村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ確か高校の現代文の先生が読んでいたので、本書の存在は知っていた。個人的にも香川、西宮など、ゆかりがある場所が多く出てくるのでそれだけでも楽しく読めたが、加えてこれからある意味での旅に向かう自身にとって響く言葉が多かった(詳細は以下、多くなってしまった)。
改めて、何かを問うとき、問われているのは自分自身なのだと感じる。どこかへ行くとき、災難に見舞われるとき、発見するのは自分自身なのだと思う。旅とは、ある種の諦念(思い通りにならないこともそりゃ沢山ある、という姿勢)を獲得する過程であり、これを獲得するからこそ、逆説的ではあるが、それでも不変なもの(どうにも変えられない自分の一部、等)に目を向けられる/自覚的になれるのではないか。
これまで数多の本を読み、映画を鑑賞し、他者の考え方に触れる中で確立してきた(ように思う)自身というものをもう一度揺さぶる機会として、旅を位置付けられないかと、率直にそう感じた。本書は今後の自身の旅にも持っていきたいと思う。
特に印象に残った箇所は以下
・僕の人生というのはー何も僕の人生だけに限ったことではないと思うけれどー果てしのない偶然性の山積によって生み出され形成されたものなのだ。人生のあるポイントを過ぎれば、我々はある程度その山積のシステムのパターンのようなものを呑み込めるようになり、そのパターンのあり方の中に何かしらの個人的意味あいを見出すこともできるようになる。そして我々は、もしそうしたければ、それを理由(リーズン)と名づけることもできる。しかしそれでもやはり、我々は根本的には偶然性によって支配されているし、我々がその領域の輪郭を超えることができないという基本的事実には変わりない。学校の先生がどれだけ論理的で整合的な説明を持ち出してこようとも、理由(リーズン)というものは、もともとかたちのないものに対していわば無理やりにこしらえあげた一時的な枠組みに過ぎないのだ。そんな、言葉にできる何かにどれほどの意味があるだろう。本当に意味があるのは、言葉にできないものの中に潜んでいるものではないのか。でも、僕がメキシコという「場」に足を踏み入れて、そこにある空気を吸ってまず感じたことは、そんなことを言いだしてもここではきっと通用しないんだとうなというある種の諦観だった(p.53〜54)
・一人でメキシコを旅行してみてあらためてつくづく感じたことは、旅行というのは根本的に疲れるものなんだということだった。これが僕が数多くの旅行をしたのちに体得した絶対的真理である。旅行は疲れるものであり、疲れない旅行は旅行ではない(p.84)
・僕は思うのだけれど、うどんという食べ物の中には、何かしら人間の知的欲望を摩耗させる要素が含まれているに違いない(p.147)
・でも僕にはうまく表現できないのだけれど、どんなに遠くまで行っても、いや遠くに行けば行くほど、僕らがそこで発見するものはただの僕ら自身でしかないんじゃないかという気がする(p.230)
・人は年をとれば、それだけどんどん孤独になっていく。みんなそうだ。でもあるいはそれは間違ったことではないのかもしれない。というのは、ある意味では僕らの人生というのは孤独に慣れるためのひとつの連続した過程にすぎないからだ。だとしたら、なにも不満を言う筋合いはないじゃないか。だいたい不満を言うにしても、誰に向かって言えばいいんだ?(p.286)
・いちばん大事なのは、このように辺境の消滅した時代にあっても、自分という人間の中にはいまだに辺境を作り出せる場所があるんだと信じることだと思います。そしてそういう思いを追確認することが、即ち旅ですよね。そういう見極めみたいなものがなかったら、たとえ地の果てまで行っても辺境は見つからないでしょう。そういう時代だから(p.301) -
Posted by ブクログ
今からちょうど30年前の1995年は、1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件と、連続して日本を震撼させる出来事があった年として銘記される。戦後50年の節目の年でもあり、バブル崩壊後の平成不況が続くさなか、全日本国民にとって「終わりの始まり」の年となったと言ってよい。1995年以後の30年は、それ以前の30年とは明らかに違う。「以前」が上り坂だとしたら、「以後」はずっと下り坂だ。
当時25歳だった自分はどう感じていたか。もちろん事件には驚愕し、テレビの報道映像に釘付けになったが、その時点では、今が「現代史の分岐点」とまでなるとは思っていなかった。自分にとっては4月から新たな就職先での仕事がはじまることと、3月に彼女にフラれたことの方が大きな事件であった。個人史的にも、1995年は特筆すべき年である。
『アンダーグラウンド』は数ある村上春樹作品の中でも異色のものである。インタビューによるノンフィクションという形式も、アメリカではよくあるようだが、日本では珍しいのではないか。
作者は「はじめに」で、700ページを超える大部のこの著書をものした動機について、次のように語っている。
「取材において筆者がまず最初に質問したのは、各インタビュイーの個人的な背景だった。どこで生まれ、どのように育ち、何が趣味で、どのような仕事につき、どのような家族とともに暮らしているのか――そういったことだ。(中略)そのような姿勢で取材したのは、「加害者=オウム関係者」の一人ひとりのプロフィールがマスコミの取材などによって細部まで明確にされ、一種魅惑的な情報や物語として世間にあまねく伝播されたのに対して、もう一方の「被害者=一般市民」のプロフィールの扱いが、まるでとってつけたみたいだったからである。」(pp.27~28)
『アンダーグラウンド』の主役は「巻き込まれた一般の人たち」であり、それは私やあなたである。「オウム」という特別な人たちではない。ここがポイントだ。今から30年前、月曜日の朝の通勤時間にいつも通り地下鉄に乗っていた、父親や母親、息子や娘であった普通の人々だ。
インタビューを受けた人たちの口から、「ああ、確かにあの頃はそんな風に考えてた」「そんな風に感じていた」と思わせる言葉がたくさん出てくる。まさに時代のドキュメンタリーである。 -
Posted by ブクログ
めくらやなぎと眠る女がアニメ映画化されたので、どんな話か読もうとこちらの短編集を買ったけど、肝心のめくらやなぎも、そのほかの短編も、どれも読んだことがあって、初読なのは三つのドイツ幻想だけだった。
納屋を焼く、はいろいろな短編集に入っているので、読むのはもう三度目かな。
好きな話なので、良い。
蛍、納屋を焼く、めくらやなぎの短編ほ、ガールフレンドとうまくいくとかそういうことはなく、友人が死んでしまったり、友人のガールフレンドがいなくなったり、喪失についての物語だと思う。
納屋を焼くというのも、納屋を消滅させるということになるのかもしれない。けど、それは誰からも必要とされていないから、気づかれもしない消滅だ。
何かを失う、ということについて。身近だけど、あまり意識して生活することはなく、だけどあまりにも身近な物語。
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購入済み
文庫本
新書の時に既に完読済みでしたが間違って購入
こう言うの結構多く毎回凹む。
サイトのシステムでアラートしてくれると
フォロー通知機能よりも嬉。
中々、再読はしないタチですがあとがきだけでも
って読んでみたらこちらも新書そのまま。
出出しは、2年前のことは忘れて村上ワールドに
没入しましたが徐々に記憶が戻ってきてストップ。
せっかく購入したので、機会があれば再読したい
作品内容レビューには全くなってないけど
ポイント貰えたら嬉。 -
Posted by ブクログ
第一部の感想として、主人公が「自分の好むと好まざるとに関わらず何かに巻き込まれようとしている」と書いたが、この第二部で、主人公は笠原メイから「あなたがひどい目に遭うのはあなた自身に問題があって、それが引き寄せている」と言われてしまっている。
う〜ん、16歳のスルドすぎる指摘。
そして、妻の兄である綿谷ノボルからも、「結婚して6年、君はなにをしたか?なにもしなかった。クミコの人生を余計に面倒なものにしただけ」などと言われてしまう。
そうかもしれないけれど・・・亨のように流されながら人生を送っている人は大勢いる。二人ともズブズブ遠慮なく刺しすぎだ。
ここから出ましょうと手を差し伸べてくれるのは加納クレタだったが・・・
第一部から第二部で、いったんオチがついたような形だと思う。
亨の気持ちというか、方向性が決まったという点で。
亨の井戸は水で満たされたようだし、良いニュースだなと(私が)思えることもあった。
だが岡田亨の戦いはまだ始まったばかりだ、みたいなことなのだろう。もちろん第三部に続く。
亨の叔父さんがとても素敵な人。
そして、亨の悪夢がこわ過ぎる。なんでこんなこと思いつくんだ、同じ夢を見たらどうしよう・・・ -
Posted by ブクログ
地下鉄サリン事件に関するドキュメンタリードラマを観て、自分が30年前にニュースで見聞きした印象とずいぶん違っているような気がして、この本を手に取った。
実際にサリンを吸ってしまい被害に遭われた方たちのインタビューである。いろんな方がいて、いろんな人生があり、この日もいつもの日常の延長が始まるはずだったのに、たまたまあの時間に、日比谷線・丸の内線・千代田線のいずれかに乗ってしまったために、サリンの被害に遭ってしまった。亡くなられた方や重い後遺症を負ってしまった人たちもいる。
私はあの事件をニュースで見た時に「怖いな」「なぜあんな見るからに怪しい宗教にはまる人がいるんだろう」とは思ったが、被害そのものに対する解像度は低く、そのまま30年が過ぎてしまった。この本を読み、個々の人生の日常が大なり小なり破壊されてしまったことが、とてもリアルに伝わってきて、やっとこの事件の凄惨さを実感できたような気がする。
今またオウムの後継団体に入信する若者が増えているという。あの事件がどんどんと遠い過去となり、風化していく前に、特に若い人たちはこの本を読んでほしいと思う。