村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
翻訳本が苦手に感じるのは、
作品が面白ければ面白いほど、
ひとつずつの言葉の表現に直接触れてみたくなるから。
つまり、原著で読めるのならば原著のままで読みたいのだ。
物語の本質はひとつずつの言葉ではないところにあっても、
翻訳者の中を通ったものは、
すでに純正ではなく(劣化するという意味ではない)、
二重性が大前提になってしまう。
そこに、さらに読者としての私の解釈も入り込むと、
誰の、何に影響されたものなのか難しくなってくる気がするので、
だから翻訳本を苦手だと感じていた。
とはいえ、ポール・オースターが大好きで、
『オーギー・レーンのクリスマス・ストーリー』が読みたくて、
村上春樹と柴田元幸がそれぞれ訳しているだなんて、
興味深すぎると思い本書を手にした。
読み終えてみて、
翻訳という営みは、
精神分析という営みと本質的に大切な事柄を共有しているという大事な発見があったことが最大の収穫であり、
これからは翻訳本は苦手と言わずに済みそうだ。
あと、専門書でもそうなのだが、
どうしても言語的に理解しにくい翻訳があったら、
それは翻訳が下手くそなのだと思おう(笑)。 -
Posted by ブクログ
この本が素晴らしいのは、実のある夢のコラボレーション。小澤征爾さんは世界的な指揮者ですが、彼の音楽家としての実力は、われわれはいつもは、演奏される音からしか、うかがい知ることができません。
村上春樹さんは、素敵な小説家ですが、ノンフィクションライターとしての実力も、アンダーグラウンドなどで実証済み。この本でわかったことは、春樹さんは、それに加えて、小澤さんが活躍されるクラシック音楽についても、永く深く聴き込んでいたということ。ちょっと他にいなさそうな稀有なリスナーをインタビュアーに配して、さまざまな演奏を共に聴きながら発せられる質問や感想に刺激され、小澤さんは古い記憶もよみがえり、語り、それを当代きってのノンフィクションライターが臨場感ある文章にしたのが、この本。演奏以外の形で、小澤さんの奥行きの深さを示しています。 -
Posted by ブクログ
1999年文庫化。
たぶんこれも、文庫化してすぐ買ったっぽいけど、1999年て仕事してた頃だからきっと、上っ面だけ一回読んだだけだったんだろう………(ダンボールから発掘)
ぜんっぜん「面白!」って思った記憶ないし
まぁそりゃ20年も経てば、読んで響く部分も変わってきますよね。ていうかほんとに何を読んでいたんだろう。20年前。
全体的に軽めで馬鹿馬鹿しい(褒)んだけど、時々めっちゃ重いテーマをさらっと書いてて、そういうところも凄くよかった。割合的に。"本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ"ってコレよ。
言葉遣いが好きだーー本当。アンチ・クライマックスなのにカッコつけてなくてすっと気恥ずかしくなく読める。
小説の中でもいろんな描写が笑える・ジワジワくるーってこと今までたくさんあった。(ナンバーワンは1Q84の牛河さんのネクタイの描写。)
だけど物語の中に見るのとは違って、まぁもともとこういう人だったんだなきっと。作品のイメージしか持ってなかったけどそこに村上さん個人を透かして見るようになった。
◇傷つかなくなることについて
"ある日を境に「歳をとった人間が若者と同じように精神的に傷ついたりするのは、あまり見栄えのいいものではない」と認識するようになって、…"
"精神的に傷つきやすいのは、若い人々によく見られるひとつの傾向であるだけではなくて、それは彼らに与えられたひとつの固有の権利でもあるのだと。"
胸に刻む。
◇文学全集って何なんだろう
1973年のピンボールえお文学全集に入れたいという電話を受けて諸々のエピソード。めちゃめちゃ重い。ぐわーーーーと叫んでつい旦那に話して聞かせてしまった。(最近こういうことよくある)
◇ウォークマンを悪く言うわけじゃないですが…
カタルーニャ国際賞を取った時の2011年のスピーチと、ほぼ同じことを、この中で書いていた。
日本が世界の中でどういう役割を担うべきか?いやそんなかたっ苦しい言い方じゃないんだけど、ずっと日本から距離を置きがちだったのにもうずーっと前からこういうことを感じていたんだなぁってわかって…いや本当すごいなと思った(語彙力)。
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翻訳についてのエピソードの中で書いてたコレ
"自分の味つけをなるべく表に出さないように、ぎりぎりのところまで地道に無色にテキストに身を寄せて…"
村上さん翻訳の本はまだ読んだことがないので、昨日さっそく、心臓を貫かれてをネットでポチりました。
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Posted by ブクログ
作者がどういうように小説を読みとっているかの解説本
横文字使うところは多いものの相当にわかりやすい
すくなくとも作者の小説を読むよりは
「僕らはその小説を書き上げ、「これは現実じゃありません。でも現実じゃないという事実によって、それはより現実的であり、より切実なのです」と言うことができます。そしてそのような工程を通して初めて、それを受け取る側も(つまり読者も)、自分の抱えている現実の証言をそのファンタジーに付託することができるわけです。言い換えれば幻想を共有することができるのです。それが要するに物語の力だと僕は思っています。」P101より -
Posted by ブクログ
かなり面白かった。翻訳の持つ妙味が想像できた。
おかしかったのは、小説家でもある村上氏が「自分の小説を英訳された英文を読んだときに、『けっこう上手く書けているじゃないか』と思ってみると、自分の作品だった」というのが多々ある、ということ。
この人の自分の小説に対する距離感はわりに不思議で、「若い人たちのための短編小説」でも、「自分の小説だからといって、自分の解釈が唯一無二で正しい訳ではない」といった風なことを述べていたのと通じるな〜と、感じた。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はまだ読んでいないので、読んでから、翻訳夜話2を読んでみたい。 -
Posted by ブクログ
"僕の小説が語ろうとしていることは、ある程度簡単に要約できると思います。それは「あらゆる人間はこの生涯において何かひとつ、大事なものを探し求めているが、それを見つけることのできる人は多くない。そしてもし運良くそれが見つかったとしても、実際に見つけられたものは、多くの場合致命的に損なわれてしまっている。にもかかわらず、我々はそれを探し求め続けなければのらない。そうしなければ生きている意味そのものがなくなってしまうから」ということです。"
【雑文集/村上春樹】新潮文庫 p477
誰もが意識的に、あるいは無意識のうちに「生涯において何かひとつ、大事なもの」を求めているとしたら、ある種の人にとってのそれは「自分」、あるいは「自分を映しだすかけら」なんじゃないのだろうか。
仏教の説話で、王とその妃が交わす会話が好きだ。
一番愛おしいいものは何かと問われた妃は、ためらうことなく「自分自身が一番愛おしい」と答えるんだよね。王は、自分もそうだと微笑み合った後、二人で仲良く仏陀にその話を報告しにいく……というやつ。
いい話だなあと、にこにこしちゃう。
人間、自分で自分をごまかしちゃ、いけない。
こうあるべきとか、こういうものという無意識の刷り込みのせいでやっちゃったりもするけれど、そんな思い込みをひとつひとつ外していくと、世界は驚くほどに変わっていく。
一部を引用したこのメッセージは、2001年8月、中国の読者にあててが書かれたもの。
1999年の『スプートニクの恋人』、2000年の『神の子どもたちはみな踊る』と2002年の『海辺のカフカ』の間の頃。
わたしは時々、村上春樹をまとめて読み返す。
かつては、際限なく喪い続ける物語のように読んでいたのだけれども、最近は最悪のところを通り抜け、帰ってくる話として読めるようになった。
求めていたものは、致命的に損なわれてしまっているのかもしれない。でも、それを見いだすということは、少なくとも探索の終わりと新たなフェーズの始まりを意味している。
彼の物語は、歳を重ねるごとに、さらに深く進んではより明るいところに戻ってくるようになっている。致命的に損なわれたかのように見えた求めていたものは、新たな命を吹き込まれ蘇る。
少しづつ、そんな変化があるように思えている。 -
Posted by ブクログ
ワタシの中で「名訳者」の地位をゆるぎないものにしているお二人が出した本が、面白くないはずがない。あまりにハマってしまって、電車を乗り過ごしてしまいそうになった。
本書が出るきっかけとなった、柴田さんの持つ大学の授業への村上さんの登場がフォーラム1。聴衆を翻訳学校の生徒に換えて行ったのがフォーラム2。そして、お二人によるカーヴァーとオースターの短編競訳をはさんで、それについて若手翻訳者を前に語ったのがフォーラム3。
お二人の口から出てくる言葉や、そこから読み取れる感性がとても心地いいし、気づきも与えてくれる。特に競訳とそれについて語ったフォーラム3は秀逸。12年近く前に出た一冊だけれど、中味は全然古びていない紛れもない良書。
蛇足: 村上さんは翻訳を「言うなれば"遊び"でやっているんだけど、それと同時にやっぱり何かを真剣に学びとろうと思って」やっているんだとか。ワタシと読書の関係もこれだ。