中島岳志のレビュー一覧
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アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ
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Posted by ブクログ
中島岳志
血盟団事件 宗教団体 血盟団よるテロ事件を記録したノンフィクション
この本を読むかぎり、血盟団事件は 破壊により国家再生を目指す宗教団体のテロであり、五一五事件、二二六事件など 軍事クーデターの呼び水となった事件
反国家によるテロでなく、国家主義者によるテロ。国家の再生は国家を破壊することにより可能になるという宗教的神話(ノアの箱舟の大洪水など)に基づいている
事件の怖さ
*宗教的な思想(大乗思想=自己犠牲による世界救済やユートピア実現を目指す)が 自分の社会的役割や貧困に苦悩する人々に光を与えて、テロと結びついた
*昭和恐慌により農家は貧困化し、政府や富裕層への不満が増大。一部兵士も同調し、軍事クーデター化
大乗思想とテロを結びつけてしまった思想的背景
1.ユートピアは 宇宙の本質に追随して生きていれば、自然と実現してるはずなのに=昭和恐慌により貧困に苦しむはずないのに
2.ユートピアが実現していないのは 社会に問題がある=貧しさの原因は 政治家と財閥にある
3.社会を変えなければならない=政治家と財閥を殺害し、国家を破壊しなければ 国家は再生しない
4.それが革命であり、自らの使命である=自分が犠牲になって犯罪者となることが自分の使命である
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Posted by ブクログ
「政治家は国内政治において、大別すると<リスク>(お金)と<価値>をめぐる仕事をしています」
本書ではy軸でリスクの社会化/個人化をはかり、x軸で価値観への介入・干渉/多様性への寛容をはかることで、4象限で政治家のビジョンを捉えるもの。各人の政治スタンスを批判するような意図はなく、あくまでも本人の発言をもとに著書や過去のインタビューをもとに解説されているのでよく理解できた。
2018/9~2019/4の連載をもとに2019年6月に発行された本だけど、その後、選挙や内閣改造もあったので、そのあたりをめぐる動きを、これをもとに復習というか答え合わせ。実績ある風、やってる風が得意な人もいれば、隅っこに追いやられてしまった人もいて。極端な思想を振りかざす人だけが中枢で権力をもつことなく、多様な声に幅広く耳を傾ける懐の深い自民党に戻ってほしいと祈るばかりだ。 -
Posted by ブクログ
安倍首相が立憲主義を壊そうとしているという危機感が溢れる文章が多い中で、オルテガ、マンハイム、福田恆存、吉本隆明などの説明が出てきたり…。保守とはリベラル、それは安倍政権、ネオコン政権や共産主義政権、ヒトラーのファシズム政権のパターナルな決断主義との対極にある!保守にとって重要なのは死者の立憲主義であるとの著者の主張はよく分かるものの、死者を強調しすぎることには少し違和感がないでもなかった。しかしほぼ主張が快い。著者の枝野幸男氏の「リベラルな現実主義」との評価に極めて深い絆・信頼を感じさせられた。そして存在しない抗議に怯え、自主規制を繰り返す。忖度もそうだ。こうして自由が失われてしまっていっている現実!
印象に残った言葉を引用する。浅田真央が亡くなったお母さんに何と報告するかと問われた時、「一番近くにいる感じがしたので、何も報告しなくてもわかってくれると思います」深い味わいのある言葉だ。福田恆存「人間・この劇的なるもの」から「私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起こるべくして起っているということだ。そしてその中に登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。何をしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞する。ほしいのは、そういう実感だ。」 -
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ネタバレ思ってたのと違ったけどまあまあ
平成論というタイトルに惹かれて読んだけれど,中身は平成における宗教論.池上さんのわかりやすい総論のあとに各著者がそれぞれ1章ずつ考えを書いている.
ざっくりまとめると,バブル崩壊からの心の拠り所として宗教は力を持ったが,オウムの事件で敬遠.ただスピリチュアリティはパワースポット巡りの流行だったり災害を機に改めて重要視されてきている,といったかんじ.
日本での仏教が衰退しているのは僧たちが広める努力をしてこなかったからだ,という記述にはなるほどなと思った.日常で仏教にかかわる場面がないなかで葬式のときだけ高い金を要求されるのだからよいイメージはもてない.
宗教観の希薄な日本で心の拠り所を確保するには,各個人のリベラルアーツ(自由にする技)にかかってしまっている. -
Posted by ブクログ
「崩御」?
天皇が亡くなるとそう言うんだ、へえ~、というくらいで、とくに厳かな気持ちにもならず自分にとっての平成は幕を開けた。
「下血」という文字が新聞報道にも頻繁に載り、いよいよ容体が危ないとなると、学校も自粛ムードで、文化祭が取りやめになった。別に中止でもいいけど、天皇の具合が悪いのと、文化祭がなんの関係があるんじゃ?とブツクサ。
不謹慎、不遜、なんて畏れ多い態度、と今なら思うが、馬鹿な10代男子の頭の中なんてそんなもの。
平成の幕開けはバブルの余韻にまだまだどっぷり浸かったまま、何事もなく過ぎたが、異変は海外からやってきた。なんとソ連がなくなった!冷戦で二分されていた世界が、アメリカ一人勝ちの世界になっちゃった(かのようにみえた)しかしソ連という突っ返棒がなくなった途端に、世界では至るところで民族紛争が勃発。アメリカも石油利権のためにイラクを爆撃。戦争をおっぱじめる。
日本ではバブルは弾ける。突如として就職戦線が南国リゾートから南極ブリザードになる。フリーターや派遣社員が増えた。しかし、それはそれで儲かる人から儲ければいいんじゃない?的なアメリカ模倣の新自由主義政策をとった政権運営のもとで貧富の格差は広がり、もう大変。平成はどんどん暗い時代に突入。阪神淡路大震災やオウムの無差別テロという未曾有の天災人災で人心の荒廃が進んだ。そしてこれらの災害をはるかに凌ぐ3.11の大津波と原発事故の悲劇。昭和が戦争と高度成長の時代なら、平成は災害の時代だ。
平和に成るとの願い空しく、平成は実に生きづらい時代になってしまった。
そんな生きづらい世の中で若者たちが、自己をどう捉え、何に自己を委ねようとしているのか。
宗教(宗教的なものを含む)との関わりから読み解こうとした本。
なぜエリートがオウムに走ったのか。イスラム教になんの興味もない日本の若者が、なぜイスラム国へ入ろうとしたのか。その根底には、先進国中でも断トツに低い自己肯定感がある。本当の自分はこんな姿じゃないはずだ。どこかに、本当の自分がいる。というなんかふわふわした自己投影像を持っている。
そして確かな羅針盤を持たないまま、彼らはここじゃないどこかへ行ってしまうのだ。
生きづらい=生き甲斐がない、という意味。病気や貧困などの問題を抱えてなくても、人間関係がうまくいかないと、自分なんかいてもいなくても同じと感じてしまう。
だから自分が必要とされ、自分が輝ける場所を探す。それが平成を生きた若者たちの特徴。それが、カルト宗教だったり、スピリチュアルなパワースポット巡りだったり、ボランティア活動だったり、と向かう先は様々。ただ今いる場所を否定的に捉えているところは同じ。
ぶっちゃけ昔からこういうタイプの人は一定数いたと思う。青い鳥症候群って言われていた。でもこのタイプが増えているなら、生きづらい場所が相対的に増えているのか、義務教育のプログラムがそういう方向に誘導し易いかたちに変化したのかだと思う。
この本の中で既存の宗教団体や僧侶の個人的な活動の広がりを、好意的に書いてる章があるのだが、正直言ってあまり可能性は感じなかった。宗教=祈り、というか、癒しの効用をアピールしてるだけのようで、セラピスト的な役割に限定している。
宗教のダイナミズムを捉えてないという気がして残念。
納得する点もあれば、しない点もあるので、引き続き議論を重ねて欲しいと思う。 -
Posted by ブクログ
バークやチェスタトン、あるいはわが国の福田恒存や西部邁の保守思想を継承し、左翼の設計主義から距離をとる一方で、反知性主義的な熱狂に浮かされるような自称保守の浅薄さを批判する著者の立場が語られている本です。
著者の立場は、基本的にはコミュニタリアンに近いように思えました。ある程度共感できるところもあったのですが、本書であつかわれている内容は、原発問題や橋下徹批判など、ややジャーナリスティックなものにかたよっているように感じました。
現実を遊離した理想に基づく性急で革命的な社会の変化に対しては懐疑の精神を向けてみることを怠らず、つねにみずからの思想的地盤を顧みる保守の精神を生かすに際してもっとも必要なことは、現代の日本社会を生きるわれわれのすぐ足下に広がる「戦後民主主義」という地盤を、まずはしっかりと認め、保守の立場からその思想的遺産をどのように受け継ぐべきなのかを考えることなのではないでしょうか。
もちろん福田や西部も重要な思想家であることはまちがいありませんが、たとえば民主主義という枠組みのなかで個別的な問題を解決していくことで社会を改良することを主張した鶴見俊輔や市井三郎、あるいは国民経済の重要性を説いた大塚久雄、「一身独立して一国独立す」ということばに示される福沢諭吉を高く評価し「永久革命」としての民主主義を擁護した丸山眞男らの思索のうちにも、「リベラル保守」にとって重要な思想的遺産があるように思います。 -
Posted by ブクログ
大正から昭和初期にかけて、親鸞の思想が皇国主義と結びついていった。
本書は、いかにして親鸞の思想がこれらの右翼思想に取り込まれて行ったかを当時の文献を紐解いている。各章のテーマは、歌人同人(三井甲之)、ベストセラー作家(倉田百三)、教誨師(刑務所専属の僧侶)、大衆文学(吉川英治)、浄土真宗の教義の変遷。
親鸞の教えにある阿弥陀如来の「他力」が天皇崇拝に置き換えられるとともに国体論を補強する中心的な概念になった。そして「天皇陛下万歳」と言って死ぬ瞬間の恍惚感に究極の信仰の境地を見出す、というようなことが思想家や宗教家によって論じられた。太平洋戦争末期の特攻攻撃などに先立って、このような議論が論壇・宗教界においてなされていたことを知り、気持ち悪く思った。
最終章は少々読みにくいが、時間をおいて再読したい。