村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
村上春樹による「オウム地下鉄サリン事件」の被害者たちへのインタビューに基づくノンフィクション。文庫本で600ページ以上という大作。
この作品は読む前に期待していたものよりも、もっと多くのものを含んでいると感じた。
その内容は大別して2つに分けられる。「被害者たちの体験の追憶」とそこから著者によって分析される「地下鉄サリン事件とは何なのか」である。
前者は圧倒的な取材量がベースとなって描かれる、サリン事件の被害者たちのリアルである。著者はこの作品を書こうと思った動機として、当時のメディアが被害者たちを「傷つけられたイノセントな一般市民」としてしか描いておらず、彼らのリアルが明らかにされることがほとんどなかったからだと冒頭で語っている。
メディアは、オウム(悪・狂気)と被害者(正義・正気)という単純な二項対立を描くために、被害者たちの「顔」(個性)を排除したのだ。
対して村上春樹は、被害者たちが事件の当時どんな目に遭って、どう感じて、今(取材当時)どう生きているのか、を率直に綴る。
このリアルに圧倒された。
被害の大小に関わらず、被害者たちの人生と生活は事件の前後で一変してしまった。それが痛々しく伝わってきた。
特に、こうしたイレギュラーな大事件は人が平時に信じている価値観や「軸」、大事にしているもの、アイデンティティを浮き彫りにするのだと感じた。事件の後、多くの被害者たちがより一層自分の生き様を考えて、それに偏るようになったと語っている。
そして「地下鉄サリン事件とは何か」という問題。
村上春樹はこれに対して、いずれこの大事件が単なる「狂気の集団によって起こされた異常な事件」「都市伝説的な犯罪ゴシップ」と見做されてしまうようになることに多大な危機感を持っていると書いている。
実際、事件の後に生まれた自分もこれに似たようなイメージを持っている。この2022年において、大多数の日本人がそうだと思う。村上春樹の懸念は当たったわけだ。
では村上春樹が分析する「地下鉄サリン事件とは何か」とは、「オウムの狂気は我々の中にも存在する」という事実である。
つまりオウムとは「自律的に目標を追求する意志を抑えつけるシステム(高度管理社会)への反抗」であり、これは誰しもがうちに抱えている問題だとするのだ。
この分析は傑出した洞察かと思う。実際、インタビューの中で「彼ら(オウム信者)の気持ちも分かるんです」という被害者もいた。
個人的にもこの分析は当たっていると思う。自分の中にも社会に反抗して自律的パワープロセスを追求したい気持ちはあるが、それに見て見ぬ振りをして上手く社会に溶け込んでいる。多かれ少なかれ人はそうした感情を持っているのではないか。
麻原彰晃は人のこうした感情を非常に上手く焚き付けて、魅惑的でシンプルなストーリーを説くことで信者を獲得していった。信者は麻原についていくことで自尊心を満たし、代わりに自我という対価を渡した。
「地下鉄サリン事件」は正義と悪の単純な二項対立ではなく、我々の内にも存在する負の感情の表出である。それを理解しなければ、今後第二のオウム、地下鉄サリン事件が出てくるだろう。
今からでも学べることはあるのではないか?
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コレクターと言われる人は、女性より圧倒的に男性に多い気がする。意図してそうなったか、意図せずかに関わらず。
村上さんの場合は後者。自然にたまっていくものがいくらでもあって、「聴ききれないほどの量のLPレコードやら、この先読み返すことも多分ないであろう本やら、雑誌の雑ぱくな切り抜きやら、鉛筆削りに入らないくらい短くなった鉛筆」やら…。
ここでは「自然にあつまっ」た村上さんの大量のTシャツコレクションの中から108枚(煩悩の数…?)。
村上さんの名前や大学名が大々的に記された「着られない」ものから、日常的に着ているものまで。
サーフィン、ハンバーガーとケチャップ、ウィスキー、ムラカミ、レコード屋、動物、意味不明、アーティスト、車、熊、ビールなどなど。
とにかくヴィンテージ感満載でおしゃれで楽しい。
なんなら文章を読まなくても写真だけで十分楽しめる。
けれど村上春樹なので文章を読まないテはない。
リラックスして、その日の気分で好きなページを読むのも楽しい。
"What Does the Fox Say?"
私もSpotifyで聞いてみましたがホントにしょうもない歌でした(笑)
巻末のインタビューの聞き手が野村訓一さん。
というだけでまた、カッコイイ!!ってなってしまう。 -
Posted by ブクログ
村上さんはなぜ走るのか…それは好むと好まざるとにかかわらず、必然的に走らなければならなかったから。長編小説作家にとって、深い井戸の中に入っていくように精神力と、長い年月をかけて書き続けるための体力を維持するためには、走ることしかなかった。そして、規則正しい生活を送ること、朝起きたら5、6時間ぶっ続けで書き続けること。書きたいことが湧き出てきても、何も思い浮かばなくても、毎日コツコツ400字詰め原稿用紙に10枚書く。改めて村上春樹の凄さを痛感。
春樹節というか、比喩がふんだんに使われているところや、所々でつぶやいていることなど、やはり村上春樹のことが好きだなぁと思った。
何度も何度も読み返した本であっても、パラっと開いたページに新たな発見がある。35歳を人生の折り返し地点として意識する。…私の人生の大きな喜びや、自分を律する心は、村上春樹無くしては語れない。
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Posted by ブクログ
ネタバレめちゃんこ面白いです。村上春樹さんが、「僕は、この人の音楽、好きなんだよなあ~」というミュージシャンの事を、村上さんなりに心を込めて字数を重ねて語った評論、というよりは感想文、という趣な気がします。しますが、
なにが「エエなあ~」って思うかといいますと、あくまでも自分なりの感想ですが、村上さんが、自分の「好きだなあ~このミュージシャン!」と言う気持ちを、世の中の流れとか他人の評価とかを一切気にせずに、「俺は好きなんだよ。この人がとにかく、結局のところは、この人の音楽が、好きなんだよ」って、あくまでも個人の意見で語ってるところが、好きです。
音楽の歴史の流れ、とか、音楽史の中でこの人はこういう立ち位置だ、とか、あなたはこのミュージシャンをどう思うだろうか、とか、そのあたりは一切興味がない。ただ単に「俺は、この人の音楽が、好きだ」という思いだけで文章を書いていて、それでいて、その、何処まで突き詰めても村上さん個人の思いが、なんらかの不思議な普遍性を持っていて、なんらかのある程度の皆が認める説得力を持っていて、、どこまでいっても村上さんの独り言なのに、それを他の人が読んでも面白い、というポジションまで行っている、というところがねえ、、、なんだか凄いんですよねえ。
ただ、不思議な事に、村上さんの「若い読者のための短編小説案内」を読んでも、この本を読んでも、不思議な事に、村上さんの薦める自分の知らない短編小説を読もう!自分の知らないミュージシャンの曲を聴こう!とならない自分がマジ不思議。村上さんの文章が面白すぎて、その原典まで読もう聴こう、と言う気持ちにならないんですよ。俺、ダメやんか、、、とか思ったりもします。
きょうびのご時世ですと、なんせYouTubeという途轍もなく便利な文明の利器がありますからね。この本を読んで、村上さんが薦める音楽に興味を持った村上春樹ファンの方々は、ちゃんと、その音楽を聴きに行くのが正しい進み方だと思うんですけどね、、、そうならない自分がマジ困ったものだ。
いやしかし、村上さんが、ブルース・スプリングスティーンと、スガシカオについて言及しているのは、凄くこう、良いんです。良いんですよ。特にスガシカオ。スガシカオ、めちゃくちゃ、良いですよねえ。 -
Posted by ブクログ
あんなに村上春樹が好きだと言いながら、処女作を読むのはこれが初めてなのだった。多くの作家にとって、最初の作品はその作家の全てが詰まっているらしいのに、今までどうしても手が伸びなくて、だけど今回初めて読みたいと思って読んだ。
今だから楽しめたのかも。
いつも、冒頭から既に特殊な語りで、構えて読んでいるからか知らないけど空気も特殊だった。はっきり言って主人公の気持ちがよくわからないまま何かが起こり、周りが動き、主人公が行動して、話が進んでいき、前とは何かが変化して、物語が終わる。
・・だけど、これは読み始めから身近だった。何にもトクベツなところがなくて・・エッセイみたいな。主人公の感覚は私の中にもあるものだと感じたし、心が動いていることがわかったし、少なくとも共感できた、すんなりと。
『完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。』
よくネタになる言い回しは、この本の冒頭だったのか・・村上さんはこの一節が書きたかったらしい。英語にするとなんだろう?
やたらペラペラと内容のない軽口をたたく主人公。かなりアメリカン。女の子誘う時とか、どれだけくだらないこと言えるかってくらい喋る。
主人公のこれがどういう意図か・・照れ隠しか気持ちを分散させるためか知らんが、発せられる口から出まかせ創作が、時々うざくてチャラい。よく思いつくねって感じ。
そしてユキにバサっとやられているのが面白かった。
『かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。』
心に思うことの半分しか口にださないようにしていたところ、自分が、思っていることの半分しか語ることができない人間になっていた。
『語ることができない人間』?
語りたいと思っても?心の中にたくさんいろんなものがあっても?
言葉にしなければ、心の中にあるものも消えていってしまうということなの?
『文明とは伝達である、と彼は言った。もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じだ。』
え、え、どういうこと?
・・・パチン。 OFF。
わからないけれども、繋がっている。
『だけどね、人並み外れた強さを持ったやつなんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何かをもっているやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないやつは永遠に何も持てないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。だから早くそれに気付いた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りするだけでもいい。そうだろ?強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。』
↑↑これなんだよなぁ。みんな、同じ。村上さん、いろんなところで繰り返し言ってる。私もこうありたいなって思う。
そんな中で、発せられる言葉。
『僕は・君たちが・好きだ。』
人は例外なく1人で、全員が孤独だけれど、こういう一言が毎日やりすごす糧になると。
『あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。』
鼠にはそうは思えなかったんだろうか?
否、僕だって決して強くはないんだよね。強い振りをしようと、TRYしているんじゃん、みんな。それなのに1人だけが弱い気になって、君のようにはなれないとか言うんじゃないだろうね?
あと、村上さん、つくづく、女の子が1人でお店で時間を潰しているのが好きなんだなぁ。 -
Posted by ブクログ
「うずまき猫」はうまくみつかりましたでしょうか?と締めくくられてるけど、「うずまき猫」ってなんだろう?
村上春樹氏のエッセイです。
1994年~95年の米国滞在中の話題が中心。
この時期、村上さんは長編小説「ねじまき鳥クロニクル」を執筆している。
比較して読むと、エッセイ中に、ねじまき鳥クロニクルと似通った表現や記述がみられて面白い。
さて、本作のタイトルである「うずまき猫」であるが、これ、本文には一度として登場しない。
村上さんのエッセイらしく、本作には猫はたくさん出てくるが、うずまきにはなかなか結び付かない。
先の「ねじまき鳥クロニクル」の小説中では、「ねじまき鳥」というのは、けっきょく主人公自身のことであった(と思う)。
それと比較すると本作の「うずまき猫」は、村上さん自身のことなのだろうか。
うずまき、つまりは、外国で、世間のゴタゴタにぐるぐると巻き込まれ、翻弄される村上さんのことを言いたかったのかもしれない。
〜しかし車を一台盗まれるというのが、これほど面倒きわまりない結果をもたらすものだとは僕も知らなかった。(中略)あちこちたらいまわしにされて、居留守を使われたり不親切な扱いを受けたり、時間は無為に流され、ストレスはたまっていく。(中略)。「そうか、世間とはこんなに面倒なものなのか、まあ何事も経験だな」と鷹揚に構えていたいところだけれど、実際にはとてもそんなこと思えないですよ。ただの消耗である。〜
(p140、わざわざこんな忙しい年末に、車を盗まなくたっていいだろうに)
とにかく、村上さんはのエッセイは、村上さんが苦労している時がいちばん面白いので、本作はとても面白いです。
うずまき猫に限らず、村上さんの猫にむける優しい眼差しが感じられる一冊です。