人殺しを正当化するなんて、絶対にあってはいけない。
と、テロリストや犯罪者を断罪するのは、誰でもできます。
しかし、彼らの言い分に耳を傾けるのは、この世界に「絶対的な見方」など、
存在しないことを知る上で、非常に大切なことだ思います。
なぜなら、人殺しさえも、正当化する状況は、今でも十分にあるから
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この思想性の強い事件を起こした者たち、
宗教家、貧しい農村グループ、実存的不安を抱えた大学生、
腐った指導者に憤りを感じていた海軍・陸軍の将校など
この若者達を取り巻く当時の「現実」は、
今の日本の世相とも類似しています。
もちろん著者は、この事件の捉え方が、
閉塞感漂い、(経済・心理的)格差が拡大する
今の日本を複眼的に理解する上で、
首謀者たちの動機と目的、
当時の社会状況を知ることが、非常に有益だと考えています。
当時の絶望的な農村部の貧困と都市における労働問題、
資本家と底辺労働者の経済格差は、
その時代性を色濃く映しだしていて、
単純に今と比較することは困難です。
しかし一人のカリスマ性を持った宗教家の下に集まった若者達の
「社会への怒りと自分の無力感」は、普遍性の強い、
共通性を持っていると思います。
ただ、現在は互いに助け合うことも、繋がることも、難しく、
ただただ、絶望的な状況かもしれません。
少なくとも、この本を読む限りでは井上日照(血盟団の思想的指導者・宗教家)は、
私利私欲のために、若者を利用するような現在の「それ」ではなく、
むしろ無私的に、悩める者たちに、人生の意義と社会における役割を、
独自の思想により「一緒に考え、若者たちに寄り添った同志」のような気がします。
結果的に、要人の暗殺を自分の信者に実行させましたが、
手段が暗殺ではなく、また異なる時代に登場したならば、
いい意味で歴史に名を残していたかもしれません。
それほど、私には魅力的な人物に写りました。
ただ、暗殺、殺し、テロを正当する気は、甚だありませんが、
この事件が現代に投げかけるモノは、生きることの目的や動機を、
何も見いだせず、かといって、何も行動しない(もしくは構造的にできない)、
少なくない今の日本人に訴えかける何かを含んでいると感じます。