村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
主人公は側から見れば順風満帆な生活を送っている。しかしその生活は自分の努力によるものではないと考えており、生活に満足していない。
そんな時に小学生時代に心を通わせた女性と再会して、恋に落ちる。何の不満もない妻と娘2人がいて4LDKに住んでいる生活を捨ててもいいと思うほど、恋に落ちる。
妻と島本さん(恋に落ちた女性)の性格、外見が入れ替わっても、主人公は恋に落ちていたと思う。主人公は状況に惹かれているのだ。順風満帆で不満はないのに、なぜか物足りないと感じる。そんなときに自分の思い通りにならない(急に長期間会えなくなる)女性が現れる。その人のことしか考えられなくなる。
私にはまだ経験はないが、今後私や身の回りでこういうことが起きても不思議ではないと思った。時が経ち、仕事や生活に慣れて、特に努力せずとも側から見たら充実した生活が送れるようになった時、私は何を求めるのだろう。またパートナーが同じような状況になった時、主人公の妻のように許せるのだろうか。
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終盤に何ページにも及ぶ性描写があり、
官能小説を読んでるのかと思った。
そこまで長い性描写は好まない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『蛍』
ノルウェイの森の原型。
主人公と、親友と、親友の彼女。親友は自殺し、二人は取り残される。
この、大切な人の『死』が決定的に二人を損なって、その傷に気付かまいとする、なんともいえない空気感が好き。
『納屋を焼く』
薬でトリップしているときに唐突に「時々、納屋を焼くんです」と彼女の新しい恋人に告げられる。
近くの納屋を焼く予定だともいい、主人公は探すも、結局焼かれた納屋は見つからず。後々会った時には、焼いたと言われるが……。そして、彼女は『消え』、音信不通となる。
普通だったら、主人公が代わりに捕まっちゃいそうなもんだけど、そんな簡単な話になるわけなく。
分からなすぎて、色々解釈を読みましたけれど、どの読み方も唸らせられますが、そんな多重に解釈できるメタファーが、こんな短い小説の中にどれだけ込められているの!?となって、そのことに驚愕。
さすが、ニューヨーカーに掲載された小説は一味違うぜ……。
『踊る小人』
象工場で働く僕は、夢の中に出てきた小人に、同じ職場で働く女の子を欲しいという願望を吐露することになる……。
声を出せば、小人に身体を奪われ、森の中で踊り続けることになる。小人は、女の子の肉体が腐っていく幻影を主人公に見せるが、主人公は幻影を見抜き、耐え忍ぶ。
働いている象工場がそもそもファンタジーなのだが、話の流れは、ちょっとした怖い話のテイスト。
メタファーや、バックボーンまで見抜けていませんが、革命など寒々しいイメージが、根底に蠢いている気がします。
『めくらやなぎと眠る女』
耳の疾患が、恐らく精神的なもの……。この世界との馴染めなさの一端を表しているような気はしているのですが……。
もう一遍の「めくらやなぎと、眠る女」と比べてみて考察してみたいです。
『三つのドイツ幻想』
まーじで、夢の中!?
幻想小説にも程がある! -
Posted by ブクログ
ある種、秩序やルールが存在する世界
それは、体系的に描かれた文学の世界そのものであり尚且つ我々が向かい合う社会構造そのものである。
それが能動的に襲ってくるということが起きないだけで
つまりはデタッチメント的側面で生きていても社会との接点や、その牙から掻い潜ると言うことは上手く実行することはできないのだ。
秩序は個人を強制的に社会に同居させそれはある種困惑を産むかもしれないが、それは適合も産む
変化は進化であり、退化も進化なのだ。
村上春樹がエルサレム賞でしたスピーチ
卵と壁
まるで、ルールは壁で個人は卵である。
それを体現しているかのように理不尽に、天吾と青豆の元に秩序は襲いかかる
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2人は世界の秩序に飲み込まれて言ったかのように見えた
しかし、それは秩序ではなく元から存在した不確かで意地悪ななにかであった
人間は生まれながらにして、家庭や教室という秩序建てされた環境での生活を強いられる
(例えば青豆で言えばカルトである)
つまり、我々はいくら社会と距離を取っていたとしてもそれと生まれた時から結びついて言ってしまっているだ
簡単に言えばデタッチメントはこじんでの成立も破綻している
それがわかった巻であった
しかし、それを法を犯そうした途端に彼らに牙を剥く
殺人罪、そして虚偽の詐欺罪
彼らが無意識に潜在的に犯した罪こそが彼らを秩序なき1Q84の世界に導いたのだと確信をする。
その世界で個人的な社会である、自分と向き合い社会との接点を上手く得る
今度は社会との接点、そして理不尽なまでに牙を持った1Q84の世界との仲直りだ
これを読んでいた際彼らに必要なのは正常の生活に戻ること、
つまり彼らが理想として掲げて生活する個人地味た生活に戻ることだと思っていた
しかし、そうでは無い、彼らに必要だったのは社会との和解だったのだ。
牛河についても面白い、ねじまき鳥クロニクルの牛久を思い出すが、彼を醜いと稀有する人々により彼は自分を醜いと定義している。
それはある種の生きやすさを彼に産んでいる
不動産でやけに信用された際には彼が新人だからなのかと思い込む描写が描かれる。
しかし、それは違う。本質的に牛河が醜いかは彼が語る彼自身にか定義されていないのだ。
それが面白い。その構造が面白い
ルールや社会は他人が決めているのもである種距離をとって生活をする、しかし、それを無くして生きることは出来ないという現れなのだ。
とにかく次巻で完結だ
ポストモダン的な彼らは世界とどのように接点を見つけるのか、それとも社会へのデタッチメントを貫く為の何かを見つけるのか
村上春樹は何を思うのか
とても楽しみである -
Posted by ブクログ
美しい抽象的な比喩と引用がやはり凄まじい。
抽象者を残した表現は読者に咀嚼することを要求し,それはある種の煌めきを見つけることや発見に近いなにかを引き出す
そして映画の比喩も素晴らしい
時代感とその場の雰囲気のわからなさ
それこそがそれをよりそのシーンにしている
これは美しい
また,父親と青豆とふかえりと。
それぞれが単調に進んで変わっていく様がとても美しい。
空気さなぎは何を指し示すのか,どうして我々の前に現れるのか.精神的な弱さが弱点な人間は果たしててんごだけなのか.
物語の濃淡は驚くほどに濃く,ストーリーは単調である.
そのキャップがある種時間の経過間隔を危うくさせてしまうのがすごくリアルで鮮明な読書体験を産んでいる。
変化は進化を指し示すのか,それとも退化を指し示すのか。
何かの形がいじられるということはどのような影響を及ぼすのか.
また,ここにきて鮮明に描かれたメタ構造がとても美しい.
創作をするという行為の当事者意識や,それを描くことでそれに否応なく関わってしまうということを自覚させられた村上春樹の哲学が読み取れる。
そして,それがある種、雷であるとか雨であるとか,はたまた曇りであるとか。
そんなものが指し示す物語のいく先を理解した人物が存在するということがとても面白い
危うい存在がその危うさを言語化できないのもリアルで良い。
物語の当事者はどうして物語がそのように転がるのかそこまでは認知できないのがこの物語の展開において親切なガイドであり且つその奇妙さを深掘りさせている。素晴らしい技法である -
Posted by ブクログ
フィンランド、熊本、ラオス。私が過去に行った場所、行こうとしてる場所を村上春樹がどう見るのかを知りたく。それぞれの場所を再訪したくなる。
私とは違う感性で語られるその場所のことを知り、興味が深まる。フィンランド、シベリウスを聴いてみる。
さらに、行ったところのない場所の章も、彼の案内で読み進めると、すごく魅力的に思われる。アイスランド、ボストン、ポートランド、ミコノス島、ローマ。
ローマの郊外をイタリア車で走ることについて、人生のハイライトになりえる、という表現。人生のハイライト、っていう言葉に自分の人生を振り返ってみる。
旅は、心と体を自由にする。旅の本もまた然り。
この人は、自由に生きている人だなあ。 -
Posted by ブクログ
まだ読み終えていないのだが、とても面白い。そして、私は、彼の小説をちゃんと読んだことがない。ハマる人は、ハマるのですよね。なぜだか、数ページ読んで、やめてしまったり。文体なのか、なんなのか、わからないけれど、昔読んだときは、あまり、スーッと物語に入っていけなかった。そう、思い出したが、ノルウェーの森は読んだ。とても話題になったので、ざーっと読んで、映画を見てしまった。ざーっと流し読み、飛ばし読み的に読んだので、読んだと言えないのかも。
この本を読んでから、彼の小説に対する思いがわかって、なるほどと、良い印象を受けた。彼の小説を読んでみようかなと思えた。 -
Posted by ブクログ
様々な角度から「恐怖」を描いた作品。
レキシントンの幽霊は、これに似た話を入試問題で読んだことがある…夫が死んだショックでこんこんと眠り続ける母親と、眠り続ける母親を前に何もできず、孤独に鮭缶だけを食べ続ける子供の話…ケイシーをモデルにしたのかな?
氷男は、旦那の地元に帰った奥さんみたい。
7番目の男が1番怖い。眠れなくなった。恐怖に飲まれずそれを見つめなければならないというメッセージが心に残る。
めくらやなぎと眠る女 は、懐かしい場所に行った時に思い出がフラッシュバックして、色々考えてしまう時の思考が再現されていた。ストーリーの意味は分からないけど、物事を思い出す時の感覚とかはめっちゃわかる! -
Posted by ブクログ
ネタバレ何回読むねん、というくらい何回も読んでる本。
下記文章を読みたいがために何度も何度も読み返す。
「要するに『あなたが善きことをしているときにだけ、あなたに善きことが起こる』ってことなのよ。
いや善きことというより、むしろ正直なことって言うべきかな。規律をしっかり守りましょう、みたいな正直さのことじゃないのよ。
もしそれでとりあえず楽しい気持ちになれると思えば、私は墓だって暴くし、死者の目から二十五セント玉をむしったりもするわよ。
そうじゃなくて、私の言ってるのは、自らの則に従うみたいな正直さなわけ。卑怯者や、猫っかぶりや、精神的なペテン師や、商売女じゃなきゃ、それこそなんだってかまわないの。不正直な心を持つくらいなら、癌を抱え込んだ方がまだましよ。だから信心深いかとか、そういうことじゃないんだ。もっと実際的なもの。
癌はあなたを殺すかもしれないけど、もう一方のやつは間違いなくあなたを殺すのよ。」
自分が自分であるために、自分を生きるために、定期的に読み返すのかもしれない。