村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ本文の文章(村上春樹訳)をそのまま使用して途中端折りながら大まかなあらすじを書きます。
あらすじー
第十二次世界大戦があり
文明が破壊されます。
少年たちと少女たちは成長しても、
ただおたがいをぼんやり見つめあうだけです。
愛がこの地上からそっくり消えてしまったから。
ある日、それまで花をいちども見たことのなかった
若い娘が、たまたま世界に残った最後の花を目にしました。
彼女の話に興味を持ってくれたのは、
よそからやってきたひとりの若い男だけでした。
若者と娘は花に養分をあたえ、
花は元気をとりもどしました。
花は二本になり四本になり、
林と森がまた地上にもどってきました。
世界に愛が再びうまれました。
若者と娘のあいだに子供が生まれ育ちました。
町や都市や村が生まれました。
そして兵隊たちも。
まもなく世界にはまったくなにひとつ残りませんでした。
ただひとりの男性と
ひとりの女性と
そして一本の花だけはべつにして。
訳者あとがきより抜粋
(前略)
本作品『世界で最後の花』は1939年11月に刊行され、その年の9月にナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発していると述べています。(中略)
この本はローズマリーに捧げられていますが、彼女は1932年に誕生したサーバーの一人娘でした。彼女の生きた世界は、お父さんの願い通り「より善い」世界だったのでしょうか。(中略)
みなさんもご存知のように、世界では今でもこの現在も、残酷な血なまぐさい戦争が続いています。いっこうに収まる気配はありません。それはあとになったら当事者の将軍たちでさえ「何のための戦争だったかもう思い出せない」ような戦争であるかもしれません。そんな中で「世界で最後の花」を守るために、多くの人が力を合わせています。この本も、そんなひとつの力になるといいのですが。
感想
血なまぐさい戦争をどうにか明るいファンタジーに描き希望がみえるところがよいと思います。
「世界で最後の花」がまだ現れるうちは希望があります。
「世界で最後の花」が二度と現れなくなったらと思うと怖い気がします。 -
Posted by ブクログ
『世界で最後の花 絵のついた寓話』
ジェームズ・サーバー 作・絵
村上春樹 訳
ポプラ社刊
1939年、第二次世界大戦開戦時に描かれた世界的ロングセラーだそうです。
分かりやすく、シンプルで
伝えたいということがドーンと真ん中軸に伝わる絵本です。
訳された村上春樹さんの言葉として帯に書かれているのは、
『戦争に関する作品のなかで、最もシリアスで、最も皮肉とユーモアを感じる一冊である』
その通り、まるで風刺画のようなイラストに
一言添えてあるような文章で進められる絵本。
絵本の始まりは、第十二次世界大戦が終わるところから。
戦争が終わった世界と、その後の世界と時間の流れ、復興を描きます。
キーポイントは『世界で最後の花』
今現在も世界には戦争が続き、
私が第二次世界大戦を知った小学生の時、
金大中と金正日が握手を交わした歴史的な日を記憶する中学生の時、
そこから20年も経過して、
また新しい戦争が始まり、内戦があり、摩擦も燻り続け、
「何にも変わらないなあ」
「歴史は繰り返すなぁ」
と読んで思いました。
直接的に感じることがなく、遠いところから見通す生活をしている私たちは、
きっとこの本が伝えるところのことを、
「その通り」と思うことだと思います。
その通り、なんだけど
その通り、だけではなかなか世界は立ち行かないのだろうね。
だから歴史は繰り返すし、戦争が0になる世の中はないって言われるんだろう。
すごくシンプルなことなのにね。
微かな希望と、ずーんと重たい気持ちと、
そんなものがないまぜになって大人の私は心が灰色になるような重たさの残る読書後でしたが、
読み聞かせた6歳の次男はその中でも“希望”の分量を大きく受け取ったようでした。
みんなに読んでほしい。そして考えてほしい。
※ただし決して考えすぎて、伝えたいこと以外まで深読みはして欲しくない。
直接的に実感すること・体感することでなくても、考えることや、自分にとっての最後の花を守り愛することはできるからね。
簡単な漢字ばかりなので小学校中学年以上は読めると思います。
私は次男にも今から何度も読んで欲しくて、ふりがなを振っておきました。
幼稚園の子も、読めさえすれば感じることがあると思う。
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Posted by ブクログ
ぽん先輩が「これはただのノンフィクションではない」って言ってたけど、その意味がわかった。
本当に事実だけが、彼らが証言したことがそのまま書かれている。
だからサリンの匂いについてだったり犯人たちへの思いだったり、同じことを言ってるなと思うこともあれば違うことを言ってる人もいて、人間の個性が出ていて興味深いものだった。
わたしは信仰心に漬け込んで悪事を働いたオウム真理教が許せないけれど、本屋に足を運んでもそれ関連の本はなかなか見つからない。あれだけの凶悪犯罪なのに、肖像権の問題があり当時のニュースなどは残っていないし、仕方ないことかもしれないが忘れられようとしている気がする。風化させないようにしたいと思った。 -
購入済み
長編小説家もいいけれど、
村上春樹さんの旅エッセイもやはりいいですね?
著者の作品に手を出して、良さが分からず、
でも旅エッセイは好きでずっと愛読していました、
そんなこんなで、長編小説の良さにハマりましたが
旅エッセイの良さを本作で思い出しました。
サクッと読める一冊です。
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購入済み
やはり、村上さんが一番
こんなに人生に寄り添って、作家さんの作品を読み続けてきたことはあるだろうか。
ノルウェーの森を母が読んでいて、緑と赤の表紙が鮮烈で借りてはまって、
それからずっと読み続けている。
読むたびに村上作品はその時々の感動や気づきがある。
それを電子書籍で本をしまう重さや場所を考えずに保管できるのも嬉しい。
電子化になって本当によかった。 -
購入済み
素敵
長編を今まで文庫版のリアルな本で購入していた。
引っ越しするたびに持って行き、日焼けや経年劣化のたびに買い換えたり、文庫にしたりしていたが、
こうして電子書籍で、村上さんの好きな本をいつでもどこでも持ち出せるのは、とても幸せ。 -
購入済み
さすがの一言
コーヒー片手に。ウイスキー飲みながら。スパゲッティをゆでながら。
村上さんの作品を読みながら、日常を忘れ、ゆっくり読み進められる幸せ。
いつでも電子書籍で持ち歩ける時代がきて、本当に嬉しい -
購入済み
最高
言葉遣い、単語のチョイス、表現、いいまわし。全てが最高。
そして読み返すたびに、新しい発見がある。
村上さんの小説が、電子書籍でいつでもどこでも読める世界が素敵 -
Posted by ブクログ
ネタバレ10代に挫折して本棚の肥やしになっていたものを引っ張り出して再読。
10年越しに読んで思うことは、マーロウはなんて気高く不器用な男だったのだろうか。
10代の私ではそのことが分からなかった。
何を感想として残せばいいか分からないくらい、読んだ後に寂寥感に苛まれる。
人生を象徴するような出会い、別れ、非情さ、優しさが詰まっていた。マーロウに共感しながらも、同時に、役者あとがきにもあるようにその実何光年も離れたところにいる人間だろうという言葉に強く頷く。
優しさや誠実さは、時に深く人を刺す。
もう彼とのギムレットは飲んでしまった。
この先この本が本棚から消えることはないだろうし、何度でも読み直す大切な一冊になった。
読むたびに味が変わるんだろうな -
購入済み
やっぱり
長編小説がいいですね?
村上春樹さんは。。。
何がって聞かれると
やっぱり雰囲気でしょうか?
丁度四国に縁があるので
高知は本当に遠い。
次は、世界の終わりとねじまき鳥に挑戦します
村上ラヂオがますます完読出来ない困
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Posted by ブクログ
村上春樹がアメリカで生活していた1991年から2年間の生活を綴ったもの。NYの有名大学の永年教授の方から教えてもらった、これを読んだらいいよという本がこちら。過去も読んだことがあったのだが、改めて購入。
プリンストンは、非常にのんびりした、お金のことをほとんど話さない、自分のやりたいこと、興味あることをやるという雰囲気がすごく気に入ったようで楽しんでいる様子が伝わってくる。一方で、教授たちは、どのビールを飲むべきか、というようななんともべきろんを持っていて面倒くさい。スノッブなプリンストンの人たちは、日本のような流行だけを徹底的に追いかける風潮から一線を画していて、とても自分nペースで生きている感じがしているのだと思う。基本的に、自分のこと優先の国だから、とにかく自分がやるべきだと思ったらやるし、それを人に押し付けない、社会的にも押し付けない、というのがいいところ。サムエルアダムスはOKだけど、バドライトはうーむ、というのは面白い。ニューヨークでは、もはや誰一人として気にしていないだろうし、飲まない人も多く、タバコも吸わない人も多い、飲んでもすぐ帰る人もいれば、ダラダラとやっている人もいる。ハイチェアーから崩れ落ちて落下して怪我する人もいる。でも、全部自己責任。
アメリカで村上春樹という小説家が感じたのは、何をやりたいか、出会って何をやるべきか、ではないということ。自分が心からやりたいことをやればいい。そういうマインドをアメリカからは死ぬほど感じるからだ。
あとは大共感してしまうのは、いつもそうだけどレコードが好きなところ。音がふっくらとした雰囲気があるので、、、というくだりなど、本当に小説家の表現は素敵だなと思ってしまう。
すごく客観的に、だけど日本という文化を愛しているなと思うのは、車のところだろう。アコード、その後VWに乗る村上氏。BMWが、日本車には歴史がない、教育がない、だから車としてはヨーロッパ車だという選考的な考え方、白人至上主義的、ヨーロッパが文化的、教育的に優れているという前提に対して、色々な文化を受け入れ(表面的にはと書いてある点はすごく気持ちがこもっているが)、その多様性を梃子に成長しようとしているアメリカ、その中で特色自体がないと言われながら、カローラを磨いていく日本。
奥様が何をやっているか?という質問に対して、専業主婦とか小説を手伝っている、では全く納得しないアメリカ人の話もそうだ。だんだんと、何もしていないように思えてくるのかも知れないし、何かやらないといけない。このアメリカという国では、こうした議論が男女関係ない話ではあるのだけれど、すべてが女性の自立、フェミニズムというところに行き着いているように見えて、でも人はそれぞれ、なんだろうという結論に村上さんは至ったようだ。この1週回った感じは、アメリカに住んでみると大いに感じる。エクスキューズしない、これが男の子の要件だと、でも本当に難しくて、おもわずそれは、、と説明ちっくなことを言ってしまう。いいのか、悪いのか、そこだけ先に言う英語の文化は、スパッといくし、いい分け始めると相手が変な顔をする。
タイトルにもなった、哀しき外国語のところが、おそらくこの本のもっとも深く、意義深いところだろう。おそらく教授もここの部分を鮮烈に記憶していたからこそ、本書をあげたはずだと確信している。自らを外国語の環境に身を置いている村上さん、でもワイパーの英語がわからなかったり、店員にWhat?と聞き返され、子供が流暢に話しているのを聞いて自己嫌悪に陥る。まさにウルトラマン状態、つまり機関銃の乱射のような英語の中で、だんだんついていくだけでもやっと、自分から話ができなくなってくるという症状だ。これをウルトラマン的な例えも秀逸ながら、本当にそうだ。テキーラを飲んで気合いを入れて頑張るけれど、1時間半くらいでネタと会話の中身を自分からクリエイトできなくなってくる。だから、飲み会(パブとか)はみんな1時間くらいでおさらばするんじゃないかな、アメリカ人もそんなにネタないっしょという状態なんじゃないかなと自分を鼓舞している。頑張ろうぜ、と村上さんから言われている気持ちになる。ビルエバンスのレコードをかけつつコーヒー、素敵な文章、飾らない感覚と共に、休日の朝の時間がとても有意義に感じる本である。行き着いた境地が、やがて哀しき外国語であることを少し頭に置いて、日本に帰り、じっくりと日本語に向き合った村上さんの小説を楽しみに。