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Posted by ブクログ
村上春樹の文章は不思議なくらい読書が進む。寝る間を惜しんで、日常の隙間時間を少しでも捻出して食い入るように読んだ本に出会うのは何年ぶりだろうか。文章体や語彙が特別なわけでもないと思うのだが、とにかく切なくて、広がりを感じる文章だと思う。結果的に綿谷ノボルという存在が示した意味とはなんだったろだろうか。それは、何か大きくて機械的なものへの果てしない嫌悪感、村上春樹が近代の日本や物質主義に対して抱く率直な嫌悪感の象徴的な存在だったのではないだろうか。自分から大切な情愛を奪う、残酷で冷酷、機械的な存在としてのヴィヴァン。そこに対の存在として強調されたのが、社会の評価や合理性から離れた笠原メイ、加納クレタやマルタ、ナツメグといった女たちだったのだろうか。「遠い太鼓」を読んだ後だったから、村上春樹の中に地中海の島々が大きな存在感を持っていることを実感できた。
さすがの村上作品
自分が年をとってきて、青少年時代に読んだ感想とは違った感想を持つようになった。
あのころの紙の手触りや本の重さもよかったが、電子書籍で上下巻、3部構成など村上作品を持ち歩ける幸せ。
表紙を眺めてると、全て欲しくなってしまう
Posted by ブクログ
ファンタジーでサスペンスでSFだけど根底は「魂の救済」という純文学。
「自己主張はなく人の合わせる」主人公トオルが、失踪した妻の謎を追ううちに不思議な人々と出会い覚醒していく。
人間の体の半分以上が「水」でできている。だから体内の水と、集合意識が眠る「地下水脈」は時間と空間を超え直結する。
普通はエゴのノイズで受信できないが、トオルは井戸の中で自己を見つめ、さらに事故を凌駕し「完全な空の容器」に至ることで、巨大な水脈へのアクセスを手に入た。
もう1人の空の容器シナモンPCから水脈にアクセスできるシステム管理者。彼のバックアップでトオルは井戸から壁を抜け仮想空間での死闘は『マトリックス』の世界のようだ。
敵のコアを破壊し、静かな日常へと環流するラスト。
読めば沼る!
Posted by ブクログ
この巻で終了。
主人公が出会ったすべての事象が繋がったのかと言えば,ノーである。
いったい,何がどうなっているのか,もう一度読まないことには,わたしには理解できない。Audibleで野良仕事をしながら聞いている――そして時折人と会話をしたりして――ということにも,わたしの理解不足はあると思う。それにしても,難解だ。
第2巻の続き
★
父親が語ったのは、彼が所属していた部隊が、捕虜にした中国兵を処刑したときの生々しい情景である――「中国兵は、自分が殺されるとわかっていても、騒ぎもせず、恐がりもせず、ただじっと目を閉じて静かにそこに座っていた。そして斬首された。実に見上げた態度だった、と父は言った」。それは、父親が加害者のひとりとして体験した戦争の一場面、凄惨な虐殺の場面をめぐる記憶だった。
「記憶」といっても、それは彼のなかではまだ過去になっていない、むしろ永遠に過去になることのない情景であり、だからこそ父親は、息子にそれを託したのだろう。村上はそれを「トラウマの引き継ぎ」とみなして、次のように書いている。
いずれにせよその父の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼きつけられることになった。ひとつの情景として、更に言うならひとつの疑似体験として。言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを――現代の用語を借りればトラウマを――息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。その本質は〈引き継ぎ〉という行為、あるいは儀式の中にある。その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。(村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』)
このとき村上の心に焼きつけられた情景は、そのあと長い潜伏期間を経て、村上作品のなかのとりわけ鮮烈なワンシーンへとつながる水脈を形作ることになる。それが『ねじまき鳥クロニクル』に描かれた、ある軍人の戦争体験である。
より正確にいえば、村上は、戦争体験がもたらしたトラウマが継承される「儀式」をこの作品に書き込んでいる。その意味では、『ねじまき鳥クロニクル』は戦争をめぐる物語の共有を描いた作品であるといえる。
★
とまあ,そういう原体験が組み込まれた「村上らしい」作品が,本作品だという。
引用した文章は,工藤慶太著『無意識の発見』(講談社現代新書)に詳しい。
Posted by ブクログ
現実と夢の境がなくなるような感覚を味わえる。
第3部の後半が特におもしろくて2部、3部よりもずっと早いペースで一気に読んでしまった。
最初はバラバラに思えたいくつかの要素が読み終わるころにはある種の繋がりになっているのがすごい。
戦時中の話はとっつきにくそうなのに、描写が卓越で逆に引き込まれるように読んでしまった。皮剥ぎのシーンなんかは本当に怖かった。父はずっと前にねじまき鳥を読んだみたいだけど、皮剥ぎボリスだけは覚えていて、たしかにあれはとても印象的だった。
他の村上春樹作品に比べて、主人公がちゃんとパートナーのことを愛しているのがよかったし珍しいなと思った。村上春樹の僕はだいたいうまく人を愛せない人が多いから、一貫して愛しているとまっすぐ言えるのは良いことだと思ったし、その愛があるからこの物語があったというかんじ。ただ色んな女の人に助けられすぎだし、2部で僕はクミコに求められているのだと言いだすところは置いてけぼりになる感じで、やれやれと思ったけど。村上春樹の僕のイメージと言えば「やれやれ」だけど、意外とどの主人公も口にする場面は少ない。ねじまき鳥の僕はよく「やれやれ」と言うのも印象的だった。
3部は特に好きな表現がたくさんあった。
「まるでセロリの筋をいっぱい集めてそのままどんぶりに入れた料理を見るような目つきで」
はわざわざ読み上げて父と母に伝えたほどお気に入り。
笠原メイの最後の手紙の涙の描写もすごく好きだった。17歳の女の子が裸で月の光の下で涙を流していたら、たとえどんなことだって起こっちゃう。本当にそうだよ。
綿谷ノボルが犯したことは、皮剥ぎボリスが行った皮剥ぎのように残虐的で人を生きたまま苦しめるような行為なのだろうと思った。それは彼女たちの何かを損ない、目には見えなくても深く残る傷となった。彼が犯したことについての直接的な説明はないけれど、性被害のことを思い出さないわけにはいかなかった。
山本も間宮中尉も同じように生きたまま何かを失い苦しめられた。
そしてそのような残虐的な行為を平気で行える人種(そのようにくくるのは暴力的だけどあえて)というのは確実にいて、その人たちはこの小説で描写されていたようにとてもしぶといし、だからこそ息の根を止めないといけないというのはそうなのかもしれないと思った。
生きたまま苦しいというのは本当に苦しい。
クミコはこれからどんなふうに生きるのかな。
208号室で会ったクミコの喋り方は笠原メイみたいだなと思った。最後に僕は笠原メイが守られるように祈るけれど、もし笠原メイがクミコでもあるなら希望託したような終わりであるように感じた。
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小説・文芸
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