中島岳志のレビュー一覧
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アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ
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試し読み
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Posted by ブクログ
著者による「血盟団事件」を読んだ時に、宮沢賢治と5.15事件の青年将校たちに共通に流れる血としての日蓮宗を知った時、宗教が現実と交わる時に発揮する禍々しさにたじろぎました。本書では親鸞の教えの「他力本願」「悪人正機説」がいかに日本が戦争に突入する時のナショナリズムの形成に繋がっていったかを検証していきます。キーワードは「煩悶青年」。理想と現実の狭間に悩む自意識過剰の青年たちが「自力」に傷つき「他力」の赦しを求める青春が親鸞に出逢って救われていく、そんな一個一個の物語が激しく日本を神の国にしていくことが怖くなります。そして青春の悩みは性欲との葛藤。笑っちゃうくらいにこの本には自分の性欲を持て余す青年が登場します。もしかしたら第二次世界戦争に向かう日本も明治時代が赤ん坊時代だとすると青春まっただ中で、有り余る性欲をアジア大陸や太平洋にぶちまけたのかも、ね。そして放出してしまった青年らしく、戦後は何もなかったようにスルーってのも笑えるくらい。翻って、性欲の少ない現代の草食ニッポンが求める宗教はなんなんだろう?もとめるナショナリズムはなんなんだろう?と思いました。
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Posted by ブクログ
同い年なのよね、中島岳志。同じ年に同じ大阪の大学に通ってた(当時は別々の大学やったけど)人がTVでコメントとかしてるの見て「オレらもそんな歳になったのか」と思った覚えがある。報道ステーションでまだレギュラーではなかった頃、政治学の研究者をやってる先輩と飲んでる席で「中島岳志ってどう思います?」って聞いたら「保守の論客としては櫻井よし子とかに比べたらメッチャまともやしええよね」って話をしてた。その頃は櫻井よし子と同じ側だったんだなぁ、と。いや、中島岳志はたぶん変わってなくて、世の中が右旋回したせいで真ん中右寄りから真ん中左寄りに立ち位置が相対的に変わったんやろな。その点はオイラ自身もそんな気がしてるのですごく入り込んで読んでしまう。「死者」って言葉はちょっと強すぎてともするとオカルトみたいにとられかねなくて危ういなとは思うんやけど(読めばオカルトやないことはすぐわかるんやけども)、そこの違和感を別にすれば話はすごくわかりやすい。
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Posted by ブクログ
中島岳志さんに注目してるというのに、この本を読んでないのはダメだろうと読むことにした。
そもそも中島さんは「保守」であることを常々宣言しておられる。私としては、中島さんの言っておられることはいつも素晴らしいと思っているのに、「保守」というイメージは昔から全く好きでなく、どうしたものかと思っていた。
大体この本のタイトルにもある「リベラル」と「保守」を合わせることが理解できなかったのだ。ただ、やはり尊敬する内田樹先生がよく「今の自民党は全く保守ではない」とよく言われ、それはそれでよくわかり、今までの私の中の自民党=保守というイメージも崩れていってたのだ。
では「保守」とは何か?
中島さんは何カ所かで定義づけられている。
人間の不完全さを認識の基礎に据え、特定の人間によって構想された政治イデオロギーより、歴史の風雪に耐えた制度や良識、「伝統」を重んじる。しかし、決して「復古」でもない。
わかりやすく書かれていたが、私がすべて十分理解したとは言えない。だからかもしれないが、多分100パーセント賛成というわけではないように思う。ただこれからもずっとしっかり彼の考えを追っていきたいと思う。
あとがきに書かれていたNTT出版との絡みは由々しきことで、でも最近ありがちな話で、本当にどうすればいいのかと思ってしまう。 -
Posted by ブクログ
面白かった。
確かに、俗的・古臭が漂う醜い保守でもなく、
教条的でなんでも反対し、あぶなっかしい左翼でも
ない、人間の本質をとらえ、そのうえでの
歴史をかさねてきたものの重要性を鑑みた保守。
また、自由を集団的狂信や多数者による専制を疑う
リベラルというのがしっくりくると思われます。
橋下・安倍のなんでも声高に否定する保守、集団的
狂信を起こそうと考えるリベラルに嫌気がさしてくる
ような事象が多くあるような気がします。
かといって、”リベラル保守”というレッテルで突き進む
のも変な気もします。自分たちで考えるということが
必要なのではと改めて思われます。 -
Posted by ブクログ
グローバル化、新自由主義、何だか地に足が付いていないことがどんどん進んでいるような…。身体感覚のない言論が過激さを加速する。匿名のネット上での発言が問題になるのも納得です。
ここのところの内田氏はグローバル化、グローバル企業と国民国家が相入れない関係であることを盛んに書いています。株式会社の平均寿命が10年未満なのにたいして人間の寿命は数十年。我々の身体感覚ではものごとを100年単位で捉えている。それを体現しようとするシステムが国民国家である。企業は100年後のことには興味ないのですぐに効果、結果を求める。この企業の論理が国民国家に浸透してきてしまっている。これが何を生み出すのか私たちは冷静に判断しなければならない時期に来ているようだ。
既得権益を排し、全ての人に平等な機会を与えるというのは一見正論のように聞こえるけれど、本当にそうなのだろうか?もしかしたら強者だけが得をする超格差社会を生むだけなんじゃないだろうか?
答えは分からないけど、はっきりとものを言う、正論を言っている(ように聞こえる)人が幸せな未来を私たちにもたらしてくれるの考える必要があると感じさせられる。 -
Posted by ブクログ
内田:この20年ほどの「構造改革・規制緩和」の流れというのは、こういう国民国家が「弱者」のために担保してきた諸制度を「無駄使い」で非効率だと謗るものでした。(P.5)
中島:かつての70年代くらいの若者にとって、未来というのは輝けるものとして存在した。とすると、今ある自分の現実に対して「俺にはもっと幸福が先にあるんだ」と思えた。だから今の自分はまだまだ幸福ではない、と言っていた。しかし今の若者には先が見えない。輝ける未来や、今よりよい自分というビジョンが描けない。あるいは欠落している。だったら今の状態を幸せだと言っておかないと…と考えてしまう。(P.62)
内田:今の公共政策の、まず税金を集めて、そのために企業を誘致して、公共事業でハコモノを作って、それを雇用を創り出して…という発想って、もう完全に時代遅れだと思うんです。税金の徴収と配分も大事だけれども、それよりも市民が自分たちでやりたいことがあるなら、それをどう組織して、どうつなげて、どうネットワークして、行政とどうリンクさせていくのか、そういうアイデアを吟味することがこれからの自治体のたいせつな仕事になると思います。((P.145)
中島:かつて民本主義を唱え、普通選挙の導入を説いた吉野作造が、こんなふうに言っています。吉野はみんなから反対されるんですね。「そのへんのおじさんに選挙権を与えても政策なんてわからないだろう。日本が混乱するばかりじゃないか」と。それに対して、吉野は言うんです。それはそうだろう。そんな政策の細かいことはわからないだろう」と。けれど、こうも言います。「人を見分ける力が民衆にはある」と。(P.151)
中島:リベラルとは、極めて簡単に言えば、国家や権力が個人の内的な価値には土足で踏み込まないという考え方です。それに対してパターナルは、個人の内的な価値観に関わることでも、国家が1つの指針をもって、一定程度コントロールしていきますよという考え方になります。(P.153)
内田:ある政策がいいのか誰も確信ができない。ある専門家がこっちが正しいと言って、別の専門家はこっとが正しいと言っている。そのトピックについて、市民に比べて圧倒的に知識量のある人たちの意見が分かれているんです。非専門家に判断できるわけがない。(P.158)
小田嶋:黒字の消防署ってありえない。つまり公共サービスが黒字を目指すのがそもそもおかしいんだと。当時は国鉄解体の話が出ていた時代で、「国鉄儲かってないじゃないか、けしからんじゃないかと言うけれど、われわれが儲かってないということは、お客様が得をしてるってことなんだから、必ずしもわれわれが責められるべきじゃないんだ」と。(P.188)
小田嶋:さっき内田先生がおっしゃってた日米の父と子の関係の話でいうと、私が前からずっと思っていたのは、アメリカってジャイアンだと思うんですよ(笑)。で、われわれ日本はのび太だったらまだいいんですけど―いや、のび太だった時代もあるんですよ。ドラえもんという強力な科学技術を持ってた時代も―だんだんスネ夫になっていった。つまりいつもジャイアンにくっついて、おべっか使って。ジャイアンの代弁者になって、安全を確保さらてるみたいな、ああいう奴ですよ。でも、スネ夫の唯一の長所というか利点は、あいつ、金持ちの家の子なんですよね。だけど、その唯一のいいところを失って、貧乏になったスネ夫ってどうするの? あるいはドラえもんのいないのび太って何なの?というようなところに今われわれは差し掛かっている。(P.193)
中島:橋下さんが言うような競争社会というものは、グローバリズムの中で戦えるような、安上がりの戦士のような人間を求めてきた。(中略)橋下さんの言う形は、いわば途上国のモデルですよね。それでは一部の人しか得しません。多くの若者はそこから除け者になっていきます(P.196) -
Posted by ブクログ
利他とは何か、という題名だったので利他の本質について追求していく本なのだと思っていたが、「利他」という事柄をそれぞれの専門家がそれぞれ定義づけし、考察するような内容となっており、「利他についての諸考察」等の題名の方がしっくりとくる気がしている。
様々な角度から利他を語り、全体を俯瞰して見るとぼんやりと全体像が見えてくるような。
まるで、ピカソの多視点画をみながら全体像を探っているような本だと思った。
しかし、この本を読んで最終的に絵の全体像が見えてこない気がするのは、各専門家が利他について相互に刺激を受け、お互いの観点を踏まえた一段上の視点を提示するのが少ないからだろう。
せっかくこれだけの人材を持ち寄り、研究しているのであればもっと各専門家の視点がクロスオーバーしながら語るような内容があつくても良かったのではないかと思う。