あらすじ
〈私〉の意識の核に思考回路を組み込んだ老博士と再会した〈私〉は、回路の秘密を聞いて愕然とする。私の知らない内に世界は始まり、知らない内に終わろうとしているのだ。残された時間はわずか。〈私〉の行く先は永遠の生か、それとも死か? そして又、〔世界の終り〕の街から〈僕〉は脱出できるのか? 同時進行する二つの物語を結ぶ、意外な結末。村上春樹のメッセージが、君に届くか!?
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Posted by ブクログ
高校生のときに読んだ本作、40歳の今再読し、あまりの記憶のなさに笑った。きっと、当時理解出来なさすぎだのだろう。
本作に通底しているテーマは、「自己とは?」かなと思った。影というのはそのまんま、ユング心理学で言う"シャドウ"、頭骨から読み取る古い夢は、シャドウを生み出すきっかけになるような、幼少期の記憶やさらには仏教で言うカルマ、世代を超えて受け継がれる集合意識のようなもの、と気がつくと脳内変換しながら読んでいた。
最終的に主人公が選択するのはシャドウを生かすということ、ただしシャドウと一体化して無意識になるのではなく客体化してお互いに自立する道。それは森の奥に追いやられるような、孤独で、マイノリティで、想像以上に険しい道であることが示唆される。
複数の女性像が何を象徴しているのか、とか、シャフリングあたりの仕組みとか、理解出来ると面白味が増す層がまだまだ10層くらいありそう。年に一回くらい読み返したら、気づけることや理解の深さが増していくような、一生味わえる作品。
最後に、最近読んでどハマりした「世界99」との共通点を感じたのでメモ。
・汚い、ネガティブな感情をなかったものにするためになにかに押し付ける(獣、ピョコルン)
・そういうものがない世界に生まれる別の歪みについて描かれる
・肉体の死とは別次元での認識層での無限の生(世界の終りで生き続ける、ピョコルンに生まれ変わる)
追記:
影のキャラクターが、少しせっかちさを感じるところや喜怒哀楽が割と分かりやすくて、人情や人間臭さがあって、好き。
Posted by ブクログ
作品全体を通して物寂しさや寒さを感じるが、だからこそ暖かい瞬間により救われる。個人的に今の自分にぶっ刺さるところがあり、自身のエゴとそれによる孤独感のようなものを「僕」からは感じた。この作品に出会ったことで、孤独感から開放されるような気持ちになれた。
Posted by ブクログ
感激感動感涙。
ハードボイルド・ワンダーランドは世界の肯定、世界の終りは心の物語であろうか。自身が創り出した壁に囲まれた街で、心を失わぬまま、彼女に心を伝える「僕」の選択に感動した。
Posted by ブクログ
上巻から一気に怒涛の展開。
どちらかというと上巻は癒し系の話かと思ったのに、全然違うかった。
でも最後の4章は本当に涙無しでは読めなかった。
世界には涙を流すことのできない悲しみというものが存在するのだ。深い哀しみというのは涙という形をとることさえできないものなのだ。
誰の心にも諦めたもの、閉ざしてしまったものがあり、でもその諦めたものの、澱のようなものが少しでも残っているならばそれで生きていくことができるのだ。
世界の終りのラスト、影と私の会話は、自分の心のなかにずっと留め続けたいと思う。この本のことは絶対に大事してゆきたい。
Posted by ブクログ
多くの謎と課題をその中に秘めながら怒涛のような展開…蛭のいる洞窟はゾッとするなぁ
で、「私」の消滅の結末へ。
ずっと聞こえているような音楽とタバコの香りが昭和への郷愁を誘い、なぜもっと早くこの本に出会って無かったのだろうとささやかな無念さを抱え厚い本を閉じるのでした。
Posted by ブクログ
この本を読み、人生の無常さや諦念といったテーマを感じました。
どんなにあがいても結果は変わらない、最初から決まっているのではないかという思いに至り、自分の意思決定さえも本当に自分のものなのかと考えさせられました。
そのような中で、限られた生活の中で感じる喜びを噛み締めることの切なさや意味深さを感じると同時に、閉塞感や息苦しさも覚えました。
コントロールできない要因が人生の大部分を占めているからこそ、その中でも生きる希望を持っていきたいなと。
ほんとに大好きな小説です。
何回も読みたいものです。
Posted by ブクログ
これは素晴らしい。内容も分かりやすく、何より設定がおもしろい。村上春樹は奇想天外を読者の体温に溶け込ますのが上手で、この本では特にその傾向が見られた。最高傑作と名高いだけある。
Posted by ブクログ
何読目だろう。
20歳に入る少し前くらいにこの本に出会って、20代の前半のうちに3回は読み直していると思う(読み返した回数はたぶん『ねじまき鳥クロニクル』の方が多いけれど)。
社会人になった後も読み返した記憶がある。それが20代の後半だったのか、30になってからだったのかは覚えていないけれど。そして40になってまた手に取ることになった。少なくとも5回目、もしかしたらもっと読み返しているかもしれない。
そんなに読み返す小説はもちろん少ない。村上春樹でも『ねじまき鳥』くらいしかないし、後はたぶん京極夏彦の『鉄鼠』と『狂骨』と『絡新婦』くらいだと思う(好きな作品は? って聞かれたら『魍魎』をあげる気がするけれど、なんだか『魍魎』は読み返す気がしなくて、そこまで読み返してはいない。そしてたぶんここから先『巷説』シリーズは何度も読み返すことになると思う)。
40になって読み返した感想は、「これってこんなに静かな小説だったっけ?」ということだ。印象としてはもっとドラマティックな小説だという手触りが残っていた。それはたぶん大男が「私」の部屋を散々に破壊する場面であったり、やみくろの世界を冒険する場面であったりが20代の僕の心を捉えたからだろう。いや、記憶の中では「僕」と僕の影との別れももっと激しいものとして刻まれていたのに、それはひどくあっさりと静かなものだった。
それはもちろんこの20年の間に僕自身が大きく変化したことによるものだろう。その変化の中には喪失も当然含まれる。そして僕は僕なりの「壁」や「川」を持つ「街」を作り上げたのだと思う。それがきっと本の読み方を変えたのだ。
今回、村上春樹を読みたいと思ったのは、たぶんカミュの『ペスト』が引き金になっている。カミュを読もうと思ったのはもちろんコロナ禍を経験したことが大きいだろう。たぶんまた何年後かに、僕は何かをきっかけに
この本を手に取るのだろうと思う。
そんなことを確信させる本は少ない。
そんな本に出会えたことは僥倖だと思う。
そしてきっと僕のような付き合い方をしている人が、大勢いるのだろう。
だから名作と言われるのだと思う、たぶん。
Posted by ブクログ
世界の終わりのぼくが夢読みしている古い夢は、ハードボイルドのぼくがシャフリング能力をつけた時に計算士達に壁に押し込まれた記憶?(推)
朝刊などぼくの感情に強く結びついたエピソードに出てくるフレーズが、再度出てくる事によって読者がぼくと読者の感情がリンクしていく。
ペーパークリップもそう、どこにでもあるものが絶対ない状況にいつもあることへの違和感が、ストーリーを繋げてくれるので、すんなり二つのストーリーを交互に読み進められるのだろう。
やみくろの巣が国会議事堂前にあるなんてヘンテコすぎて大好き。
世界は数多くの示唆で満ちているのだ。
Posted by ブクログ
明かされた『世界の終り』という物語の秘密に、読者は声をあげて驚愕するだろうか、それとも分かっていたと無言で頷くだろうか。私は後者であったのだが、それでも面白さに衰えはなく、むしろ答え合わせに正解したような満足感があった。
微かな繋がりを見せる二つの世界の姿は、言うまでもなく美しい。特に「僕」が手風琴を探り探り扱いながら失った記憶の中にコードを見つけ、『ダニー・ボーイ』に引いた場面には心打たれる。
もしも自分の意識が24時間と少しで消えてしまうとしたら、私は何をするだろう。
本を読んで過ごすと答えられたら幸せだろうなのだろうが、きっと「私」と同じくやるべきことは山ほどあるのに、やりたいことが思いつくことはないだろうと思えた。
絶望的な展開が続いても切ない気持ちになることはなかった。それは主に「私」と太った女のやり取りのおかげだろう。どこかコミカルでありつつも、たびたび太った女が見せる官能的な言動にどきりとさせられる。彼女に対する「私」の反応も、淡々としていつつもありきたりなものではなく、読み応えがあった。
『世界の終り』と『ハードボイルド・ワンダーランド』の関係は、私たち読者自身が認識している世界すら本当に存在しているものなのかと、疑問を抱かせる。もしかすると、我々読者の肉体はコールドスリープ状態でどこかに保存されており、その自分が見ている意識の世界が今居る世界なのではないか、と。
幻想的な物語と、その中に隠されている哲学的なテーマ。ミステリーを好む私だが、たまにはこういった作品を読んでいるものいいものだと感じた。
読み終えてまず思ったことだが、脱線がここまで楽しみな小説を読むのは初めてで、これが村上春樹氏かと唸りながら奥歯を噛み締めた。しかし、登場人物たちの会話で比喩表現を使われることも少なくないため、複雑な物語を理解し尽くすことができずもどかしくなる。具体的にはシャップリングの原理を「私」に説明する博士の辺りがそれで、難解な専門用語の羅列に独特な比喩にたちまち混乱し、1ページ読むごとに眉間のシワを揉むことになった。
とはいえ、村上氏の独創的な物語に身を浸す快感を体験できたのは、本作を読んだからこそだ。名作とされる『ノルウェイの森』もいずれは読んでみたいものである。
Posted by ブクログ
◯生
第一回路=ハードボイルド・ワンダーランドの私
第二回路=影
第三回論=世界の終わりの僕
◯死
第一回路の私は失われ、第三回路に融合した?
『ねじまき鳥クロニクル』の井戸(=id)しかり、『ノルウェイの森』の直子しかり、分裂症的世界観がよく描かれる
人生は深い悲しみに満ちていて、別れや人の死を受け入れる為に、別の自分を創り出し、固い感情の殻にこもることを、この時の村上春樹は肯定していたのだと思う。(=デタッチメント)
そしてそれが救いになる読者がいる
一方で、『街とその不確かな壁』では、影を逃した後の僕も、壁の外へ出る
『ねじまき鳥クロニクル』以降は、外の世界と向き合うことが描かれてきたが、『世界の終わり〜』と『街と〜』の2作品が存在することによって、どちらの向き合い方も肯定されたように思う。
電子化万歳
この作品を電子書籍で読めるとは……。
上下巻を旅行に持ち歩いたり、喫茶店で静かにページをめくったり、寝る前のベッドでずっと読んでしまったり、いろんな思いではあれど電子化が素直に嬉しい
Posted by ブクログ
上巻で十分楽しかったですが、下巻もそのテンションを保ったまま最後まで突き通してくれました。
「世界の終わり」の方は幻想小説みたいで、箱庭ファンタジーという体で楽しめたし、「ハードボイルド~」の方はいつもの村上春樹という感じもしつつ、スラップスティック的なコメディもしていて、エンタメとして普通に読めました。
というかやれやれ系主人公の元祖という説は聞いていたのですが、ほんとにセリフとして「やれやれ」が出まくっている!笑
物語解釈としては村上春樹は『羊をめぐる冒険』まで、時代を過ぎてしまった革命戦士たちについて冷ややかな視線を投げかけていたと思うのですが、その”情熱”が”心”として、どこへ行ってしまったのか模索するお話だったのかと思います。
または作家として自身の内世界との対峙、とでもいうのでしょうか。
純文学的な「世界の~」とエンタメ的な「ハードボイルド~」を並べて対比、またはつなぎ合わせることで、専業作家となった自身の、今後の立ち位置を模索していたように感じました。
Posted by ブクログ
NARUTOのオビトが作り出した無限月読の世界のことを考えた。
中学の時と変わらず今でも彼の望んだ世界を否定することができない。
自由意志や心のない社会は本当に不幸か、完全に否定できる日は来ないような気もする。
Posted by ブクログ
難しい難しい難しい。。。
最後はなんか泣きたくなった。
これは何回か読まないと私には理解できなそう…
もし僕が目覚めたとしたら、その時は暖かい場所でピンクスーツの太った女の子と沢山話しをして欲しい
村上春樹の二つの世界が交互に進んでいく書き方、それがだんだん交わっていく感じがすごく好き
世界の終りの話は、ハードボイルドワンダーランドでの私が意識を失ったあとの世界なんじゃないかと思った。冬は冷凍されたあと??
だから最後、影をと別れた僕は深層意識から抜け出せてないのかな…
Posted by ブクログ
多少読みづらさはあったけど、上巻よりも二つの世界の繋がりが見えたおかげでスルッと読めた!
村上春樹さんの本初めて読んだけどすごい文学的で別の作品も読みたくなった。
Posted by ブクログ
苦手な村上春樹だけど、素直に面白かった。
ファンタジーの方がまだ読みやすいかも。
2つの世界設定も魅力的で、どう繋がるのか分からなかったけど、なんとなく納得。
脳の中の過程と、意識とは、世界とは、認識とは、みたいなテーマで、テーマはすごく好きだった。
苦手だったけど(2回目)、村上春樹は世界観を自分のものにして、自分自身ですら世界観に没入して酔いしれて書いているんだろうな、というのが伝わってくる。そこがファンの多い所以かな。
おしゃれだなって思う表現と、なんだこれって思う表現が半分半分くらい。でも、おしゃれだなって思うのはやっぱり印象に残る言葉が多くて、さすがだなと思った。
街の方も読んでみたい。
Posted by ブクログ
表層意識であるハードボイルドの世界と、深層意識の世界の終わりが、まるで二重螺旋のように絡み合い、読み手の意識を奇妙な場所へと連れて行く。世界の終わりは、その狭い壁の中で、まるで終わりのないメロディのように繰り返され、停滞している。それは、主人公が生み出した世界の、どこか歪んだ鏡像なのかもしれない。
よくわかったような。わからないような。
どこでページを閉じても、そこには一つの独立した風景があって、短いけれど、どこか懐かしい詩のような余韻を残している。
この本を選んでくれた理由が、今、じんわりと胸に染み渡ってくる。ああ、これはそういうことだったのか、と、何度もページを繰り、言葉の奥に潜む意味を探してしまう。そして、この物語について、朝まで語り明かしたいような、そんな衝動に駆られる。あなたに、無性に会いたくなる。
1985年出版、やれやれ今でも通ずる感覚がなんだか感慨深い
danny boy - Bill evans
Posted by ブクログ
良い読書体験だった。
「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終り」という2つの世界は独立しているようにみえて通じている。その謎を解明する過程のわくわくは冒険しているようで、2つの世界が重なった瞬間は鳥肌が立った。
知っている地名も出てくるので、世界を見る目が変わりそうな本。
著者の本は小学生の時に「海辺のカフカ」を読んで以来長らく手を伸ばしていなかったが、読んで良かった。
哲学、心理学、科学、物理学など多様な視点が織り交ぜられ文学作品として纏められている作者の技量に驚き
個人的には、主人公の生活の場面の描写が細かくて好きだった。
特に260ページ以降からは個人的に響くことばが沢山あった。
ハードボイルド・ワンダーランドでは、死が迫り自分自身を内省する中で浮き上がった考えや気づき
「35年もこの世界に生きていて、私にはありきたりの花の名前ひとつわからないのだ」
死を自覚してから、自分の生活を見る視点に変化が生じる主人公。
そして死を受け入れる過程で一つの気づきを得る。
それは自己を変革しようとしても自分自身に帰結すること。
受け入れ違い事実も、時には便宜的に受け入れた方が楽になる。
「人間の行動の多くは、自分がこの先もずっと生き続けるという前提から発しているものであって、その前提を取り去ってしまうとほとんど何も残らないのだ」
という一節も印象に残った。
世界の終りでは、自分のアイデンティティと結びつく「心」の存在意義について。
「絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれる。絶望のない至福なんてものはどこにもない」という一節。心が抹消されて平和に暮らす完全な世界の唯一の違和感。
読後は、限りある自分の生を感じると共に、自分自身を見つめ直し、肯定したいと思えた。
Posted by ブクログ
難しかった
うまく話を交差できずに読み終えてしまった。
なんとか落ち着かせようと思うのがそもそもいけないのだらうけど。
不確かな‥を読んでみようと思う。
Posted by ブクログ
アキレスと亀や百科事典棒のような、なんとなく煙に巻かれてると言うか、そうじゃないと主張したいのにそれを言語化するのが難しい作風だなと思った。
潜在的な意識の中に閉じこもって生きるのはどんな心地だろう。自分の想像を超えることは起きないから、退屈で窮屈ではないのかな。それともそんな世界であったとしても、人間の適応力を発揮するのか。
Posted by ブクログ
村上春樹さん得意の二軸ストーリー進行。
別の世界の話が並行して進むんだけど、いつこの話が交差するのだろうと期待感込めて読み進めたけど、ラストがふわっとしたまま。
何度か読み返したら、もしかしたら伏線を読み取ることができるのかも。
ラストに近くなるにつれ、どちらの世界も哀愁にあふれた展開で、どうなるんだろうと期待を込めて読み進めたけど、残りのページ数に愕然として、「もしかしたらこのまま終わるのかもしれない」と思い始めたら、やっぱりそのまま終わったって感じ。
誰かの解説を読んでみたいなあと思った。
ただ、これより後に書かれた「街とその不確かな壁」を先に読んでいたので、何となくの世界観は掴めていたのがまだ良かったかも。
また、「不確かな〜」を読み返してみたくなった。
Posted by ブクログ
上の途中まで二つの世界の話が交互になっていることに気付かずに読んでいたので意味不明だったけど気づいた時に自分の読解力の無さというか鈍感さに呆れた。
気づいてからは世界観に浸れてよかった。
湖だかなんだかを泳いで渡るところがすごく印象に残ってる。重くて辛そうな感じが伝わってきてがんばれ〜って思った。
あと家をめちゃくちゃに荒らされたところ。ひどいことされても冷静すぎておもしろい。
Posted by ブクログ
伏線が回収されないまま終わる。
村上作品は全部そう。ただ、結末や真実を勝手に想像してわくわくできる。
敢えてそういうふうにつくっているのではないか。
村上春樹さんに聞いてみたい。
Posted by ブクログ
上巻と同じく、なかなか読む気になれずだいぶ時間がかかった。なかなか進まない世界と展開に精神がすり減る思いをした。後半胸が熱くなる盛り上がりを一瞬見せたけど、そこから最終にかけて特に思うことなく終わった。最後に主人公は別の選択を選ぶと思っていたから、狐につつまれた気分になったと同時に、そのまま終わっていたらもっと好きだったなと残念に感じた。
ただ、ここまで風変わりで、人生三回やり直しても思いつかないような設定なのにちゃんと話の筋が通っていることは凄い。全てが新しく、予想もつかなかった。ただ、必要とも思えないセクシャルな会話や、女の子がみんななぜかすぐに主人公と寝たがるところは村上春樹さんの文学には必要不可欠なのだろうか。
Posted by ブクログ
ワンダーランドの方の描写が主人公の性格のどういったところを表してるのか細かく拾っていけばもっと楽しめるのかな。
あとやみくろをどう捉えたらいいのか、、、
まだあれはなんやったんやろっていうのがいくつかあるからもっと深く考察してもう一回読めばさらに面白くなるかもしれない。
あとは比喩が多くて例えが面白いところと「??」ってなるところが半々くらいやったかなぁ