地平線に太陽が落ちるまで、荒野を耕す日々を過ごすこと、どちらを選択するのか。
揺れ動く心のリアルさに読む手が止まらなくなった。
村上作品の中でも、好きな女性キャラクターだった。
Posted by ブクログ
村上春樹の「小説」としては、初めて読む本。
いやーまさかのタイミングで読むことになった本だった。色々とドンピシャすぎ。
文学ってのは、然るべきタイミングで出会うようにてきてるんだなぁ…
個人的なそうしたバックグラウンドは置いといて、本の内容としては、恋愛小説。
小学生のころに、一人っ子(当時は珍しかった)という共通点で強烈に惹かれ合った女子との思い出がある主人公。紆余曲折ありながらも、別の女性と結婚し、バーを営みながら幸せに生きている時に、その女の子がお店にやってくる…
というあらすじ。
シンプルなあらすじなのだけども、村上春樹のシャレたセンスの文章でグイグイ読ませる。
主人公も、女の子も、どっちも魅力的な会話をする。モテる人ってのはこうなんだろうなと思う。
(そう思わさせられる)
周りのサブキャラも皆強烈だった。特に奥さんの父親が好み。
ジャズ喫茶のオーナーとして成功していた村上春樹の人生哲学なんかも入っているような気がする作恋愛小説以外の深みも感じられた。
とにかく、シチュエーション的にぶち抜かれた小説だったし、それを抜きにしても素晴らしい小説だった。飲みやすい長さなので、村上春樹初心者にもオススメできる気がする。
Posted by ブクログ
4.0
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いつもの春樹ではあったものの、ストーリーの軸がしっかりしていたので、楽しんで読むことができた。ただ、春樹のこの手合の恋愛ものを読むと、やはりノルウェイの森を求めてしまう自分がいる。ノルウェイの森は名作だ。
Posted by ブクログ
セックスセックスセックスフリンフリンフリン何故か鬱病の女モテる主人公!冷静に考えて、物語を整理すると、支離滅裂な行動だらけだしダメダメな主人公だけど、村上春樹の秀逸な文章のおかげで読んでる最中はなんの違和感もなく楽しめる。会話も文章もずっと楽しくて、読み終わるのが名残惜しくなった。読んでない村上春樹作品がどんどん減る事に悲しくなってくるー。読破したくないよ;;
Posted by ブクログ
結婚してジャズバーを経営している始が子供の頃に深く惹かれた島本さんと再会する。それなりに幸せな生活をしていてもどこか満たされない始。それを強く認識させられる島本さんは、失ってしまったかけがえのない過去でもあり、現在の生活を傷つけるような存在。その間で揺れる始の葛藤が印象的でした。
Posted by ブクログ
文庫本p1542にあるような、害のない気晴らし(好きではない女性との性交)→罪悪感なし。
島本さんとのお出かけ(好きな人と性交がないお出かけ)→「でもそれでもだめなのだ(罪悪感あり)」の部分に激しく同意。皆さんはどう思われますか?
現在の
長編お伽噺とは違う現実的でちょっとだけ
お伽噺も含まれる小説でした。
そんな中でも、素敵でエッチな春樹節が
随所に散りばめられて相変わらずの雰囲気。
残り香程度のモヤモヤ感と、きちんと伏線回収
されて読みやすかったです。
ホントの禿げたかと禿げわしの違いを検索して
スッキリしました。
真実
主人公の生き様が自分のライフプロセスと合わせて読め、前半の疾走感も凄くあっと言う間だった。真実はいったい何なのか、何が正しいのか非常に不思議な気持ちにもなった。彼らの続きが知りたくなる終わり方だった。村上春樹さんの作品を初めて読んだが、素晴らしさが少し分かつた。
Posted by ブクログ
「どうしようもないことは、どうしようもない。」
超短絡的にまとめるとそんなお話。
でもそこに人間の真理があって、深くも浅くも解釈できると思う。
わたしは読んでいて、救われるところがあった。
Posted by ブクログ
ひたすらに内側で底が見えなくて、暗くて重い。過ぎていく時間も結局は自分はどこまでも自分でしかないことも、全て現実としてそこにあるけれどそれでも今生きているのだから続けなければならない。
でもあまり今の私には鮮明に自分に重ねながら読むことはできなかった。もっと歳を重ねてからまた読みたい。
Posted by ブクログ
主人公はこれまでの人生で挫折を経験することなく、普通の学生生活を送り、結婚してからも、義父の支援によってジャズバーを開いて仕事に励んでおり、子どもができて子育ても難なくこなした。このように、彼は悩みを抱えることなく日常生活を送っている。しかしそんな彼でも、子どもの頃に出会った島本さんという同級生を忘れることができず、常に彼女のことで囚われた。そんな中、数十年ぶりに彼の店で島本さんと再会を果たし、人生の転換期が起きる。
Posted by ブクログ
なんかわかる。あのあこがれが眼の前に来たらすべてを捨てても良いと思ってしまう。
でも結局イマに生かされている。大切にしないといけないのは、イマで過去ではない。そして今日は続く。幸せはそこにある。そんなことを考える。
Posted by ブクログ
村上春樹の本を読んでいると、主人公がまるで彼自身かのように感じられてくる。寡黙で自分自身の欠落に悩んでいる主人公が多い気がする。そして音楽と読書をこよなく愛している。
Posted by ブクログ
仕事も家族も友人もいて、客観的に見れば幸せなはずなのに、決定的な欠落がある。その欠落が自分自身になってしまっている。それが何で埋まるか分かっているが、それは決して手に入らないことも分かっている。主人公のその感じがすごく分かった。
その欠落を抱えたまま生きていくのか、他の何かで埋められるように欠落している穴を変えるのか。後者が良いに決まっているが、何とも変えられない。自分で変えることは難しいから、自然に変わるまでそこから気を逸らして、他のやるべきことに集中しないといけないんだろうなと思う。
でも、その渇きは消えない。だから最後に残るのは砂漠なのかなと思った