あらすじ
「あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風に生きている」1970年8月、帰省した海辺の街。大学生の〈僕〉は、行きつけのバーで地元の友人〈鼠〉と語り明かし、女の子と知り合い、そして夏の終わりを迎える。過ぎ去りつつある青春の残照を鋭敏にとらえ群像新人賞を受賞した、村上春樹のデビュー作にして「初期三部作」第一作。
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Posted by ブクログ
1979年に発表。世界的作家、村上春樹のデビュー作。1970年の夏に帰省した29歳の〈僕〉が物語を書こうと思い立つ。自分が好きな小説家や音楽の話や、友人の〈鼠〉とバーで交わした会話、介抱したことから親しくなった女性との身の上話が、乾いた文体で断片的に語られる。
村上春樹の本は若い頃よく読んだ。『海辺のカフカ』にはじまり短編集やエッセイ、海外翻訳、地下鉄サリン事件の被害者と加害者側の宗教関係者への膨大なインタビュー集など色々読んだが、デビュー作である本作は読んでいなかった(読もうしたことはあるが、その時は挫折した)。最近になって村上春樹を読み直そうと思い、それならば第一作目から読みたいと思い購入。読んでみると、本作は村上春樹の小説家宣言だったのだなと思う。もしくは通過儀礼か自己紹介ではないだろうか。
うろ覚えなのだが、村上春樹は何かのインタビューで、小説を描くことを井戸を汲むことに例えていたような記憶がある。「自分の中の深いところから物語を創出する」ということだと思う。村上春樹の小説を読んでいると、主人公が精神世界に迷い込むような描写がよくある。または自分の世界に入ってしまう。
このような主観的な物語構造を持つ作家は幾人もいるが、日本人にとって分かりやすいのは宮崎駿だろう。宮崎駿の作品では世界で何が起こっているのか全体的な説明はほとんどされない。登場人物の目線で物語世界を走り回り、主人公の精神に反応するように世界のほうが変わっていく。天候や風、光の色がどんどん変わる。宮崎駿は世界を「俯瞰」するのではなく、人物の目線で世界を「仰ぎ見る」が、村上春樹の場合は個人の内側を広げていくことで世界がつくられる。個人的な行為によって世界が描かれていくように読める。
本作はそんな村上春樹のデビュー作ということもあり、自分自身のために書いた小説ではないだろうか。自分の心に残っている音楽、小説、場所を小説に置き換えていく作業のようにも思える。若いが故に持っているものは少ないが、そこも正直に空虚にさらっと書いている(文体が乾いているのは当時の時代性もあると思う)。小説を書くことの言い訳のような冒頭に、自分の内側を曝け出す前の「照れ」を感じる。自分の内面と向き合う村上春樹が、小説家になるための井戸を掘る前に自分の位置を確認した。そんな真面目すぎるほど誠実な姿勢が思い浮かんで、なんだか嬉しくなるような良い私小説でした。
Posted by ブクログ
鼠について語ろう。この本から知りえた情報を羅列してみる。
1.金持ちである
鼠の実家は神戸の山の手にある。三階建ての一軒家で、車は二台。
2.パンケーキにコーラをかけて食べる
この食い物の優れた点は、食べ物と飲み物が一体化していることだ。