村上春樹のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
もう四半世紀前に出た本です。安西水丸さんがお亡くなりになられてこういうコンビの本は、もう決して生まれないのだと思うといても立ってもいられなくなり買い求めました。工場見学ルポですが、例によってカラーイラストが散りばめられてパラパラ捲っているだけでも楽しい本。結婚式場の見学では、この頃の典型的な披露宴の例が載っていますがやはり時代を感じます。バブルの名残りがありますが、賑やかでこれもまた良さがあるなあと思ったりしました。最後のアデランスの会社や工場の見学は、あちこちで笑えました。村上さんの解説が可笑しいのかも…それにしてもこの頃は半ズボンを履いていた!とても若かった村上さんなのでした。
-
Posted by ブクログ
村上春樹作品は今まで1作しか読んだことなく、これまでストーリーテリング=小説と思っていた私には、何が何なのかよくわからず終わってた。大きく今見方が変わった気がする。
心のタガが少し外れた。
生きるとは自分の物語をつくること、につながった。
2016.6.12
もっとずっと読んでいたい対談だった。お二人の対話で話題は全然関係ないのだが、自分の深い部分が癒やされていくという感覚がある。
最初に読んだ時から今までの間に村上春樹の本は随分読んだ。
夫婦とは井戸堀りというのと暴力性についての項が響いた。
2023.10.7
再読。この対談が書かれたのが30年前。村上氏のこれから暴力の時代がくるのではないか、という予見に驚く。サステイナビリティなんて言葉がそこら中で聞かれるようになって、温暖化とか明確に直面している問題にも小手先やらパフォーマンスの対応ばっかで全然歯止めが効いてないし。ほんと、これからどうなるんでしょうねぇ。私個人がそう思うことも時代の憂いなのかな。
2024.6.22 -
Posted by ブクログ
小澤征爾と村上春樹という、クラシック音楽と文壇の巨人による対談集。「マーラー」「オペラ」「バーンスタイン「グレン・グールド」というテーマについて、二人は縦横無尽に語り尽くす。あるときはレコードを聴きながら、あるときは村上の仕事場で。この二人にとって、バーンスタインの存在は大きいようだ。小澤征爾の若手音楽家に接する姿勢やリハーサルの仕方は、ほとんどバーンスタインのやり方をまねていると言っていいだろう。文庫化にあたり、日本を代表するジャズ・ピアニスト大西順子が、小澤指揮のサイトウ・キネン・オーケストラと2013年9月に共演したときの顛末が追加収録されている。 大西はこの公演の直前に引退を表明し。音楽とは関係ない仕事に就くことが決まっていた。ところがこの演奏を引き受けたことで、彼女はその仕事を断られてしまう。村上は淡々と事実をふり返るが、おそらく内心では、彼女ほどの実績を持つ人間が正当に評価されていないという憤りを感じているに違いない。
-
Posted by ブクログ
第三の新人の作品を題材に、村上春樹氏が米国の大学で講義をした時の話をまとめたもの。
特徴的なのは著者の立場に立ったらこう思っているはずだという観点からの、文章のプロとしての見方。当たっているかどうかというよりも、その文章への愛や本気さがその説得力を増している理由だ。特に、樹影譚については秀逸。3つのパートに分けた上で、変遷とその意味について深く考察がなされている。この文章を書いたのは、どんな作者の心理状況や理由があるのかに焦点が当たっており、てにをはをどうこうするのではなく、どこにテンションを持ってくるか。解説で敢えて強調しているところなんて、村上春樹の小説を読んでいるような気がするくらいだ。
文章を書くという行為を大切に、丁寧に練り込むこと。小説家は面白く、大変な仕事だなと改めて感じさせてくれる。読み手も、丁寧に読み込んでいかなくては、そんな気持ちにさせてくれる一冊。 -
Posted by ブクログ
特に翻訳に興味があるわけではない、と言うか、むしろ翻訳の文章は頭に入ってこないので苦手な世界だが、その舞台裏はとても面白い。興味がないけどそのマニアックぶりが面白いという点では「小澤征爾さんと、音楽について話をする」を連想する。やはり村上春樹が面白いのだ。
翻訳のあれこれを語ると読者や作家活動にも関係してきてその広がりも面白いところ。
ここでは2つの短編を二人が翻訳して掲載し、比べるという面白い試みもしている。例えば登場人物の職業について書かれていない場合、翻訳者が肉体労働者と思うか知的労働者と思うかで訳文がかわってくる。淡々としたものにするか熱いものにするか、主人公は「僕」なのか「私」なのか、過去形か現代形か、受け身にするかどうか、段落をかえるのは原文と同じにするかしないか(日本の小説は外国の小説よりは段落を替えるケースが多いので、原文どおりにすると日本人は読みにくく感じる。)などいろんな選択があるんですね。
それに翻訳者の物語への思入れもあって、タッチがかわってくる。海外ドラマの吹き替えで、声の調子でキャラクターが出てしまうのに似てますね。
アンダーラインを引きたくなるところが満載すぎて例示に困るので30ページごとに開いてみる。
『リズムがない文章というのは読めないんです。~だから翻訳するときには、何はともあれ原文のリズムをうまく日本語に移し換えるということを意識します。』
筆者が文章スタイルを意図的にぶち壊そうとしている『日本語にするともう収集不可能になってしまう。だから適当に止めちゃったんですよ。』『作者の意図がどうであれ、日本語にしたら読む人は違和感を感じると思ったら、翻訳者は自分の判断で変えていいんじゃないかと、僕は考えています。』
『とにかくもう何でもいいから、寝食を忘れて一生懸命いろんなものを翻訳して、何度も何度も読み直して、何度も何度も書き直して、人に読んでもらってまた書き直すということを続けていれば、スタイルというのは自然に出てきます。』
『「僕」のほうが「私」より色がありますよね。で、なるべく色なし、人間性なしでいきたかったので、本当は、だから何も書かないのがいちばんいいのだけど、さすがにそうもいかないので仕方なく「私」にした』
『僕は絶対言葉に出さない。というのは、音声的なリアリティーと文章的な、活字的なリアリティーってまったく違うものだから、音はあまり意味ないんですよね。』