村上春樹のレビュー一覧
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ネタバレ肖像画家の主人公の放浪記のようなスタート
いきなり、村上春樹ワールド全開で、別世界へ連れてかれる。
主人公15歳妹12歳で死に別れる。妹にどことなく似ている元嫁。
放浪の末、画家の雨田の父、具彦の空家に住むことになる。
自分の画材一式を持ち込み、何か書こうとするが、何も浮かんでこない。
悶々とする中、屋根裏から一枚の絵を見つける。
「騎士団長殺し」構図にいくつか、引っ掛かる箇所があり、またもや悶々としている中、とある肖像画の高額依頼が飛び込んでくる。免色というのが彼の名前だ。
実際、肖像画を描き始めるが、中々構図が決まらない。こんな事は、初めてだ。
まったくデッサンが捗らないある夜、なぜかいつものような虫の大合唱が聞こえない。そればかりか、無音の中から鈴の音が僅かに聞こえる。
懐中電灯を手に、敷地内の祠置くの塚までたどり着く。唯一と言っても良い話し相手の免色にその話をすると、興味を示し、協力したいとなる。
免色が同じ状況を確認し、上田秋成「春雨物語」の一編「二世の縁」と状況がそっくりな事を説明される。
そして、鈴の音が聞こえる、石塚をどかすこことなり、2m四方の穴があり、鈴が見つかる。
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Posted by ブクログ
この作品は、一般的に言われるような単純な「恋愛小説」ではないと思った。
人を好きになるとか、過去の恋人を忘れられないとか、そういう言葉だけでは説明できない、“人生の欠落”や“魂の飢え”のようなものを描いた作品だと感じた。
主人公のハジメは、家庭も仕事もあり、世間的には幸福な人生を送っている。
しかしその内側には、どうしても埋めることのできない空白が存在していた。
その感覚は、自分自身の体験と強く重なった。
一度変わってしまった心は元には戻れない。
この小説は、自分にとって単なるフィクションではなかった。
ハジメが家庭へ戻った“もう一つの人生”を見ているような感覚があった。
もし自分が別の選択をしていたら、あの物語のような人生を歩んでいたのかもしれない。
そう考えると、とても胸が痛んだ。
この作品の大きな特徴は、「何が正しかったのか」が最後まで分からないことだと思う。
イズミも島本さんも、その後どうなったのか明確には描かれない。
島本さんに何があったのかも分からない。
しかし、その曖昧さこそが、人間の人生や記憶の不確かさを表しているように感じた。
特に島本さんは、単なる“昔の恋人”ではなく、ハジメが失ってしまった何か――若さ、純粋さ、可能性、あるいはもう戻れない人生そのもの――の象徴だったのではないかと思う。
読後には答えも救いも残らない。
ただ、「人は本当に愛していても、戻れなくなることがある」という現実だけが静かに残る。
その感覚が、自分にはとても苦しかった。 -
Posted by ブクログ
冒頭の「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」が東京にある某私立高校の今年の入試問題に出た、というので読んでみた。村上春樹の文章は一見平易だが、中身は難しい。小説は、比喩の構築物であり、大人でも知識が浅いと意味を連想できない。村上自身が書いた小説論は、中3に歯が立つだろうか。以下、私自身の意訳も含めた本文の解釈だ。
小説家は、自分とは何かという問いかけに対し、多くを観察して仮説を積み上げ物語化する職業だ。その問いかけへの最終的な答えは読者に委ねている。
そもそも、何を書いたとしても、自分自身との関係を自動的に記録してしまうのが書くという行為だ。だから、何でも書けばいいのだ。それが問いかけに向き合うことになるから。
ただし、仮説はどんなにうまく積み上げられても有限でなければならない。人は物語が終われば現実世界に戻るものだ。
カルト宗教は、クリーンな世界があると言って人を引き込み、現実世界に戻そうとしない。小説も、虚構の世界に読者を引き込む点では同じだが、終われば読者を眠りから解き放つ。邪悪なものと闘ってきた伝統もある。
牡蠣フライについて書く。なじみのレストランで食べる牡蠣フライが与えてくれたのは、仮説、つまり自分とは何かを問う物語の材料だ。
以上、このように読んだ。やはり難しい。
本書は、小説家が仮説をどう扱うべきかについても次のように書いている。
仮説を、まるで眠っている猫を手にとるときのように、そっと持ち上げて運び(僕は 「仮説」という言葉を使うたびに、いつもぐっすり眠り込んでいる猫たちの姿を思い 浮かべる。温かく柔らかく湿った、意識のない猫)、物語というささやかな広場の真 ん中に、ひとつまたひとつと積み上げていく。
ジャーナリズム的な文章は、目に飛び込む見出しが命だから、本文も結論を頭から書くことが求められる。そのためしばしば、観察対象を力業で言葉にしてしまい、結果、伝え方が歪んでしまうものも多い。
小説は、ありのままをそっと掬い取り、積み上げる。幸い結論は読者が読み取ってくれる。この仮説の積み上げは繊細な作業で、プロの小説家がなしえる技だ。
そういう技術論も、村上はここで書いているのだ。中3には難しくないだろうか。 -
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下巻も、世界の終わりとハードボイルドワンダーランドが交互に章立てされている。
僕は、老人とチェスを刺しながら、ただただ運命として死んで行くこと、影を失い、自分の過去と思い出を犠牲に、影のない完璧な世界に行くことに疑問を抱く。攻殻機動隊、MATRIXでも描かれている、人間のユートピア的な状態。しかし、そこに少しずつ違和感を覚えていく僕の心が、壁の外に向かい始める。
僕と私が交錯するポイント、この2つの物語が収束して行く場所を求めて、物語は進んでいく。一つひとつの物語があるのだけれど、それぞれに終わり方を作っていくように、進んでいく感じ。とどまって、あえて日常の何気無いことが、ものすごく特別なことのように思えて、それでいて幸せという概念さえも包含する。世界の終わりにいる最後の光、僕の決断は、そして僕が街だったことで、全ての問題が明らかになっていく。僕が作った街であり、街は僕であり、僕は私。複雑な関係性を物語それぞれで紡いでいく、本当に凡人ではたどり着けない名著。
シンガポールで開催された、藤原竜也主演の舞台を見に行った。凝縮された村上春樹の世界観に、多くの、特に欧米系の方々が笑い、涙していたのが印象的だった。それだけ、力のある小説であることを改めて理解した。感じ方というのは少し違うのかもしれないけれど、普遍的であることとはそういうことだ。 -
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このタイトルを見たときに、一体なんだろうこの話は?だった。村上春樹という、大好きな作家の長編、ゆっくり読んでいったのを覚えている。久しぶりに手にとったのは、舞台、世界の終わりとハードボイルドワンダーランドがシンガポールで公演されるからで、藤原竜也が「私」を演じる。僕と私、2人の主人公が、どのように結びつくのか、この世界をつなぐブリッジがなんなのか、そして私とは一体だれで、僕は何者なのか。
夢を読む僕は、影を失い、葛藤する。影を捨て、過去の記憶を外して仕舞えば、完璧な世界に住める。この壁に囲まれた世界では、すべてが完璧だった。
一方で、計算司として、シャッフリングという技術をもつ、暗号化やコード化を得意とする私は、完璧な世界に接続する事で、2つの世界が繋がってしまう。
世界の終わり、ハードボイルドワンダーランドが交互に章立てされていて、私と僕、という2つの登場人物を少しずつ理解しながら進んでいく構成。最近の作品まで読んでいるため、パラレルワールドの結節点を探しながら読み進める事になったが、微妙に変化している心境、それはそれでいいじゃないかという満足度もそれなりにあるいま、そこに疑問を持っていいのだろうか。 -
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一人っ子のミステリアスな女性、島本さんと12歳の頃からその子に恋心を抱く、既婚者である主人公の物語。
久々に素晴らしい小説を読んだ。『国境の南』というのは、自分が信じた偶像の先に存在する理想郷のようなものを示していると同時に、実際にはそこが空虚でありそこを追い求めて破滅すると言うことを示唆している題名のようにも思える。
「でも僕は島本さんのそうした外見の奥に潜んでいる温かく、傷つきやすい何かを感じとることができた」
これはまさしく国境の南、を示していると思う。
『太陽の西』の説明におけるヒステリア・シベリアナは今までの自分のある部分を殺して彷徨い続けるシベリアの農民を指すが、この物語では初恋の相手を思い続ける自分を殺して妻との生活に向き合う「新しい自分」を迎える覚悟を持った物語終盤の主人公と重なる。
こうした2つの言葉が並列に語られる本作の題名は、互いが同じ事を示しているようで、物語における主人公の心の移り変わりを示しているようにも思えて秀逸。
繊細な感情表現も素敵で非常に素晴らしかった。 -
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うわぁ〜凄かった…。何この世界観。
すっごく面白かったです。
今活躍している小説家さんたちって、残らず村上春樹を読んでいて、かつ強い影響を受けてるんじゃないかとさえ思う。これを40年も前に書かれていたなんて。
物語は下巻。博士に会えてからようやく、一気に種明かしが始まる。二つの世界が一体何で、どのように交錯していくのか。
ところが仕組みは分かったものの、物語がどう行き着くのか最後まで全く予想が付かないまま駆け抜ける。そして膨大な想像力で描かれたストーリーが、大きく余白を残して幕を閉じる、といった感じです。私たちの想像力まで試されているような。この余韻まで計算し尽くされているんだろうな。
100人いたら100種類くらい感銘を受ける箇所が人それぞれ違うんじゃないかな。それだけ物語は複雑に入り組んでいる。
私は今の私の世界を知っているからこそ「影」の言葉に共感しました。ユートピアには絶望もなければ愛も存在し得ない。不完全な完全性。
でもそこでまだ主人公は「心」を持つ。愛する人の心を取り戻したいと願える。微かだけど希望の兆候は確実に読み取れる。
そもそも計算士なんていう謎の職業が出てきたり勝手に脳を操作されたり、何なんだよ!っていうのがここでの現実世界なのに、その物語に引き込まれてしまう。古い小説なのに斬新。それってこの物語で語られていた、日々進化していくものと不変で普遍的なものとがあって(後者は料理とか音楽とかとも言いたいのかな?)…この小説自体がそんな要素をギュッと詰め込んだ不思議な存在なんじゃないかな、って思いました。
世界中で評価されているのが分かります。