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大正から昭和初期にかけて起きた親鸞ブーム。その絶対他力や自然法爾の思想は、やがて“国体”を正当化する論理として、右翼や国粋主義者の拠り所となる。ある者は煩悶の末に、ある者は戦争の大義を説くために「弥陀の本願=天皇の大御心」と主張した。「親鸞思想と国体」という近代日本の盲点を衝き、信仰と愛国の危険な関係に迫る。
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Posted by ブクログ
知識が追い付かず斜め読み。 あとがきに著者は真宗大谷派の教学員を務めてらっしゃるとあり、本書の内容からすると良い意味で意外なことに感じられた。
難しいところは読み飛ばして歴史的事実だけをチェック。 それでも興味深く読めた。 「私たちは、先人の苦闘から照らされている~。」
本書を読んでいくつも気にかかることがあった。個人的なこともあり、また、もう少し大きな問題もある。 個人的なことといえば、父のことである。父は10数年前に病没したのだが、入院中にせん妄状態になり、「天皇陛下に申し訳ない」と言い出した。かれは、旧職業軍人で、終戦時には連隊長で、日本に生還したのはかれの...続きを読む部隊の5%ほどであったという。戦後すぐは主だった部下の家族のもとを訪ねてその戦死の様子を伝えていたという。私がそのことを知ったのは、最晩年のことで、かれは戦争体験のことはごくわずかしか語らなかった。 しかし、そのかれが、死の間際に申し訳ないといったのは、陛下から預かった部下や武器を失ったことであった。せん妄状態とはいえ、晩年でもそのようなことは語ったことがなかったので、ある種のショックを受けた。幸せな戦後を家族とともに送ったはずだったのに、穏やかでない死を迎えたと思えた。もちろん、戦中戦後まもなくであれば、かれの行動や言動は、おそらく共感を持たれたのではないかと想像するのだが。 本書と関連することで言えば、祖父は本書に登場する近角常観に接し、職業軍人であった父はおそらく時期的には弟の常音の教えを受けたようだ。常音は私が生まれた頃に亡くなったのだが、両親は戦後も、常音の縁者(信者と言ってもいいだろう)会を重ねていたようだ。私自身。子供の頃に何度も、東大谷の親鸞御廟の社務所での会合に参加する両親とともにでかけ、妹とその間境内で遊んでいた記憶がある。また、自宅にも少なくとも私の小学生の頃までは、常音の縁者だった両親の友人たちが訪れていた。 うる覚えではあるが、父は最後の戦場(終戦を知らずに?1945年9月まで、フィリピンの山中をさまよっていた)に赴くおり、常音を訪ねて心がけを聞いたという。親鸞の教えを近代日本に蘇らせるべく葛藤し宗教改革を目指した、清沢満之や暁烏敏、近角常観の系譜の一端に、父もそして、父と1944年に結婚した母もまた、「近角宗」の教えに感化されていたのである。その後も、両親は浄土真宗大谷派の寺院の檀家の一員として、様々な会合に出向いていた。 本書は、近代日本の宗教改革を目指した清沢らの背景には親鸞自身の持つ思想があり、くわえてそのかれらの理解が「日本主義」と親和性を持っていたがゆえに、かれらの宗教改革が帝国日本のファシズムに加担することになったとする。本書を読むとたしかに、その流れがよく理解できたのだが、とはいえ、真宗教団自身はどうだったのか、ということが気にかかるところだ。 むしろ、真宗教団は彼らの解釈を利用して体制迎合して戦場に真宗信徒を送り出すことの加担したと言えるのではないだろうか。戦場に教誨師を部隊とともにおくり、天皇のために死ぬことについての宗教的な心証を信者に与えようとしたようだ。真宗は、少なくとも中世から近世にかけて一向一揆は明らかに反体制的であったはずであったが、しかし、徳川幕藩体制に入ると、体制側に組み込まれる。差別戒名のことや宗門改めの名目をもったキリスト教弾圧に体制側として加担していたことは確かと言えるだろう。 親鸞は「弟子一人ももたず」と述べていたように、かれは、思想家として「絶対他力」を唱えるものの、かといってそれを他者に教えることはしなかったのではなかったか。教えるという行為は「自力」と親和性があると理解したからだろう。親鸞自身の教えからすると、真宗は教団を作らなかったはずだ。しかし、その後、蓮如以降、一向宗として体制と対立して独自の宗教王国を作ろうとするという思考は、逆に体制への組み込まれやすさを生み出すことになったのではないだろうか。明治維新以降の真宗の宗教改革は畢竟、蓮如の踏襲であって、親鸞へのそれではなかったのではないだろうか、と思えてしまう。 とすると、本書が今後の課題として抱えるのは、真宗教団というややもすると体制へと迎合しようとするながれが、清沢らの改革派をとりこみ、かれらの「日本主義」的理解を利用しようとした流れを批判的に検討することなのではなかとおもえるのだが、どうだろうか。
戦前の浄土真宗と国体論のつながり等、寡聞にして全く知らなかった。大谷派の論議は読み応えがあり、思想や宗教の危うさを感じさせる。力作だと思う。
著者による「血盟団事件」を読んだ時に、宮沢賢治と5.15事件の青年将校たちに共通に流れる血としての日蓮宗を知った時、宗教が現実と交わる時に発揮する禍々しさにたじろぎました。本書では親鸞の教えの「他力本願」「悪人正機説」がいかに日本が戦争に突入する時のナショナリズムの形成に繋がっていったかを検証してい...続きを読むきます。キーワードは「煩悶青年」。理想と現実の狭間に悩む自意識過剰の青年たちが「自力」に傷つき「他力」の赦しを求める青春が親鸞に出逢って救われていく、そんな一個一個の物語が激しく日本を神の国にしていくことが怖くなります。そして青春の悩みは性欲との葛藤。笑っちゃうくらいにこの本には自分の性欲を持て余す青年が登場します。もしかしたら第二次世界戦争に向かう日本も明治時代が赤ん坊時代だとすると青春まっただ中で、有り余る性欲をアジア大陸や太平洋にぶちまけたのかも、ね。そして放出してしまった青年らしく、戦後は何もなかったようにスルーってのも笑えるくらい。翻って、性欲の少ない現代の草食ニッポンが求める宗教はなんなんだろう?もとめるナショナリズムはなんなんだろう?と思いました。
日本主義を信奉した知識人、文化人の中には、深く親鸞の思想を研究したものが散見された。 親鸞の思想がどのように日本主義に転換していくのか、いくつかの実例を挙げて検証している。
大正から昭和初期にかけて、親鸞の思想が皇国主義と結びついていった。 本書は、いかにして親鸞の思想がこれらの右翼思想に取り込まれて行ったかを当時の文献を紐解いている。各章のテーマは、歌人同人(三井甲之)、ベストセラー作家(倉田百三)、教誨師(刑務所専属の僧侶)、大衆文学(吉川英治)、浄土真宗の教義の...続きを読む変遷。 親鸞の教えにある阿弥陀如来の「他力」が天皇崇拝に置き換えられるとともに国体論を補強する中心的な概念になった。そして「天皇陛下万歳」と言って死ぬ瞬間の恍惚感に究極の信仰の境地を見出す、というようなことが思想家や宗教家によって論じられた。太平洋戦争末期の特攻攻撃などに先立って、このような議論が論壇・宗教界においてなされていたことを知り、気持ち悪く思った。 最終章は少々読みにくいが、時間をおいて再読したい。
宗教(親鸞,及び大谷派)と国体論の蜜月の仕組みが非常にわかりやすく書かれている.宗教にしても政治権力の前にはなんでも利用されるのだと思い知った.まず,神話の成り立ちを疑ってみることから始めてほしかった.
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親鸞と日本主義(新潮選書)
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