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Posted by ブクログ
もう一度目を通すつもりだが,関係せざるを得ない立場として,臨床心理士に執着している人は信用ならんと思っていたし,臨床心理士が消えることを危惧して,熱心に活動している「専門バカ」ほど迷惑なことはない。この本の内容は,個人的な被害に照らし合わせても事実だ。
ましてや,大学教員で,この本にもあるように「臨床心理士,公認心理師」の順で資格を並べるヤツほど非科学的な心理士で,だけど公認心理師も持っていることを権威に利用するヤツと見ても,当たらずとも遠からずと言える。アカデミックな心理学に従事しているかは,統計学のことを分かっているかどうか見れば分かるし,本人がそういう研究を着実に取り組んでいるかを見ればいい。ケーススタディばかり,セラピストとは…という精神論的論文ばかりの臨床心理士は,公認心理師を持っていてもアカデミックな心理学の定義から外れているので,そもそも心理学者ではない。日本の心理学はその辺りが曖昧に進んできているので,非科学的な,フェイク心理士が大学院でフェイクを再生産する。大学教員の詐欺心理士が存在することは知っておくべき。
中学や高校の保健で防衛規制を習うが,精神分析はただの歴史的遺物であり,アカデミックな心理学ではないことはまだまだ知られていない。アメリカの心理学入門講義では,その誤解から始まる。日本の大学でもそうならないと,心理職の信頼は何も変わらない。
ゲーテの言う通り,活動的なバカより恐ろしいものはないというのが臨床心理士ではあり得る。 -
Posted by ブクログ
大好きな斜線堂有紀先生の短編集
SFチックな話が多く、かなり読み応えがあった。
個人的には「奈辺」と「回祭」が好み。
「奈辺」
黒人を心底見下す白人のヒューソン、
優秀だが産まれから奴隷として生きるシーザー、
16世紀の差別真っ只中の時代で、
肌の色から交わるはずの無い2人が
ある日“緑色の肌”を持つ宇宙人との出会いから、
親交を育み、とある事件を起こす。
昔からSFはよく読むので、
受け入れやすいストーリー構成だった。
かなりサッパリした終わり方で、
斜線堂先生にしては珍しい(?)読後感。
「回祭」
性格の悪いお嬢様と
親を亡くし貧困に喘ぐ主人公の交流。
主従関係の百合的な属性を持つ話は
「玉野五十鈴の誉れ」「荊の城」などを読んできたが、
単なる恋や愛ではない、複雑な心境の落ちどころをどう描くかが良作足る基準だと考えている。
そこを、SFならではの特殊設定でオチをつける運びから、斜線堂先生得意の耽美で陰があり、
それでもどこか満足に至る登場人物の心理描写を
味わうことができた。 -
Posted by ブクログ
離婚後の楽しい話なのかな?と思って読み始めたら、思った以上に現実的でグサグサくる話だった。
子どもがいなくて、仕事もあって、自分でそれなりに稼いでいる。それなら離婚したって、お金があれば自由に生きられるんじゃないかと思う。
でも、実際はそんなに簡単じゃない。
老後を一人で過ごすこと。
婚活。
年下の恋人との不安定な関係。
誰かと一緒に生きるなら、何かを妥協しなきゃいけない。かといって、一人で生きることにも寂しさや心細さがある。なんで人生って、こんなにうまくいかないんだろう。
現実って難しい。
そして読んでいて思ったのが、マリエさんみたいに生きられる人って、実はそんなに多くないんじゃないかなということ。
マリエさんには自分で生活できる仕事や収入があって、子どももいない。
もし子どもがいたら、離婚したあとも自分の気持ちだけで人生を決めることはできない。
経済的なことや子どもの生活、元夫との関係……考えなきゃいけないことは、もっと増える。
だから「離婚して自由になった!」なんて、そんな単純な話ではないんだと思う。
それでもマリエさんは、何かを選ばなかった。
結婚することも、再婚することも、誰かに人生を預けることも。それはそれで、いいな!と思えた。
読んでいて楽しいのに、現実がどんどん浮き彫りになってくる。
でも最後には、
「あたしもマリエさんみたいに、もう少しゆるく生きてもいいのかも」と思えた。
人生に、これが正解っていう選択肢はないのかもしれない。
だったら、無理に何かを選ばなくてもいい。
自分なりのペースで、ゆるく生きていくのも悪くないのかも。
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Posted by ブクログ
日本社会全般にわたって働く「見えざる原則」の分析について語った山本七平の「日本人論」。
この山本流の「見えざる原則」探究の、佐伯啓思なりの継続がこの本の主旨らしい。それを、佐伯啓思さんは「根源的価値」と言い直した。
そして、この「根源的価値」をわれわれは決して日常的に意識しているわけではない。
この「根源的価値」の中心をなすのは、その国の自然観、死生観、歴史観、宇宙観といったもので、より具体的にいえば一種の宗教的な意識だろうと思う。
ところが、今日、われわれは、われわれの「根源的価値」というべき自然観、死生観、歴史観などをうまく理解できなくなっているのではなかろうか。
その意味で、日本人が背負っている無意識の文化や価値観を探るのが本書の意図なのである。
とはじめに書かれてあった。そして、その内容は以下の通りである。
第1章 日本における「権威」の構造
第1節 「日本型権威」のからくり
第2節 「ムラ共同体」とエリートの苦悩
第3節 「天皇制度」のからくり
第4節 「アメリカニズム」と戦後日本
第2章 「空気の支配」について
第1節 日本は果たして「同質社会」なのか
第2節 「空気の支配」をもたらすもの
第3章 「応報原理」と「日本教的自然法」
第1節 ハビアンの「ナツウラの教え」
第2節 「日本的応報原理」について
第3章 日本近代、ふたつのディレンマ
第1章 福澤諭吉のにがい「予言」
第2章 道義をもった敗者への愛惜
となっていました。
その中で、第3章 「応報原理」と「日本教的自然法」のくだりを紹介したいと思います。
山本七平(イザヤ・ベンダサン)の『日本教徒――その開祖と現代知識人』(角川書店)。
この本は、安土桃山から江戸初期に生きたハビアン(不干斉ハビアン)という日本人について論じている。
彼は、もともと禅僧であったが、天正14年(1586年)にイエズス会に入会し、イエズス会のイルマン(修道士)になる。
ところがその後、彼はキリスト教も捨てる。面白いのは、それら棄教の理由をハビアン自身が書き残していることで、仏教、儒教、神道に対する批判を述べた『妙貞問答』、それにキリスト教批判の書である「破提宇子』を残した。
どうしてハビアンはキリスト教から離れたのか。
その理由を山本は、次のように解釈している。
ハビアンにとって真に信じうるものは、決して「でうす」の教義などではなく、いわば「日本教的自然法」とでもいうべき、日本に特有の一種の擬似的宗教的観念であった。
それを、ハビアンは「ナツウラの教え」と呼ぶのだが、その内実は「現世安穏」と「後生善所」だと山本は言う。
これはもともと『法華経』で説かれる言葉であるが、山本が言いたいのは、万事万象にはおのずとなる秩序が存在し、人もその秩序に従う限りで現世を安穏に過ごし、死後はよき場所に生まれるという信仰があり、それが日本特有の「ナツウラの教え」である。
ハビアンは、ただその「日本教的自然法」を現実に実現する便法としてキリスト教を信奉しただけだ、というのである。
かなり独創的な解釈だと思うが、山本の言いたいところは明快であろう。仏教であれ、儒教であれ、キリスト教であれ、もともと外来の宗教的な価値体系を日本人は受け入れるものの、「本心」からそれを信じているわけではない。
その背後には、常に変わらない「日本的な価値」が流れている。そして、外来の信仰体系は、この底流の日本的価値と矛盾しない形で、むしろそれと融合しつつ受用される。
この独特のやり方こそが「日本的方式」なおのである。表層では、日本人は、いくらでも外来の価値刊を受容する。
しかし、根底に流れるいかにも「日本的なもの」を決してうしなうことはない。
ハビアンとはまさにそうして「日本人」だった。それは、おそらく、現代にいたるまで「世界」における日本人の生き方の基本モデルとさえいいうるものであろう。外来価値をいかうらでも受容するのだが、けっして、「本心から」受け入れたわけではないのである。
ハビアンはいう。「柳は緑、花は紅。これこそは自然の道理である」と。柳の根を砕いてみても緑はなく、花の木を割いてみても紅はない。
しかし、柳も花も自然天然のままに現成しているではないか。このあらゆるものが「天然自然のまま」という世の中のあり方、それこそが「ナツウラの教え」なのである。柳や花を分解して分析するのではない。そのまま、ありのままに見るのである。
世界の万事万象が、バラバラに現成するのではなく、相互につながりながら秩序を保って現成するという思想。
仏教的にいえば、因果生起による万物の相依相即したあり方、古神道的に表現すれば、人間も自然もすべてが「カミ」というべき生命力の発言としてそこに存在するという考え方と同様の発想をここに見ることができよう。
この万象が万象が相依相即しつつ、それぞれが「おのずとある」ようなあり方、万事が「天然自然のまま」に現成している存在の仕方こそ「ナツウラの教え」の根本にあるものだ。
この本の真髄が書かれた部分でした。
古代から、現代にも通底する日本人の本質だと思いました。 -
Posted by ブクログ
SNSで話題になっててようやく読むんですが、すごく面白かった!
動物行動学、動物の社会性、なるほどなーと身近な生き物(バッタとか、スズメとかカラスやらウシとか)の生態や社会性、全然知らないことだらけで学びになりました。
ポピュラーサイエンスの本とのことですが、一般の人にもかなり読みやすい内容になっててサクサク読めて良かったです。
著者のちょっとした雑談?というかエピソードみたいなのもあってくすっと笑えるところもあったり。
最初はオキアミの話になるんですが、オキアミなんて魚釣りのエサぐらいの認識しかなくて、すごく不思議で社会性とかちゃんと持ってる生き物なんだなって。
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