村上春樹のレビュー一覧
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ネタバレ色々伏線もあって、一度では解釈が難しい内容でした。
主人公である肖像画家と秋川まりえ
2人にしか見えない世界が見えることで、負の連鎖を断ち切る『輪を閉じる』迄の試練を各々に課されます。
そのプロセスが余りにも表現だけの世界のようにストーリーの展開が遅く感じられましたが、
人として完璧と思える免色さんには、大きな欠点が見えてきました。
時折出てくる謎のスバルフォレスターの男も主人公の別の顔として登場しているではと思い至りました。
なぜなら主人公は、肖像画家として描く前にモチーフと会話を通してじっくり向き合う時間を必要とし、本質を捉え作品にして行くからです。
最後に秋川まりえが、苦手としていた免色さんについて、負の感情が年齢とともに消えて行く心境変化、主人公が離婚したと思っていたユズと概念の変化(自身の変化)により、復縁する結末も印象的でした。
補足するならば、
主人公の心の傷となっている妹『小径』コミチに対して、
新たに誕生した子どもの名前が『室』ムロ…
騎士団長殺しの絵画や歴史の闇を葬るのではなく、受容して生きて行くというメッセージの締めくくりになっているようでした。 -
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ネタバレ面白くてページをめくる手が止まらなかった。
青豆の話 - 一見は高身長のスラッとしたバリバリキャリアウーマン。しかし本当はお金持ちや悪人の首に細い針を刺して殺す人。これを知ってるのはとあるおばあちゃんとその手下だけ。最後東京のバーで女の子と知り合い、おじさんたちと飲んだがその後…?
天吾の話 - 天吾は、ふかえりの書いた新人賞の小説に深く感動し、上司のアイデアでふかえりと協力して芥川賞を狙うことになった。しかしふかえりは本当はディスレクシアで、実際のところ彼女が口頭で話したことを血の繋がっていない姉に書いてもらっていた。ふかえりの両親はとある封鎖された所に何年もいるらしく、連絡がつかない。なにかに巻き込まれている可能性が高い。 -
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ネタバレずっと不思議な読み心地だった。
文章自体はかなり男性っぽいというか、めちゃくちゃわかりやすい論理的で即物的な文。一文一文は淡々としてるからこそ頭に入ってくる感じ。
でも情景描写や比喩になると急に遠回しで柔らかい。
月、雲、空気、いろんな夜、あの滑り台のある公園や人の孤独。そういうものの描き方がすごく繊細で、女性が書いたみたいな優雅さがある。冷たくないんだよね。独特の色気がずっと漂ってる。
そのおかげで世界観の見せ方がほんと絶妙。
最初ずっと「え、これ何?」ってなるのに、全部を説明しすぎない。なんか謎のオブラートに包まれたまま話が進む。でも読んでるうちに、バラバラだった違和感がだんだん繋がって、「あー、そういうことか」って自分の中で合致していくのが気持ちいい。
ハッピーエンドに胸がつまり、どんな世界だったとしても3人なら!!って究極の愛!!
長く長く濃い夢を見て帰ってきたみたいな感覚が残るお話だった。
ただやっぱり、性描写はもっと少なくてよし。
村上春樹さん、すごすぎた( ºѳº ) -
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風の歌を聴けに続いて久しぶりに読んだ。
初めて読んだ当初は風の歌を聴けが衝撃的でそちらの方が好きで印象に残ったという感想だった気がするが、久々にどちらも再読した今はこちらの方がより好きだと思った。
ずっと読んでいたいと思うような世界観。
風の歌を聴けが青春の爽やかさを存分に感じられる作品であるのに対し、ピンボールは全体が物悲しい雰囲気でそれがなんとも心地よい。舞台になっている夏と秋、それぞれの季節を落とし込んだような文章。
僕のどこか冷めて達観しているけれど、双子に対して愛着とあたたかさを感じているところがよかった。素直に寂しいと言えるところも。
書き出しの一文がとても魅力的で引き込まれる。
1973年の僕と鼠、それより以前の僕、色々な場面・時間軸のシーンが織り交ぜられている点がよく、それが作品が短いながらに深みを持つ要因だと思った。
初期の村上春樹作品は特に比喩表現が多く、すべての文章が比喩を用いて語られているような印象で、それもすごく好きだった。
特に好きだったのは110ページから111ページにかけての僕と事務所の女の子が寂しさについて話すシーン。
なにが好きなのか表現したくて色々書いたけれど、結局なにがというよりこの作品の世界観と雰囲気自体がすごく好きだと思った。 -
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13歳の主人公ジョエルが、生き別れた父に会いに南部のヌーン・シティーに行き、父の屋敷で、父の後妻のエイミーやそのいとこのランドルフ、女中のズーと暮らす中で、病気で寝たきりの父に本を読んであげたり、不可解な大人たちに振り回されながら日々を送る。
蠱惑的な場面の描写はいかにもカポーティらしい。
仲良くなったアイダベルと釣りに行く場面は、自然の美しさと思春期の二人の世界に引き込まれるように読んだ。
ジョエルが、破滅的な人生を送る大人たちを顧みつつも、少年時代からの一歩を踏み出そうとするラストが良い。
アメリカ南部の暮らしのどこか気だるげな感じ、マッカラーズの小説に通じる所があって、私は好きです。 -
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ネタバレ肖像画家の主人公の放浪記のようなスタート
いきなり、村上春樹ワールド全開で、別世界へ連れてかれる。
主人公15歳妹12歳で死に別れる。妹にどことなく似ている元嫁。
放浪の末、画家の雨田の父、具彦の空家に住むことになる。
自分の画材一式を持ち込み、何か書こうとするが、何も浮かんでこない。
悶々とする中、屋根裏から一枚の絵を見つける。
「騎士団長殺し」構図にいくつか、引っ掛かる箇所があり、またもや悶々としている中、とある肖像画の高額依頼が飛び込んでくる。免色というのが彼の名前だ。
実際、肖像画を描き始めるが、中々構図が決まらない。こんな事は、初めてだ。
まったくデッサンが捗らないある夜、なぜかいつものような虫の大合唱が聞こえない。そればかりか、無音の中から鈴の音が僅かに聞こえる。
懐中電灯を手に、敷地内の祠置くの塚までたどり着く。唯一と言っても良い話し相手の免色にその話をすると、興味を示し、協力したいとなる。
免色が同じ状況を確認し、上田秋成「春雨物語」の一編「二世の縁」と状況がそっくりな事を説明される。
そして、鈴の音が聞こえる、石塚をどかすこことなり、2m四方の穴があり、鈴が見つかる。
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この作品は、一般的に言われるような単純な「恋愛小説」ではないと思った。
人を好きになるとか、過去の恋人を忘れられないとか、そういう言葉だけでは説明できない、“人生の欠落”や“魂の飢え”のようなものを描いた作品だと感じた。
主人公のハジメは、家庭も仕事もあり、世間的には幸福な人生を送っている。
しかしその内側には、どうしても埋めることのできない空白が存在していた。
その感覚は、自分自身の体験と強く重なった。
一度変わってしまった心は元には戻れない。
この小説は、自分にとって単なるフィクションではなかった。
ハジメが家庭へ戻った“もう一つの人生”を見ているような感覚があった。
もし自分が別の選択をしていたら、あの物語のような人生を歩んでいたのかもしれない。
そう考えると、とても胸が痛んだ。
この作品の大きな特徴は、「何が正しかったのか」が最後まで分からないことだと思う。
イズミも島本さんも、その後どうなったのか明確には描かれない。
島本さんに何があったのかも分からない。
しかし、その曖昧さこそが、人間の人生や記憶の不確かさを表しているように感じた。
特に島本さんは、単なる“昔の恋人”ではなく、ハジメが失ってしまった何か――若さ、純粋さ、可能性、あるいはもう戻れない人生そのもの――の象徴だったのではないかと思う。
読後には答えも救いも残らない。
ただ、「人は本当に愛していても、戻れなくなることがある」という現実だけが静かに残る。
その感覚が、自分にはとても苦しかった。 -
Posted by ブクログ
冒頭の「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」が東京にある某私立高校の今年の入試問題に出た、というので読んでみた。村上春樹の文章は一見平易だが、中身は難しい。小説は、比喩の構築物であり、大人でも知識が浅いと意味を連想できない。村上自身が書いた小説論は、中3に歯が立つだろうか。以下、私自身の意訳も含めた本文の解釈だ。
小説家は、自分とは何かという問いかけに対し、多くを観察して仮説を積み上げ物語化する職業だ。その問いかけへの最終的な答えは読者に委ねている。
そもそも、何を書いたとしても、自分自身との関係を自動的に記録してしまうのが書くという行為だ。だから、何でも書けばいいのだ。それが問いかけに向き合うことになるから。
ただし、仮説はどんなにうまく積み上げられても有限でなければならない。人は物語が終われば現実世界に戻るものだ。
カルト宗教は、クリーンな世界があると言って人を引き込み、現実世界に戻そうとしない。小説も、虚構の世界に読者を引き込む点では同じだが、終われば読者を眠りから解き放つ。邪悪なものと闘ってきた伝統もある。
牡蠣フライについて書く。なじみのレストランで食べる牡蠣フライが与えてくれたのは、仮説、つまり自分とは何かを問う物語の材料だ。
以上、このように読んだ。やはり難しい。
本書は、小説家が仮説をどう扱うべきかについても次のように書いている。
仮説を、まるで眠っている猫を手にとるときのように、そっと持ち上げて運び(僕は 「仮説」という言葉を使うたびに、いつもぐっすり眠り込んでいる猫たちの姿を思い 浮かべる。温かく柔らかく湿った、意識のない猫)、物語というささやかな広場の真 ん中に、ひとつまたひとつと積み上げていく。
ジャーナリズム的な文章は、目に飛び込む見出しが命だから、本文も結論を頭から書くことが求められる。そのためしばしば、観察対象を力業で言葉にしてしまい、結果、伝え方が歪んでしまうものも多い。
小説は、ありのままをそっと掬い取り、積み上げる。幸い結論は読者が読み取ってくれる。この仮説の積み上げは繊細な作業で、プロの小説家がなしえる技だ。
そういう技術論も、村上はここで書いているのだ。中3には難しくないだろうか。