中島岳志のレビュー一覧
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中田敦彦のYoutube大学で何度か登場した本
あっちゃんおすすめのとおり2つの軸での政治家の分析がわかりやすかった。この2つの軸は今後も自分の軸にしたい。
・リスク(お金)(社会化か個人化か)
・価値(リベラルかパターナルか)
■安倍晋三
最大の特徴はアンチ「左翼」やアンチ「リベラル」
→標的は、朝日新聞と日教組
・靖国
→公式参拝でなければ合憲
→→軍国主義と直接結びつけるのが見当違い
→国家は命を投げ打ってでも守ろうとする国民がいなければ成立しない
だとすれば国のために命を捨てた人の顕彰がなければ、国家は成り立たない
・親米
→アジアよりも米国との連携を第一
→→アジアとは価値観が違いすぎるから
・沖縄
→可能な限り基地を減らしていく
→普段の沖縄集中の不平等と向き合うべき
心情倫理として問題があっても、結果責任を取ることで免罪される、と考えている
・経済(縦軸)
→リスクの個人化を志向
→小泉政権を継いだため
→本人としては横軸(価値)が重要
■石破茂
・小さな政府を志向
→何でもかんでも公助では国が成り立たない
→自立と持続可能性が重要
→だから小泉政権を評価
・TPPに賛成
→国は余計なことをしない
→関税は撤廃し、農業も世界に出るべき
生活保護政策は基本を現物支給にすべき
→◉これは大賛成、ギャンブルや酒に使う人もいる
・年金見直すべき
→年金は贈与ではなく保険
→危機を回避できた人は、もらうべきでは無い
・財政再建
→国債は限界
→財政健全化のための消費税増税
・原発賛成
→再稼働かさいせいかのうえねるぎかという二分法的問いは、時間軸を無視しておりナンセンス
→◉これも賛成
・沖縄
辺野古移設
→ベストでは無い、ベターとも申さない。ワーストでは無いという言い方しかできない
■河野太郎
・小さな政府
→企業活動活発化のため解雇規制の緩和もやむを得ない
→→◉確かに危機感も必要。そして自分に合ったところで再チャレンジすることもよい
・敗者と弱者を混同してはならない
→敗者には再チャレンジを促進するための制度を整えるべき
■岸田文雄
あいまい
■加藤勝信
婿養子
阿部さんのお母さんと加藤さんの義母が仲がいい
リスクの社会化、制作に詳しい
■小渕優子
二児の母
■小泉進次郎
農業改革を試みたが反対に遭い失敗
→敵に仕立て上げすぎた?
■まとめ
自民党の本流
→中道保守
→田中派→経世会→平成研究会
田中角栄
→リスクの社会化
→福祉元年というスローガン
→列島改造という社会基盤整備
→大平も同じ
オイルショック、高齢化少子化により、小さな政府論へ
→竹下登
→→消費税導入へ
中曽根内閣
→国鉄、電電公社、専売公社の民営化
→リスクの個人化
小泉純一郎
→リスクの個人化 -
Posted by ブクログ
とてもいい内容だと感じました。
私は虫が苦手ですが、内容は文句なく素晴らしいです。
表紙にある四冊が主軸で、人類の歴史と多くの人々、関連する書籍も紹介されています。
政治や体制の主義主張などを叫ぶだけの眠たいものを想像していたら、驚くほどに人の持つ陰のような部分を浮き彫りにしていました。
・服従したがる本能(生存目的)
・強烈な承認欲求
・生まれてきた不安
どれも普段は無視しできる範囲で暮らしています。
そして、本題の「ナショナリズム」。その生まれ、価値、その危険性にも堂々と切り込んで、具体的に示してくれています。私が常々「ナショナリズム」を唱えるメディアから感じる薄気味悪さの正体が、しっかりと理解できました。簡単に表現すれば同調圧力。価値観(想像)の共有が強制されること。
この一冊を読むことで、人類が多くの組織や共同体を時代に合わせて生き延びるために育てきた考え、その変換点を学べます。
その上で、各主軸の本を紹介してくださる四名の想いが鋭い。
大澤真幸さんは将来世代である「未来の他者」との繋がりを。
島田雅彦さんは人の本能の陰を意識して戦う必要を。
中島岳志さんも、ナショナリズムの構造を理解して「付き合っていく」「議論する」と。
そのために必要なものとして、最後、ヤマザキマリさんが提示してくれた三点。
・知性の力を備える
・自立した精神を鍛える
・人間の生き様を観察する能力を持つ
時間を置いてから、また読み直したい一冊です。
虫が、苦手で……。 -
アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ
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試し読み
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近代日本における「アジア主義」の思想とその政治的実践の諸相について、たいへんわかりやすいことばでおおまかなアウトラインをえがき出している解説書です。
アジア主義の入門的解説書としては、井上寿一の『アジア主義を問いなおす』(2006年、ちくま新書)が、政治思想としての側面にかなり深く立ち入って論じています。これに対して本書は、日本近代史のおおまかな流れをわかりやすく解説しつつも、竹内好や橋川文三らの「アジア主義」理解を参照しながら、「アジア主義」という思想的運動のもっていた意義と問題性を著者自身の観点から整理しています。
ただし著者自身の考える「アジア主義」の思想的なポテンシャルがどのようなものであるのかということについては、あまり踏み込んだ議論はなされておらず、本書を読んだだけでは明瞭な像を結んできませんでした。いちおう「方法としてのアジア主義」を掲げた竹内好を批判し、「近代の誤謬を乗り越える重要な存在論・認識論」が含まれていると述べられているので、あるいは三木清や京都学派のグループによって議論されたような、「バラバラでいっしょ」「いっしょでバラバラ」な連帯のありかたに、いっそう掘り下げて考察するべき豊かな可能性があると考えているのかもしれません。 -
アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ
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試し読み
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戦争に負けてからこの方、右翼思想はあまり省みられなくなった。大川周明とか北一輝とか、何を言っていたのか現代教育だけでは殆ど知り得ない。だからこそ、近代右翼思想史を「アジア主義」と銘打ってまとめあげたこの本は価値がある。しかし、「アジア主義」という思想体系は実在せず、筆者の中島の頭の中にしかないものだろうと私は思う。
左翼思想の背景にはマルクスという聖典があるが、右翼思想に聖典はなく、あるのはナショナリズムという沸々たる思いである。近代日本のナショナリズムの発現について語るならば、西郷隆盛だけでなくまず尊王攘夷運動から見た方が良いだろう。黒船、開国という出来事が世界と日本という国意識の発見となり、熱い論争と血なまぐさい闘争を経て明治維新に結実すると、驚いたことに革命政府は西洋型の近代国家を志向する。やがて明治政府内の政争に敗れた側が士族反乱を起こし、これが鎮圧されると今度は自由民権運動が起こる。板垣が民主的だから自由民権運動の旗手になったのではない。西郷・板垣が政争に勝利していれば、伊藤・山縣が自由民権運動を担っていたのだろう。
自由民権運動が憲法・議会という形で結実すると、目端の効く者は議員・政治家に収まり、まだなお胸の炎消し切れぬ者が今度は朝鮮・中国眼を向ける。李氏朝鮮と清朝は古色蒼然とした専制政治を続けており、近代化を目指す現地の志士達を支援しアジアの連帯を構築しようという訳だ。
ここに至り、近代日本ナショナリズムが汎アジア主義に転化する兆しを見せる。しかしそれは、兆しに過ぎない。アジア主義という思想とか理論的バックボーンがある訳ではなく、熱き者達の思いは政治家に利用されるだけだ。日東合邦論を利用した初代朝鮮統監の伊藤博文しかり、中国革命の支援者に満州というエサをぶら下げた孫文しかり。
そして中島はアジア主義を帝国主義に悪用したとして石原完爾を批判する。中島のいうアジア主義の源流はナショナリズムとなるが、そもそも19~20世紀初頭の世界においてナショナリズムと帝国主義を区別できない。ドイツ帝国の版図はどこまで?とかスコットランドは独立すべき?という問いに正解は無い。国は勝利や繁栄により正当化される、とは言えそうだけれども。
石原完爾はアジア主義という夢想家ではなく、日本が列強に対抗するには中国の資源を取り込むしかないと考えていた帝国主義者てリアリストである。昭和陸軍を作った一人ではあるが、東京や京都に居座って大東亜共栄圏を正当化する言辞を吐いていた連中に比べればかなりまともだ。日本の支配に対する反応は国により様々だったのだろうけど、少なくとも彼らがアジア主義という思想や感情を共有していた事実はない。
そして現代、欧州には欧州イズムのようなものがある。中華主義のようなものも存在するが、覇権主義と表裏一体であることは皆がわかっている。パクスアメリカーナとて、批判と変容を繰り返しながら今日に至っている。こうして並べてみると、戦前日本のアジア主義とは支配される側を省みない中華主義に近いもの、と考えれば良いだろう。 -
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「平成の社会と宗教」というテーマで4人の論者がそれぞれの立場から平成の30年を振り返り語った本。
平成の30年間は、ぼく自身が生まれてから今までの期間とほぼ一致したので、この30年間の振り返りはすごく身近に感じた
今まで宗教について、深く考えたことがなく、なぜ人は宗教にはまるのか?について考えさせられたり、仏教やキリスト教など2000年以上もの変わらず続いている宗教を学ぶ意義があるのかを考えるきっかけになった。
WHOによる健康の定義も1998年にスピリチュアルという言葉が加わるほど宗教は密接に関わっている。
こと日本では宗教に対する嫌悪感は多少あるようだが、これはおそらく1995年の地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の影響が大きい。
しかし、実際は宗教団体に対する信仰は低下しているものの、パワースポットやオーラなどのスピリチュアル(宗教性)に関しては、存在意義が強くなってきている。
これは、ひとえに現在の人たちの「生きづらさ」を反映している。
昭和時代の敗戦から豊かな日本を取り戻そうと一丸となってひたむきに頑張っている時代には感じることのなかった「なぜ生きているんだろう」という悩みが、バブル崩壊後の平成に一気に溢れてきた。
ものは溢れて豊かなのに、なぜか生きている実感がない。そういう人にとって、拠り所にできるもの、それが宗教なのだろう。
個が強くなってきている昨今、教団としての宗教は弱くなっているかもしれないが、教団とは関係ない個人に対する宗教性は強い。
人が何を拠り所にして生きていくのか?最近は高齢者の在宅医療に関わっているので、いろいろ考えるきっかけになった。
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前大阪市長の平松邦夫が立ち上げた「公共政策ラボ」主催のシンポジウムの模様をまとめた一冊。この本を手に取った理由は、ほかでもない内田樹が討論をリードしているから。早くから橋本徹の教育に関する施策に異議を唱えていた内田樹が、その橋本徹に選挙で敗れた平松邦夫とタッグを組んだわけだから、ちょっと見過ごすことができなかった。
内容は、内田樹がかねてから唱えている(かつ、ワタシも賛同している)「贈与経済」という考え方を、国家規模、グローバル規模であてはめていったらどうなるか、という討論が中心になっている。そして、これをあてはめていくとグローバル社会から脱してゆくことになる、というのがこのシンポジウムのコアの部分なんだろう。なるほど名うての論客達の討論からは、思わず唸るような数々の指摘が。でも、この国はそれほどグローバルな社会を持っているんだろうか、という疑問がふとわいてくる。善し悪しはともかく、グローバルな社会を目指そうとしているんだろうが、いま現在はまだそんなレベルには到達していない。この本の指摘するところは十分刺激的だが、後の時代に「早過ぎた指摘」と評される可能性があるような気もする。