あらすじ
「あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風に生きている」1970年8月、帰省した海辺の街。大学生の〈僕〉は、行きつけのバーで地元の友人〈鼠〉と語り明かし、女の子と知り合い、そして夏の終わりを迎える。過ぎ去りつつある青春の残照を鋭敏にとらえ群像新人賞を受賞した、村上春樹のデビュー作にして「初期三部作」第一作。
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何かを強く求めているわけでもないのに、どこか満たされない。そんな青春の空白が、淡々とした文章の中に漂っている。
ビール、音楽、ラジオ、女の子。何気ない日常の断片が積み重なっていくのに、その奥には言葉にできない孤独や喪失感がある。
乾いた文体と独特の距離感が心地よく、物語というより、ひと夏の記憶をそのまま覗いているような感覚。読み終わった後に残る、説明できない寂しさが印象的だった。
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いまでも、クールに生きたいと思ってしまう人々がいる。
p131.嘘をつくのはひどく嫌なことだ。嘘と沈黙は現代の人間社会にはびこる二つの巨大な罪だと言ってもよい。
しかし、もし僕たちが年中しゃべり続け、それも真実しかしゃべらないとしたら、真実の価値などなくなってしまうのかもしれない。
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解るようで解らない、そもそも「わかる」ものではないのかもしれない。
ただ、何となく雰囲気がいいなとか、この文章が好きだなとか、この登場人物には共感するなとか。
もしかしたら、小説ってそれでいいのかもしれない。
もちろん逆の感情も然りで、ここが嫌い、不快、意味が分からないなどもありだし。
小説を読み続けて30年以上になるけれど、この作品を再読しながらそんなことを考えた。考察とか、小説に限らずそういうのが楽しい物もあるけれど、ただ素直に作品から受け取るということ。誰にも評価されなくても、共感を得られなくても、自分だけの気持ち、感触を見つけられたらそれでいいんじゃないだろうか。
内容とは関係ない感想だけれど、これも私の現時点の「感想」ということで。
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作中時間とは少しズレてしまったけど、ギリギリ8月中に、夏の間に読めたことは満足
その後の村上春樹作品にも見られる会話のテンポの軽妙さや淡白さ、それと共存する深刻さが見られて、村上春樹らしさを感じながら読めた
過ぎ去っていくあらゆるものは再び捉えることができないし、それを諦めて受け入れようとしても、心の底では屈託してしまう人間のままならなさを感じた
「もう何も考えるな。終ったことじゃないか。」
色々と考えるべきことや示唆はあるんだろうけど、一先ずはリズムと情景に身を任せたいと思わされた
あと、個人的に驚いたのは、作中の「僕」が思う小説の評価基準の通りに、セックス・シーンが出てこないこと
村上春樹へのステレオタイプって最初期の作品には反映出来ないんだ
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数年ぶりに再読。面白すぎるし読みやすすぎる。流れるような美文。2026年の現在に読むと、「誰もが傷を抱えていたあの頃」のような物語は、語られ尽くしたクリシェという気もする。でも面白い。今、こういう物語をカッコいいと感じるのは憚られる気もするが、それでもカッコいいという気持ちが内から湧き上がる。
(多くの問題、批判点もあるような気がする。例えば、中国人のマスターに、誰もが傷ついていたというような台詞を言わせるのも、主人公側にとって都合良すぎないかと思う。)
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あんなに村上春樹が好きだと言いながら、処女作を読むのはこれが初めてなのだった。多くの作家にとって、最初の作品ってその作家の全てが詰まっているって言うじゃない?今までどうしても手が伸びなくて、だけど今回初めて読みたいと思って読んだ。今だから楽しめたのかも。
いつも、冒頭から既に特殊な語りで、構えて読んでいるからか知らないけど空気も特殊だった。はっきり言って主人公の気持ちがよくわからないまま何かが起こり、周りが動き、主人公が行動して、話が進んでいき、前とは何かが変化して、物語が終わる。
・・だけど、これは読み始めから身近だった。何にもトクベツなところがなくて・・エッセイみたいな。主人公の感覚は私の中にもあるものだと感じたし、心が動いていることがわかったし、少なくとも共感できた、すんなりと。
『完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。』
よくネタになる言い回しは、この本の冒頭だったのか・・村上さんはこの一節が書きたかったらしい。英語にするとなんだろう?
There's no such thing as perfect writing, just as there's no perfect despair.
やたらペラペラと内容のない軽口をたたく主人公が・・かなりアメリカン。女の子誘う時とか、どれだけくだらないこと言えるかってくらい喋るじゃない?
主人公のこれがどういう意図か・・照れ隠しか?気持ちを分散させるためか知らんが発せられる口から出まかせ(というか創作というか)が時々うざくてチャラいw よく思いつくねって感じ。
そしてユキにバサっとやられているのが面白かった。
『かつて誰もがクールに生きたいと考える時代があった。』
心に思うことの半分しか口にださないようにしていたところ、自分が、思っていることの半分しか語ることができない人間になっていた。
『語ることができない人間』?
語りたいと思っても?心の中にたくさんいろんなものがあっても?
『文明とは伝達である、と彼は言った。もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じだ。』
え、え、どういうこと?
・・・パチン。 OFF。わからないけれども繋がっているのか?
『だけどね、人並み外れた強さを持ったやつなんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何かをもっているやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないやつは永遠に何も持てないんじゃないかと心配してる。みんな同じさ。だから早くそれに気付いた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りするだけでもいい。そうだろ?強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。』
↑↑これなんだよなぁ。みんな、同じ。村上さん、いろんなところで繰り返し言ってる。私もこうありたいなって思う。
そんな中で、発せられる言葉。
『僕は・君たちが・好きだ。』
人は例外なく1人で、全員が孤独だけれど、こういう一言が毎日やりすごす糧になると。
『あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。』
鼠にはそうは思えなかったんだろうか? 否、僕だって強くはないのに。強い振りをしようと、TRYしているんじゃん、みんな。それなのに1人だけが弱い気になって、君は僕とは違うとか言うんじゃないだろうね?
あと、村上さん、つくづく女の子が1人でお店で時間を潰しているのが好きなんだなぁ。
タイトルに惹かれて
タイトルに惹かれて読んでみました。
最後に伏線が回収されていたり、所々で(様々なことにおいての)正解のない問いがあるので、考えさせられるような気がした。
一気に一通り読み終えたが、もう一度読み返したいと思いました。
区分けされているので、描写が変わりがわりに描かれていてそれもまた読みやすかったです
何度でも
神戸の高校生が18でこの三部作を読んで、人生が変わった様に思います。この小説は何度も買い直して読んでます。ATGの映画も見たいです。小林薫、巻上公一、真行寺君江と震災前のあの町を撮ってくださった、大森一樹監督に哀悼の意を示します。
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多分この作品は読んでないと思い急に読みたくなった。村上春樹の小説は会話とそれに伴う人の心の動きだけで出来ているイメージだが、もちろんそんなことはない。プールと海とビーチボーイズとビール あたかも1970年代カリフォルニアのような渇いた空気と恋人や友達である鼠やジェイたちとの適度なウエット感がよく似合っている。そしてとても懐かしい気持ちにさせてくれる
作者の尊敬する大作家達の影響を感じさせるデビュー作は完成度が高すぎて今更ながら驚きます
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村上春樹本は他にも積んであったが、薄さに惹かれてすぐに読んだ。デビュー作とは思えないほどの村上春樹節、無力感の強い主人公で、すでにこのときには完成されていたんだなと感じた。左手の指が4本しかない少女、唐突に出てきて読んでいるうちに、メインヒロインなんだなと分かったが、境遇といい扱いといい、少しかわいそうだったかな…。軽すぎるほどからっとしている、まさに夏休み小説。そして、デレク・ハートフィールド架空の作家なんかい…。
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読みやすかった。最初、鼠が出てきてイマジナリーフレンドきちゃあって思ったら普通の人間でしたw東京の大学生が主人公のお話。現実であるようなないような話だ。楽しく読めた
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多くの人は人生に特別な事件があるわけでもなく、なんてことない日常の繰り返しを生きている。思い出す人々、出来事。年月を生きて歳を重ね老いていく。そこに何か意味があるようでいて実はないのかもしれないと思うとき、村上春樹の小説の読後感とどことなく似ていると感じる。生きていくことそのものを描いているのではないか、。この呟きさえも、吹いて消えゆく風の歌のようである。
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すごい青春だなあ… 恋愛の一言では片付けられないような、彼女との一夏の思い出。お互いに惹かれてるはずなのに、一向にわからないし知ろうとしない彼女のバックボーン。そのくせして結婚してからも僕は彼女のことを時折思い出すんだろうな。ハヌマーンのハイカラさんが通るを聴きながら読みたいストーリーだった。 (鼠と彼女との関係を想像してしまうが考えすぎ?)
Posted by ブクログ
【村上春樹の出発点】
当時村上春樹が住んでいた街と同じ街に住んでいることでこの本を知った。
なんというか、ずっとアメリカの西海岸の風景を浮かべながら読み進めた。
どこか日本ぽくない、海外の風景を想像しながら読み進めたのはなんでなのか。
主人公と鼠、彼女との掛け合いは、村上春樹自身の自然体のやりとりなのかな。
Posted by ブクログ
ひと夏の出来事の切り取りだけれども、なんだか重くて気怠くてぬめぬめした感じ。
だけど、読み進めててさっぱりした感じなのは、舞台が夏の神戸?辺りだからかな。
主人公たちの後ろ向きな暗さと裏腹に、神戸辺りにある港町の爽やかな夏が対比的だった。
あとは個人メモへ
Posted by ブクログ
作品全体に漂うのは、失われてしまったものへの静かな哀愁です。主人公の「僕」は、過去に自殺した3人のガールフレンドの記憶や、かつて存在していたはずの何かを喪失した感覚を抱えている。登場人物たちは一見、バーでビールを飲みながら軽妙に過ごしているように見えるが、その根底には埋めようのない孤独が横たわっている。
「僕」は架空の小説家デレク・ハートフィールドの「文章を書くことによって生じる苦痛」について語り、冒頭でも「完璧な文章などといったものは存在しない」と述べる。自分の心の内や真実を他者と共有することの難しさ、言葉が持つ限界や脆さが作品の重要な軸となっている。指が4本しかない女性との交流においても、心の核心には触れきれないもどかしさが描かれている。
1970年の夏という時代背景(学園紛争の熱気が冷め始めた時期)も重なり、かつての情熱や理想が去った後の「無力感」や「あきらめ」を受け入れるプロセスの物語でもある。重いテーマを直接的に叫ぶのではなく、アメリカ文学的な軽快でドライな文体を通すことで、虚無感をポップに表現している。
「取り戻せない喪失を抱えながらも、静かに現実を受け入れて生き抜いていく姿勢」を描いた作品。
匿名
図書館の本で一度読んだことがある。電子書籍で2回目を読む。
村上春樹の処女作である。物語は「1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る。」
その後の村上作品に受け継がれていく、遠回しで比喩に富んだ翻訳調の語り口はもうこの作品で完成している。受ける印象は都会的で、若々しく、病的になりそうなところでぎりぎり健全さを保っている。
鼠が食べるホットケーキにコーラをかけて食べる食事はノーベル週間にハルキストが恒例行事のように再現している。
この作品で後のすべての作品を代表していると感じる。
Posted by ブクログ
村上春樹作品は、大学の授業で触れた(そのときは読み切れなくて、後で読んだ)『ノルウェイの森』くらいしか読んだことがなく、気になってはいた。
古本屋でデビュー作である本作を見つけて、えいやっと買ってしまった。
『ノルウェイの森』と共通して、つかみどころのない、と言ってしまえばそう感じるのだけど、終わりの方は、過ぎ去っていく青春の苦さと、鬱屈とした清涼感(矛盾した表現かもしれないが)があってよかった。
もう少し読んでみたい。
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あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。
「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。」
Posted by ブクログ
2026/09/23 - 2026/09/26
再読、なはずなのでぼんやり鼠とビールを飲むところは覚えていたが、具体的にどんな話だったか忘れていたので、今回読み直してみてよかった。
序盤の文章を引用する。
p13-l2
もしもあなたが芸術や文学を求めているならギリシャ人の書いたものを読めばいい。真の芸術が生み出されるためには奴隷制度が必要不可欠だからだ。古代ギリシャ人がそうであったように、奴隷が畑を耕し、食事を作り、船を漕ぎ、そしてその間に市民は地中海の太陽の下で詩作に耽り、数学に取り組む。芸術とはそういうものだ。
ここは前回読んだ時にも非常に印象に残っていた。10年以上前に読んだが、この文章を読んで、「ふーん、じゃあAIが台頭すれば私たち人間は芸術や文学に時間を割けるようになるのか」と思った。
実際にAIが普及した今、「AIを使えているのか、AIに使わされているのか」という疑問は尽きないが、なんとなく当時は希望的にこの文章を捉えたことを覚えている。
今回読んでいて、時代背景がいまいち読めない、というのがあった。今読むとあり得ないのだが、村上春樹のバックボーンから田舎の学生の私は「アメリカの話なんだな」と思っていた。どこをどう読んだんだ、という感じだが、全然日本の東京と地元が舞台だった。(と解釈しているがあってる?)
なんとなく、自分が東京に住んでみた経験や、大人になったことでこの小説への理解度がぐんと上がった気がする。と、同時にこんな淡くて曖昧な関係性や、ゆらゆらと足元が揺らぎ続ける柳のような感覚、時の流れ方を感じたことがないため、作品に入りきれない自分もいた。
人と人とが溶けて消える切なさや、言葉にするには野暮な部分、というのを「死」以外で感じて生きてきたことがないため、こういうふうに世界を見ている人もいるんだ、という追体験のような感覚で読み進めることになった。
それは経験の違いだけでなく、私自身が「言葉にしても伝わらなかったとしても、それでも言葉を尽くすことが人間関係の基本」だと思っているからかもしれない。
この本はまた、もう少し大人になったら読みたいな、と考えている。
p157-l13
彼の墓碑には遺言に従って、ニーチェの次のような言葉が引用されている。
「昼の光に、夜の闇の深さがわかるものか。」
多分、まだ昼寄りなのだと思う。
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2020年代とは異なる時代。
携帯やパソコンがない。だからこそ人と会って話すことがなによりだった頃。
今と変わらないことは、人と会って、別れて、失敗して、挫折しながらも前に進む。
そしてなにもなかったかのようにしているが、どの時代にも、どんな人にも、影の部分や成長前の時はあるんだと思い返す一冊でした。
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村上春樹のデビュー作らしい、そして僕の村上春樹のデビュー作
海外かぶれで時間軸、誰が話してるのかも理解するのが難しかったけど、そこを理解することに重きをおかず書いてる内容を楽しんで読んだ(楽しかったかは別)
村上春樹が僕には合わないとは思ったけど(太宰治の後だったからかも)村上春樹を読むのをやめるのは勿体ないと思わせる何かがあった
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ノルウェーの森読んだので次の村上春樹本として。
最後まで不思議な本だった。掴みどころがないような話の中で、ときどきハッとさせられるようなセリフが混じっていたりする。
自分の人生っていうのは、この地球の歴史の中ではそっと吹いた風みたいなもんなのかな、みたいな気持ちになった
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フランス映画のような作品。
物語の展開よりもノスタルジックな雰囲気を楽しむもの。個人的にちょうど全てに意味と効率を求められるような現代に疲れていたので、明確なメッセージを押し付けられない作品には心地よかった。責任に縛られず掴みどころなく漂うのも若物の特権かもしれない。
直接関係はないが、今とは違う時代背景にも思いを馳せた。便利すぎず思考する時間のある学生は今より随分と大人びているし、現代の方が社会的な自由度を得ているはずの女性が、この時代の方が自立しているように感じる。これはおそらく小説の中の話だけでは無いはず。
村上春樹のデビュー作と知らずに急いで手に取った一冊。何度か挫折して敬遠していた村上春樹デビューとなった。
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青春を描いてるはずなのに、どこか孤独や、虚無感が漂う作品だった。
諦めにも近いものを感じた。
「宇宙の複雑さに比べれば」「この我々の世界などミミズの脳味噌のようなものだ。」
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村上春樹のデビュー作、
短そうだったので軽い気持ちで。
大学生の主人公が夏休みに帰省した数週間の出来事が描かれる。
海が近くにある港町、
近所のバーで旧友とビールを飲んで、
夜は父親の靴を磨き、
レコード屋で働く女性と出会い、
何の事件もない一夏が淡々と描かれる、ノスタルジーを感じるような小説だった。
私の実家の近くには夜にいったら必ず旧友がいてしっぽり飲めるようなバーはないし海もないけど、少しだけ帰省したくなった。
旧友が、この夏が終わったら主人公は東京に戻っていってしまうことに、自分だけ地元に取り残されている感覚を味わっている所に寂しさを感じた。
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何も起きない。ただ、それでいい。
起承転結もなく、ただただ村上春樹の文体に浸れる作品。
親友とビールを飲み、行きずりの女と寝るだけという突飛な設定や展開がないため親近感を持って読むことができる。
ノスタルジーなあの頃の夏を感じることができる。
登場人物同士の会話はユーモアに富んでおり思わず鼻で笑ってしまうようなシーンが多々ある。
「どんなに惨めなことからでも人は何かを学べるし、だからこそ少しずつでも生き続けることができる」というセリフにはどんな出来事も前向きに捉えられるようなメッセージが込められているように感じた。
Posted by ブクログ
切ないナツノオワリに副鼻腔炎に魘されながら読み切った。処女作だと聞いて興味を持った作品、他はあまり知らないが抽象的でパッとは意味がわからない。
ただ咀嚼すればそういうことなのかなみたいなことはわかる。きっと絶妙にわかりにくいこの感覚が村上春樹のオシャレなんだろう。
切ないけど、20代って夏みたいなもんだなって思う。アツくてエモい。そして敏感。まだ、敏感でいられるのかもしれない。記憶の一コマ一コマ、非日常を選んでしまう勇敢さ。そして自分を顧みることの繰り返し...大人になりきれなかった夏の物語。
Posted by ブクログ
読後感が爽やかで、サクッと読めた。オシャレで文学的な会話が印象的で、文もすごく読みやすかった。話がめっちゃおもろいっていうより、なにか起こりそうで起こらないけどなんか心地いいみたいな感じの本
Posted by ブクログ
この作品の雰囲気を他のものに端的に例えるなら、『三ツ矢サイダー』だと僕は思う。そう、あの透明に澄んだ炭酸水だ。
その口当たりはピリピリと酸味の効いた中に、ほんのりと懐かしくも淡く儚い甘さがあって、過ぎ去りし昭和の香気に満ちている。
晴れた夏の夕暮れの公園で、はるか東の空へ飛び去る鳥の群れを眺めながら、静かに揺れる滑り台に腰掛けて飲んだような、あの懐かしい味。
読者はある種の清涼感と、一抹の寂しさを感じながら、しかし満ち足りた気持ちで本を閉じることができるのではないだろうか。
彼のすべての作品の主題である、あのほろ苦さと取り返しのつかない寂しさを感じさせる、『喪失と再生の物語』としての軸は、すでにこの作品でもハッキリと輪郭を形に現している。
薄暗いジェイズ・バーの店内で、気のいいマスターを相手に、飲みながらかつて付き合っていた(が今はもういない)恋人たちについて静かに語った『僕』。
彼は心中にピリリと痛みを感じながらも、次なる再生への道を模索し始めていたのではなかっただろうか。
ここからは読んでいた時に書いていた感想を皆さんにお見せしよう。雑文ではあるが、皆さんの読書の肴になれば幸いである。
2026.8.7
村上春樹を読む時、僕はいつも同郷の者として親近感を得るが、同時になぜか幾許かの危機感を催す。
その危機感が何なのかはわからないし、考えたこともない。だけど今なら少しは言語化できそうだ。
つまり、村上春樹はいわば何者かになったが、僕は未だ何者にもなっていないのである。
表現について考えることは僕にもよくある。
つまり文学でも理学でも応用工学でもなんでもいいから、何らかの表現行為を成して永く名を残さなければ、後世には自分の生きた証など何も残らないのだ、だから何かを残さなければならない、と言う強迫観念である。
これがちょうど僕の言う『何者かになる』ことの定義でもある。それゆえに、僕らは焦るのだ。
だけどこういう焦りを抱えている人も、きっと多いはずだ。
そしてそのような僕らの大半は、たとえば山月記にも出てくるあの『臆病な自尊心と尊大な羞恥心』に支配されている。
このいわば凡人の鎖を断ち切らない限り、遠い視座での未来は、僕らにはない。
さてこの小説の冒頭、つまり1の部分を書いていた時、村上春樹もまさにちょうどこういった強迫観念を抱えていたはずだ。その証拠に、文体が少しぎこちない。
だけど彼はそのぎこちない文章を、見事に彼自身の予言書にしてみせた。他の誰でもなく、彼自身の。
架空の作家、デレク・ハートフィールドを語り始める前までに彼が書いた、彼の『何者かになる』ための最初の第一歩を読んでみるといい。
どこか自虐的ともとれる、決して踏ん切りの良いと言えない文章の中に、その秀逸な予言は潜んでいる。
彼はこのプロローグによって、僕らがちょうど今ここで囚われているような、凡人のしがらみを乗り越えたと言っても過言ではないだろう。
そう、『臆病な自尊心と尊大な羞恥心』の鳥籠から、彼は見事に飛び立ったと言える。その現場を間近で見ることのできる本作は、貴重なものであるはずだ。
そして観衆は、そんな彼に惜しみない拍手を送らなければならないだろう。
誰かの台詞ではないが、何かを成し遂げたければ、まさに今やるしかないのだ。
2026.8.8
村上春樹の作品が難解と言われるのは、そもそも理解することが、水を両手で掬って保持するようなナンセンスな行為だからだろう。
そこに必死に意味を求めようとすればするほど、その意味は指間からするりと抜け落ちていく。考えるな感じろを体現している作家なのだ。
難しく考えることをやめて、ただ感じることに意識を集中すれば、作品を読み終えた先には、きっと切ない感動と明日への希望が待ってくれているはずだ。
Posted by ブクログ
この本の良さを誰かに伝えようとして、どのように伝えればいいか、すごく悩む。
文章が全体的にオシャレで、少し臭い言い回しだが全体的に詩的な雰囲気で、文章の気持ちよさに溺れていける感じ。
嫌いな人は嫌いなキザっぽいところがあるので、そこは好みの問題かもしれない。
あとは主人公や周りの人間に対し、特定の名前を付けないところもこの本ならではの特徴である。
親友と言える相手に対しても"鼠"という呼称をつけて、ある程度人との距離を取ろうとする姿が伺える。
人との距離感がうまく掴めないという悩みを抱える主人公であるが、たしかに自分に置き換えても、
そのような人間関係に悩む大学時代があったなと共感した。
最後の方はよりファンタジーな作風になり、規模感が大きくて混乱する部分があったが、何度でも読みたいと思わせる中毒性があった。
Posted by ブクログ
すごい短いのに何度もページを開き何度も挫折した。
物語はそんなに面白くなかったけど、どこの文も切り取ったらそれが名文みたいに見えるからそれはすごいなと思った。村上春樹なんだから名文なんだけど
ものを書くヒントには
ものを書くヒントにはなった。内容は派手なセクシーンーンはないが恵まれた生活をしているお坊ちゃん大学生の遊びが中心、ひけらかす西洋文化の知識、若者向きの書籍としておこう。中年にはノスタジックな作品かも。風の歌を聴けのタイトルから期待したが残念、今後は試し読みしてから購入する。