あらすじ
リベラルと保守は対抗関係とみなされてきた。だが私は真の保守思想家こそ自由を擁護すべきだと考えている――。メディアでも積極的に発言してきた研究者が、自らの軸である保守思想をもとに、様々な社会問題に切り込んでゆく。脱原発主張の根源、政治家橋下徹氏への疑義、貧困問題への取り組み方、東日本大震災の教訓。わが国が選択すべき道とは何か。共生の新たな礎(いしずえ)がここにある。
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中島岳志という人を知ったのは、たぶん12年くらい前。おそらく論壇に出始めた頃だと思う。自分と大して年齢の違わない人が活躍し始めていることに軽い驚きを感じた記憶がある。その後も、どんどん気鋭の論客として名を上げていくさまをどことなく意識していたのだが、著作を読んだのはこれが初めて。
保守とは本来何ものなのかを非常にわかりやすく、そして説得力をもって論じている。こんなに読みやすいとは思わなかった。
わりと最初のうちに保守の定義が示される。曰く「保守は特定の人間によって構想された政治イデオロギーよりも、歴史の風雪に耐えた制度や良識に依拠し、理性を超えた宗教的価値を重視します」(p.37)ということで、決して懐古主義、復古主義ではないことが繰り返し述べられる。こうした論に照らせば、「保守」とされている現在の安倍政権のやっていることには首を傾げたくなることばかり。実際には、主義に従って為政をとるわけでもないのだからずれは仕方ないのかもしれないが、主義という芯がないのは危ういことだろう。
一方、左派についても、その成り立ちや本義に照らすと、フランス革命は個人主義しか認めようとせず、市民団体や協同組合のような思想・活動も排斥していたとか、人間の力を信じ進歩を是とする本義に照らせば、原発を推進せざるをえないといった吉本隆明の論なども紹介される。
私は、「自由」に高い価値を置いているつもりのわりに、頭が硬いというか、慎重だったり手放しに新しいものをよしとできないと自認し引け目を感じていたのだけど、ある意味、そうした自分の心の向き様がそれでいいのだと思うことができた。
タイトルは「リベラル保守」などと保守の亜流や新派のような印象も与えかねないが、むしろ、保守本流のあり方を説明している傑作。出版までの顛末が書かれている書籍版あとがきがこれまた本編と並ぶほどに面白い。NTTは民営化して30年がたとうとしているのにいまだに公器だと思っているらしい。新潮社はうまく漁夫の利を得たなという感じ。
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保守という用語に対する誤解(復古主義、反動、封建的、家父長的)がこれほどまで定着してしまっているのはなぜだろうか、と考えてみる。
それは、実はそのまま保守の理念の光で明るみになる。どういうことか。理性への過信である。いや、過信どころか、理性以外に人間のよってたつ判断基準などないという妄信である。
この妄信は、宇宙は一つの真実のもと、決まった法則で規定されているはずである、という思い込み(この妄信を突いた傑作SFが『三体』)を端に、人間が作る社会も一つの真実(正解)があるという演繹?がもたらしたものではないか。
自分の一日の生活ひとつでさえままならないのに、人間世界を一つの秩序(理念)でまとめることができるはずという信条は、中二病そのものである。
積み上げられてきたものに対する畏敬と疑念のバランス、真っ暗な闇の中で険しい崖沿いの道を歩くような慎重さ、そうした態度をとり続けるしかないのだという諦念。そうした態度には必ずしも知識は必要でないはずだ。
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本当のリベラル、保守とは何なのかよく考えさせられる。なんでもかんでも、右なのか左なのかラベリングすることだけに執着し、思想や立場の本質を忘れがち。
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17/01/28 4:30am
「第二章 脱原発について」について
僕は中学の時は広瀬隆(今となってはただのデマゴーグだとの認識だけれど、彼の著作)など読んでいて、当時は明確に反原発の立場だったのだけど、今では、(東日本大震災を経た後でさえ)手放しに反原発を唱える気になれずにいる。
その立場を、本章の内容に照らして説明できそうな気がする。
著者は、原発を「未来永劫、不完全な存在」であり、「人間が完全でない以上、完全な原発など存在しようが」ないと、保守の原則に従って言う。
すると僕のような素人が思いつく疑問、「では自動車などは?」にも丁寧に答えていて、「重要なのは、(中略)利便性とリスクを天秤にかけて利用する英知とバランス感覚」だと説く。
ただ、「リスクを天秤に」と言うのは必ずしも保守の何たるかと言う文脈で出てくるものではなく、例えば僕の勤務先の会社でさえ昨今「リスク管理」にうるさくなってきている、と言うような一般的な話として理解して良い気がする。
で、例えば別の章で福田恆存の「平和」に対する考え方を取り上げて、「「絶対レベルの理念」と「相対レベルの理念」を明確に区別し、絶対者の次元でこそ成立する「絶対平和の理念」を想起するがゆえに、相対世界における絶対平和の不可能性を受け止めようとする」と言うところの「絶対レベル」と言うのは、相対世界の住人である僕の頭の上50cmくらいのところに雲のような吹き出しが付いていてその中に描かれた、僕が相対世界たるこの世を生き抜くに当たって参照すべき、この相対世界とは連続していない絶対的な世界だと理解していたのだけど、本章の議論における「完全な原発」と言うのは、相対世界における自動車と、リスクに大きな違いこそあれ同じ地平でつながっているような印象を抱くのだ。であれば、技術の進歩によってそのリスクは最小化することができて、今ある相対世界においても利用可能な技術となり得ると僕は考えてしまうのだと思う。
著者は吉本隆明の論を批判的に惹いているが、吉本の論は究極の進歩主義、設計主義だと僕にも感じられ、ほとんど共感できないものだった(少なくとも引用されている内容に関しては)。
でももしかしたら僕の考え方は、根本では吉本の考え方と繋がっている部分もあるのかもしれない。
ちなみに僕は原発を推進したいとは全く思っていない。現状の技術では、撤退するという選択が妥当なのかもしれないとも思っている。
ただ、手放しに反原発を唱えることになぜ違和感を抱くのかを自分のなかで考えてみたいと思った。
原発に関しては、もう少し色々な題材を参照しながら考えてみたいと思う。
Posted by ブクログ
保守思想研究者の中島岳志は北海道大学に努めていて三角山放送局でFlydaySpeakersという番組をしていた時から知っていた。
保守主義者でありながら脱原発やら反橋本やら、私の知っている「保守」たちとは一線を画す主張に興味を持った。
私の持っていた保守のイメージは保守は右翼とあまり違いがなく、愛国的で伝統を固持し新自由主義的、というものだった。これは自民党の議員たちから帰納されたものだったということが今にしてみればわかる。普通保守と言えば今でもこのようなイメージなのではないか。
しかし、本源的な意味での保守とはそうではないと中島は言う。フランス革命を支えた啓蒙思想への反動として生まれた歴史を紹介しつつ、保守とは人間の合理性を懐疑し物事を漸進的に改善する姿勢、であるとする。
彼の視点からみるとリベラルと保守は必ずしも対立するものではなく、タイトルのリベラル保守という言葉もすんなりと理解できる。
丁寧に論を追ってほしい。必ず中島の言わんとすることが理解できる。
鶴見俊介は自身が中島の言う保守だと彼に言ったというのをどこかで見たが、どこで見たか忘れてしまった。
本文は平易かつ論理的で、高度なことを論じながらも非常に読みやすい。保守って何?リベラルって何?右翼って何?左翼って何?という疑問を持ったことのある人は多いだろうが、この本は確実な答えである。これらの言葉の誤用が―政治家のあいだでも―はなはだしいことに気づくことができるだろう。
Posted by ブクログ
リベラル保守とはいうものの、そもそもの保守の定義から学び直しさせられた!対話を重ねて異なる境を辛抱強く乗り越えていく。人間の理性や科学に絶対の信頼を置かない。(人が不完全な生き物であることを念頭に置く)など、自分の考え方を裏付けるものが多かった。ここでもトポス(居場所)を失った大衆化した人間がテーマになっていて、シンクロニシティを感じる。
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わかりやすく面白かった。
本当の保守についてかなり理解が進んだ。
しかし、保守というのはちょっとカルトっぽいな。
自分はもう少し人間の理性や知性を信じてもいいと思う。
Posted by ブクログ
中島岳志さんに注目してるというのに、この本を読んでないのはダメだろうと読むことにした。
そもそも中島さんは「保守」であることを常々宣言しておられる。私としては、中島さんの言っておられることはいつも素晴らしいと思っているのに、「保守」というイメージは昔から全く好きでなく、どうしたものかと思っていた。
大体この本のタイトルにもある「リベラル」と「保守」を合わせることが理解できなかったのだ。ただ、やはり尊敬する内田樹先生がよく「今の自民党は全く保守ではない」とよく言われ、それはそれでよくわかり、今までの私の中の自民党=保守というイメージも崩れていってたのだ。
では「保守」とは何か?
中島さんは何カ所かで定義づけられている。
人間の不完全さを認識の基礎に据え、特定の人間によって構想された政治イデオロギーより、歴史の風雪に耐えた制度や良識、「伝統」を重んじる。しかし、決して「復古」でもない。
わかりやすく書かれていたが、私がすべて十分理解したとは言えない。だからかもしれないが、多分100パーセント賛成というわけではないように思う。ただこれからもずっとしっかり彼の考えを追っていきたいと思う。
あとがきに書かれていたNTT出版との絡みは由々しきことで、でも最近ありがちな話で、本当にどうすればいいのかと思ってしまう。
Posted by ブクログ
面白かった。
確かに、俗的・古臭が漂う醜い保守でもなく、
教条的でなんでも反対し、あぶなっかしい左翼でも
ない、人間の本質をとらえ、そのうえでの
歴史をかさねてきたものの重要性を鑑みた保守。
また、自由を集団的狂信や多数者による専制を疑う
リベラルというのがしっくりくると思われます。
橋下・安倍のなんでも声高に否定する保守、集団的
狂信を起こそうと考えるリベラルに嫌気がさしてくる
ような事象が多くあるような気がします。
かといって、”リベラル保守”というレッテルで突き進む
のも変な気もします。自分たちで考えるということが
必要なのではと改めて思われます。
Posted by ブクログ
「戦争を知る世代が持って欲しい良識」
本書で語られる保守は自分の持っていたイメージとは違っている。
理性の完全性を疑い、歴史の検証に耐えた伝統などを重視する態度が保守のおそらく本質で、単なる反左翼の思想ではないようだ。
リベラルと保守は相反する概念だと思っていたが、「自由」と「寛容」を重んじるリベラルと保守は親和性が高いようだ。
ある概念はその歴史性を踏まえて認識される必要がある。リベラルと保守は、異なる物を排除しようと血みどろの争いをしてきた歴史の反省に立ち、その歴史を積み重ねてきた。
昔、保守派と目される元作家で都知事を務めた大物政治家が、目をパチクリさせながら「北朝鮮が拉致被害者を返さないのなら超法規的に戦争を仕掛けるべきだ」と仰っていたのを思い出した。彼の態度は恐らく正統な保守ではない。
対して中曽根内閣で官房長官を務めた後藤田正晴先生はどうであったか。自身で戦争を体験した彼はペルシャ湾への自衛隊掃海艇の派遣を身を挺して阻止した。
自分の体験したのと同じ困難を次の世代に感じさせたくないとの思いがあったのだろう。
リベラル保守はともすれば「決められない」とか「スピード感がない」など悪い面もあるが、戦争とか、取り返しのつかない事態の出来を防ぐ力があるのではないかと思った。
併せて読みたい
「SPY×FAMILY」 遠藤達哉
Posted by ブクログ
バークやチェスタトン、あるいはわが国の福田恒存や西部邁の保守思想を継承し、左翼の設計主義から距離をとる一方で、反知性主義的な熱狂に浮かされるような自称保守の浅薄さを批判する著者の立場が語られている本です。
著者の立場は、基本的にはコミュニタリアンに近いように思えました。ある程度共感できるところもあったのですが、本書であつかわれている内容は、原発問題や橋下徹批判など、ややジャーナリスティックなものにかたよっているように感じました。
現実を遊離した理想に基づく性急で革命的な社会の変化に対しては懐疑の精神を向けてみることを怠らず、つねにみずからの思想的地盤を顧みる保守の精神を生かすに際してもっとも必要なことは、現代の日本社会を生きるわれわれのすぐ足下に広がる「戦後民主主義」という地盤を、まずはしっかりと認め、保守の立場からその思想的遺産をどのように受け継ぐべきなのかを考えることなのではないでしょうか。
もちろん福田や西部も重要な思想家であることはまちがいありませんが、たとえば民主主義という枠組みのなかで個別的な問題を解決していくことで社会を改良することを主張した鶴見俊輔や市井三郎、あるいは国民経済の重要性を説いた大塚久雄、「一身独立して一国独立す」ということばに示される福沢諭吉を高く評価し「永久革命」としての民主主義を擁護した丸山眞男らの思索のうちにも、「リベラル保守」にとって重要な思想的遺産があるように思います。