村上春樹のレビュー一覧
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今1番気になってる作家のお2人の会話が読めてとても嬉しい。特に「騎士団長殺し」を最近読み終えたばかりだったので、インタビューの内容もついていきやすく良かった。
川上未映子さんだからこそできる質問や、かなり深入りする質問がとても面白かった。特に村上春樹さんの小説の中での、女性の描かれ方についての突っ込んだ質問。めちゃくちゃ良かった。
村上春樹さんの今まで読んだ(まだ数は少ない)小説は、どれも私はとても好きだったのだけれど、女性目線で読むと少しモヤモヤするところがあって、その霧が晴れたような気持ちになり、本当にこのインタビューを読めて良かったと思う。
村上春樹さんへは、川上未映子さんがそう感じたように、「信頼関係」を築いて良いんだと感じた。
そして何よりも私が腑に落ちたのは、村上春樹さんは「本当の出来事とか、本当にそこで血が流れたような出来事とか、悲しみや恨みとか、そういったものを自分の物語に利用することはできない。」というところ。もし題材にするなら、スピーチやノンフィクションとしてやると。
私は虐待やネグレクト、性同一障害などの社会的テーマを表面的に小説に「利用」しているかのように取り入れてる作品にとても嫌悪感を抱くので、何だかこれを読んで少しスッキリした。
これから、ブローティガン、カフカ、ディケンズ、メルヴィル、フィッツジェラルド、チャンドラー、サリンジャー、トルストイを読みたい。 -
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読みたかったカーソン・マッカラーズの『悲しき酒場の唄』が
村上訳で読める日が来るとは!
それも山本容子さんとの素敵な物語絵本になって
なんという話しなの!
という感想に尽きます
全てが変わっている
春樹さんはこの中編小説をできれば他の短編と合わせずに一冊の独立した本にしたかったという
それも絵をつけた一冊に。
となるともう 私たちも山本容子さんしか浮かばない。カポーティの本たちと同じように。
それにしても、江國香織さんも書いておられるように、こんなに描いてしまっていいの?ミス・アミーリアを、カズン・ライモンを?
と思わずにはいられない。
けれど…このあまりにも新鮮?斬新?な物語だからこそ、いいのだ。
「いいのだ、とこれを読んで私は納得した。ひらかれるというのはたぶん、通路ができるということなのだろう。その通路から、小説世界そのものが迫ってくる。この小説の持つ閉鎖性もわかりにくさも、閉鎖的なままわかりにくいまま、肌のすぐそばまで迫ってくる」
のだ。
『波 2024/10』より
江國さんのおかげでそう思えました。
マッカラーズといえば、南部の裕福でない白人と黒人との関わりみたいなものをあったかく描くイメージ
今作も小間使いで料理人のジェフが美味そうな肉を焼いていた。
旧作を読んだ先輩から、「え?カフェ?酒場というイメージよ」と聞いていたので、古い書庫から旧版を引っ張り出して比べるも、
酒場です。カフェの意味が日本とはちがうので原文のタイトルもcafeですし、春樹さんと山本容子さんの本には カフェ が合っているのでは…
名前の発音の違い、"せむし"という言葉をあえてつかってるところなど違いもありますが、それぞれですね。
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ネタバレ有名すぎてずっと敬遠していた本。僕は見栄っ張りな性格なので、手垢のついた名作をいまさら読むのが気恥ずかしい。そもそもティファニーは宝石屋だ。食事をする場所ではない。それならなぜ『ティファニーで朝食を』なのか。しかしその意味を教えてもらってから、どうしようもなく読みたくなってしまった。
ホリーはとびきりチャーミングな女の子だ。みんな彼女に魅せられてしまう。だから自然と男たちが集まってくる。しかし誰も彼女を理解できない。ある男は彼女をこう評した。「あんたは脳みそをぎゅうぎゅうにしぼり、彼女のためを思ってさんざん尽くしてやる。ところがその見返りに受け取るのは、皿に山盛りの馬糞だ」。その男は彼女をハリウッド女優として成功させるお膳立てをしてやった。なのにホリーはオーディションをすっぽかしてしまう。悪気など微塵も見せずに。
普通の人間ならそんなチャンスをふいにしたくはないだろう。でも彼女は自分が女優になれるとは思ってないのだ。彼女が罪悪感を感じるとしたら、その男にそうさせてしまったことに対してである。彼はこうも言う。彼女はまやかし(phony)だ。ただし、本物のまやかし(real phony)だ。つまりホリーは、自分が本物のダイヤよりも偽物のほうが美しいと思えば、迷うことなく偽物を選ぶ人間なのだ。
彼女は世間が自分に求めるものと、自分が本当になりたいものとの溝を埋められない。ホリーは主人公と同じアパートメントの住人だが、そこは彼女の居場所ではない。バート・バカラックの曲に“A House is not a Home”というナンバーがあるが、ホリーにHouseはあってもHomeはない。
そんな彼女にとって唯一の心の拠り所がティファニーなのだ。もちろん高級ジュエリーを買えるほど裕福ではない。ただティファニーは、自分がそこにいてもいいと感じられる場所なのである。彼女の表現を借りれば、「自分といろんなものごとがひとつになれる場所」だ。Homeは朝食を食べる場所である。彼女はティファニーのような場所で朝を迎える暮らしを夢見て、流浪の旅を続けている。
最初に書いた通りカポーティを読むのはこれが初めてだが、とても気の利いた文章を書くと思った。言葉選びが卓越していて、これ以上の言い回しは考えられない。それは村上春樹の翻訳だからそう感じるのではなく、村上春樹がカポーティから強く影響を受けていると見るべきだろう。
気が利いているのは文体だけではない。たとえば主人公がはじめてホリーの部屋に入ったとき、まるでいま引っ越してきたばかりといった有様だった。また別の日に寝室へ通されたときは、キャンプ生活でもしているみたいに、いつでもすぐに出ていけるような状態だった。そういう描写がある。これをホリーが見かけに反してズボラでだらしない性格だと解釈することもできようが、旅の途中のような彼女の人生の二重写しでもあるに違いない。名刺の住所が「旅行中」になっているのは、もっとわかりやすい表現である。要するに、文章がそう書かれているのにはちゃんと理由があって、作者は読者がそれに気づいてくれることを確信して書いている。そういう書き方なのだ。
したがって、作中にくり返し登場する印象的な言葉「いやったらしいアカ」(the mean reds)も、自然と多義的に解釈したくなる。最初にホリーがこの言葉を口にしたとき、主人公は「それはブルー(憂鬱)みたいなものなのかな?」と問いかけるが、ホリーはそれを否定する。結局主人公は「そういうのをアングスト(不安感)と呼ぶ人もいる」と説明した。けれどもホリーは、この言葉を自分が捨ててきた過去や、同時に自分の中にどうしようもなく残り続ける本質に対しても使っている。だから、この「いやったらしいアカ」は彼女が嫌悪する不正直、卑怯者、猫っかぶりといったものをも含んでいると思う。というか、meanは「卑劣な」という意味なので、the mean redsはmeanの方が主意で、赤という色を冠しているのは別な理由があるのだろう。作品が書かれた時代から、そこに共産主義を連想する人もいるようだ(マッカーシー旋風、赤狩り)。たしかにティファニーは共産主義の対極にあるとも言えるが、どうだろう。さすがに深読みのような気もする。だが、カポーティの文章が深読みを誘うことも確かである。
何を隠そう、僕が原文に何と書いてあるか知っているのは、実際に原典にあたって確かめたからにほかならないし、僕にそうさせてしまう何かがこの作品にはあったのだ。そしてこの本にはまだまだ気づいていない楽しみがたくさんあることは疑いなく、『ティファニー』をめぐる僕の旅はきっとこれからも終わることがないだろう。 -
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地下鉄サリン事件当日何があったのか、村上春樹による綿密な調査とインタビューによってリアリティをもって知ることができた。
事件の被害者の方のバックグラウンドが書かれており、事件の前後で何が変わりどのような影響をもたらしたのか興味深く読むことができた。
被害者の方々にはそれぞれの人生がありストーリーがある。
ドキュメンタリーを超えた人生ドラマが私を強く惹きつけた。
また、被害者方の何人かは偶然事件に巻き込まれていたり、あるいはいつもと違う行動を当日とっていたことにより被害が軽症であったりした。また、不思議な体験をされている方もおり、そういうこともあるのだなと感慨深く感じた。 -
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Audibleにて耳読。20年ぶり(!)くらい前に読んでいたが、久しぶりに。いつの間にかこの本を執筆していたときの村上さんの歳を超えていた。私も3年間海外で暮らしていたのだが、こんなにも鮮明に、濃い日々を送ってもいないし覚えてもいない…。ギリシア、イタリアでの生活の様子が生き生きと描かれている。「ダンス・ダンス・ダンス」や「ノルウェーの森」は、日本から離れざるをえなかった、日本から距離を置くことでしか生まれなかったということがよくわかった。
それにしても、ジャズやクラシックを聴いて、どのような演奏だったか表現する村上さんの記憶力といったら!
エピソード一つひとつが本当に面白い。 -
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ネタバレ免色はついに秋川まりえと対面する。
雨田具彦の過去がかなり明らかになる。弟の死が関係していそう。彼はなんでスタジオに現れたのか?主人公は雨田具彦と会うのか?会ったらどうなるのか?
ユズの懐妊と主人公の夢との関係は?空間を超越した移動はあるのか?
秋川まりえの肖像画、スバルフォレスターの男の肖像画、雑木林の中の穴、そして騎士団長殺し、どう絡んでくるのか?
まりえのお父さんの変な宗教が今後絡んで来るのだろう。
村上春樹の小説によく出てくる壁とか穴が、今回はなんの象徴となるのか?
第一部のプロローグで出て来た、肖像画を描いてほしいという、顔のない男が持っていたお守りのプラスチックのペンギンがついに出て来た。まりえの携帯に付けていたものだった。
どのような終わりになるのか?楽しみ。 -
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わかりやすい構図、伝えたいこと、そんなレールに沿って語られる物語より、アトランダムに取り上げられた物語から出来上がった総体から、やんわりと感じられる何か、そんなものが私を惹きつける。
ジャーナリズムだって、その例外ではない。というか、ジャーナリズムこそ、そうあるべきなのかもしれない。
こんなに熱がこもっているのは珍しいくらいに、熱いものを感じるあとがきの「目じるしのない悪夢」は、今回のテーマを超えて、普遍的なメッセージとして心に響いた。
「…あなたが今持っている物語は、本当にあなたの物話なのだろうか? あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか? それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?」 -
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ラオスに何があるというのですか?
村上春樹氏の絶品エッセイ集。JALのアゴラやクレアに掲載されたエッセイを再構成したものだ。
ボストンの町、マラソン、そして川沿いの情景。確かに、MITのあたりの桜を眺めながら散歩した日、コロナでまだマスクが義務付けられていた頃だ。歩きながら、ボートをやってる学生が目に入る。本当に、エッセイの中の情景だった。美味しい料理、決してクラムチャウダーだけじゃないボストン。なんとも田舎で、でも都会で、学園都市で、不思議な魅力がある。何度か行ったのだけれども、それなりに毎回楽しめた思い出だ。村上さんの文章は、本当に一つ一つが美しくて、時に面倒な、でも心に響く。なんでなんだろうな、といつも思う。
ポートランドは、食の話。とれたてのものを、創意工夫して作るレストランがたくさんできた。ナイキ本社が移ってきた頃から変わった、文化を海出す街。
ミコノス島での記載は、ノルウェーの森の最初の数行を書いた、という件がなんとも感動的だ。あの文章を、そうかミコノス等のなんとなく寂しげな景色と孤独感が書かせたのかもしれないなんて、勝手に思ったりする。
僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルグ空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。
飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの『ノルウェイの森』だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。
すごい。と思う。このたった数行は、反芻しても、反芻しても、この人しか書けないだろう。
ニューヨーク。やはり、ここではビレッジバンガードだ。オーナーとのお話が書いてあって、ジャズが好きだからこそ、タイムマシーンを引き合いに、演奏を聴いてみたいという話になっている。でも、実は過去の話をしながら、今のビレバン、ブルーノートのやっぱり素晴らしさ、自然に、すごく日常に、ジャズがある街だと。何度も何度も通ったビレッジバンガードは、何度行っても、2度と聞けないジャズが聴ける。一期一会と書いてくれている村上さんの表現。その通りだと思う。
熊本の2本のエッセイは、なんとも仕方なく書いている感があるのもすごく面白くて、筆に心が宿るとはこういうことなんだろうと改めて思う。 -
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▼(本文より)私には酒が必要だった。高額の保険が必要だった。休暇が必要だった。郊外の家が必要だった。しかし今のところ私が手にしているのは、上着と帽子と拳銃だけだった。だからそれらを身にまとい、部屋を出た。
▼言い回しの次元でしかないとも言えますが、思わずにやりとしてしまいます。小説というのは、物語というのは、結局は言い回しの次元であると言えます。パチパチ。
▼私立探偵フィリップ・マーロウ長編シリーズ第2作。
①大いなる眠り(The Big Sleep, 1939年)
②さよなら、愛しい人(Farewell, My Lovely, 1940年)
③高い窓(The High Window, 1942年)
④水底の女(The Lady in the Lake, 1943年)
⑤リトル・シスター(The Little Sister, 1949年)
⑥ロング・グッドバイ(The Long Goodbye, 1953年)
⑦プレイバック(Playback, 1958年)
(以下、ネタバレ備忘)
▼マーロウはたまたま、ムース・マロイという乱暴な大男と知り合う。マロイは、「昔たれかに嵌められ」長い獄中生活から出所直後。もともと堅気ではない。ショーガールのヴェルマ、という愛人がいた。獄にいる間、ヴェルマからは音信不通。出獄した今、マロイはヴェルマを探す。ヴェルマを深く愛している。
マーロウは一方で、その直後から。
一見、マロイと無関係に(実は関係が大アリ)依頼された調査が発生。そこから殺人事件に巻き込まれて右往左往する。
結論は、以下。
・マロイの愛人だったヴェルマが、成り上がるために昔、マロイを嵌めて排除した。
・ヴェルマはその後、金持ちと結婚して成り上がった。過去を隠した。
・ヴェルマは出所したマロイが自分を探していることを知る。マロイを再び排除(殺し)たい。
・マーロウはマロイを知り合ったことから、ヴェルマに狙われた。殺されかけた。
・最後は全部マーロウが全てあばききる。マロイは最愛の人・ヴェルマに射殺された。ヴェルマは逮捕される。