村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
1999年文庫化。
たぶんこれも、文庫化してすぐ買ったっぽいけど、1999年て仕事してた頃だからきっと、上っ面だけ一回読んだだけだったんだろう………(ダンボールから発掘)
ぜんっぜん「面白!」って思った記憶ないし
まぁそりゃ20年も経てば、読んで響く部分も変わってきますよね。ていうかほんとに何を読んでいたんだろう。20年前。
全体的に軽めで馬鹿馬鹿しい(褒)んだけど、時々めっちゃ重いテーマをさらっと書いてて、そういうところも凄くよかった。割合的に。"本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ"ってコレよ。
言葉遣いが好きだーー本当。アンチ・クライマックスなのにカッコつけてなくてすっと気恥ずかしくなく読める。
小説の中でもいろんな描写が笑える・ジワジワくるーってこと今までたくさんあった。(ナンバーワンは1Q84の牛河さんのネクタイの描写。)
だけど物語の中に見るのとは違って、まぁもともとこういう人だったんだなきっと。作品のイメージしか持ってなかったけどそこに村上さん個人を透かして見るようになった。
◇傷つかなくなることについて
"ある日を境に「歳をとった人間が若者と同じように精神的に傷ついたりするのは、あまり見栄えのいいものではない」と認識するようになって、…"
"精神的に傷つきやすいのは、若い人々によく見られるひとつの傾向であるだけではなくて、それは彼らに与えられたひとつの固有の権利でもあるのだと。"
胸に刻む。
◇文学全集って何なんだろう
1973年のピンボールえお文学全集に入れたいという電話を受けて諸々のエピソード。めちゃめちゃ重い。ぐわーーーーと叫んでつい旦那に話して聞かせてしまった。(最近こういうことよくある)
◇ウォークマンを悪く言うわけじゃないですが…
カタルーニャ国際賞を取った時の2011年のスピーチと、ほぼ同じことを、この中で書いていた。
日本が世界の中でどういう役割を担うべきか?いやそんなかたっ苦しい言い方じゃないんだけど、ずっと日本から距離を置きがちだったのにもうずーっと前からこういうことを感じていたんだなぁってわかって…いや本当すごいなと思った(語彙力)。
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翻訳についてのエピソードの中で書いてたコレ
"自分の味つけをなるべく表に出さないように、ぎりぎりのところまで地道に無色にテキストに身を寄せて…"
村上さん翻訳の本はまだ読んだことがないので、昨日さっそく、心臓を貫かれてをネットでポチりました。
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Posted by ブクログ
村上春樹訳のハードボイルドミステリであるフィリップ・マーロウものの2作目。旧訳のほうは荒々しく削り出した巌を撫でて温度を感じるようのな無駄のない文体だが、今作の新訳のほうは、岩の成分を一つ一つ手で探ってフィリップ・マーロウというキャラクターを浮かび上がらせるような作りになっている。ハードボイルド、という単語から連想するような気取った感じはなく「こういう生き方しかできない」どこまでも不器用でたった一つの美学のみで突き進んでいくマーロウには男として憧れるものを感じる。事件の流れから最後で明かされた真相の読後感もさることながら、マーロウの身に起こる一つ一つの出来事に対してのレスポンスが一番の魅力だろう。ヒーローでもアンチヒーローでもなく、無力で繊細だが、その不屈の美学と飾らなさには凄く共感を覚える。ある種の損な生き方というのは、時に得がたいものなのだ。
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Posted by ブクログ
作者がどういうように小説を読みとっているかの解説本
横文字使うところは多いものの相当にわかりやすい
すくなくとも作者の小説を読むよりは
「僕らはその小説を書き上げ、「これは現実じゃありません。でも現実じゃないという事実によって、それはより現実的であり、より切実なのです」と言うことができます。そしてそのような工程を通して初めて、それを受け取る側も(つまり読者も)、自分の抱えている現実の証言をそのファンタジーに付託することができるわけです。言い換えれば幻想を共有することができるのです。それが要するに物語の力だと僕は思っています。」P101より -
Posted by ブクログ
探偵フィリップ・マーロウが石油富豪一家の闇に探り込んでいく話。はっとするような比喩表現が散りばめてあり、それだけでも読んでいて面白い。それにしてもこの姉妹は現代のパーティピープルな米国セレブを描いているようだ。こういう人ってこの時代からいるんだね。
話の筋が時々分かりにくくなるけど、巻末の翻訳者・村上春樹の解説を読むとそれもOK!と思えてくる。
いくつかの殺人が話に出てくるけど、お抱えの運転手を殺したのは誰なのか?それが最後まで分からなかったなあ、よく読めばどこかに伏線があったのかなあ…と思っていた。
が、解説によると、当時チャンドラー氏に犯人を誰か聞いた人がいて、「私も知らない」と答えたそうだ……
そんな裏話を盛り込んだ解説も面白い。春樹のチャンドラーへの愛が感じられる(カズオ・イシグロ氏とチャンドラーの素晴らしさについて熱く語り合ったそうだ)。
チャンドラー氏は、三流文芸雑誌の出身。遅咲きのミステリー作家。生活費を稼ぐために型にはまった書き方をせざるを得なかったそうだけど、それが逆に氏の小説執筆における足りないところ(プロットづくり)を補ってくれたようで、生来の表現能力を存分に小説に活かすことができたそうだ。
チャンドラーもこれで3冊目。
良かった順番は、
1 ロンググッドバイ
2 大いなる眠り
3 プレイバック
有名どころをもう読んでしまったのがさびしい。 -
Posted by ブクログ
かなり面白かった。翻訳の持つ妙味が想像できた。
おかしかったのは、小説家でもある村上氏が「自分の小説を英訳された英文を読んだときに、『けっこう上手く書けているじゃないか』と思ってみると、自分の作品だった」というのが多々ある、ということ。
この人の自分の小説に対する距離感はわりに不思議で、「若い人たちのための短編小説」でも、「自分の小説だからといって、自分の解釈が唯一無二で正しい訳ではない」といった風なことを述べていたのと通じるな〜と、感じた。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はまだ読んでいないので、読んでから、翻訳夜話2を読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
"僕の小説が語ろうとしていることは、ある程度簡単に要約できると思います。それは「あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることのできる人は多くない。そしてもし運良くそれが見つかったとしても、実際に見つけられたものは、多くの場合致命的に損なわれてしまっている。にもかかわらず、我々はそれを探し求め続けなければのらない。そうしなければ生きている意味そのものがなくなってしまうから」ということです。"
【雑文集/村上春樹】新潮文庫 p477
誰もが意識的に、あるいは無意識のうちに「生涯において何かひとつ、大事なもの」を求めているとしたら、ある種の人にとってのそれは「自分」、あるいは「自分を映しだすかけら」なんじゃないのだろうか。
仏教の説話で、王とその妃が交わす会話が好きだ。
一番愛おしいいものは何かと問われた妃は、ためらうことなく「自分自身が一番愛おしい」と答えるんだよね。王は、自分もそうだと微笑み合った後、二人で仲良く仏陀にその話を報告しにいく……というやつ。
いい話だなあと、にこにこしちゃう。
人間、自分で自分をごまかしちゃ、いけない。
こうあるべきとか、こういうものという無意識の刷り込みのせいでやっちゃったりもするけれど、そんな思い込みをひとつひとつ外していくと、世界は驚くほどに変わっていく。
一部を引用したこのメッセージは、2001年8月、中国の読者にあててが書かれたもの。
1999年の『スプートニクの恋人』、2000年の『神の子どもたちはみな踊る』と2002年の『海辺のカフカ』の間の頃。
わたしは時々、村上春樹をまとめて読み返す。
かつては、際限なく喪い続ける物語のように読んでいたのだけれども、最近は最悪のところを通り抜け、帰ってくる話として読めるようになった。
求めていたものは、致命的に損なわれてしまっているのかもしれない。でも、それを見いだすということは、少なくとも探索の終わりと新たなフェーズの始まりを意味している。
彼の物語は、歳を重ねるごとに、さらに深く進んではより明るいところに戻ってくるようになっている。致命的に損なわれたかのように見えた求めていたものは、新たな命を吹き込まれ蘇る。
少しづつ、そんな変化があるように思えている。 -
Posted by ブクログ
ワタシの中で「名訳者」の地位をゆるぎないものにしているお二人が出した本が、面白くないはずがない。あまりにハマってしまって、電車を乗り過ごしてしまいそうになった。
本書が出るきっかけとなった、柴田さんの持つ大学の授業への村上さんの登場がフォーラム1。聴衆を翻訳学校の生徒に換えて行ったのがフォーラム2。そして、お二人によるカーヴァーとオースターの短編競訳をはさんで、それについて若手翻訳者を前に語ったのがフォーラム3。
お二人の口から出てくる言葉や、そこから読み取れる感性がとても心地いいし、気づきも与えてくれる。特に競訳とそれについて語ったフォーラム3は秀逸。12年近く前に出た一冊だけれど、中味は全然古びていない紛れもない良書。
蛇足: 村上さんは翻訳を「言うなれば"遊び"でやっているんだけど、それと同時にやっぱり何かを真剣に学びとろうと思って」やっているんだとか。ワタシと読書の関係もこれだ。 -
Posted by ブクログ
仕事で訪れた酒場で事件に巻き込まれ、これをきっかけに、様々な人々の思惑の繋がりの中に絡め取られていく。主人公はその中を緩急つけながらもがき進んでいくことになります。いったい俺は何を探しているんだろうという疑問を持つ暇もないままに。
行間にある登場人物から発せられるサインと、同じく行間にある主人公の直感とが、事件の真相に向かって読者を進ませてくれます。説明できないけれども分かる必然性が、読者を虜にするのではないかと思います。それだけ登場人物が魅力的に生き生きと描かれていて、目の前で映画を見ているかのようにはっきりと場面が浮かび、感動します。魅力的なセリフの数々。読後にこの世界の余韻に浸るひと時に幸せを感じます。 -
Posted by ブクログ
ネタバレこれ、いいんですよねえ。めちゃんこサクッと読めると思います。もう、サックサク。一瞬で読み終えられちゃう、と言ったら言い過ぎかもしれませんが、ある意味村上さんに失礼な言い方かもしれませんが、この本、なにしろめっちゃんこサクサク読めちゃいます。
で、それが、決して悪いことではない。本当に一瞬で読み流せちゃう気がするのですが、読んでいる最中は、もうね、すっごくこう、なんというか、素敵な気持ちになることができる、感じなんですよね。村上春樹さんのエッセイは、何故に、これほどまでに言葉が心地よいのだろうなあ。
ある意味、「この小説を読んで欲しい!」と、とある村上さんの小説を誰かに薦めるよりも、このエッセイを「こんな軽い感じ、どう?サクッと読めますよ。なんかこう、あんまグッと来なかったら、途中で読むの止めたらいいんだし」と、ごく軽く、ごくさりげなく(でも自信をもって)お勧めできる感じ。「僕はこれ、好きなんですよね。決して重すぎない感じだけど、本当に好き。あなたはどうなんだろうなあ。好きになってもらえたら、嬉しいんだけどなあ」って、ユル軽く薦める感じ。そんな素敵な、エッセイなのです。
このエッセイを書いている時期は、1994年春~1995年秋の頃。この時、村上さんは、マサチューセッツ州ケンブリッジに滞在されていたそうです。海外に住んでいる状況が経験がいかんなくエッセイに反映されている、訳では無いようでして、この時期に村上さんは、相当にコッテリと深く、長編小説の執筆に力を入れておられたようでして、その長編小説にめちゃんこ重点を置いて文章を書いておられたので、その時期のエッセイはバランスをとるように、かるーく気楽なものになった?という流れで、この著書が出来たようなのですが、、、
凄いよなあ。ある意味、大変に語弊のある言いかたですが、気晴らしに書いていた文章、ってことでしょう?これらは。その気晴らしの文章が、これほどまでに、素敵に誰かの心を(この場合は、僕の心を)とらえるなんて。おっとろしいよなあ。
収められた各エッセイの文章も文体も内容も凄く良いのですが、文庫内に、村上春樹さんの奥様が撮影された写真が、ちょこちょこと登場するんですが、その写真の解説に添えられた村上春樹さんの写真解説文章が、また、すっごく良いんですよ。めちゃんこ味のある文章だなあ、とかね、思います。絶対に、そんなに気負って書いていない筈の文章なのだろうに、それでも素敵。それって、村上春樹、という個人の、なんらかの魅力を、本当に引き出しているんではなかろうかな?とかね、僭越ながら、思っちゃうんですよね。
フル・マラソンに対する洞察が好きですね。何故にヒトはマラソンをするのか?という根源的な問いが素晴らしいです。
どれほどまでに自分は、中華料理が苦手なのか、ということを何とか説明したい、という文章も好きです。中国でピッツァを食べる、と言う行為の悲哀を訴える言葉が本当に好きですね。
車を盗まれたことに関しての、保険を巡る?あまりに七面倒くさい手続きの話も凄く好き(好きって言ったら失礼で申し訳ないのですが)ですね。とてつもなく無能?な、というか、とてつもなく無自覚に「悪い」人間の存在を、サラッと書いている気がするのも、ある意味怖い。あのような人間は、きっと、本当に存在するのだ。そのような存在と関わったならば、きっと「本当に消耗しきって」しまうのだろうなあ。となると、こっちから「関わらない」ことを選ぶしか、ないだろう?きっと、そうするしか、ないですよねえ、、、
「小確幸」という、とてもとても素敵な言葉がでてきます。この言葉が意味することは、人が日々生活を営む上で、本当に素晴らしく重要な概念ではなかろうか。と思う次第です。村上さんは、こういうことを教えてくれるから、しみじみと好きなんですよねえ、、、「小さいけれども、確かな幸せ」か。なんて素敵な言葉なんだろうなあ。